2005年05月30日

気の毒なゴメンナサイ国家(イアン・ブルマ)

5月10日の「つくる会」記者会見は、海外メディアに正確に伝わったのかどうか、不安な点もある。(ヒロさん日記:「マルクス主義者の陰謀」という妖怪さん、出ておいで!をご参照あれ。)しかし、フィナンシャル・タイムズに寄稿するイアン・ブルマが、日本の保守層の本音をおおむね代弁してくれているようだ。(形容詞句をかなりハショルなど、大まかな訳文であることをご了承願いたい。)ラインマーカー部にマウスポイントをあてると、英文がポップアップするので、ご参考まで。
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A Sorry State (by Ian Buruma, Financial Times, 2005/5/28)

日本は戦争謝罪を十分にしてきただろうか? いくつかの事実がある。1972年、田中角栄首相が中国に「慙愧の念」を表明。1982年、宮沢喜一官房長官が「遺憾」の意。1990年、天皇陛下自身が韓国で「深い遺憾」の意。1995年、村山首相がアジアの犠牲者に「心から謝罪」。1997年、橋本龍太郎首相が中国で村山内閣の「深い遺憾の意」を継承。小泉純一郎首相は、2001年、2002年、2003年、そして先月(2005年4月)にも謝っている。

このような謝罪がコリアでの植民地主義や、中国での非道な侵略、捕虜の虐待、「慰安婦」の強制をカバーしているとすれば、「日本は過去の暗黒史を公式の場で否定している」と非難するのは困難だ。だとすると、最近中国で起こった暴力的なデモ行進で、暴徒が日本領事館・飲食店・商店へ投石し、警察が「日本のブタ」に対する民衆の怒りの爆発を見て見ぬふりをしていたことは、まったくのお門違いということだろうか?

ある意味でお門違いだ。新しい教科書(採択率1%以下)が火をつけたということになっているが、デモを引き起こしたのは、明らかに国内外の政治情勢だ。中国共産党が権力を独占を維持するための最後の砦は、経済成長と排外的ナショナリズムである。失業、汚職、郊外、言論の自由の抑圧などに対する民衆の不満は、反日や(時として)反米に振り向けることでガス抜きができる。「アジアの支配者としての中国」を体現するべく、中国民衆の「感情」は呼び起こされるものなのだ。日本の常任理事ポストや、台湾の防衛、東シナ海のガス田などが本当の問題なのである。

だからといって、日本側に責任がないわけではない。冷笑的な解釈は別として、アジア諸国が日本の反省を額面どおり受け止められない理由は、日本人自身がいまだに過去との和解が終了していないことにある。最近の日本のナショナリズムは、先の戦争に対する興味深い見解に現れている。例えば、人気の高いマンガ家、小林よしのりの「戦争論」3巻は1998年に出版され、耳障りなトーンで、次のような理論を展開している。1)日本の戦争は正しかった、2)日本は白人優位主義からアジアを解放した、3)1937年の南京大虐殺は中国の捏造である、4)コリア・中国・東南アジアから日本軍の買春館に駆り出された「慰安婦」は、すべからく貪欲な売春婦にすぎない・・・。すなわち、日本の戦争犯罪の大部分は、戦勝国が流布したプロパガンダであり、非愛国的な日本国内の左翼がこれに呼応しているにすぎない、というものだ。「戦争論」の第1巻だけで、若者を中心に60万部も売れている。

小林は単なるマンガ家ではない。日本の学校にさらなる「愛国的」な歴史教科書をもたらすべきだと主張するグループの設立メンバーなのだ。「つくる会」で知られる「新しい教科書をつくる会」は1996年に設立されたが、小林らの設立メンバーは、戦争を否定的に描くことは、若者世代から国の誇りを奪うことだ、と憂慮している。とりわけ慰安婦問題は容認しがたい中傷であり、現行の教科書からは排除されるべきだ、としている。

歴史教科書でおかしい点は何か、という質問に対して、「つくる会」のメンバーの1人藤岡信勝(東京大学)は、「日本人としての視点がない。反日の立場から見た歴史になっている」と指摘している。彼は「戦時中の日本は悪の侵略者以外の何者でもない」とみなす外国人たちや「社会主義者、共産主義者、リベラルなマスコミ」が原因となっており、このようなマゾキズム(自虐主義)はやめるべきだ、と主張する。

日本の自虐主義を憂慮する「つくる会」だが、藤岡や小林をはじめとする大部分のメンバーは歴史学の専門家ではない。しかしながら、彼らの見解は、中国デモの火種となった新版教科書にも反映されている通り、「日本は戦争でひたすら悪いことをした、だからどんなときも謝るしかない」という話にウンザリしている若者たちの心をとらえる。戦争放棄を謳う日本国憲法は1946年にアメリカが草案したものだが、この憲法に対しても同じことがいえる。一部の右翼にとってウンザリだ、という話ではない。現代ポップ・アートの神様、村上隆は、彼と同世代の大人たちが子供じみた漫画や暴力的なファンタジーに傾倒する理由として、アメリカが押しつけた平和主義の戦後秩序観が、日本全体を無責任な子供にしてしまったからだ、という。小林らの「つくる会」も同じ意見だ。

ポップ・アートまでが右翼教授たちの小言に浸ってしまう理由はいくつかある。1つは、何十年もの間、教育界を支配してきた左翼の崩壊である。これは日本に限られたことではなく、政治的シフトで過去の見方が変わることはどこでも起こる。しかしこのシフトが特に日本で劇的であった理由は、日本の歴史論争が学術界にとどまらず、政界主流派の中でも「化膿した古傷」であったからだ。アメリカ主導の連合軍が、広島と長崎の原爆投下後に日本を占領したが、マッカーサー将軍が最初に着手したのが日本の教育であった。「日本の敗戦、罪悪感、苦悩と貧困、悲惨な現状をもたらすに至った軍部・国粋主義者の影響力を、日本の教育システムから排除すべし」という命令が下されたのだ。

天皇崇拝や日本民族の天孫降臨説などを含む愛国的教育は、戦時動員体制で重要な役割を担っていたことを考えると、教育改革命令は失策ではなかった。これによって、歴史教科書の作成は民営化され、政府管轄ではなくなった。教科書の刷新にあたっては「国粋的」「軍国的」な表現は削除された。1945年8月までは天孫民族の美徳を礼賛していた教師たちが、今度はアメリカスタイルの「デモクラシー」を美徳として教え始めた。占領軍がとりわけ注目したのは、自己犠牲と規律を重んじる道徳教育(修身)で、これは個人主義精神を導入するための障害として見なされた。文化的な再教育は、学校の教科書だけでなく、芸術分野にも及んだ。時代劇(Samurai drama)は映画や歌舞伎でも禁止された。総体的に「戦時中の残虐性は文化的な欠陥に根源がある」と信じることを奨励された。

知識人の多くを含む政治的に左寄りな人たちにとって、以上のような政策は問題ではなかった。抑圧的な戦時体制から解放され、民主主義を謳歌できることを歓迎していた。マルクス主義者は、日本の暗い過去を「封建主義」「資本帝国主義」として見なす独自のイデオロギーをもっていた。1950〜60年代には、マルクス主義の教職員が毛沢東主席の中国を礼賛する一方で、帝国主義日本の歴史を罵ることは珍しくなかった。このような教職員は日教組で大きな力をもっていた。日教組の組織力が落ちてきたのは80年代になってからだ。多くの教科書には彼らの見解が反映されているが、保守派の文部省官僚の手によって、この左翼的偏向は和らげられていた。

保守派の文化人たちは、アメリカ軍占領の影響に関して、別の見解をもっている。国のアイデンティティの喪失を危惧しているのだ。アメリカ軍による検閲は、戦時中の日本の検閲に較べれば取るに足らないものだったが、外国人に検閲された作家・言論人たちの屈辱は大きかったという。天皇崇拝主義のあとに訪れた「道徳(モラル)の空白」を嘆く保守言論人は、かつての愛国心を使ってこの空白を埋めようとしてきた。戦時中をバラ色に描くこともこの努力の一端であり、歴代首相を含む多くの保守派政治化たちからも支持を得てきた。

道徳教育と愛国的歴史観の問題は、戦後憲法と密接にリンクしている。日本の左翼とリベラルは、平和主義を「軍国主義の罪滅ぼしの産物」として扱ってきたが、このことは中国のメディアでは指摘されていない。日教組の教員たちは、「平和教育」の一環として、日本の戦争犯罪を必ず取り上げる。平和主義は、ヒロシマへの答えであるだけでなく、南京虐殺への答えでもあるのだ。イデオロギー的な偏向はあるものの、日本ほど自国の戦争犯罪について書かれてきた国は他にない

マルクス主義が衰退し、一方で非現実的な平和主義憲法への苛立ちが増幅する中で、歴史論争の意味合いが変わってきた。この変化はすでに1950年代前半に始まっていたのだ。中国の共産化、朝鮮戦争の勃発、アメリカが黙認した戦犯恩赦と共産主義者の公職追放。平和主義憲法、戦後教育、戦争罪悪論などを決して認めていなかった人間たちが、日本の政界の主流に流れ込んだのだ。

大多数の日本人が、平和主義の理想にしがみつき、過去の道徳教育の復権に抵抗しているうちは、右翼政治家が操作できる余地は小さかった。靖国神社には数多くの戦犯を含む皇軍兵士たちが祀られているが、首相による靖国参拝は、元軍人や保守派の有権者を喜ばせるためのシンボリックなジェスチャーであり、このためには、たとえ中国・コリア・日本のリベラルの怒りを買うことも厭わない。しかしこれが日本に軍国主義をもたらすわけではない。日本の過去戦争の正当性を説くことも、若者に広がる道徳的退廃も、自虐的な歴史教育の負の影響力も、戦争につながるものではない。

冷戦によって変わったことは(冷戦そのものは東アジアでまだ終わってはいないが)、「建前上の平和主義は現実的で、長期的にみてもむしろ望ましいものである」というコンセンサスの終焉である。1991年の湾岸戦争は、小切手を切ったものの傍観者を余儀なくされた日本にとって、屈辱的な出来事だった。日本は安全保障でアメリカに過度に依存しており、外交政策の大部分はアメリカの言いなりである。戦時中の帝国主義を肯定しない多くの日本人にとっても、変化の潮時が感じられている。謝罪のときはすでに終わったと感じる人もかなりいる。

こんな背景もあって、小林のマンガには支持層がいる。日本に軍国主義が台頭したからではなく、古びた左翼スローガンが説得力を失ったからなのだ。説得力を失った理由は、愛国右翼と同じくらい融通のきかない平和知識人たちの教条主義に起因する。中国の人民感情を冷笑的に解釈できるとすれば、愛国者が利用できそうな反抗心や苛立ちが日本で広がっている理由も見えてこよう。世界中の若者はどこでもそうだが、日本の若者たちにとって戦争は知られざる過去のものとなり、歴史修正主義者たちの法外な主張を批判する力も欠けてきているということだ。

過去の歴史を全面的に否定しているわけでも、公式の反省が足りないわけでもない。問題は、アメリカ占領軍が自分のイメージで日本を作り変えて以来、歴史は政治的産物となってしまったことだ。結果的にうまくいったことも多い。欠点はあっても日本の民主主義は機能している。軍国主義は見る影もない。大部分の日本人が安定した豊かな生活を送っている。しかし憲法、国防、外交、歴史教育が救いようもなく絡み合ってくると、「偽りのない真実」がどうでもよくなってしまうのである
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一方、この記事を題材にして書かれたと見られる、中央日報の記事。韓国の英語力はアジア第3位だと聞いているのだが・・・。

中央日報:「日本の歴史歪曲は左派没落のせい」(2005/5/29)
「日本が歴史歪曲(わいきょく)を繰り返すのは、日本社会の中の左派没落によるものであり、極右派は歴史のわからない若者を糊塗している」−−。英国のフィナンシャルタイムズマガジン28日付が診断した北東アジア歴史論争の背景だ。

マガジンは「Sorry State」という企画記事で「日本が過去の歴史問題に対して繰り返し謝罪をするのにもかかわらず、韓国や中国など周辺国との歴史論争が絶えないのは真の謝罪をしていないため」と指摘した。マガジンは「日本の歴代首相はもちろん、明仁天皇まで謝罪を繰り返した点から先送りされ、日本が暗い過去の歴史問題を否認しないことは確かだ」と認めた。それにもかかわらずアジア国家が謝罪を受け入れないのは「日本人が過去の歴史問題を根本から受け入れられないため」という説明だ。

マガジンは「1980年代まで日本で極右的発言が盛んに行われなかったのは、2次大戦終戦後、占領軍であるマッカーサー司令部が日本の教育を変えたため」と主張した。マッカーサー司令部は日本の好戦性を抜本的に根絶するため、その根源である天皇崇拝と選民思想など極右イデオロギーを批判する教育を実施した。 日本の戦争責任と非人道的な戦争犯罪に対しても教えた。

この過程で戦争と天皇制を批判する左派知識人らが相当な社会的影響力を確保した。マルキシストを含む広範囲の左派勢力らは天皇制を封建の残りかすとして糾弾し、軍部と軍需業者を帝国主義尖兵として批判した。特に教員労組に左派の影響力が大きく作用した点は重要だ。学生たちに左派的思考、すなわち過去の歴史問題に対する反省の気持ちを植え付けたためだ。

日本の極右派らが消えたのではない。 戦争に責任ある右派政治家たちが48年の中国大陸の共産化につながった韓国戦争の渦中に米国の反共第一主義によって復権した。 しかし彼らは過去の歴史問題に対する反省を強調する社会的雰囲気では何も言えなかった。

右派らの声が大きくなった決定的契機は91年第1次湾岸戦争だ。 日本は莫大な戦争費用を出しながらも何の発言権がなかった。安保を依存する状況で米国の要求に従わざるを得なかった。 この事件は日本の極右派はもちろん、多くの国民の自尊心を傷付けた。平和憲法改正と再武装の要求が感情的に受け入れられた。

こういう雰囲気を反映して拡散した代表的な例が小林よしのりの漫画『戦争論』だ。 98年に出版された漫画の第1巻は60万部売れた。


■関連記事:
  • ヒロさん日記:「中国の執拗なる日本症候群(イアン・ブルマ)」(2005/4/17)
  • ヒロさん日記:「日中歴史論争について、世界中の意見を聞いてみよう(BBC)」(2005/4/18)
  • posted by ヒロさん at 11:24 | Comment(13) | TrackBack(0) | 日本史・世界史

    2005年05月29日

    日露戦争を勝利に導いた児玉源太郎の海底ケーブル

    1905年(明治38年)5月27日、午前4時50分、哨戒任務についていた仮装巡洋艦『信濃丸』が五島列島の西側を航行中に、バルチック艦隊を確認、緊急無線電信を味方に発信した。

    「三笠へ 敵の第2艦隊見ゆ 203地点 4時50分 信濃丸より」

    この暗号電信文は、巡洋艦『厳島』→鎮海湾の旗艦『三笠』→海底ケーブル→巨済島の仮設電信局→対馬→沖ノ島→・・・・→下関→・・・・→東京という経路をたどり、(推定時刻)午前6時40分に東京司令部に到着した。発見から1時間50分後のことだ。

    司馬遼太郎の「坂の上の雲」には、東京の軍司令部が『三笠』と直接無線で連絡をとっていたという記述があるが、これは間違いだ。イタリアのマルコーニが無線通信を発明したのは1895年のことで、1905年当時の無線技術の水準は非常に低い。電信は海底テーブルと陸上ケーブルの幾多の中継地点を経由し、中継のたびに通信技師の打鍵によって、モールス信号の形で転送された。

    日本がバルチック艦隊を撃破できた理由には、海軍の秀逸な人材登用、丁字乙字戦法の奏効、36式無線電信機の開発、下瀬火薬の威力、伊集院信管の高感度など、たくさんの要因があるが、兒玉源太郎の海底ケーブル戦略も忘れてはなるまい。

    明治維新直後の1871年(明治4年)には、6月に「長崎〜上海」、8月に「長崎〜ウラジオストック」の2つの海底ケーブルが完成し、シベリア回りとインド回りの2経路で、欧州・アメリカへの通信網が開通していた。この2つのルートの極東利権は、いずれもロシアの息がかかったデンマークの大北電信会社(Great Northern Telegraph)が握っていた。

    1871年11月、政府閣僚の半数が参加した「欧米視察団」はアメリカに向かうが、大久保利通がニューヨークから送った電信は、5時間後に長崎で受信されている。だが、東京〜長崎間には電信ケーブルがなかったため、飛脚などを使って電報が東京に着信したのは、さらに3日後のことだった。

    デンマークの大北電信は、この「東京〜長崎」ケーブルの独占も目論んでいたが、日本政府はこれを水ぎわで見事に食い止めた。背後にいるロシアの影響力を警戒したからだ。結局、大北通信に対しては、

    1.長崎と横浜以外は海底ケーブルの陸揚げを認めない
    2.瀬戸内海は開放しない
    3.将来、日本が海底ケーブルを買収する権利をもつ

    という3点を死守した上で、国際通信網の利用に踏み切ることになった。大北電信としては、ケーブル設置コストは陸上よりも海底の方が割安なため、どうしても瀬戸内海の使用権がほしかったのだが、これが叶わなくなり、二の足を踏むことになった。

    しかし、今度は太平洋沿岸ルートで「長崎〜横浜」ルートの敷設を計画してきたため、1973年(明治6年)4月、日本政府は大急ぎで陸上ケーブルを完成させ、「長崎〜横浜間の太平洋海底ケーブル敷設権の廃止」を通告した。

    その後、日清戦争(1895年)を経て、ロシアとの決戦が想定されるようになってくると、日本には次のような不安が持ち上がっていた。

    1.大北電信の「長崎〜釜山」回線は欧米人も使用しているため、軍が独占できない。
    2.そもそも大北通信はロシアとつながっており、その回線を用いると、日本側の軍事情報がロシアに筒抜けになってしまう。
    3.味方につけたいイギリス・アメリカとの連絡は不可欠だが、大北電信の「長崎〜上海」ケーブルを使用していたのでは、どんな妨害を受けるかわからない。

    このような国際通信の危機を回避すべく登場したのが、「100年に1度の知将」と呼ばれる兒玉(児玉)源太郎である。彼が打ち出した戦略は以下の通りだ。

    1.日本独自の海底ケーブル敷設船を持ち、本土と朝鮮半島・大陸の間に複数の海底ケーブルを敷設する。
    2.敷設に必要なケーブルは密かに購入し、秘匿する。
    3.「九州〜台湾」間を日本独自の海底ケーブルで連結し、台湾を経由してイギリスのAll Red Route(インド・アフリカ回線)と結ぶ。

    日清戦争後の10年の間に、天才・兒玉源太郎はこれを実行に移した。バルチック艦隊が喜望峰やインド洋を周回している情報は、イギリスのAll Red Route回線によって、ロシアに察知されることなく、着々と日本に送信されていた。また対馬周辺には、多数の望楼ができ、これをリンクする海底ケーブルが縦横無尽に張り巡らされていた。

    兒玉源太郎の海底ケーブル戦略がなかったならば、日本の軍事情報は筒抜けとなり、日露戦争の結末は違ったものになっていたかもしれない。

    ■参考資料:
  • 石原藤夫『国際通信の日本史 -- 植民地化解消への苦闘の九十九年』(東海大学出版)
  • 電気通信の歴史(大成建設)
  • ヒロさん日記:「明治4年の国際通信網」(2005/2/26)

    ■追加1:海底ケーブルよもやま話
    ★ロシア(大北電信系)の通信は、イギリスに比べて技術もモラルも低かった。日露戦争の直前、ロシアの植民地となった満州で日本の諜報隊が電報を打ってみたところ、転送に数日を要するばかりでなく、内容が間違いだらけだったという。
    ★日露戦争の開戦と同時に、大北電信の「長崎〜ウラジオストック」回線は日本側が切断した。日本国内のスパイからの情報がロシアに流れるのを防ぐため。切断線の一部は「本土〜対馬」や「対馬〜朝鮮半島」の連絡用に流用した。

    ■追加2:兒玉戦略の進展
    1)海底ケーブル敷設船『沖縄丸』は、片岡清四郎をイギリスに派遣し、必死の督促で1896年(明治29年)に4月に竣工、6月に長崎到着。
    2)海底ケーブルは、1600海里分をイギリスから購入し、長崎の貯線槽に保存。案の定、大北電信が「自分たちに任せろ」と介入してきたが、これを無視し、お雇い外国人をすべて排除した。
    3)1897年(明治30年)5月、日本の独力で「大隈半島(九州)〜基隆(台湾)」ルートが完成。このニュースは世界をかけ巡り、欧米列強を驚かせた。
    4)1898年(明治31年)12月、「台湾〜福建(大陸)」回線の買収に成功。福建側の運営は大東電信(イギリス)と大北電信(デンマーク)の2社共同委託に。
  • posted by ヒロさん at 08:21 | Comment(6) | TrackBack(3) | 日本史・世界史

    2005年05月26日

    速読講座2:あなたはどちら系の「斜め上」ですか?

    ブログ巡回をするようになってから、いろいろな「新しい表現」を勉強させてもらっている。「・・・と小一時間」という表現もあちこちで見かけたので、私も「朝日を小一世紀、問い詰めよう」とマネしてみた。「・・・に萌え〜」はまだ消化し切れていないが、それもそのはず、1ヵ月前まで「もだえ」「めばえ」と読んでいた。

    「負け犬」は「オタク男、負け犬女」の対比があることを最近知ったばかりである。「男日照りババア」というすごい表現があることを知ってしまったので、ヒロさん日記:「反日アクロニムを解読せよ」(2005/4/11)でも、SINBAD = Single Income No Boyfriend And Desperate(ひとり稼ぎでボーイフレンドがいない、ヤケッパチな女)の訳語として使わせてもらった。

    で、最近は韓国絡みで「斜め上」という表現があるようなので、2ちゃんねる用語辞典で調べると「予想の斜め上」が元々の表現らしい。

    住人の予想以上の行動を繰り返す韓国、北朝鮮の言動を皮肉った言葉。
    元ネタは漫画「レベルE」(冨樫義博著)内の台詞から。

    速読の世界では「斜め読み」というコトバがある。いわゆる「ザッーと読む」ということだが、横書きの本では「左斜め上」を起点にして、右下の対角線方向に視点を移動していく。縦書きの本では「右斜め上」を起点にして、左下の対角線方向に視点を移動していく。

    世界の文字文化を起点の位置で分類すると、現在、圧倒的多数を占めるのが「左斜め上」系だ。いわゆるアルファベットを使う言語は全部「左斜め上」であり、縦書きが主流だった中国語と朝鮮語も最近は「横書き派」に転向し、「左斜め上」系の仲間入りとなった。

    一方、縦書きが優勢な日本は、数少ない「右斜め上」系の牙城となっている。だが援軍がないわけでもない。横書きには「右から左に書く」反主流派がおり、ヘブライ語ならびアラビア文字を使う言語(アラビア語、ペルシャ語、ウルドゥー語など)が「右斜め上」のよき理解者である。

    このような文字情報を読むときの「起点」が、脳内の情報処理に差異を生み出すことはないのだろうか。視点移動と記憶の関係で面白いことを書いている人がいる。Jacob Liberman 博士の「Take Off Your Glasses and See」p37の一節である。

    自分の眼球がどちらの方向に動くかを感じ取りながら、以下の4つの質問を考えてみてほしい。(1問ごとに目をつぶった方がやりやすいかもしれない)
  • 最初に乗った自転車の色は何色でしたか?
  • 髪が「緑色」になった自分の母親を想像できますか?
  • 子猫をなでたときの感覚を思い出せますか?
  • 国歌のメロディと歌詞を頭の中で聴くことができますか?

  • 著者によると、記憶やイメージングには「視野内の位置」があって、眼球運動がそのトリガーとなって記憶を呼び覚ましたり、イメージングを引き出しているのだ、という。どれが正しいということはない。記憶やイメージの位置は、個人差に負うところが大きい。

    シュタイナー系大学では「バイオグラフィー(自分の過去史を振り返る)」の授業があるが、「3才のころの記憶を思い出してください」というセッションを行うと、思い出される記憶が、私の場合は「前方上空」に広がっていくが、ある人は「胸の中(視線では下方)」にあり、別の人は「後頭部(後方)」に感じられるという。

    究極の速読では、文章をリニア(線的)に追いかける「音声回路」ではなく、文章を風景のように眺める「空間回路」を鍛えることが肝要であるという。しかも中心視野に意識を置くのではなく、周辺視野全体を広く、オープンに、隈なく感じ取るとれるかどうかだ。

    私が習った速読教室では、いろいろな場所で本を読むことを薦めており、本の内容は周辺の空間と一緒に記憶されている、と言っていた。パソコンでブログを読んでいる皆さんの周辺視野には、果たしてどんなものが映っているのだろうか・・・。


    ■追加1:縦書きソフトでパソコン速読
    「ヨコのものをタテにする」ソフトでは、azur(アジュール)というブラウザを私も試してみた。青空文庫や、岡田斗司夫の「オタク学入門」を縦書きで読めて、感動的! 「ヒロさん日記」を縦書きで見るのは、とても不思議な感じがする。
    posted by ヒロさん at 08:37 | Comment(3) | TrackBack(0) | ネット生活と読書

    2005年05月24日

    いま「闇のブログ」と「光のブログ」の戦いが始まる

     「白黒反転のサイトは読みにくい」のは本当であろうか。「黒背景&白抜き文字」にもいろいろある。もっともドギツク感じられるのは、背景に純ブラック(#000000)、文字に純ホワイト(#FFFFFF)を使っているケースであろう。私はこの「純ブラ&純ホワ」がとてもまぶしい。

     例えば、林道義氏のホームページ。ユング心理学やプロファイリング、ジェンダー問題などでとてもタメになる記事が満載なのだが、よ〜し、今度ヒマなときに一気に読みまくるぞ、という気分が起こらない。短い記事をサッと読む分には問題ないが、長文はとても目にこたえる。

     黒背景の「白文字」を読んでいる場合、目の中に残っていく残像は「黒文字」である。「赤い色」をじっと見たあとに目を閉じると、その反対色の「緑色」が見えるという、あの「残像」のことである。私の場合、すでに読んだ文字の「黒い残像」がこれから読もうとする白い文字に重なって、ストレスを感じてしまう。

     ヒロさんがよく通っている、大好きなんだけど、心理的なプレッシャーのかかるブログを「闇のブログ」と呼ばせてもらうことにした。ドスの効いた、ソウソウたる「闇のブログ」の面々・・・。
  • ぺきん日記
  • 乱暴者日記
  • 日々徒然
  • お気に召すまま
  • 許さん

  •  黒背景には、威圧的な効果がないだろうか?「殿下さま沸騰の日々」のブログ版登場したとき、当初は「背景は炭色、文字は灰色」で、殿下のブラックな凄みがヒシヒシと伝わってきた。が、ある日から「パステル・ブルー」に変わって、少し拍子抜けのした感があったのだが、私の気のせいであろうか。

     「園丁日記」の枇杷さん(前回エントリのコメント)によると、「黒背景は透明感と清潔感を大切にしないと、たちまち困った方々が群がります」とのこと。掲示板の背景色にドス黒を使うと、「魔」を呼び込んで、掲示板が荒れやすい、ということだろうか。しかしあえてドス黒を使う「闇のブロガー」の中には、日本の悪をおびき寄せ、コツコツと闇に葬り去る「必殺仕置人」にような方たちもいる。ありがたし。

     適度なコントラストがあれば、「白文字」でもまったく問題ない。背景色とのコントラストが大きすぎるとレーザービームのようにまぶしく、小さすぎると霞がかかったようになってよく見えない。見る人にやさしいコントラストの適正値があるはずだ。これは「白背景」サイトにも言えることで、純ブラックの黒い文字を使うなら、背景色をもう少し工夫してほしい。長時間、白い光に晒されていると、目の中に黒い影がべっとりと焼きついてしまう。

     白黒反転がストレスになるとはいっても、人間の目は慣れるものだ。「闇のブログ」ばかりを見ているなら問題はない。が、ときどき穴から飛び出してしまうと、「目が〜、目が〜」という悲惨なモグラさんになってしまう。白地のサイトがすべて「反転」で見えるように、ブラウザーを設定してみてはいかが?(そんなことできるの?)

     あるいは、目にやさしいRSS巡回ソフトとか、できないだろうか。「闇のブログ」から徐々に「光のブログ」に移行するように巡回を指示してくれるソフト。もしくはアクセス禁止&制限ソフトを使って、配色のコントラストが激しいサイトに飛ぶ前に「警告」を出すとか。

     本当は、黒背景の方が目にやさしい。プログラマーやSEの方は、白黒反転画面で仕事をしている人も多いという。また「ナイトライフ」や「深層意識」をテーマに扱うブログは、暗い背景色を使うのも当然の演出かもしれない。

     そういえば、週刊文春に「ブラックジャーナリズム」と名指しされた朝日新聞は、紙面を全部「黒地白抜き」の反転文字にすれば、もっと売れますぜぃ。日本を代表するブラックジャーナリズムですから〜。(インク代が多くかかるのが、ちょっと難点ですが)

     最後に、ヒロさんのよく行く「光のブログ」をご紹介して、今日はおしまい。

  • 剛直日記
  • ぼやきくっくり
  • 遊女(あそめ)
  • 桜魂
  • Baghdad Burning
  • posted by ヒロさん at 06:02 | Comment(11) | TrackBack(1) | ネット生活と読書

    2005年05月23日

    速読講座1:タテのものをヨコにするのがお好きですか?

    イギリスに来る前に、東京・千代田線の沿線にある速読教室に通ったことがある。2ヵ月半にわたって、この「能力開発」に投資をした結果、数十万円の大枚をはたいてしまったが、十分に元がとれたと思っている。スピードの方は数倍止まりだったが、以下のような成果があった。

  • 電車の中で本が読めるようになった
  • 書店の立ち読みで「1冊を読みきる」ことができるようになった
  • 速読をすると視力が若干上がる

    それまでは、外出にはよく文庫や新書を1〜2冊持ち歩いていたものだが、電車で読めた試しがなかった。読み始めてもすぐに眠くなって諦めるか、かりに頑張って読んだ場合も、乱視状態になって目が疲れてしまう。あの「カタン、コトン」というリズムと振動が原因である。

    また書店では本の一部を読んで「面白そうだ」と買うことが多かったが、面白いなら全部読んでしまえ、が実行できるようになった。結局全部読んでから「これをすぐにもう1度読みたいか、家に置いておきたいか」と自問自答するが、読んでしまうと、意外に買いたくない本もたくさんある。

    本を読むと目が悪くなるという人がいるが、照明や姿勢に気をつけた上で速読すれば、本当に視力がほんの少し上がるようだ。毎日少しづつ視力が上がって近視が治ってしまう、という話ではないのだが、視野がとても明るくなり、夜でも比較的よく見えるようになった。

    ブログブームが始まってからインターネットに張りつく時間が長くなっている方が多いと思うのだが、パソコンの画面で目を疲れさせずに、本と同じスピードで読めるのかどうか、というのが今回のテーマである。

    最近はWeb上で無料公開される書籍テキストも増えてきた。例えば、岡田斗司夫の「オタク学入門」や、木村愛二の「アウシュビッツの争点」など。このようなテキストを速く読むにはどうしたらいいか。

    めくり型ナビゲーションに関する覚え書き
     長い文章を読む際に使われる伝統的なナビゲーションはスクロールだが、スクロールは使い勝手が悪い。移動を目で追わなくてはならないからで、移動した量がどれだけであるのか、把握する手間がかかるからだ。

    まず、こまめにスクロールしながら読むというクセをやめたい。見える範囲を読みきってから、PgDnキーなどで「ページめくり」するのがよい。私はFirefoxというブラウザを使っているが、「user.js」という環境設定ファイルを書き換えて、マウスホイールのスクロール行数をデフォルトの2行から35行に変更してみた。ホイールをカチッと回すと「PgUp」「PgDn」と同じ効果があり、この「回転する感覚」が「本のページをめくる感覚」に近いので、とても調子がよい。

    目が疲れる原因の1つに、Webページの「横書き問題」がある。モンゴル語やベトナム語の縦書きは、過去の産物となり、タテヨコの両刀だった中国語・朝鮮語も、横書きが主流になりつつある。縦書きの出版物があふれている国は、世界広しといえども、日本だけである。

    『国語学』53巻1号(208号):「国語学と縦書き」
     大きな言語で、縦書きを維持しているのは、すでに日本語だけになっている。少数民族の言葉には縦書きが若干残っているが、中国語や朝鮮語も横書きが原則になり、韓国でも、最後まで縦書きを維持していたある雑誌も横書きになった。日本では、新聞・雑誌・国語教科書など、多くはまだ縦書きを維持している。国語国文の世界でも縦書きが原則である。縦書き文化からみれば、日本語は最後の砦となっているのである。

    アメリカに20年以上も在住するchoseiさんは、日本に帰国するやいなや「まぶたの痙攣」で苦しめられている。最初は「朝日新聞」の毒気電波を浴びたことが原因かと思われたが、日本の縦書き文化にも原因の一端あり、と疑っている。

    Funahara Choseiさんブログ(2005/4/22)
     まず日本の右まぶたのピクピクの痙攣の原因のもう1つの可能性の説が出て来た。それは日本語の文献が立て読みで、眼球の筋肉が上下運動に慣れてないのが原因と言う説だ。過去のログを読んでみれば分かると思うが日本に4週間滞在して、先日(20th)に帰米したが、日本での滞在の1週間目から右まぶたの上の筋肉が日本の新聞を読んだりすると痙攣をしだした。<中略>確かに上下に眼球を始終動かすのは慣れない眼球運動だ。日本語を読むのも最近インターネットの横読みのみになり、日本の文庫本もあまり読まなくなっている。特に日本の新聞なんて全く見るチャンスはない。フーム!考えてしまう。

    この地球上でタテとヨコを自在にこなす民族は、日本人しかいない。日本の縦書き文化を守る上でも、今後、Webデザインで、1)縦書きタグの開発、2)ルビ用タグの開発、などが是非とも必要である。そうすれば、書籍のWebテキスト化も大々的に進めることができる。

    現在日本で進行中の「ブログブーム」も、「読む側」の観点からもっと見直されてしかるべきであろう。ブログやHPが「本と同じ感覚」で読める日が早く来ないものか、と夢みながら・・・・・

    おやすみなさい。

    ■追加1:不倒城:「ブログブーム」の特殊性(2005/5/12)
     ブログブームというものが本当に存在したとしたら、それは極めて「バランスの悪い」ブームだということが出来る。「書く」人は増え続けているのに、「読む」人の数がそれに追いついていない。あるいは、「読む」人の訪問先は一定しており供給が偏る。<中略>
     様々なブログの運営を見ていると、「書き手を増やす(ユーザーを増やす)」為のアピールは凄く凄く良く観るのだが、それ以外での「読み手を増やす」為のアピールというものを余り見かけない。

    ■追加2:白黒反転をどうにかして!
    Webで速読ができない理由として、1)パソコンは持ち運びに不便、2)パソコンのノイズ、3)画面のチラツキ、などもある。が、私が一番困っているのは、白黒反転文字(白抜き)で書かれているサイトである。これは適応可能なのだろうか? 書籍や雑誌で白抜き文字が流行しているなら、目が慣れるということもあり得るだろうが・・・。

    ■参考資料:
  • 本来、日本語とは「縦書き」を原則とする言語である
  • ヒロさんの「ブログ生活向上委員会」
  • posted by ヒロさん at 06:10 | Comment(12) | TrackBack(1) | ネット生活と読書
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