A Sorry State (by Ian Buruma, Financial Times, 2005/5/28)
日本は戦争謝罪を十分にしてきただろうか? いくつかの事実がある。1972年、田中角栄首相が中国に「慙愧の念」を表明。1982年、宮沢喜一官房長官が「遺憾」の意。1990年、天皇陛下自身が韓国で「深い遺憾」の意。1995年、村山首相がアジアの犠牲者に「心から謝罪」。1997年、橋本龍太郎首相が中国で村山内閣の「深い遺憾の意」を継承。小泉純一郎首相は、2001年、2002年、2003年、そして先月(2005年4月)にも謝っている。
このような謝罪がコリアでの植民地主義や、中国での非道な侵略、捕虜の虐待、「慰安婦」の強制をカバーしているとすれば、「日本は過去の暗黒史を公式の場で否定している」と非難するのは困難だ。だとすると、最近中国で起こった暴力的なデモ行進で、暴徒が日本領事館・飲食店・商店へ投石し、警察が「日本のブタ」に対する民衆の怒りの爆発を見て見ぬふりをしていたことは、まったくのお門違いということだろうか?
ある意味でお門違いだ。新しい教科書(採択率1%以下)が火をつけたということになっているが、デモを引き起こしたのは、明らかに国内外の政治情勢だ。中国共産党が権力を独占を維持するための最後の砦は、経済成長と排外的ナショナリズムである。失業、汚職、郊外、言論の自由の抑圧などに対する民衆の不満は、反日や(時として)反米に振り向けることでガス抜きができる。「アジアの支配者としての中国」を体現するべく、中国民衆の「感情」は呼び起こされるものなのだ。日本の常任理事ポストや、台湾の防衛、東シナ海のガス田などが本当の問題なのである。
だからといって、日本側に責任がないわけではない。冷笑的な解釈は別として、アジア諸国が日本の反省を額面どおり受け止められない理由は、日本人自身がいまだに過去との和解が終了していないことにある。最近の日本のナショナリズムは、先の戦争に対する興味深い見解に現れている。例えば、人気の高いマンガ家、小林よしのりの「戦争論」3巻は1998年に出版され、耳障りなトーンで、次のような理論を展開している。1)日本の戦争は正しかった、2)日本は白人優位主義からアジアを解放した、3)1937年の南京大虐殺は中国の捏造である、4)コリア・中国・東南アジアから日本軍の買春館に駆り出された「慰安婦」は、すべからく貪欲な売春婦にすぎない・・・。すなわち、日本の戦争犯罪の大部分は、戦勝国が流布したプロパガンダであり、非愛国的な日本国内の左翼がこれに呼応しているにすぎない、というものだ。「戦争論」の第1巻だけで、若者を中心に60万部も売れている。
小林は単なるマンガ家ではない。日本の学校にさらなる「愛国的」な歴史教科書をもたらすべきだと主張するグループの設立メンバーなのだ。「つくる会」で知られる「新しい教科書をつくる会」は1996年に設立されたが、小林らの設立メンバーは、戦争を否定的に描くことは、若者世代から国の誇りを奪うことだ、と憂慮している。とりわけ慰安婦問題は容認しがたい中傷であり、現行の教科書からは排除されるべきだ、としている。
歴史教科書でおかしい点は何か、という質問に対して、「つくる会」のメンバーの1人藤岡信勝(東京大学)は、「日本人としての視点がない。反日の立場から見た歴史になっている」と指摘している。彼は「戦時中の日本は悪の侵略者以外の何者でもない」とみなす外国人たちや「社会主義者、共産主義者、リベラルなマスコミ」が原因となっており、このようなマゾキズム(自虐主義)はやめるべきだ、と主張する。
日本の自虐主義を憂慮する「つくる会」だが、藤岡や小林をはじめとする大部分のメンバーは歴史学の専門家ではない。しかしながら、彼らの見解は、中国デモの火種となった新版教科書にも反映されている通り、「日本は戦争でひたすら悪いことをした、だからどんなときも謝るしかない」という話にウンザリしている若者たちの心をとらえる。戦争放棄を謳う日本国憲法は1946年にアメリカが草案したものだが、この憲法に対しても同じことがいえる。一部の右翼にとってウンザリだ、という話ではない。現代ポップ・アートの神様、村上隆は、彼と同世代の大人たちが子供じみた漫画や暴力的なファンタジーに傾倒する理由として、アメリカが押しつけた平和主義の戦後秩序観が、日本全体を無責任な子供にしてしまったからだ、という。小林らの「つくる会」も同じ意見だ。
ポップ・アートまでが右翼教授たちの小言に浸ってしまう理由はいくつかある。1つは、何十年もの間、教育界を支配してきた左翼の崩壊である。これは日本に限られたことではなく、政治的シフトで過去の見方が変わることはどこでも起こる。しかしこのシフトが特に日本で劇的であった理由は、日本の歴史論争が学術界にとどまらず、政界主流派の中でも「化膿した古傷」であったからだ。アメリカ主導の連合軍が、広島と長崎の原爆投下後に日本を占領したが、マッカーサー将軍が最初に着手したのが日本の教育であった。「日本の敗戦、罪悪感、苦悩と貧困、悲惨な現状をもたらすに至った軍部・国粋主義者の影響力を、日本の教育システムから排除すべし」という命令が下されたのだ。
天皇崇拝や日本民族の天孫降臨説などを含む愛国的教育は、戦時動員体制で重要な役割を担っていたことを考えると、教育改革命令は失策ではなかった。これによって、歴史教科書の作成は民営化され、政府管轄ではなくなった。教科書の刷新にあたっては「国粋的」「軍国的」な表現は削除された。1945年8月までは天孫民族の美徳を礼賛していた教師たちが、今度はアメリカスタイルの「デモクラシー」を美徳として教え始めた。占領軍がとりわけ注目したのは、自己犠牲と規律を重んじる道徳教育(修身)で、これは個人主義精神を導入するための障害として見なされた。文化的な再教育は、学校の教科書だけでなく、芸術分野にも及んだ。時代劇(Samurai drama)は映画や歌舞伎でも禁止された。総体的に「戦時中の残虐性は文化的な欠陥に根源がある」と信じることを奨励された。
知識人の多くを含む政治的に左寄りな人たちにとって、以上のような政策は問題ではなかった。抑圧的な戦時体制から解放され、民主主義を謳歌できることを歓迎していた。マルクス主義者は、日本の暗い過去を「封建主義」「資本帝国主義」として見なす独自のイデオロギーをもっていた。1950〜60年代には、マルクス主義の教職員が毛沢東主席の中国を礼賛する一方で、帝国主義日本の歴史を罵ることは珍しくなかった。このような教職員は日教組で大きな力をもっていた。日教組の組織力が落ちてきたのは80年代になってからだ。多くの教科書には彼らの見解が反映されているが、保守派の文部省官僚の手によって、この左翼的偏向は和らげられていた。
保守派の文化人たちは、アメリカ軍占領の影響に関して、別の見解をもっている。国のアイデンティティの喪失を危惧しているのだ。アメリカ軍による検閲は、戦時中の日本の検閲に較べれば取るに足らないものだったが、外国人に検閲された作家・言論人たちの屈辱は大きかったという。天皇崇拝主義のあとに訪れた「道徳(モラル)の空白」を嘆く保守言論人は、かつての愛国心を使ってこの空白を埋めようとしてきた。戦時中をバラ色に描くこともこの努力の一端であり、歴代首相を含む多くの保守派政治化たちからも支持を得てきた。
道徳教育と愛国的歴史観の問題は、戦後憲法と密接にリンクしている。日本の左翼とリベラルは、平和主義を「軍国主義の罪滅ぼしの産物」として扱ってきたが、このことは中国のメディアでは指摘されていない。日教組の教員たちは、「平和教育」の一環として、日本の戦争犯罪を必ず取り上げる。平和主義は、ヒロシマへの答えであるだけでなく、南京虐殺への答えでもあるのだ。イデオロギー的な偏向はあるものの、日本ほど自国の戦争犯罪について書かれてきた国は他にない。
マルクス主義が衰退し、一方で非現実的な平和主義憲法への苛立ちが増幅する中で、歴史論争の意味合いが変わってきた。この変化はすでに1950年代前半に始まっていたのだ。中国の共産化、朝鮮戦争の勃発、アメリカが黙認した戦犯恩赦と共産主義者の公職追放。平和主義憲法、戦後教育、戦争罪悪論などを決して認めていなかった人間たちが、日本の政界の主流に流れ込んだのだ。
大多数の日本人が、平和主義の理想にしがみつき、過去の道徳教育の復権に抵抗しているうちは、右翼政治家が操作できる余地は小さかった。靖国神社には数多くの戦犯を含む皇軍兵士たちが祀られているが、首相による靖国参拝は、元軍人や保守派の有権者を喜ばせるためのシンボリックなジェスチャーであり、このためには、たとえ中国・コリア・日本のリベラルの怒りを買うことも厭わない。しかしこれが日本に軍国主義をもたらすわけではない。日本の過去戦争の正当性を説くことも、若者に広がる道徳的退廃も、自虐的な歴史教育の負の影響力も、戦争につながるものではない。
冷戦によって変わったことは(冷戦そのものは東アジアでまだ終わってはいないが)、「建前上の平和主義は現実的で、長期的にみてもむしろ望ましいものである」というコンセンサスの終焉である。1991年の湾岸戦争は、小切手を切ったものの傍観者を余儀なくされた日本にとって、屈辱的な出来事だった。日本は安全保障でアメリカに過度に依存しており、外交政策の大部分はアメリカの言いなりである。戦時中の帝国主義を肯定しない多くの日本人にとっても、変化の潮時が感じられている。謝罪のときはすでに終わったと感じる人もかなりいる。
こんな背景もあって、小林のマンガには支持層がいる。日本に軍国主義が台頭したからではなく、古びた左翼スローガンが説得力を失ったからなのだ。説得力を失った理由は、愛国右翼と同じくらい融通のきかない平和知識人たちの教条主義に起因する。中国の人民感情を冷笑的に解釈できるとすれば、愛国者が利用できそうな反抗心や苛立ちが日本で広がっている理由も見えてこよう。世界中の若者はどこでもそうだが、日本の若者たちにとって戦争は知られざる過去のものとなり、歴史修正主義者たちの法外な主張を批判する力も欠けてきているということだ。
過去の歴史を全面的に否定しているわけでも、公式の反省が足りないわけでもない。問題は、アメリカ占領軍が自分のイメージで日本を作り変えて以来、歴史は政治的産物となってしまったことだ。結果的にうまくいったことも多い。欠点はあっても日本の民主主義は機能している。軍国主義は見る影もない。大部分の日本人が安定した豊かな生活を送っている。しかし憲法、国防、外交、歴史教育が救いようもなく絡み合ってくると、「偽りのない真実」がどうでもよくなってしまうのである。
一方、この記事を題材にして書かれたと見られる、中央日報の記事。韓国の英語力はアジア第3位だと聞いているのだが・・・。
中央日報:「日本の歴史歪曲は左派没落のせい」(2005/5/29)
「日本が歴史歪曲(わいきょく)を繰り返すのは、日本社会の中の左派没落によるものであり、極右派は歴史のわからない若者を糊塗している」−−。英国のフィナンシャルタイムズマガジン28日付が診断した北東アジア歴史論争の背景だ。
マガジンは「Sorry State」という企画記事で「日本が過去の歴史問題に対して繰り返し謝罪をするのにもかかわらず、韓国や中国など周辺国との歴史論争が絶えないのは真の謝罪をしていないため」と指摘した。マガジンは「日本の歴代首相はもちろん、明仁天皇まで謝罪を繰り返した点から先送りされ、日本が暗い過去の歴史問題を否認しないことは確かだ」と認めた。それにもかかわらずアジア国家が謝罪を受け入れないのは「日本人が過去の歴史問題を根本から受け入れられないため」という説明だ。
マガジンは「1980年代まで日本で極右的発言が盛んに行われなかったのは、2次大戦終戦後、占領軍であるマッカーサー司令部が日本の教育を変えたため」と主張した。マッカーサー司令部は日本の好戦性を抜本的に根絶するため、その根源である天皇崇拝と選民思想など極右イデオロギーを批判する教育を実施した。 日本の戦争責任と非人道的な戦争犯罪に対しても教えた。
この過程で戦争と天皇制を批判する左派知識人らが相当な社会的影響力を確保した。マルキシストを含む広範囲の左派勢力らは天皇制を封建の残りかすとして糾弾し、軍部と軍需業者を帝国主義尖兵として批判した。特に教員労組に左派の影響力が大きく作用した点は重要だ。学生たちに左派的思考、すなわち過去の歴史問題に対する反省の気持ちを植え付けたためだ。
日本の極右派らが消えたのではない。 戦争に責任ある右派政治家たちが48年の中国大陸の共産化につながった韓国戦争の渦中に米国の反共第一主義によって復権した。 しかし彼らは過去の歴史問題に対する反省を強調する社会的雰囲気では何も言えなかった。
右派らの声が大きくなった決定的契機は91年第1次湾岸戦争だ。 日本は莫大な戦争費用を出しながらも何の発言権がなかった。安保を依存する状況で米国の要求に従わざるを得なかった。 この事件は日本の極右派はもちろん、多くの国民の自尊心を傷付けた。平和憲法改正と再武装の要求が感情的に受け入れられた。
こういう雰囲気を反映して拡散した代表的な例が小林よしのりの漫画『戦争論』だ。 98年に出版された漫画の第1巻は60万部売れた。
マガジンは「Sorry State」という企画記事で「日本が過去の歴史問題に対して繰り返し謝罪をするのにもかかわらず、韓国や中国など周辺国との歴史論争が絶えないのは真の謝罪をしていないため」と指摘した。マガジンは「日本の歴代首相はもちろん、明仁天皇まで謝罪を繰り返した点から先送りされ、日本が暗い過去の歴史問題を否認しないことは確かだ」と認めた。それにもかかわらずアジア国家が謝罪を受け入れないのは「日本人が過去の歴史問題を根本から受け入れられないため」という説明だ。
マガジンは「1980年代まで日本で極右的発言が盛んに行われなかったのは、2次大戦終戦後、占領軍であるマッカーサー司令部が日本の教育を変えたため」と主張した。マッカーサー司令部は日本の好戦性を抜本的に根絶するため、その根源である天皇崇拝と選民思想など極右イデオロギーを批判する教育を実施した。 日本の戦争責任と非人道的な戦争犯罪に対しても教えた。
この過程で戦争と天皇制を批判する左派知識人らが相当な社会的影響力を確保した。マルキシストを含む広範囲の左派勢力らは天皇制を封建の残りかすとして糾弾し、軍部と軍需業者を帝国主義尖兵として批判した。特に教員労組に左派の影響力が大きく作用した点は重要だ。学生たちに左派的思考、すなわち過去の歴史問題に対する反省の気持ちを植え付けたためだ。
日本の極右派らが消えたのではない。 戦争に責任ある右派政治家たちが48年の中国大陸の共産化につながった韓国戦争の渦中に米国の反共第一主義によって復権した。 しかし彼らは過去の歴史問題に対する反省を強調する社会的雰囲気では何も言えなかった。
右派らの声が大きくなった決定的契機は91年第1次湾岸戦争だ。 日本は莫大な戦争費用を出しながらも何の発言権がなかった。安保を依存する状況で米国の要求に従わざるを得なかった。 この事件は日本の極右派はもちろん、多くの国民の自尊心を傷付けた。平和憲法改正と再武装の要求が感情的に受け入れられた。
こういう雰囲気を反映して拡散した代表的な例が小林よしのりの漫画『戦争論』だ。 98年に出版された漫画の第1巻は60万部売れた。
■関連記事: