2005年12月27日

「鳥取インフルエンザ」と「大宰府解同ウィルス」を根絶せよ

春先から長いことツンドクになっていた、佐々木敏の『ゲノムの方舟』(上・下 徳間文庫 2000/10)を読んでみた。物語は、ジュネーブで開催中のWHO総会をテロリストグループが乗っ取り、参加者全員を人質にするところから始まる。最近、香港のWTO会議場前では「三跪九叩頭」をする不思議なテロ集団(写真あり)が登場したが、小説『ゲノムの方舟』のほうは「細菌兵器」で脅迫する傭兵集団だ。

主人公は、万能ES細胞を捏造開発した韓国の黄禹錫にまさるとも劣らない、日本が誇る遺伝子工学の天才・井坂博である。この小説では、ヒト・ゲノムの完全解読の応用として、特定民族のみを弱体化あるいは殺傷できるという、ウィルス生物兵器の開発と使用がテーマになっている。すでに実際に使用されていることを暗示する、不気味なバイオ・テロ小説だ。

80年代から猛威をふるってきた韓国発の「ウリナラウィルス」は、徐々に力を弱め、日本人にも免疫がついてきたように思う。しかし最近は「姉歯ウィルス」という新種の歯周病ウィルスの登場で、日本各地のマンションの土台が揺らいでいる。さらに、これより少し前から流行している「鳥取インフルエンザ」も、体力の弱った自治体に容易に侵入する「転移性」の強いウィルスなので、油断は禁物である。

「鳥取インフルエンザ」は簡単にいうと以下のような特徴をもっている。

人権擁護法案ポータルBlog:「反対運動(鳥取)」(2005/12/25)
人権侵害救済条例は人権擁護法案をベースに、改悪とも言えるバージョンで、「被害者」じゃなくて「誰でも」告発できる点、県条例なのに「日本全国の人間」が取り締まり対象という、まさに「人権擁護法案」が成立したのと同じなのです。

西日本に蔓延する「無防備」状態につけ込んで、さらに悪いことに、もう1つ「男女共同参画条例」という「男女無差別ウィルス」が九州北部で広がり始めた。

福岡県人権救済条例に反対するBLOG:「明日、太宰府条例が委員会採決」(2005/12/8)
この条例は男女混合名簿はジェンダーフリーだからという認識で混合名簿を採用していない大宰府高校に対する勧告を出すことが可能になるわけで、外部団体の介入を正当化しかねません。

「男女混合」なんてのは、年末の合コンみたいなもので、別にいいじゃないか、と油断している方もおられるかもしれない。しかし感染している場所は、日本の免疫システムの最前線「大宰府」なのだ。

ウィキペディア:「大宰府」
 大宰府(だざいふ)は、律令制度下において九州の筑前国に設置された、中央政府の出先機関。和名は「おほ みこともち の つかさ」。その想定範囲は、現在の太宰府市および筑紫野市に当たる。遺跡は国の特別史跡。<中略>
 唐・新羅連合軍と対峙した白村江の戦い(663年)における敗北を契機として出先機関が現在地に移転し、周辺には敵の侵攻に備えた水城や大野城、基肄城などの城堡が築かれたとされる。649年(大化5年)には「筑紫大宰帥」の記述があるほか、天智天皇から天武天皇にかけての時期にはほかに「筑紫率」「筑紫総領」などが確認でき、中央から王族や貴族が派遣されていた事を示すと考えられている。機関としては、667年(天智天皇6年)に「筑紫都督府」があり、671年(同10年)に初めて「筑紫大宰府」が見える。

いってみれば、大宰府は外敵の侵入を水際で撃退する、日本の最大級のリンパ腺であり、免疫細胞をつくる骨髄なのである。この大宰府がすでに悪性ウィルスで陥落状態にあり、日本という国の免疫システムそのものが危機に晒されているのだ。

◆『同和利権の真相3』(宝島社文庫 2003/11) p333−334
 福岡は戦前の部落解放運動組織、全国水平社(1922年創立)の拠点であり、戦後の解放運動の中心でもある。また、部落解放同盟中央本部委員長の職はこれまで6人が務めているが、そのうち3人、すなわち、初代・松本治一郎(在任期間55〜66年)、4代目・上杉佐一郎(同82〜96年)、6代目(現委員長)組坂繁之(98年〜)が、福岡県連出身だ。組坂現委員長はともかくとしても、松本、上杉両元委員長(いずれも故人)の解放同盟への影響力は、今も風化しておらず、歴代委員長のなかでも群を抜いていると言われる。<中略>
 大阪、京都の場合、表向きは特別対策としての同和行政は終結したかたちをとりながら、一般行政のなかで事実上の同和特別扱いを継続している。これに対し、福岡県および県内自治体の多くは、今なお「同和対策」の看板をたかだかと掲げ続けたままなのである。同和対策事業特別措置法(同特法)が2002年3月で完全失効し、国の財政的裏付けがなくなったというのに、いまだに同和行政は終結することなく、独自財源で非常識な事業が続けられている。関西圏の同和行政がある種の「進化」を遂げながら腐敗の度を深めているのに対して、福岡ではプロトタイプ(原型)のままの不公正・乱脈同和行政が、今も保持されているのだ。

福岡のウィルスはプロトタイプ型である。さまざまな変種ウィルスに対応するためにも、まずはこの元祖「福岡ウィルス」をどうしても根絶しなければならないのだ。

◆ソース同上 p340
 だが、筑紫野市、太宰府市をはじめ、筑紫地区に所属する各自治体は、全国の趨勢から完全に逸脱している。03年度の同和対策事業として、筑紫野市は7億3600万円、大宰府市は4億7000万円もの予算を組んでいるからだ。<中略>
 老人医療費全額助成、乳幼児医療費全額助成、固定資産税減額、自動車運転技能取得訓練費といった個人給付事業がいまだに存在していることに驚かされる。私が取材の主なフィールドとしている京都市では、すでにもう何年も前に、市民の強い批判を浴びて廃止されてしまった事業である。
 団体補助金もすさまじい。解放同盟およびその関連団体に対するものだけでも、約2600万円が支出されることになっている。01年度までは、これに加えて「支部長職奨励費助成金」すなわち「支部長手当」というべきものまで市が出していた(年間約90万円=1人あたり)。

◆ソース同上 p342
 両市(=筑紫野市と太宰府市)の同和住宅の家賃の減額も、インフォーマルな同和特別扱いといってよいだろう。両市の同和住宅はここ数年で新築・建て替えがなされているため、設備(3DK)も充実し、設計もちょっとした高級マンション風のところがある。同和住宅は市営住宅であるにもかかわらず、「応能応益制度」(入居者の所得に応じて家賃をスライドさせる制度)が段階的にしか適用されていない。
 太宰府市の場合、2000年度から傾斜的にこの制度を導入しているとはいうものの、「2004年度までに一般公営住宅の6割になるように地元と協議している。それ以降についてはその時点でまた地元と協議することになる」(市財政課)と言う。「地元」というのは、もちろん解放同盟のことである。同市財政課職員の説明によると、3DKの同和住宅家賃の最高額は、月収26万8000〜32万2000円の世帯で月3万円ということだ。<中略>
 それにしても、月収32万あまりで新築3DK住宅の家賃が3万円とは、あまりにも安すぎる。しかし、この3万円もあくまでも表向きの話なのである。市関係者によると、家賃には補助制度があり、実際は、どんなに収入があろうと月7000円しか払っていないということだった。

現代の大宰府に、防人(さきもり)が不在になっている。すでに「乗っ取り協定」が結ばれ、無防備化しているからだ。

◆ソース同上 p344
 33年間続いた同特法体制がまさに終結しようとしていた02年3月、共産党の大宰府市議・武藤哲志が、市議会でとんでもない「秘密文書」の存在を暴露した。79年6月26日に、大宰府町(当時)と部落解放同盟筑紫地区協議会との間で交わされた「確認書」である。行政が解放同盟地協と何を確認したのか。その主な項目を引用しよう。

一.大宰府町に部落差別は存在する。
一.大宰府における部落差別をつくり出した原因は、今日までの大宰府町の差別行政の結果であった。
一.部落差別は行政の責務であり、部落を解放する為のあらゆる事業については、赤字になってもとりくんでいく。
一.部落解放行政のとりくみについては、真の部落解放の為の運動を行なっている、部落解放同盟筑紫地区協議会を唯一の協議団体として協議し、とりくみを行なう。
一.同和予算や部落解放同盟について誤った認識をもっている町民に対し、啓発を行なうとりくみを積極的に実施していく。

同じ1979年の12月には、筑紫野市、春日市、大野城市、那珂川町(いずれも筑紫地区内)でも同様の「確認書」が交わされている。

各自治体に告ぐ!特権階級を温存する「確認書」をいますぐ廃棄せよ!

ネットの防人たちよ、このままでは日本が危ない!陥落した大宰府を解放すべく、大宰府「解放」同盟に結集せよ!


■関連:大宰府の村山弘行(議長)が、誰に抗議しているのかサッパリわからない意味不明の「抗議文」を大宰府市HP上に掲載し、ネット上の反「解放同盟」の記述を叩き潰すべく「コトバ狩り」を開始した。宣戦布告である。
太宰府市議会:「抗議文」
 太宰府市議会は、人権を無視し、個人を誹謗・中傷する許されざる行為に対し、断固として抗議する。
 太宰府市は人権都市とすることを宣言し、人権尊重意識の高揚に努めてきた。本市議会として、その願いを踏みにじる行為は断じて許せない。
 直ちにそれらの行為を中止し、今後一切、人権を無視した行為がなされないよう強く求める。

          平成17年12月20日
太宰府市議会議長 村 山 弘 行

■お奨め:
  • なめ猫:太宰府市議会に男女参画条例が提案(2005/12/7)
  • マリード同和行政オブザーバー/寺園敦史ホームページ
  • ヒロさん日記:『尾道発:解放同盟フレーバーの「広教組クオリティ」をあなたへ』(2005/9/6)
  • ヒロさん日記:『部落解放同盟の「糾弾会」で人格を破壊された人たち』(2005/8/30)

    ■驚き:今日のエントリとはまったく関係がないが、ウィルスといえば「HIVウィルス系のエロ・スパムメール」がはやっているので、これも注意してください。
    uumin3の日記:「今日のおどろき」(2005/12/26)
  • posted by ヒロさん at 07:57 | Comment(6) | TrackBack(5) | 日本史・世界史

    2005年12月23日

    シュタイナーの「個体発生は系統発生を繰り返す」神話教育

    今日から「再生」の始まりです。11月22日に「馬の毛と寒波予想」の話をかいたのですが、巷の大寒波予想はみごとにはずれて、イギリス南部の12月は暖冬です。

    こちらに来てビックリしたことは、1月の半ばにはスイセン(daffodil)の芽が生えてくるのですが、今冬は何と12月にしてニョキニョキ状態が始まりました。庭の花壇からも、鉢の上に「死骸」のように放置していた球根からも、命の芽吹きが始まっています。まさに「再生」の時節となりました。

    そろそろ「下界」で芽吹いている香ばしい事件を書こうかな、と思ったのですが、シュタイナー教育の話で「神界モード」続行です。

    シュタイナー学校では「物語」を重視しており、物語の中には当然「神話」も入っています。学年別に扱う「物語」のカリキュラムは以下のようになっています。

  • 1年・・・・おとぎ話
  • 2年・・・・聖人もの/寓話
  • 3年・・・・創世神話
  • 4年・・・・北欧神話
  • 5年・・・・エジプト、インド、バビロニア、ギリシャ神話
  • 6年・・・・ローマ、中世の物語
  • 7年・・・・ルネサンス
  • 8年・・・・産業革命以降〜現代

    1年生は夢のような「おとぎ話」です。「時間のない世界」で「ハッピーエンド」のものを取り上げます。2年生は「無条件にすばらしい人たち」の物語で、キリスト教の聖人が数多く登場します。3年生はこの世の起源に関心を向ける創世神話です。

    これらの物語を「読む」わけではありません。先生がテキストなしで「語る」ところから始まります。シュタイナー教育の低学年では「先生の権威」を特に重視していますので、先生が本やアンチョコを見ながら授業を進めるのは「権威を損なう」行為と見なされます。(参考:「権威とまなざし:シュタイナー教育のパノプティコン」

    教師の側からすると、準備がけっこう大変ですよ。聖人の話をするときは、聖人になりきって「権威ある」かつ「愛情に満ちた」話し振りを何度も練習してから「本番」に臨むことになります。お話は「暗記」ではなく、ストーリーを自分のものとして、自分のことばで語ればいいわけですが、舞台俳優のようにキッチリと「1人芝居」ができないといけないわけです。

    「語り部」のストーリーを子供たちが吸収したあとは、それを題材にして、絵画、造形、踊り、詩の暗誦、演劇などを構成していきます。「物語」がタネとなって、さまざまな形で芽を吹き、葉を広げ、枝を伸ばしていくわけです。暗誦させる「リズム歌」や演劇の「セリフ」の場合は、教師が「完全暗記」しておかなければなりませんが、授業中に子供たちの反応を見ながら、即興的に変化していくことが多いということです。

    わが子は現在2年生ですので、私があまり知らない「聖フランシス」とか「聖マーティン」、「聖ジェローム」の話を家に持ち帰ります。私もそのたびに、貧しい人に衣服を全部あげちゃった、あのアッシジの「聖フランチェスコ」のことね、と勉強しながら、ついでに映画『薔薇の名前(Name of the Rose)』をDVDで見たり、聖マーティンの日は11月11日で、フランスの司教になった「聖マルタン」ですか、ほー、と唸ったり、聖ジェロームなんて初耳ながら、ライオンから薔薇の棘を抜いてやった優しい人で、俗ラテン語の翻訳聖書を完成させたあのお偉い「聖ヒエロニムス」ですか、とネット検索をしております。

    このようなカリキュラムは、ドイツ語圏・英語圏で組まれている内容ですが、日本でカリキュラムを組むとしたら、日本人にとっての「無条件にすごいな〜」と感服させる、愛情に満ちあふれた聖人といったら誰になるのでしょうか? 弘法大師か、聖徳太子か? 親鸞聖人とか、一休さんとか?

    各国のシュタイナー学校でカリキュラムに厳格な規則はとくにありません。シュタイナーのいわんとするところは、生物学用語の「個体発生は系統発生を繰り返す」(recapitulation=発生反復)ということで、子供の成長過程は人類全体の精神史・文化史・文明史の発達過程をそのまま繰り返すので、それにふさわしい教材を導入して、内面の発達を助けてあげましょう、という考え方です。

    3年生の創世神話になると、当然のことながら、キリスト教圏では旧約聖書の「創世記」、「アダムとイブ」、「モーゼ」などを扱うわけですが、古事記の「国造り」や、アメリカ先住民の「創世神話」でもよろしいわけです。

    4年生に「北欧神話」があるのは、シュタイナーがドイツ語圏の人である由縁かもしれませんが、「失敗を犯すおバカさんな神々」=「失敗から学ぶ」をテーマしているようです。「モーゼ」のような完璧な人格から、徐々に「人間臭い」方向に誘導していきます。

    5年生の神話は、擬人化された神々のストーリーです。ギリシャ神話には、酒を飲んだり、嫉妬をしたり、不倫をしたりの話が満載です(笑)。古事記でも、宮殿に大便をまくやら、ストリップ・ショーで盛り上がるやら、「擬人化」された世界は何でもありの世界ですので、何をどのように選ぶのかは、教師の腕の見せどころでしょう。

    1999年なので少々古い記事なのですが、北海道のシュタイナー学校「ひびきの村」で、外国の講師を招いて、神話教育のワークショップを開いたときの様子です。

    ◆『シュタイナー教育に学ぶ 通信講座4号』(ほんの木/大村祐子監/1999年12月)
     メインレッスンの教材として、その日、スティーヴン・ハウツ氏は、4年生のカリキュラムの一部である神話を取り上げました。そして日本でする授業だということを考え、彼は「古事記」の中の「黄泉の国」を選びました。「黄泉の国」は、ギリシャ神話の「デメテル」の話と重なる部分が多くあるためだと話してくれました。<中略>
     こうしてシュタイナー学校では子どもたちが歴史を学ぶ時、神話や伝説から始めます。神話や伝説は歴史的な事実とは必ずしも一致しません。けれど、神話や伝説の中に出てくる神々や英雄たちは、次々と試練に遭いながら、考え、工夫し、行動してその困難を切り抜け、成長していきます。そして、彼らは今なお、わたしたちの内に息づいていることを感じます。

    この「黄泉の国」の話は、神話学者ジョセフ・キャンベルは「呪的逃走」に分類しています。主人公が「秘宝」または「お姫様」を手に入れたあとに、インディ・ジョーンズよろしく「魔宮」から脱出するのですが、当然追っ手がやってくるわけで、これからどう逃れるか、というお話。「黄泉の国」では、イザナギは「ブドウ」、「櫛(タケノコ)」、「桃」を使って、追っ手の追撃を阻んでおります。(これが生きる知恵としてどう役立つのかなぁ。この話はまたいつか)

    いずれにせよ、日本のシュタイナー学校では、神話の選択で現在もさまざまな試みが進んでいる、と聞いています。扶桑社の中学歴史教科書で神話を扱う試みはすばらしいことですが、「歴史」の中に「神話」を持ち込むとギャーギャー騒ぎ出す連中がいるので、神話教育はできれば、小学校のうちに終了しておきたいものです。


    ■お奨め:松岡正剛の千夜千冊:『ゲルマン人の神々』
     それにしても、しみじみおもうことは、神話の物語というものはできれば子供のころに誰かから聞かされて知ってみたかったということである。

    ■つぶやき:「因幡の白ウサギ」の話は小さい頃に聞かされた記憶がありますが、「国造り」の話はとんと記憶にありません。私が『古事記』に触れたのは、高校2年生の古文の時間だったと記憶しています。「国造り」の話があって、「ここから先は家でこっそりと読んでおくんだぞ」という、ちょっぴりエッチな先生でしたが。
  • posted by ヒロさん at 22:03 | Comment(11) | TrackBack(1) | シュタイナー

    2005年12月22日

    冬至の聖婚神話:アマテラスの「あけおめ」儀式

    『古事記』の中で、スサノオの狼藉の数々と、アマテラスの岩戸隠れは、文字通りに読んでしまうと凄まじいストーリーである。

    1)スサノオは神殿に大便をまき散らした
    2)機織女(はたおりめ)が機を織っているところに、皮を剥いだ馬を投げ込んだ
    3)驚いた機織女が女陰に梭(ひ)を突いて死んでしまった
    4)悲しんだアマテラスは天の岩屋戸に隠れた
    5)巫女さんが乳房と陰部を出して踊ったら、みんな笑った
    6)アマテラスのお出まし

    ストーリーをあまり知らない方は、こちら または こちら でどうぞ。

    これらはすべて、ありがた〜い話なのである。「大便を撒き散らす」とは、収穫の肥やしとなる豊穣のシンボルであり、「皮を剥いだ馬」はファロス(男根)で、新しい生命の「種」を意味している。「梭(ひ)を突く」は性交の暗喩だが、「梭=日」でもあるので、太陽神と日女(ひるめ)による聖婚である。「天の岩戸屋に隠れる」とは、太陽の力が弱まる冬至を意味している。

    ◆大和岩雄 『神々の考古学』(大和書房 1998)p107
    『古事記』も『日本書紀』も、冬至祭の新嘗(大嘗)のとき、天照大神または天服織女・稚日女が、神衣を織っていたと書く。衣服を冬至祭につくる日女も太陽の処女であり、日本とインカでは同じである。したがって日本の天皇を「日の御子」というが、インカの皇帝も「太陽の子」という。

    ◆ソース同上 p267
     梭は機織の用具である。その梭で女陰を突いたという神話を、『日本書記』は正史だから体を傷つけたと書いたのだが、冬至の祭りの日に、日女の女陰を突いたという話だから、本当は太陽の光であるのを、神衣を織っていたときだから、梭にしたのであり、この話の原形も日神と日女の聖婚神話である。
     世界各地の日神(太陽)は男神なのに、わが国の日神が女性なのは、日女が日神に成り上がったからである。

    ◆ソース同上 p292
     中国や朝鮮の古文献には高句麗の始祖王東明(朱蒙)は、母の居た洞窟に射し込んだ日光によって生まれた日の御子だという神話がある。この話はエジプトの第五王朝の太陽の子誕生譚と同じだが、洞窟は太陽神殿である。インカ皇帝が太陽の子といわれているのも、エジプトのヘリオポリスの太陽神殿とインカのクスコやマチュ・ピチュの太陽神殿が、同じ性格をもっていたからである。日本の天皇も日の御子といわれているが、記・紀が書く日女が女陰を突く神話や天岩屋かくれ神話は、メソポタミア、エジプト、高句麗、インカの日の御子誕生神話と共通である。

    アマテラスは冬至の日に死に、そして甦る。天の岩戸屋は神々の子宮である。女陰には生命復活・生成豊穣の不思議な力が備わっているのだ。

    ◆ソース同上 p245(要約)
  • ギリシャ神話では、巫女バウボーがデメテル女神を「女陰露出」で大笑いさせる。
  • ケルト神話では、都に突進する半神戦士クーフラインを、王妃率いる150人の「女陰軍団」が撃退。
  • ギリシャ神話で、怒った英雄ペレロポンをリキュアの女たちが「女陰」で撃退。
  • 沖縄と鹿児島に、邪気を吸収する女陰神話あり。
  • 1人の女陰は「笑い」を誘うが、大人数の女陰は「呪力」となる。

  • ◆ソース同上 p242
     アマテラスが隠れた岩戸屋の前で、ウズメは女陰を露出して踊っている。そして、神々を笑わせることで、その笑いにさそわれたアマテラスに、岩屋を開けさせており、アマテラスとウズメで死と再生の劇を演じているのである。古墳に女陰露出の埴輪が置かれてあるのも、墓の被葬者の再生を願ってであろう。

    そして、今日はおめでたい、あけおめ(=開けましておめでとう)の日なのでございます。

    みなさん、すがすがしい朝を迎えられましたか?


    ■アイルランドの聖婚劇場:New Grange Pictures
    ■フランスの冬至の儀式:カルナックの巨石群(Alignements)
    ■おまけ:伝次郎のカレンダー:「冬至(とうじ)」
     冬至の読みは「とうじ」。というわけで、湯につかって病を治す「湯治(とうじ)」にかけています。更に「柚(ゆず)」も「融通(ゆうずう)が利(き)きますように」という願いが込められているのです。
     5月5日に「菖蒲(しょうぶ)湯」に入るのも、「(我が子が)勝負強くなりますように」という、ゆず湯と同じ「願かけ」なのです。

    ■イギリスも「あけおめ」ました

    (イギリス時間 8時30分頃 = 日本時間 17時30分頃)
    posted by ヒロさん at 08:29 | Comment(4) | TrackBack(0) | 神話・宗教・民俗学

    2005年12月21日

    イエスはいつ生まれたのか:古代ミトラ教の秘密

    キリスト教系の学校と同様に、イギリスのシュタイナー学校でも、12月は「キリスト生誕」に関するお話や演劇が盛りだくさんである。お話や演劇の内容は、新約聖書の『ルカ福音書』にちなんで、羊飼いの話が定番になっている。

    ◆ルカによる福音書 2:8−13(新共同訳)
    その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられた大きな喜びを告げる。今日のダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

    イエス・キリストが1年のどの季節に生まれたのかは、断定できる資料がない。冬に羊飼いが「野宿」をして「夜通し群れの番」をするのは無理ではないか、という意見がある。イエス生誕が12月25日に決定されたのは、西暦336年のことだ。

    常識の嘘:キリスト教
     12月25日にイェスが産まれたわけではない。クリスマスはペルシャのミトラス教徒が冬至を祝う祭りの名残りである。
     ペルシャ人達は冬至を太陽の死と再生の儀式として 何世紀も前から祝っていた。ローマ暦では12月25日はナタリス・ソリス・インビクティ(打ち勝ちがたき太陽の誕生日)にあたり、太陽神ミトラスが崇拝されていた。キリスト教がミトラス教徒を吸収する際、この日をイェスの誕生日と読み替える事でミトラス教徒を納得させたのである。紀元336年の事である。
     イェス誕生を12月25日とするのは 西方教会だけで、東方教会、アルメニア教会はいまでも誕生日を公現祭の1月6日としている。
     なお、聖書のキリスト誕生の部分に「その地方で羊飼い達が野宿しながら、夜通し羊の群れの番をしていた」(ルカ伝2.8)とあるが、これは12月24日説、1月6日説のいずれとも矛盾してしまう。冬の寒い時期に羊を放し飼いにしたりはしない。

    古代ローマでは「ミトラス」または「無敵の太陽ミトラ」と呼ばれる太陽神が大人気であった。3世紀のゴルディアヌス帝(Gordianus 在位238-244)の時代になっても、「皇帝のコイン」の裏側には「剣で牛を殺すミトラ」が描かれていた。(図版:左「皇帝の顔」、右「牛を殺すミトラ」)

    さて、年が明けて1月になると、わが子の学校ではイエスのもとに訪れた「3人の王様(Three kings)」の話が定番になる。1月6日の「公現祭(Epiphany)」にちなんでのことだ。1月6日は、東方教会では、イエスに洗礼を施した「洗礼のヨハネ」の日ということになっているが、それ以外の教会では「東方3博士(賢者)の訪問」の日として解釈している。

    ウィキペディア:「公現祭」
    公現祭(ギリシア語:エピファネイア(επιφανεια 現れ、奇跡的現象の意))は、人としてこの世に現れたイエス・キリストが神性を人々の前で表したことを記念するキリスト教の祭日。教派によって何を記念しているかについて違いがあるが、カトリック教会や聖公会、プロテスタント諸派では幼子イエスへの東方の三博士の訪問と礼拝を、東方正教会ではヨルダン川でのイエスの洗礼を記念している。

    3人の賢者の話は、新約聖書の『マタイ福音書』にある。

    ◆マタイによる福音書 2:1−2(新共同訳)
    イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」

    日本語の新共同訳では「占星術の学者」になっているが、英語では「magi」となっている。

    モナ丼:『マギ 星の証言』(エイドリアン・ギルバート著、田中真知訳、凱風社)
    クリスト誕生を星の導きで知ったマギがお祝いの供物を持ってやって来た話は、マタイ伝に書かれている。それは1月6日とされており、現在でも毎年クリスマスから続く聖12日の最後の祭典の日、エピファニー(公現祭)としてクリスト教徒に祝われている。マギについてはアポクリファー(外典)に書かれており、三人の名前も見出されている。カスペール、メルキオール、バルタザールである(このうちカスペールは、英語読みされ「オバケのキャスパー」として映画のキャラクターに使われた)。マギとは、ペルシャの博士のこととされている。マジシャン(魔法使い)の語源で、医学・化学・占星術など達人のことだ。じゃぁ、何故、異教徒がユダヤの救世主の誕生を祝うのか?

    エイドリアン・ギルバードは、イエスが生まれたのはユダヤ人の家系ではなく、ミトラ教を受け継ぐマギの家系ではないか、と推理している。推理の流れは以下のようなものだ。
    • マギが来たペルシャとは、ゾロアスター教国のペルシャではなく、ローマ帝国とペルシャ帝国の両勢力の緩衝地帯に生き延びた旧パルチア(コンマゲネ王国、メソポタミア北部)のことである。
    • マギとはミトラ教かそれに近い古代宗教(サービア教)の僧侶である。
    • ユダ族の祖先であるアブラハムの故郷がコンマゲネのエデッサであり、イエスはマギと同族だった。
    • 『ヨハネ黙示録』はキリストを「ユダ族から生まれた獅子」と書く。7〜8月の生まれならば獅子座であり、12月25日なら山羊座である。
    • マタイ福音書に書かれたマギを導いた星とは、木星と土星の合であり、紀元前7年7月29日に魚座で起こった。
    イエスの誕生日は「7月29日」としている。この説が歴史家の間でどれほど説得力があるのかは不明だが、いずれにしても、キリスト教とミトラ教の関係はとても興味深い。

    モナ丼:「032 ミトラ教の歴史(1/2)」
     最初、ゼノンが住んでいた都市タルソス(小アジア)では、ミトラはペルセウス(ペルシャから来た者)と呼ばれた。ペルセウスには、蛇の髪の毛を持つ恐ろしいメデューサ(ゴルゴン)退治の話がある。<中略>
     ペルセウスが太陽神(ヘリオス)と意訳されローマ帝国内に広がった。やがて「無敵の太陽ミトラ」あるいは端にミトラスと呼ばれるようになり、ローマ軍の守り神となっていったのである。ミトラは正義と秩序の神だからだ。
     2世紀の五賢帝最後、マルクス・アウレリウス帝はストア派の賢人であることも知られているがミトラ教と無関係ではなかったであろう。「クリスト教に何かの躓きがあれば、世界はミトラ教のものとなったであろう」とまで言われたミトラ教の発展は、クリスト教がユスティニアス帝と結びつくことによって、突然終止符が打たれた。311年のクリスト教寛容令(この時、十字旗が決まった)、更に313年のミラノ勅令によってクリスト教がローマで公認になる。

    この後、392年にキリスト教がローマの国教となり、他宗教への弾圧が始まることで、ミトラ教の大きな流れは途絶えることになる。しかしこれは西方の流れだ。東方に流れたミトラ教はどうなったのだろうか。

    モナ丼:「033 ミトラ教の歴史(2/2)」
    シャカムニブッダとミトラ神が習合したと考えられる例として、まずガンダーラ初期のレリーフにおいてブッダを太陽(日輪)で象徴表現したことが上げられる。この表現はインドにはなく、ペルシャ起源であろうと考えられている。更に、仏像が成立した後も、ガンダーラ仏は例外なく、頭の後ろに円盤系の光背をつけている。ブッダ=光輝く者というように、ミトラ神と同じ性格が投影されているのだ。加えて「帝釈窟説法」というテーマにおけるブッダの禅定の構図は、牛を屠るミトラスの浮彫と関連があることが知られている。

    ミトラは古代インドの聖典『リグ・ヴェーダ』にも登場する。『リグ・ヴェーダ』に記述されるアーディティヤの神群は、ミトラの神群と一致している。(ソース:「ミトラ教の歴史1(新版)」の対照表)

    モナ丼:「006 ミトラ教の歴史(漫談版)」
    ペルシャ時代にあった太陽の祭りがミフラジャーン。下にあるようにミフラはミスラやミトラと同じです。パルティア時代にはミトラカーナという王権主宰の祭りもできています。名前で行くと弥勒がコータン語のミフラクの音訳で、佛教のマイトレーヤより先にできています。ソグド語のミロから中国語の蜜ができています。

    仏教の「弥勒(みろく)」はミトラが語源となっている。

    ◆ソース同上
    弘法大師が七曜すなわち「六曜蜜」を日本に伝えたのですが、月火水木金土の6曜度に最後の蜜、蜜曜ということですが、それは唐でソグド語の太陽(日)の「ミル」を音訳して「密」又は「蜜」としたわけです。当時の佛教では、太陽は大日如来という根本佛と同じですから、密は「日」だということで、大日如来の教えを「密教」としたわけです。秘密の密、顕教に対する密教、ではなかったんです。蜜曜は日曜に。ところが、ここで分りますように、ソグドでは太陽はミトラだった。同じことは、sunday にも言えます。七曜は西洋も使いますが、これもミトラ教の守護神から来ています。

    「密教」は「秘密」の教えではなく、「太陽」の教えということになる。さらに7曜日の起源も、ミトラ教の7守護神に由来している。
    • 日曜(太陽)・・・・ミトラ
    • 月曜(月)・・・・女神マーフ
    • 火曜(火星)・・・・アーリマン/アズ
    • 水曜(水星)・・・・ティール
    • 木曜(木星)・・・・オフルミズド
    • 金曜(金星)・・・・女神アナーヒター
    • 土曜(土星)・・・・ズルワーン/スワーシャ
    カルディアの惑星神もこれに対応しており、ユダヤ教の7大天使もおそらくこの流れであろう。歴史の教科書や、宗教の解説書には「ペルシャの拝火教の影響が見られる」とさりげなく書かれていることが多いが、調べれば調べるほど、ミトラ教はおそるべしである。


    ■お奨め1:オードリー・ヘップバーンの『ローマの休日』もミトラ教
    モナ丼:「真実の口」(コスメディアン教会)
    ■お奨め2:卍(まんじ)とは「回転する太陽神」/ハーケンクロイツ=日の丸
    Matsuda's Journal:「キリスト教と仏教をつなぐミッシングリンク」(2005/3/28)

    posted by ヒロさん at 06:21 | Comment(21) | TrackBack(0) | 神話・宗教・民俗学

    2005年12月20日

    神話時代の必殺技:「卍固め」と「メルクリウスの蛇」

    反・ギリシア神話:「十字架(Cross)」
     ラテン十字架(パッションクロスとも言う)が今ではキリスト教の主要なシンボルとなっているが、6世紀まではキリスト教美術には現れていなかった。キリスト教の時代より遥か昔においては、この十字架は、ヨーロッパや西アジアにおいては、異教のシンボルであった。初期キリスト教徒たちは、それが異教のものであったために、排斥さえした。3世紀のキリスト教会の神父であったミヌキウス・フェリクスは、キリスト教徒たちがラテン十字架を崇拝することに憤慨して、次のように言った。「お前たち、それでは異教徒ではないか。木の十字架を崇拝するなんて、それはまさに異教徒のすることだ……お前たちの記章や旗や標識と言えばただぴかぴかの美しい十字架だけではないか。そしてお前たちの勝利の記念品はただの十字架だけではなく、その上に人間を乗せている」

    十字架がキリスト教のシンボルとして使われ始めるのは、キリスト教がローマ帝国の国教となった4世紀以降のことである。タテ長の十字架を「ラテン十字架(passion cross)」というが、3世紀までの主流は、タテヨコが同じ長さの「ギリシャ十字架」であった。

    円形の中に十字形を内包する文様は「ヴォータンの十字形(Wotan's cross)」と呼ばれ、太古の昔から使われている。「ケルトの十字架」では、輪つきのタテ長十字架が使われている。

    十字に円形の回転運動を加えると、風車やかざぐるまのように回りはじめるが、これを象徴しているのが「卍(まんじ)」である。「卍」の場合は、カギが左回り(逆時計回り)に伸びているが、右回りの方は「スワスティカ(swastika)」と呼ばれ、これを45度傾けて、ナチス・ドイツの「ハーケンクロイツ」紋章がつくられた。

    窓の杜:マイクロソフト、「Microsoft Office 2003」からハーケンクロイツの記号を削除(2004/2/13)
     マイクロソフト(株)は11日、同社製品「Microsoft Office 2003」に付属している記号フォント“Bookshelf Symbol 7(以下、Bssym7.ttf)”から不適切な記号を削除するツールを“重要な更新”として公開した。同ツールを実行すると“Bssym7.ttf”から、寺院記号の卍(まんじ)とは回転方向が逆向きの“逆卍”、逆卍を45度右方向へ回転させた“ハーケンクロイツ”、正三角形と逆三角形を組み合わせた星形の“ダビデの星”という3つの記号が削除される。<中略>

    削除されたのは「特殊記号」としての「右回りまんじ」なので、日本語IMEから「卍」が消滅したわけではない。それにしても物騒な話である。「ハーケンクロイツ」はユダヤ人に配慮して削除し、「ダビデの星」はイスラム圏に配慮して削除したのだろうが、とっばちりを食ったのは罪なき「右回りまんじ(逆まんじ)」である。

    ウィキペディア:「卍」から、おもしろそうな部分を拾ってみた。

    卍の由来は諸説ありヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の胸の旋毛(つむじ)、仏教では釈迦の胸の瑞相が由来で、左旋回の卍は「和」の元といわれ、右旋回の逆卍は、「力」の元といわれる。名前の「まんじ」が暗示するように、「万」の元ともいわれる。

    「卍」と「万」という字は似ている。とくに「逆卍」の場合はそっくりである。

    中国には仏典を通して伝わったが、音訳で「室利靺蹉」、意訳で「吉祥喜旋」「吉祥海雲」などと漢訳された。鳩摩羅什や玄奘はこれを「徳」で訳したが、北魏の菩提流支は『十地経論』のなかで「万(萬)」で訳している。武則天の長寿2年(693年)、「卍」字を「万(呉音:マン;漢音:バン;ピンイン:wa`n)」と読むことが定められた。

    「卍」は記号ではなく漢字である。日本では「卍山下(まんざんか)」という苗字がある。宮下あきらの『魁!男塾』では「卍丸」というキャラクターもある。

    日本では、寺院の象徴として地図記号にも使用されている。認識の相違から起きた事件として、ポケットモンスターのカードゲーム用カードに卍が印刷されていたため、欧米ではデザインが変更されたことがある。また日本の少林寺拳法が、ヨーロッパでの普及にナチスのイメージが付きまとう等の理由から卍のマークを2005年度より新マークへ変更した。

    これは過剰な「自主規制」だ。キリスト教が嫌いだからといって、算数から「+」記号を撤廃するようなもの。「日の丸反対」の日教組に配慮して、「日の丸弁当」を自主規制するようなものだ。

    フィンランドでは1918年から1944年まで鈎十字に類似した「ハカリスティ」が空軍および陸軍の国章として使用された。青いハカリスティはフィンランド内戦中、白軍に最初の航空機を寄贈したスウェーデンの伯爵エリック・フォン・ローゼンによって使用された幸運のシンボルだった。青いハカリスティはナチスのハーケンクロイツとは無関係であった。現在もフィンランドのメダルおよび装飾物に目立たない形で使用されている。

    第2共和制のポーランド(1918-1939)でも、山岳歩兵部隊などで「逆卍」は使われていたという。古き良き、吉祥と幸運のマークであればこそだ。

    スワスチカ(Swastika)は、カナダのオンタリオ州北部に存在する町の名である。トロントの北およそ580Km、カークランド湖の5Km西に位置し、1906年に成立した。近くで金鉱が発見され、スワスチカ・マイニング・カンパニーが1908年に設立された。オンタリオ州政府は第二次大戦中に町の名を変更しようとしたが町は抵抗した。

    日本の地名でいえば、東京都の吉祥寺あたりか。神道系新宗教の人が、長野県の諏訪は「スワスチカ」の語源で世界の回転の中心である、と言っていた。にわかには信じがたいが。

    第二次大戦の直後、いくつかのアメリカインディアンの種族は、美術品に卍を使用しないとする法令に署名した。卍がナチをイメージすることによるものだった。

    禁止されたのは「逆卍」だけなのか、それとも「正卍」も対象になったのか、興味がある。かざぐるまも書いてはいけないのか?

    『卍』 谷崎潤一郎の小説。昭和39年(1964年)、大映にて映画化された。
    監督:増村保造 脚本:新藤兼人 出演:若尾文子、岸田今日子、川津祐介、船越英二、山茶花究

    青森県弘前市の市章として採用されている。青森県西部を領地としていた津軽氏の旗印として採用されていたため、それを採用したようである。

    弘前の『卍』市章に抗議する外国人がいると聞くが、余計なお世話である。

    最後に、ウィキペディアに、アントニオ猪木の「卍固め」が記述されていないのが気になる。なぜだ? 猪木といえば「メルクリウスの蛇」もお忘れなく。


    ■お奨め1:「まんじ」にもいろいろある。それぞれのシンボル解説はSymbols.com:Group 15へどうぞ。
    ■お奨め2:「えの」さんのご推奨サイト=トマソンお地蔵さんの「卍コレクション」

    ■つぶやき:ハーケンクロイツの画像名を「Naziswastika」にすると、画像を表示できない。ブログ・プロバイダーの自主規制か?(「GermanSwastika」では表示可)
    posted by ヒロさん at 07:35 | Comment(3) | TrackBack(0) | 神話・宗教・民俗学
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