小さい頃は、多くの人が家族や友人に誕生日をお祝いしてもらっていることだろう。しかしある程度大きくなると、誕生パーティを開くにも、誰を呼ぶのか呼ばないのか、という人間関係の「しがらみ」が表出する儀式になっていたりする。
もっと年がいってくると、そもそも誕生日がわずらわしい。必ず聞かれる「何歳になったの?」という質問もうるさい。プレゼントをどうするかで、あー、めんどくさい、という人もいる。
ある神道系の新宗教では、誕生日は祝ってもらう日ではない、自分が生まれたことを両親に(あるいは神様に)感謝する日だ、と教えていた。素直に感謝できる人にとっては、その感謝を表す「Thanks-giving day」にすればよいだろう。
心の底で正直なところ、親にありがとうという気持ちになれない、あるいはお祝いをする気になれない、という人は、この世で自分が存在する意義、意味は何なのか、静かに考える日にしてみるのもよい。クリスマス(イエスの生誕を考える日)と同じで、1人でいることを淋しがる必要はないのである。
誕生日の「日」にこだわると、たとえば私の配偶者などは23日生まれなので、毎月23日にはおいしいものを食べる、といった勝手なことを言っている。誕生日を「年月日」ととらえると、同じ年月日は2度と訪れないので、誕生日は一生涯祝う必要はない。
「月日」としての誕生日は、四季や雨季・乾季のサイクルの中で、身体の奥深くにまで染みついている「特異日」であるが、天文学的にみると、地球と太陽と星座群の位置関係ということになる。
自分の誕生日の星座(さそり座、射手座など)は、血液型(A、B、O、AB)と同じぐらい知っている人が多いと思うが、なぜか、自分の星座を見たことがないという人が圧倒的である。血液型の違いのほうは、薬品を使って目視確認するのは、医学部や生化学の人たちに限られているかもしれないが、星座のほうは、晴れた日の夜に星空を見上げれば確認できる。
ただ、誕生日を迎えた日に、自分の星座は確認できない。天球上を動く太陽の位置が「自分の星座」なので、ちょうど太陽の裏側の方向にあるからである。ということで、誕生日のちょうど半年後あたりに夜空を眺めてみればいいことになる。かという私も、埼玉の田舎で実際の「自分の星座」(双子座)を見つけたのは、つい4年前である。
天体の位置にもう少しこだわると、シュタイナー思想(人智学)では「Moon Node」の話もよく出てくる。星座のほうは無視して、「地球+太陽+月」の位置関係に着目したもので、自分が生まれた日と同じ「3天体の位置関係」は18.7年に1度めぐってくる。占星術にこだわる人は、さらに太陽系の各惑星の位置関係に特別な意味を見出しているはずである。
親の目からすると、子供の誕生日をきっかけに「急に○○○になった」という変化を(気のせいと思いつつも)感じてしまうのだが、誕生日はぐるぐる回るラセン階段の1段であって、毎年めぐってくる誕生日という「特異日」は、文化的な意味づけこそあっても、生体的・医学的な変化はあろうはずがない、と私も思っていた。
ところが、『日本人の脳』で有名な角田忠信氏の研究によると、誕生日の午前中に、脳内に「年輪」が刻まれているのだという。以下、角田忠信著『右脳と左脳:脳センサーでさぐる意識下の世界』(小学館ライブラリー)の内容をごく簡単にまとめてみたい。
この先生は、瞬間的に両耳に入る音が、右脳と左脳のどちらに振り分けられるか、という研究を長年続けている人である。「純音とホワイトノイズ」、「母音と子音+母音」、「自分の声と他人の声」、「楽器音と音声」、「自然界のさまざまな音」などが、右と左のどちらに流れるか詳細に比較検証している。
『日本人と脳』では、日本人とポリネシア人に限り、この左右振り分けのパターンが、他の全人類と異なるという説を発表して、話題になった。これは民族やDNAの問題ではなく、9才頃までに母国語として日本語かポリネシア語を使っている場合に、脳内の音処理回路が変化するという説明である。
この左右振り分けスイッチは、とても微妙なセンサーで、さまざまな条件のもとで、通常の左右の振り分けとは逆になる「逆転現象」が起こるとされている。たとえば、純音を聞かせた場合、すべての言語圏の人が「右優位」(非言語を扱う右脳優位)としてこの音を振り分けるが、40の倍数の周波数(40、80、120Hz・・・)と、60の倍数の周波数(60、120、180Hz・・・)の場合は、「逆転現象」が起こる。
また聞かせる音源の「組み合わせ数」でも同様の現象がおこり、しかもこの「組み合わせ数」は年齢と関係しているという。たとえば、23才の場合、この年齢の3倍と5倍の数(=69、115)の純音から「合成音」をつくると、左右反転が起こるというのだ。
40才の人は、40×3=120種類または40×5=200種類の音を組み合わせた「合成音」を聞くと、その音を処理する脳内スイッチに異変が起こる、ということになる。「合成音の要素数」が大脳生理学で何を意味するのか、本を読む限りでは皆目見当がつかないが、注目すべきは、40才の人が41才になった瞬間に、「120と200」には反転反応を起こさなくなり、「123と205」に反応するようになる、という点である。
メカニズムはさっぱりわからない。が、誕生日をきっかけとして、脳のセンサーが変化するという話なのである。状況によって多少の誤差があるようで、著者の角田氏の場合は、58才と59才のときは「誕生日の4日前」の「朝6時から7時の間」に、60才のときは「誕生日当日」の同じ時間帯に切り替えが起こったという。海外出張が多かったため、リズムが崩れたのではないか、と疑っている。
この変化は「天体の位置関係」からの影響というよりも、体内に1年を測る正確な「体内時計」があるのではないか、と推理できる。オリンピック年の閏年の場合はどうなるのかも、気になるところである。
いささか神秘主義的にはなるが、誕生日の日は飲み食いやパーティで浮かれ騒ぐよりも、静かに内面の変化に耳を澄ますほうがよいのかもしれない。年輪が刻まれる瞬間の微細な音が、かすかに聞こえてくるかもしれませんので・・・。
■追加:シュタイナー学校では、「誕生日」を重視していて、クラスの休み時間に必ずお祝いが行なわれる。土日や長期休暇中に誕生日がある場合は、日程を繰り上げたり、先延ばしにすることもある。いずれにせよ、誕生日には親がケーキを焼いて、教室に持参しなければならない。「お祝い」では、歌をうたい、ケーキにソウソクをともし、先生がその子供にあった「誕生の詩」をプレゼントする。贈られた子供のほうは、その後1年間、週1回、この詩を朗読する。わが子の7才の誕生日(1年前)には、こんな詩が贈られた。
Baby buds abound in plenty,
Bringing promise of rich bounty,
Bending buds begin to open,
Sun's warm beams and power absorbing.
Bulging buds appear with colour,
Bearing beauty, bloom unfolding.
Bursting buds, parade all proudly,
Pretty trumpets shining brightly.
Bringing promise of rich bounty,
Bending buds begin to open,
Sun's warm beams and power absorbing.
Bulging buds appear with colour,
Bearing beauty, bloom unfolding.
Bursting buds, parade all proudly,
Pretty trumpets shining brightly.