すでに1000回以上弾いている曲には、バッハ「バイオリンソナタ・ト長調」チェンバロソロがあるが、フィギュアスケートの3回転ジャンプのような難所が山ほどあるので、私のような初心者がとても人に聴かせられるシロモノではない。
が、1年半前のこと、何を血迷ったのか、この難曲を200人の前で弾こうとしたことがある。3ヵ月の練習の末に何とか通しで弾けるようになって2週間が経ち、9月のある土曜日も、8回ほど連続で「通し」ができたので、「これはいけるぞ!」と思ったのである。
その日、夕方になって、ルンルンの気分で大学に行ってみると、ちょうど「Social Evening」という「自由発表会」が始まろうとしていて、私も急遽、発表者リストに加えてもらった。発表内容は、楽器、歌、踊り、詩の朗読、ストーリーテリングなど何でもありである。
この挑戦はそもそも無謀な挑戦であった。今まで「発表会」と称する場所で弾いたことがあるのは過去1回だけで、そのときは簡単な曲を選んでおり、ビギナーズラックだったのか、「初デビュー」はそれなり成功した。だが、今回の曲は、通しで弾けたとはいえ、比べ物にならない難曲である。
で、結果はどうなったかというと、演奏時間5分の「64小節」になるはずが、最初の「3小節」でひっかかり、転倒!もう1度最初から弾くという手もあったが、「間違えそうなところ」ではなく「ほとんど間違ったことのないところ」で引っかかったので、これは無理であると諦め、機転よく、簡単な別の曲に切り替えた。(この簡単な曲も何度かトチッたが)
ひとりで弾いているときは、あんなに上手に(自画自賛!)弾いていたのに、「上がり症」のために失敗したともいえる。それにしても、なぜわずか3小節目にしてダウンしたのか、考えてみた。
1)講堂のグランドピアノのキータッチは超ライトで、自分のデジタルピアノのタッチとは全然違う。
2)発表会は夜だったので、ピアノ横の照明で、黒鍵の横に影ができて、ピアノの鍵盤が「まったく別のもの」に見える。
3)初デビューは40人程度の気さくな場だったが、今回は聴衆が200人の大きな講堂。
4)自分の直前に弾いたギタリストがあまりにもうますぎるプロ級で、プレッシャー。
1)と2)は練習しているときと「同じ環境」でないと弾けないという、初心者にはありがちなことだ。これは別に初心者でなくても、ホームだと調子がいいがアウェイだとボロ負けするようなもので、本番のスタジアムやスケートリンクに慣れ、クセや特徴を読み取ることは大切である。
3)と4)は心理的なプレッシャーである。心臓バクバクになったり、手に汗をグッショリとかいたり、目の前の視野が急に狭くなったり、「上がり症」の症状はいろいろである。
このときの経験から得た教訓は以下のようなものだ。
練習ではどんなに完璧でも、本番で力を発揮できないとすれば、哀しいことである。同じことを悩んでいる人はたくさんいるもので、「あがり症同盟」というサイトがある。このサイトの対策(あがり症の対策)から、主だった知恵を抜粋してみた。
- とにかく練習する・・・・練習の平均よりうまく行くことはない
- 場数を踏む・・・・本番経験を積むほどに、場に呑まれなくなる
- メンタルリハーサル・・・・イメージでも「練習」を繰り返す
- 成功をイメージする・・・・終了後の拍手やメダルを手にした自分を思う浮かべる
- 自律訓練法をやる・・・・普段からリラックスする訓練を積む
- 段取り上手・・・・遠征時の現地での宿泊、食事、服装など
- 会場に慣れる・・・・会場に早く着く、(可能なら)練習する、場内を見渡す、観客を観察する
- 順番待ちは緊張するに任せる・・・・あえて「もっと緊張しろ」と煽る
- リラックスする方向に体を刺激する・・・・手を揉む、肩回しをする、背伸びをする、息を長く吐く
- 体や首回りを暖める・・・・寒いと交感神経が活発になり、興奮しやすい
- 自分の名前が呼ばれた瞬間に「腹をくくる」・・・・ゆっくり堂々と歩く、鼓舞する言葉を唱える
本番ではまれに「想定外」が起こることがある。私のピアノ発表の3回目は、30人ぐらいの小ルームだったが、順調に進んで後半に差しかかったところで、聴衆の1人が曲に合わせて「鼻歌(ハミング)」を始めた。曲はボサノバだったので、私の演奏に「ノリノリ」になってくれたことはうれしいが、私の意識がその「鼻歌」に移った瞬間に、弾きまちがいが起こった。
映画『Shall We Dance』でもこんな場面があった。ダンス競技会の本番で、客席からの「お父さん!」という娘の声に意識が移ったその瞬間、ステップが乱れ、パートナーの服の裾を踏みつけ、みごとに引き裂いてしまう。映画とはいえ、悲惨な結果である。
普段から「あがるという意識」を意識すること、「注意がそれるその瞬間」を観察することを、じっくり続けてみたい。私が「鼻歌」で失敗したのは、自分の主導権が奪われたことに対する「不快感」から、意識がかき乱されたように思う。カラオケで自分が歌っているのに、ほかの人がマイクを取って勝手に歌い始めたようなものだが、誰が介入しようと、自分のペースは自分で決めるという決意があればよい。

「本番に強くなるコツ」または「あがり症克服の知恵」として、私がもう1つつけ加えたいのは、「今、私は、なぜここにいるのか」という自問自答である。
ピアノであれ、スケートであれ、好きで好きでたまらないからこそ、人一倍練習し、その「美」を多くの人と分かち合いたいからこそ、大勢の人の前で「表現」しているに違いない。自分の中にある「美」を、どんな些細な形であれ、多くの人と分かち合いたいという気持ちがあるとすれば、緊張やプレッシャーごときで、つぶれてしまうわけにはいかないのだ。
トリノ冬季五輪が閉幕。祝、女子フィギュア、金メダル。