2006年02月27日

「本番」に強くなるコツ、「あがり症」を克服する知恵

週末は久しぶりにピアノを弾きまくってみた。練習しているレパートリーは12曲ぐらいあるが、明日ピアノの発表会があるとして、何とか発表できそうな曲は5曲ぐらいだ。

すでに1000回以上弾いている曲には、バッハ「バイオリンソナタ・ト長調」チェンバロソロがあるが、フィギュアスケートの3回転ジャンプのような難所が山ほどあるので、私のような初心者がとても人に聴かせられるシロモノではない。

が、1年半前のこと、何を血迷ったのか、この難曲を200人の前で弾こうとしたことがある。3ヵ月の練習の末に何とか通しで弾けるようになって2週間が経ち、9月のある土曜日も、8回ほど連続で「通し」ができたので、「これはいけるぞ!」と思ったのである。

その日、夕方になって、ルンルンの気分で大学に行ってみると、ちょうど「Social Evening」という「自由発表会」が始まろうとしていて、私も急遽、発表者リストに加えてもらった。発表内容は、楽器、歌、踊り、詩の朗読、ストーリーテリングなど何でもありである。

この挑戦はそもそも無謀な挑戦であった。今まで「発表会」と称する場所で弾いたことがあるのは過去1回だけで、そのときは簡単な曲を選んでおり、ビギナーズラックだったのか、「初デビュー」はそれなり成功した。だが、今回の曲は、通しで弾けたとはいえ、比べ物にならない難曲である。

で、結果はどうなったかというと、演奏時間5分の「64小節」になるはずが、最初の「3小節」でひっかかり、転倒!もう1度最初から弾くという手もあったが、「間違えそうなところ」ではなく「ほとんど間違ったことのないところ」で引っかかったので、これは無理であると諦め、機転よく、簡単な別の曲に切り替えた。(この簡単な曲も何度かトチッたが)

ひとりで弾いているときは、あんなに上手に(自画自賛!)弾いていたのに、「上がり症」のために失敗したともいえる。それにしても、なぜわずか3小節目にしてダウンしたのか、考えてみた。

1)講堂のグランドピアノのキータッチは超ライトで、自分のデジタルピアノのタッチとは全然違う。
2)発表会は夜だったので、ピアノ横の照明で、黒鍵の横に影ができて、ピアノの鍵盤が「まったく別のもの」に見える。
3)初デビューは40人程度の気さくな場だったが、今回は聴衆が200人の大きな講堂。
4)自分の直前に弾いたギタリストがあまりにもうますぎるプロ級で、プレッシャー。

1)と2)は練習しているときと「同じ環境」でないと弾けないという、初心者にはありがちなことだ。これは別に初心者でなくても、ホームだと調子がいいがアウェイだとボロ負けするようなもので、本番のスタジアムやスケートリンクに慣れ、クセや特徴を読み取ることは大切である。

3)と4)は心理的なプレッシャーである。心臓バクバクになったり、手に汗をグッショリとかいたり、目の前の視野が急に狭くなったり、「上がり症」の症状はいろいろである。

このときの経験から得た教訓は以下のようなものだ。

  • 直近でどんなに絶好調であれ、本番では「練習の平均値」を超えることはできない。よって選曲は、現在の実力の50%〜70%のものを選べ。
  • 場所や環境がほんの少し違うだけで、できるものも、できなくなる。本番のピアノで1回でも練習できればベストであろうし、本番と同じ照明状態を経験できれば「鍵盤がちがうものに見える」こともなかったであろう。

    練習ではどんなに完璧でも、本番で力を発揮できないとすれば、哀しいことである。同じことを悩んでいる人はたくさんいるもので、「あがり症同盟」というサイトがある。このサイトの対策(あがり症の対策)から、主だった知恵を抜粋してみた。
    • とにかく練習する・・・・練習の平均よりうまく行くことはない
    • 場数を踏む・・・・本番経験を積むほどに、場に呑まれなくなる
    • メンタルリハーサル・・・・イメージでも「練習」を繰り返す
    • 成功をイメージする・・・・終了後の拍手やメダルを手にした自分を思う浮かべる
    • 自律訓練法をやる・・・・普段からリラックスする訓練を積む
    「とにかく練習」や「場数を踏む」は当然として、「メンタルリハーサル」や「イメージング」の体系は深いものがある。やり方を間違えると、「イメージの力」によってさらに悪くなることもある。
    • 段取り上手・・・・遠征時の現地での宿泊、食事、服装など
    • 会場に慣れる・・・・会場に早く着く、(可能なら)練習する、場内を見渡す、観客を観察する
    現地の食事がまずかったので調子がいまいちだった、という言い訳もあり得るので、このような「普段とちがう状態」を乗り越える「段取り」は重要だ。会場に早めに出向くこと、会場を自分のものにし、観客をも「呑んでしまう」ことだ。
    • 順番待ちは緊張するに任せる・・・・あえて「もっと緊張しろ」と煽る
    • リラックスする方向に体を刺激する・・・・手を揉む、肩回しをする、背伸びをする、息を長く吐く
    • 体や首回りを暖める・・・・寒いと交感神経が活発になり、興奮しやすい
    • 自分の名前が呼ばれた瞬間に「腹をくくる」・・・・ゆっくり堂々と歩く、鼓舞する言葉を唱える
    順番待ちは必ず緊張するので、あえて緊張するに任せる。中には「もっと緊張しろ、もっと上がれ〜」とさらに煽ることで緊張がピークアウトするという人もいる。交感神経を抑え、副交感神経を活発にする方向で体に刺激を与えることを心がける。「腹をくくる」ためのなんらかの「儀式」もあるとよい。

    本番ではまれに「想定外」が起こることがある。私のピアノ発表の3回目は、30人ぐらいの小ルームだったが、順調に進んで後半に差しかかったところで、聴衆の1人が曲に合わせて「鼻歌(ハミング)」を始めた。曲はボサノバだったので、私の演奏に「ノリノリ」になってくれたことはうれしいが、私の意識がその「鼻歌」に移った瞬間に、弾きまちがいが起こった。

    映画『Shall We Dance』でもこんな場面があった。ダンス競技会の本番で、客席からの「お父さん!」という娘の声に意識が移ったその瞬間、ステップが乱れ、パートナーの服の裾を踏みつけ、みごとに引き裂いてしまう。映画とはいえ、悲惨な結果である。

    普段から「あがるという意識」を意識すること、「注意がそれるその瞬間」を観察することを、じっくり続けてみたい。私が「鼻歌」で失敗したのは、自分の主導権が奪われたことに対する「不快感」から、意識がかき乱されたように思う。カラオケで自分が歌っているのに、ほかの人がマイクを取って勝手に歌い始めたようなものだが、誰が介入しようと、自分のペースは自分で決めるという決意があればよい。

    『Shall We Dance』の場合は、家族に内緒で競技会に出ていたことが「動揺」につながったと思うが、自分を表現したい気持ちに一点の曇りもなければ、堂々と、無心の姿をそのままに表現できるはずである。

    「本番に強くなるコツ」または「あがり症克服の知恵」として、私がもう1つつけ加えたいのは、「今、私は、なぜここにいるのか」という自問自答である。

    ピアノであれ、スケートであれ、好きで好きでたまらないからこそ、人一倍練習し、その「美」を多くの人と分かち合いたいからこそ、大勢の人の前で「表現」しているに違いない。自分の中にある「美」を、どんな些細な形であれ、多くの人と分かち合いたいという気持ちがあるとすれば、緊張やプレッシャーごときで、つぶれてしまうわけにはいかないのだ。

    トリノ冬季五輪が閉幕。祝、女子フィギュア、金メダル。
  • posted by ヒロさん at 08:15 | Comment(5) | TrackBack(0) | ピアノが好きなの♪

    2006年02月24日

    小説の類型学:有害な『中絶小説』と優良な『純愛小説』

    20年ほど前に、日本とスペインの企業の技術提携のお手伝いをしたことがあるが、接待の酒席で「スペインで一番有名な日本人は誰だろうか」という話になった。

    ヒゲモジャのスペイン人いわく、「オヒノ」である、と。これはスペイン語発音なので、正しくは「オギノ(Ogino)」である。基礎体温法・リズム法という「オギノ式避妊法」を世界に知らしめた荻野久作である。

    避妊では世界の先進国かと思われた日本だが、小説の世界ではだらしのない「妊娠→中絶」が横行している。先日読んでみた斎藤美奈子の『妊娠小説』は、実のところ「中絶小説」と呼ぶにふさわしい。「望まない妊娠」のほとんどは「中絶」に行き着くからである。

    この『妊娠小説』では、「中絶」がからむ青春小説・恋愛小説を以下のように分類している。基本形は「生みたがる女」と「生みたがらない男」の対立構図であり、「メンズ系」とは男性主人公の視点で語られる小説、「レディス系」とは女性主人公の視点で語られるものをさす。

    ■メンズ系「青年打撃譚」(青年成長譚)
  • 森鴎外 『舞姫』(1890)
  • 石原慎太郎 『太陽の季節』(1955)
  • 大江健三郎 『われらの時代』(1959)
  • 三田誠広 『赤ん坊の生まれない日』(1977)
  • 川西蘭 『はじまりは朝』(1982)
  • 辻仁成 『クラウディ』(1990)

    放逸な行動を取る男性主人公が、「受胎告知」で頭をガーンと殴られ、「中絶」によって2人の関係が悪化し、その不幸から立ち上がっていく苦々しい小説である。

    ■メンズ系「浮気男疲労譚」
  • 島崎藤村 『新生』(1919)・・・・ただし男やもめのケース
  • 吉行淳之介 『闇のなかの祝祭』(1961)
  • 渡辺淳一 『北都物語』(1974)
  • 村上龍 『テニスボーイの憂鬱』(1985)

    中年男がアバンチュールに走るが、「中絶」によって浮気にも生活にも疲れていくパターンである。20代のギンギラギンはもはや存在しない。

    ■メンズ系「恋愛挫折譚」
  • 石原慎太郎 『灰色の教室』(1955)
  • 大江健三郎 『見るまえに跳べ』(1960)
  • 立松和平 『春雷』(1983)・・・・ただし家庭内妊娠

    男性側も一旦は生むこと決意するが、連ドラによくあるような不幸な事件(彼女の病気、階段からの転落、交通事故など)によって、流産となり、2人の関係も悪化していく。

    ■メンズ系「中絶疑惑譚」
  • 村松友視 『サイゴン・ティをもう一杯』(1982)

    これは「中絶」に同意して別れた女が、後から子供を連れて再登場するというもの。この類型では、山田太一の『丘の上の向日葵』もこれに入るかもしれない。

    ■レディス系「おぼこ娘自立譚」
  • 三島由紀夫 「美徳のよろめき」(1957)
  • 見延典子 「もう頬づえはつかない」(1977)

    「中絶」をバネに(テコに)して、男から決別する物語。メンズ系とは違って、男を捨てて、あっけらかんと成長していく、フェミニスト向きのすがすがしい展開である。

    ■レディス系「妊娠無情譚」(中絶したいけど、できない!)
  • 水上勉 『越前竹人形』(1963)
  • 萩原葉子 『奪麻の家』(1974)
  • 林真理子 『ビデオパーティー』(1985)

    ヤミ堕胎医が見つからず、悲惨な流産を迎えたり、生活が破綻していく物語。安易な交わりを後悔し、自らを罰するように追いつめられていく。女性としては、こういう目にだけは遭いたくないストーリーだ。


    いずれの小説も、「中絶」か「流産」で痛い目に遭って初めて目覚めるストーリーになっており、避妊の配慮にとぼしい「青少年有害指定図書」である。ただし「反面教師」としての教育的効果はあるかもしれない。もっとハラハラ、ドキドキさせる展開の中に「有益な知識」が埋め込まれた「避妊小説」はどこかにないものであろうか。(保健体育の教科書よりも面白いヤツ)

    一方、「有益な知識」を与えられると、実戦で試したくなるのも人の常である。そんな余計な知識よりも、人を大切にすること、異性を大切にする気持ちを育む「エッチなしの純愛小説」も、チェックしておきたいところだ。

    bk1はてな 舞台が『現代』以外の純愛小説でお勧めのものがあれば教えてください。ファンタジー調や時代物など、現代以外であればなんでもOKです。【抜粋】
    ・三島由紀夫 『春の海』
    ・アンドレ・ジイド 『狭き門』
    ・恩田陸 『ライオンハート』
    ・尾之上浩司 『ある日どこかで』
    ・藤沢周平 『蝉しぐれ』
    ・ホール・ギャリコ 『ジェニィ』・・・・猫になった少年とメスネコとの恋愛
    ・国木田独歩 『牛肉と馬鈴薯・酒中日記』
    ・小泉八雲 『青柳のはなし』(『小泉八雲集』収録)・・・・15世紀
    ・高樹のぶ子 『イスタンブールの闇』・・・・16世紀
    ・京極夏彦 『嗤う伊右衛門』・・・・江戸時代
    ・井辻朱美 『銀色の恋人』
    ・樋口一葉 『にごりえ・たけくらべ』
    ・モンゴメリ 『赤毛のアン3』
    ・チェーホフ 『桜の園・三人姉妹』
    ・トマス・ハーディ 『テス』
    ・福永武彦 『草の花』
    ・幸田文 『おとうと』・・・・姉弟愛
    ・デュマ 『椿姫』
    ・眉村卓 『わがセクソイド』・・・・人間とロボットとの恋愛
    ・唐十郎 『青春牡丹灯籠』
    ・三島由紀夫 『潮騒』
      ・・・・・

    これは必ずしも「エッチなし」ではないが、現代以外の「純愛もの」でのお奨めだそうだ。私の個人的なお奨めは、『狭き門』と『ジェニィ』。小説ではないが、純愛系でこれから読みたいものは、愛新覚羅 浩著『流転の王妃の昭和史』(自伝)と、高村光太郎著『智恵子抄 改版』ですね。

    ■その他、もっといろんな「○○小説」に挑戦したい方のために・・・
  • 島清恋愛文学賞・・・・受賞作品
  • 浮気小説のシナリオ・・・・たとえばこんな感じ。
  • 同性愛小説・・・・同性愛作品リスト
  • 逆レイプ小説・・・・S系女とM系男のためのエロ小説ラビリンス
  • posted by ヒロさん at 07:58 | Comment(3) | TrackBack(1) | ネット生活と読書

    2006年02月23日

    あら、ジコチューのお嬢さん、「バスケット」の中身は何かしら?

    ライブドアが東証マザーズから上場廃止になる可能性が濃厚であるが、「上場廃止=倒産」ではないので、株価が1円になるということではない。

    2004年に「有価証券報告書の虚偽記載」で上場廃止となった西武鉄道の場合は、10月上旬に1100円前後でルンルンと推移していたところを、大暴落となって11月16日には249円まで売り込まれたが、その後上昇して、引退の12月16日には485円で引けている。

    読売:ライブドア株“マネーゲーム化” 東証社長が批判(2006/2/21)
     東京証券取引所の西室泰三会長兼社長は21日の記者会見で、東証マザーズ上場のライブドア株について、「ほとんどの株主は株を手放したと聞いている。今、(株主として)残っているのは、投資家という名前の投機家ではないか」と述べ、同社株の売買がわずかな利ざや稼ぎを競う“マネーゲーム”化している現状を批判した。<中略>
     ライブドア株は現在、上場廃止の可能性を投資家に知らせる「監理ポスト」に割り当てられている。21日は前日比4円安の64円で取引を終え、出来高は約1700万株と東証マザーズ市場全体の約53%を占めた。

    「株式市場」という名前の「ヤクザ賭博」の番頭オヤジが何をほざくか。いまどきライブドア株を所有している個人株主は、「さっさと全部投げて、外資や大口に引き渡せ」という催促のつもりか。ライブドアに無制限の株式分割を許して、細切れの株札ゲームにしたのは、どこのどいつだ?

    東証の番頭オヤジは、以前もウソを垂れ流している。ホリエモン逮捕(+マネックス証券の「担保ゼロ」措置)で、個人の狼狽売りがかさんで、「私どものチンケなコンピュータ・システムに負担がかかっている」とわめいていたが、1月17日〜18日の株価暴落で、個人は狼狽売りなどしていない。

    地球の裏からまじめな話〜頑張れ日本:「素晴らしいコメントです!」(2006/2/1)
     1月16日〜1月20日の5営業日での各投資家の売り買い状況の統計を取ったのがこの資料である。<中略>
     さてその総計の内訳が以下出てくる。大きくこれは2つに分かれて、1つは「自己」、もう1つは「委託」注文である。ここで自己、ってのはいわゆる自己勘定、証券会社の自己のお金の運用資金、委託と言うのは証券会社に注文を出してくる人たち全てを言う。
     自己〜売り越し5999億、委託〜買い越し5129億であったのだ。つまりこの週にもっとも売ったのは、なんと証券会社の自己売買部門であった訳だ。

     さらにこの委託の中味を分けると、法人、個人、外人、証券会社、に分かれる。
  • 法人〜買い越し163億
  • 個人〜買い越し4225億
  • 外人〜買い越し521億
  • 証券〜買い越し219億
     つまり委託全体では買い越しだったけれどその中でも個人が1桁多く買い越しているのだね。

  • すなわち、証券会社の自己売買が「5999億円」もの「売り超」で、一方、個人は株価がナイフのように落ちる中で「4225億円」相当の「買い」を積み上げたというわけである。

    朝日:取引時間短縮で市場撹乱指摘 東証がおわびのコメント(2006/2/17)
     ライブドア事件発覚後の株取引急増で、東証は1月19日から、午後の取引を通常より30分遅い1時開始としている。一方、大阪証券取引所の日経平均先物の取引は午後は0時30分から始まる。
     この結果、午後0時30分〜1時の30分間は、東証の現物株取引は止まるが、先物は通常通り取引される。現物株と先物の価格は互いに影響しあうが、この30分間は事実上、先物価格が一方的に動くことになる。
     市場関係者によると、機関投資家が現物株の急激な価格変動でもうけようとして、先物に思惑的な注文を入れている可能性があり、東証には個人投資家から苦情が多く寄せられているという。

    「機関投資家が悪い」と言っているが、「市場関係者」というのは証券会社のことだろう。「市場撹乱の原因は何ですか?」と証券会社に電話で質問をして、「うちのヤクザ自己売買が悪さをしておりましてスイマセン」という二重マルの答えが返ってくるわけがあるまい。暴力団の広報部に、発砲事件や人身売買、麻薬密売の真相を訊いてどうするのか。

    市場の「30分差」によって何が起こりうるかの具体例だが、2月15日(水)には、前場で日経平均先物が16170円で終了していたものが、後場がいきなり250円安の15900円前後で始まっている。昼休みにこれだけのギャップは珍しい。

    これだけのギャップは、単なる先物の売り仕掛けでは説明できず、「お昼休みのバスケット売買」が絡んでいる。

    地球の裏からまじめな話〜頑張れ日本:「実録(?)自己売買部門」(2006/2/4)
     「お昼時間のバスケット動向は、売り300億、買い450億でやや買いが優勢のようです」的な記事をご覧になった方も居ると思うが、お昼時間であるから当然場は閉まっているわけで、これは自己が顧客から受注した額である。
     バスケットも大きく2つあって、1つはエージェンシーバスケットと言われて、要は顧客が勝手に注文としてくれるようなものと、もう1つはこのプリンシパル、つまり相手は「これこれを決めてくれ」と言ってきてそれに対して自己が行けると思えばその場で全部値段を決めて約定する、と言うものだ。当然受けたバスケットをある程度は自己ポジションの中で相殺させ、そしてあるものはその後の場中に処分に行ったりリスクヘッジをしにいく訳だ。
     また、ブラインドバスケットってのがあって、これは顧客は銘柄名をブラインド(隠して)にして、その各銘柄の基本データ(平均の出来高だのベータだのってな感じのデータ)のみを証券会社に渡し、「このブラインド全部で100銘柄、総額300億円、さて手数料ハウマッチ?」と聞かれ、自己は行けると思えば、「売りなら10BP、買いなら12BP」と返事をする。
     当然大手にはその銘柄解析システムがあるから、基本データを入れて銘柄を弾き出し、現状の自己のポジション状況を見ながら売りならナンボ、買いならナンボってな手数料を出すわけだ。これらの玉は当然いずれ場に出てくる。
     この顧客の受けてのブックは、いわゆる『決め商い』なんてのもやる。これは投資家が「ソニー10万買いたい」と昼休みに言ってきたりするのに対して、いくら、と値段を出すことを言う。これも大体はコンペで、顧客は当然一番値段の良い所と約定する訳だ。これは海外でも結構盛んであるね。

    少々話が専門的だが、市場が閉まっている間にもの凄い量の取引が「自己売買」をはさんで成立しているということ。上記のブログを書いている方はスイスで活躍するプロの投資家である。

    誰がどの証券会社に「バスケット注文」を出すかは自由競争だが、証券会社には「系列」があるので、特定の財閥から特定の注文を受ける証券会社が、この「バスケット」の中身を知った上で、前場に先物を買い上げたり、売りポジションを取ったりすることが可能である。

    2月15日の場合は、モルガンスタンレーが大量のプットオプションを建てているので、いきなりの250円ギャップは、モルガンスタンレーとその関連グループの仕業ではないかと、私は疑っている。
    posted by ヒロさん at 07:49 | Comment(15) | TrackBack(1) | 経済・ビジネス

    2006年02月20日

    逆空耳アワー:英語の「君が代」は今世紀最大のジョークだ!

    「君が代」をやめて「民が世」にしよう、というカルトチックな運動がある。最初の出だしを「たみが〜よ〜は〜」に変えれば、反天皇主義者にも受け入れられるということで、本多勝一先生も絶賛している。

    しかし、この程度では「キリスト教を信仰する子供たち」を守ることができないとして、金沢教会(石川県)の漆崎英之牧師が立ち上がった。彼の提唱する「代替歌」はこのようになっている。

    <替え歌>
    きみが〜こ〜は〜
    きよき〜おしろに
    たたれ〜ちちの〜
    いさおとな〜りて
    こえの〜み〜つ〜
    ま〜で〜
    (ネットソース:園丁日記(2005/5/4)

    口パクで歌っているように見せかけて、じつは「天の父」を賛美する隠れキリシタンの歌になっている。

    「たたれ〜ちちの〜」は、「清き天の宮代に立たれる父」のつもりだそうだが、「立たれ〜、乳の〜」とも読めるので、フェミナチ軍団からの攻撃は免れない。「祟れ〜、父の〜」とも読めるので、キリスト教の主流派からは「異端」の烙印を押されかねない。

    で、昨日TBで教えもらったのだが、君が代を歌いたくない子供たちのために、「君が代を英語で歌う」運動が地下にモグリながら、徐々に広がっているというのだ。こんな歌である。

    kiss me, girl, and your old one
     き み  が  あ よ  お  わ
    a tip you need, it is years till you're near this
     ち  よ  に い い や ち  よ  に
    sound of the dead "will she know
     さ   ざ   で   い し の
    she wants all to not really take
     し  わ  お と な り  て
    cold caves know moon is with whom mad and dead"
     こ   け  の  む  う す   う  ま あ で

    外国語の歌が日本語に聞こえてくる「空耳アワー現象」(例:めざせモスクワ)があるが、上記の歌は、日本語の歌が外国語に聞こえるという「逆バージョン」である。

    「君が代」に断固として反対する左巻きの家庭では、「学校で君が代を聞いても英語の歌だと思いなさい」という早期英語教育が進んでいるようだ。

    それにしても、上記の「英語の君が代」は何を言っているのかさっぱりわからない。メチャメチャな英語である。それもそのはず、この英語の歌詞には、秘密結社の暗号文が埋め込まれているからだ。

    「まつろわない言葉たち」を集めて
    子供たち、孫たち、生徒たち、そしてすべての愛する人たちに「国家は殺人を強いるものだ」と伝えるための歌です。戦争が無ければ愛する人たちと暮らせた日々を、アジアや沖縄の人々から奪ったことを忘れないためにも、歌い続けられるようにと願っています。<中略>

    訳:
    僕にキスしたら君のその古臭いジョークにも(サヨナラの)キスをしておやりよ
    君に必要な忠告をあげよう 死者たちのこの声が君に届くまで何年もかかったんだよ
    「国家ってのは本当に奪ってはならないものを欲しがるけど
    そのことに気がつく日が来るんだろうか?
    冷たい洞窟だって知ってるんだ
    (戦争で傷つき)気が狂ったり死んでしまった人たちを
    お月さまはいつも見てるってことを」

    註:古臭いジョーク (old one)
    たとえば「南京大虐殺は無かった」とか、「鉄道や学校の建設など植民地にも良いことをしてあげた」とか、「従軍慰安婦は商行為」などの嘘八百。


    (15)「Kiss me」からのリードイン・スピークアウト
         板垣竜太(大学院生、現在韓国在住)

     私の知る限り、もともとこの替え歌は、いわゆる「思いやり予算」違憲訴訟・東京原告の一人である高校教師との会話から生まれたとのことです。できあがった替え歌は、「女性国際戦犯法廷」という、日本軍によるいわゆる「慰安婦」問題をはじめとする戦時性暴力を裁くための女性による国際的な民間法廷を今年末に準備しているVAWW-NET Japanのメーリングリストに投稿されました。替え歌自体は鈴木さんの創意から生まれたものであるにしても、その背景にはそうした場との積極的な関わりがあったということは記憶にとどめておく必要があると思います。そこからさまざまなメーリングリストに転載されたり、ネットワークを通じて配布されたりと、今この瞬間にもあちこちにひろまりつつあるようです。

     私も最初この替え歌を見て、あまりに見事にできているので驚きました。<中略>「オオヤケ」という言葉はもともとは、「大きな家」などと書いて、天皇家を意味していました。そういう意味では、「君が代」とは文字通りオオヤケの場で天皇を賛美する歌だったわけです。それがこの鈴木さんの替え歌によって、完全に逆転されます。オオヤケの儀式で発声される「コッカセーショー」というかけ声を、「国家殺生」すなわち「国家とは殺人を強いるものだ」と聞きまちがえ、また「君が代」を「Kiss Me」と聞きまちがえることによって、オオヤケの儀式を追悼の場に変えてしまう。そうなれば大声で歌えば歌うほど、「Kiss me」はオオヤケを揺るがすものとなる。禁止されるべきものとなる。鈴木さんご自身のことばを使わせてもらえば、まさに君が代それ自体が「今世紀最大のジョーク」となるのです。

    エラク盛り上がっているではありませんか!「女性国際戦犯法廷」を出発点にして、いずれは「NHK」を乗っ取り、葬送曲として毎晩流すつもりだったのかもしれない。忌野清四郎か、ソウルフラワーユニオンに歌ってもらえば、紅白歌合戦へのランクインも夢ではない。

    しかしながら、英語の歌詞に難点があるので、ヒロさんが手を加えることにした。小学校で英語が必修になることを考え合わせると、校庭でみんなが歌える「英語のなわとび歌」にして、「NHKみんなの歌」でヒットさせるのがいいかもしれない。英語圏のなわとび歌では「chewing gum」がよく出てくるので、私も「ガム」からスタートである。

    Give me gum and you are one
    Chew your knee, yea, chew your knee
    thousand days, yea, she knows
    You are older, no return
    Volcano, Monsoon, Mother

    訳:
    ガムをくれ、ほんで、あんたら一緒。
    膝でもかんでろ、そう、膝かんでりゃいいのさ!
    千日行だよ、そう、女神さんもご存知だよ。
    あんたらますます古い、もう手遅れだね。
    (日本いいとこ)火山、季節風、母なる大地。

    上の英語の歌詞は、君が代のメロディにあわせて、正しい英語の発音で歌うこと。

    これは「アマテラス」の御言葉で、うだうだガム食ってぐじゃぐじゃ言っている君達、ガムはもうやめろ、自分のスネでもかじって、千日行でもやってろ!あんたらの頭はもう古いの、手遅れだよ、「point of no return」は過ぎたんだよ、このノータリンめが。

    ほんで、最後の1行の「火山、季節風、母なる大地」は全然意味がわからない、というセンスのない人も多いと思うが、いいのである。なわとび歌は、語呂合わせだけで、意味がわからない歌詞がたくさんあるのだ。しかしあえて「意味」を求めたい人は、「Volcano, Monsoon, Murder」で歌うとよい。

    あんたがたは、すぐ「火山」みたいに癇癪・火病を起こしやがってよ〜、毎年「季節風」よろしく、入学式や卒業式でおんなじことばっかりやっとっとよ。いままで校長や教頭を何十人殺すたんだ〜、この「人殺し」のたわけ!


    ■追加:最後の1行は「Volcano, Monsoon, Maiden(乙女)」のほうがいいかも。アマテラスとヒミコの国、ということで。それから「You are older, no return」は「年老いて、実り(return)なし」と解釈するのもよし。
    posted by ヒロさん at 06:16 | Comment(20) | TrackBack(4) | 言語学&コトバ遊び

    2006年02月18日

    小中学校の「性教育」と「ジェンダーフリー教育」の争点

    小中学での性教育とジェンダーフリー教育について議論が活発になっている。論点と私見をまとめてみたい。

    ■推進派の言い分
    1)性犯罪の防止・・・・好奇心と欲求への対処
    2)予防医学・・・・性病、妊娠、避妊の理解
    3)個性の尊重・・・・男女の「色分け」は多様性をつぶす
    4)非「差別」教育・・・・身障者、同性愛への理解
    5)精神衛生、おおらかな性・・・・自慰、性交は「恥ずかしいもの」にあらず

    ■反対派の言い分
    1)性非行の助長・・・・導入早い、内容露骨、寝た子を起こす
    2)歯止めなき「混合名簿」・・・・出欠簿に始まり、同室宿泊まで
    3)男女別という豊かさの軽視・・・・性教育、体育は分けたほうが効果的
    4)伝統文化の破壊・・・・ひなまつり、服装コード、言葉づかい
    5)反「男社会」への執心・・・・権力と男社会に「復讐」する女教師群

    推進派と反対派の言い分を5つずつ挙げてみたが、どうでしょ?他にこんな大事な点が抜けている、と思われる方はコメントへどうぞ。

    以下、上記の分類はあまり気にせずに、私の脳内整理ノートである。

    「性犯罪」は男子が加害者のケースが圧倒的だが、思春期前の「男の子が女児にいたずらする」行為は、外性器の図解や性のしくみを解説することで軽減できるらしい。特に知的で好奇心旺盛な男の子の場合がそうなのだが、「隠されているものは見たい」という欲求が強い。見てしまえば「な〜んだ、そうなっているのか」とある程度安心する効果はある。私が小学6年のときも、女子トイレには「大」「小」の区別がないので、おしっこもお尻の穴から出ると信じている男の子がいて、かなり悩んでいた。

    性教育は結構だが、いくらなんでも小学3年生にこれは早過ぎないか、という意見もある。一番いい性教育は、家庭に年の近い「異性」の兄弟姉妹がいることだが、最近は1人っ子が多く、これもままならない。

    ヌード写真をじっと見る小学生の息子に悩んでいます
    先日、小4の息子が、父親が買ってきたらしい週刊誌の女性のヌード写真を、しげしげと見つめている光景に出会いました。高校生くらいになると、そういうこともあるのかなと思っていたのですが、こんなに早くから女性の裸に興味をもつものなのでしょうか。男の子たちの性への関心は、どのようになっているのでしょうか。
    33歳 母親

    こんなことを不思議がっている母親もいるので、子供の性教育の前に、大人の性教育も必要かもしれない。男の子の「ヌード写真」遍歴は、早くは小3ぐらいから始まって、線路はつづくよ、どこまでも、なのである。中学・高校になると、過激なビデオやDVDを学校でこっそり交換しているかもしれない。インターネットをつなげば、おぉぉ〜という「豊饒の海」が広がっている。

    いかに過激な「性教育教材」があろうとも、学校の「保健教科書」や「副教材」で満足する男の子はいない。学校で「美しいヌード写真」を配布したり、「健全なビデオ」「スパムのない健全なエロサイトのアドレス集」を配ってくれるなら、話は別だが。エロをネタに金を騙し取るサービスは、古来より尽きることがないので、これに騙されないための「エロ・リテラシー」や「消費者の知恵」も、どうせなら教育したほうがよい。(政治家と外交官の「性教育」も絶対必要だ、と思わない?)

    私が小学生のときは、女子だけを集めての「性教育」はあったが、男子版はなかったようだ。(いまはあるの?) 男女が一緒に学ぶ「性教育」よりも、男女別のほうが突っ込んだ意見交換ができること、まちがいなし。女子の初潮・生理の問題は、女の先生のもとで女子だけでやればよいし、男子の朝立ち・射精の問題は、男の先生のもとで男子だけで派手に盛り上がればよろしい。

    最近「男女混合名簿は性犯罪・性非行の温床だ」という意見を目にして、最初は何を極端なことを言っている、というのが第一印象だった。イギリスのわが子の学校も「男女混合」だが、これをもって「性犯罪・性非行の温床」という人は皆無である。

    「男女混合名簿」の第1歩は、「出席を取る順番」を男女混合の五十音順にするわけだが、場合によっては、雨具やロッカー、靴箱の配置もこれに順ずることになる。さらに集会の整列も混合となり、体育の授業も、着替えも、身体検査も、運動会の騎馬戦も、と発展し、修学旅行の同室宿泊もあるとか、ないとか。

    「混合名簿」が「混合配置」になり、「混合整列」や「混合体育」に発展し、「混合性教育」や「混合着替え」にエスカレートするわけである。

    この良し悪しは学年にもよる。幼稚園や保育園では「混合トイレ」はあるだろうが、さすがに小学校では聞かない。小学校で雨具掛け、ロッカー、靴箱が混合になることを心配する人もいるが、そもそもクラスの座席配置も男女混合をやめよ、という意見だろうか。

    着替えは、小学5〜6年になると少々微妙である。私の小学校では6年生になっても同室だった。特に夏のプールの時間で水着に着替えるときは、女の子は一生懸命に「隠し技」を披露するが、これを見破ろうと、いじわるな視線をじ〜っと送る男の子は必ずいるものである。

    二十歳をすぎてから聞いてビックリしたことだが、私の友人が育った地域では、体育のある日は、女子は自宅からブルマー穿いていくのが「常識」だったという。水泳のある日は自宅から水着を着ていくという。そんな「窮屈」な話は、私の育った地域では信じられません・・・。

    地域差は意外に大きい。私は田舎ものなので、東京に出てくるまで「コンドーム」を見たことがない。渋谷界隈で遊んでいる中学生を見ていると「目覚めないわけがない」と思ってしまう。実際、首都圏育ちの女友達は、初体験が15才とか、18才とか言っていた。これを聞いたときは、ぶったまげたが、彼女たちからすると、私は「化石のような人」だという。

    私のような「化石」はこの30年間で、ぐんぐんと減少中である。(財)日本性教育協会の「青少年の性行動調査」によると、高校生の性交経験者の比率は以下のように推移している。

  • 1974年・・・・男10.2%、女5.5%
  • 1981年・・・・男7.9%、女8.8%
  • 1987年・・・・男11.5%、女8.7%
  • 1993年・・・・男14.4%、女15.7%
  • 1999年・・・・男26.5%、女23.7%

    で、大学生になるとこんな具合である。

  • 1974年・・・・男23.1%、女11.0%
  • 1981年・・・・男32.6%、女18.5%
  • 1987年・・・・男46.5%、女26.1%
  • 1993年・・・・男57.3%、女43.4%
  • 1999年・・・・男62.5%、女50.5%

    このような現状の中で、予防医学や避妊&中絶の問題、「傷つかない、傷つけない」異性関係を考えていく必要がある。

    斎藤美奈子の『妊娠小説』(ちくま文庫)という本があるが、「望まれない妊娠」を描写した小説を分析したものだ。「妊娠小説」群には、妊娠の結果悲劇を迎えるものが大半だったが、最近はあっけらかんとしたものある。「性交」を肯定し、「避妊の知識」を深め、男女が豊かに生きていく「ビルドゥングス・ロマン(成長型青春小説)」はないものであろうか。
  • posted by ヒロさん at 08:29 | Comment(19) | TrackBack(2) | 教育問題
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