2006年09月29日

スペインの「311テロ」と、赤道ギニアの石油利権クーデター

2004年3月11日に起こったスペインの列車テロ事件は「311テロ」と呼ばれている。この「311テロ」はアメリカ・イギリス・スペイン諜報部による共同作戦であった疑いが濃厚だが、それを裏付けるかのような、もう1つ共同作戦がある。2004年3月7日の赤道ギニア・クーデター未遂事件である。

赤道ギニアは、文字通り赤道上にある西アフリカの小国で、旧宗主国はスペインである。1979年のクーデター以来、オビアン大統領が長期政権の座についている。

赤道ギニア共和国(Republic of Equatorial Guinea)
言語・・・・スペイン語(公用語)、仏語(第2公用語)、ブビ語、ファン語
宗教・・・・キリスト教(99%)、伝統宗教
1968.10・・・・スペインから独立
1972.7・・・・マシアス・ンゲマ終身大統領就任
1979.8・・・・オビアン・ンゲマ政権成立(クーデター)
1989.6・・・・オビアン・ンゲマ大統領再選
1996.2・・・・オビアン・ンゲマ大統領3選
2002.12・・・・オビアン・ンゲマ大統領4選

311テロの4日前に、この赤道ギニアでクーデター未遂事件が起こったが、クーデターの「主犯」として逮捕されたのは、「鉄の女・サッチャー」の息子、マーク・サッチャーだった。

JANJAN:「サッチャーの倅とアフリカ産油国転覆計画」(2004/11/01)
今年3月、南アフリカ共和国から傭兵64人を乗せた飛行機がジンバブエ・ハラレ空港に着陸、待機していた。元SAS(英陸軍特殊部隊)のエリートで現在は傭兵会社を営むサイモン・マン氏が、ジンバブエで購入した大量の兵器を積み込むためだった。
ところが、ジンバブエ警察が飛行機を急襲した。傭兵たちは武器を携え赤道ギニア共和国にクーデターに向かうことになっていたのだ。ジンバブエ政府は赤道ギニア共和国から情報が入っていた。クーデターの先遣隊として赤道ギニアに入っていた南アフリカの元兵士ニック・ドゥティ氏と同氏が率いる傭兵15人が、同国で逮捕されていたからだ。
 囚われの身となったトゥディ氏は、赤道ギニアの法廷で「サッチャー氏と繰り返し(クーデター計画を)打ち合わせた」と証言した(させられた)。
 サイモン・マン氏からドゥティ氏に200万ドルが振り込まれていたことも明らかになっている。マン氏とサッチャー氏は懇意だ。
 これらを受けて南アフリカ共和国警察は「対外軍事支援規正法違反」の疑いで8月、サッチャー氏をケープタウンの自宅で逮捕した。同氏は30万ドルを積んで保釈され、現在は自宅軟禁の身だ。

簡単にまとめると、
  • 南アフリカから64人の傭兵を乗せた輸送機がジンバブエに向かった。
  • ジンバブエで武器を積み込み、赤道ギニアでオビアン政権を転覆させる計画だった。
  • 輸送機のお膳立てをしたのは、南アフリカ在住のマーク・サッチャーであった。
  • 実行部隊は、元SAS(英陸軍特殊部隊)が率いる傭兵会社であった。
という話である。マーク・サッチャーは、2004年8月25日に南アフリカで逮捕されている。

南アフリカには「対外軍事支援規正法」があり、他国への武器援助・傭兵派遣などに関与した場合は、とても厳しい罰則がある。マーク・サッチャーは、当初懲役15年を言い渡されたが、クーデター関与を認めることで減刑するという「司法取引」があったようで、最終的に50万ドルの保釈金を払い、執行猶予4年となっている。

その後のマーク・サッチャーは、アメリカやモナコへの移住を試みたがビザの発給を拒否され、米テキサス州在住の妻とは離婚し、現在は新しいガールフレンドと一緒にスペインに住んでいるという。と、ここまでは、女性週刊誌にも載りそうな、誉れ高い男爵エリートの転落物語である。が、本題はこれからだ。

実のところ、このクーデター計画は、アメリカ・イギリス・スペイン3国が画策した「共同作戦」であり、マーク・サッチャーは石油財閥の「コマ」に過ぎないのだ。この共同作戦では、

1) 米Dodson Aviation社の子会社が輸送機を提供し、
2) イギリスの「石油ネットワーク」が資金を提供し、
3) スペインに亡命中の野党党首モト(Moto)を傀儡に据える、

という計画になっていた。亡命中のモトは、マーク・サッチャーのビジネスパートナーに導かれ、クーデターの前日に自家用ボーイング727機でスペインのカナリア諸島へ向かい、当日はマリの首都バマコで待機している。

赤道ギニアの現政権を倒し、スペイン亡命中のモトを傀儡に据えた場合、アメリカ・イギリス・スペインにとって、どのような利害関係が生じるのだろうか。

赤道ギニアは、サハラ砂漠以南では、アフリカで第3の規模を誇る産油国である。赤道ギニアで石油利権を握るのは以下の3社である。
  • エクソン・モービル(Exxon Mobil)・・・・米ロックフェラー財閥の石油企業
  • アメラダ・ヘス(Amerada Hess)・・・・アメリカ生まれのユダヤ人石油王、Leon Hessの会社
  • トタール(Total)・・・・フランスの石油企業
これに対して、スペインの石油会社レプソル(Repsol)も参入を試みているが、おこぼれを頂戴する程度である。スペインのアスナール政権(当時)は、亡命中のモトとは懇意の関係である。アスナール政権としては、モトを使って赤道ギニアにレプソル社の基盤を築きたいという思惑がある。

さらに、アメリカのマラソン・オイル(Marathon Oil)が天然ガス油田の開発で、赤道ギニアに10億〜30億ドルの投資を計画していた。この投資額は、天然ガス投資としては史上最大である。このマラソン・オイルはモルガン財閥が所有するUSX社(旧United State Steel)の子会社である。

アメラダ・ヘスも天然ガスパイプラインを得意としている。1993年に北海の天然ガスパイプラインをイギリスに引いたのもアメラダ・ヘスである。

つまり、赤道ギニアのクーデター事件は、アメリカ・イギリス・スペインの石油財閥の後押しによって、3国の諜報機関が動いた事件ということだ。最終的な狙いは、

1)フランス資本のトタールを締め出し、
2)その代りとしてスペイン資本のレプソルを引き込み、
3)アメリカ資本のエクソン、マラソン、アメラダでめでたく独占する、

ことにあったようだ。

さらに驚くことに、この事件では、NATOの正規軍も「クーデター」に援軍を送っていた疑惑が発覚している。

France Checkmated NATO (The Oil Dispute in Equatorial Guinea) (2004/8/31)
At the moment in which the plan entered its final stage and mercenaries were ready to act, two Spanish warships suddenly set sail from a NATO base in Rota, with 500 elite soldiers on board. It seemed that only they knew what their destiny was and Spain had not sent any warship to Equatorial Guinea since the independence of this African country in 1968. The direction of the two ships was controlled by the Commander in Chief of the Command of the American forces in Europe and NATO Supreme commander, General James L. Jones.
【要約】計画の最終段階で、スペイン軍艦2隻が500人の兵士を乗せて、NATOのロタ基地から出航した。スペインが赤道ギニアに軍艦を送るのは、赤道ギニアが独立した1968年以来はじめてのこと。この作戦の司令官は、欧州米軍司令官とNATO最高司令官と兼ねるジョーンズ将軍だった。

Information leaks, probably coming from South Africa, got the Spanish press and Aznar government order the convoy to stop at the Canaries. Through his Minister of Foreign Relations, Ana Palacio, the very same government -that never said anything publicly about the expedition- said that “it was not a war mission but a cooperation” to deliver military stuff to help Obiang in the border conflict between his country and neighboring Gabon. Aznar’s government spokesman added the decision was canceled “due to a misinterpretation caused by the press” and that it was wise to postpone it after scheduled elections for April in Equatorial Guinea [8]. This NATO involvement left no doubts on the U.S. participation on Thatcher, Mann and his partners’ projects.
【要約】南アフリカからのリークが原因で、アスナール政権はこの軍艦2隻をカナリア諸島でストップさせた。パラシオ外相は「ガボンとの国境紛争でオビアン政権に援軍を送るためのもの」といい、政府スポークスマンは「マスコミが誤解を広げたため中止した」と語った。NATOまで絡んでいたということは、マーク・サッチャーやマン(傭兵部隊のチーフ)の計画にアメリカが参加していたことは疑いもない。

南アフリカでリーク情報を流したのも、傭兵64人を乗せた輸送機の存在をジンバブエ政府と赤道ギニア政府に伝えたのも、フランスの諜報部の手柄とされている。アメリカ資本の大陰謀から、フランス資本トタール社の利権を守り抜いたことになる。

これは私の推理だが、この赤道ギニア・クーデター計画(3月7日)は、スペイン列車テロ(3月11日)と日程を合わせたものとみる。311テロで大騒ぎになり、アルカイダの犯行というデマをばら撒く中で、アフリカの小国で起こった「石油独占クーデター」から世界中の目をそらすことができるわけである。

Spain: Madrid Commission confirms conspiracy of lies used to justify Iraq War (2004/12/29)
The evidence emerged when current Prime Minister Jose' Luis Rodri'guez Zapatero testified at the Spanish Congressional Commission of Inquiry into the Madrid bombings. Zapatero confirmed allegations first published in the Spanish daily El Pais on December 13 that the former Popular Party (PP) government led by Jose' Mari'a Aznar ordered the destruction of computer records dealing with the key period between the Madrid train bombings and the general election held three days later that it lost to Zapatero’s Socialist Workers Party (PSOE). El Pais reported that a specialist computer company was paid $12,000 to erase the computer records, including back-up security copies.
【要約】スペインのサパテロ首相は、マドリード列車テロと3日後の総選挙の期間において、政府関連のコンピュータファイルはすべて破壊された、と議会委員会で証言した。エル・パイス誌は、バックアップファイルを含むすべてファイル削除にあたり、ある企業に1万2千ドルが支払われたと伝えた。

2004年のスペインでは、311テロの3日後に総選挙があり、アスナール政権の政党は惨敗し、現在のサパテロ政権が生まれた。選挙直前のドサクサに紛れて、政府関連のデータベースが全部削除されたという事件である。311テロの謀略を示す証拠をすべて抹消しようとしたのだろうか。

◆毎日:「CIA機:スペイン外相、存在認める」(2006/9/15)(ネットソース)
【ブリュッセル福原直樹】スペインのモラティノス外相は14日、米中央情報局(CIA)のテロ容疑者不当拘束疑惑を調べている欧州議会で「CIAが不当拘束に使用したとされる飛行機がスペインの空港に66回着陸した」と証言した。欧州連合(EU)加盟国の閣僚クラスが同議会でCIA機の存在を認めたのは初めて。ブッシュ米大統領は今月6日に秘密収容所の存在を認めており、外相の指摘するCIA機が秘密施設の間を結んでいた可能性がある。
 外相証言によると、スペインの照会に米国は離着陸を認めたが、「(スペイン着陸時は)テロ容疑者を運んでいなかった」と説明したという。だが、外相によると、飛行機の一部は秘密収容所の存在が指摘される東欧や、収容所のある米軍グアンタナモ基地(キューバ)を経由したという。外相は「スペイン経由のCIA機が過去に(不当拘束という)犯罪を行った可能性がある」としている。
 米国のテロ容疑者不当拘束疑惑では01年の同時多発テロ事件以降、CIAがテロ容疑者を法手続きを無視して拘束し、第三国や米国の収容所に移送したとされる。欧州議会は01〜05年にCIA機が欧州に1000回飛来したと指摘している。(毎日新聞 2006/09/15)

アメリカの諜報部にとって、スペインはやりたい放題のおいしい拠点になっているようだ。アメリカの諜報部というよりも、アメリカに巣食う「軍事・石油・金融・マスコミ財閥」の諜報部といった方がいいのかもしれないが・・・。

posted by ヒロさん at 09:52 | Comment(9) | TrackBack(1) | 国際政治/謀略

2006年09月25日

初恋のリンゴ摘みで、心が洗われるとき

寝床に就いて目を閉じると、ただ思い浮かぶのはリンゴ、リンゴ、リンゴ。

イギリス南部は、リンゴ摘みの季節である。近所の有機農園でリンゴ摘みの助っ人を募集していたので、手伝うことにした。時給は法定最低賃金の5.05ポンド(=約1100円)である。

1100円は悪くないと思う人がいるかもしれないが、為替レートは、この数年で1ポンド=160円→230円に大きく振れて「ポンド高」になっている。「ポンド高」だけではなく「ユーロ高」でもあるわけで、知り合いのお金持ちは、2年前に円資産のほとんどユーロに変えて、ホクホクと利ざやを楽しんでいる。(羨ましい!)

大学に隣接する農園なので、助っ人軍団には知り合いも多いが、見慣れない人たちに声をかけてみると、1人はポーランド人で、もう1人はトルコ人だった。

2004年5月に新たに欧州連合(EU)に加盟したのは、ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロヴァキア、スロベニア、エストニア、ラトビア、リトアニア、南キプロス、マルタの計10ヵ国だが、ポーランドからの出稼ぎ労働者がダントツで多い。

この2年間でポーランド人のイギリスへの流入は、60万人〜100万人といわれている。7月に隣町でレンタカーを借りたが、そのときの受付もポーランド人だった。この9月から、私の住む田舎の村にも、お掃除や老人ホームの仕事を求めて、ポーランド人が出現している。

2007年1月にはルーマニアとブルガリアも加盟し、その後トルコも加盟を希望している。今後、外国人労働者がさらに殺到することを心配する向きもある。低賃金の仕事はことごとく外国人に奪われており、老人ホームのケアワーカーは、ほとんどすべて外国人になりつつある。

日本人は「お掃除がきめ細かい」として定評が高く、イギリス南部の田舎でも、日本人学生はその方面でアルバイトを続けているようではあるが・・・。

さて、リンゴ摘みの話に戻るが、晴れた日に1日中リンゴを摘んでいると、心が洗われる気分になる。テロ、クーデター、政治の話から解放され、インターネットから足を洗うことができる。ふと、リンゴ摘みをしながら、思い浮かんだのは、島崎藤村の詩文『初恋』だった。

まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり

リンゴにもいろいろな「人生」があって、日陰で色がつかないもの、虫に実(身)を捧げたもの、枝に挟まれて変形したもの、手が届かないほどに天高く実ったもの、といろいろである。聖書にあるように、「地に落ちた麦」にもいろいろな運命があるが、リンゴの運命もさまざまである。

今週摘み取ったものは、直径85cm以上の大型のリンゴだが、大きすぎるリンゴは市場には出せないので、今から冷蔵保存して、1〜2月頃に農場の店頭で販売することになる。お値段は日本のスーパーと比べて半額以下なので、リンゴ好きのわが家としては、このリンゴのお得意さんとなっている。この冬は、自分の摘んだリンゴで食卓が賑わうことになるかもしれない。

リンゴ摘みは優雅な仕事でもあるが、トローリー(箱のないリヤカーみたいなもの)を曳きながら、傾斜道を延々と登らなければいけないのが難点である。坂の頂上で一辺が120cmぐらいの大型の木箱を積み、坂を下りながら、この箱にリンゴを入れていく。

私が「リンゴを取っていると心が洗われる」と説明すると、農場の青年経営者は「じゃあ、来年からは『リンゴ療法』と銘打って、ボランティアで助っ人を頼もうかな」と悪ノリしている。摘むだけならいいが、200mの坂道をトローリーで登らされるわけなので、ボランティアでは願い下げである。
posted by ヒロさん at 04:24 | Comment(12) | TrackBack(1) | イギリス見聞録

2006年09月20日

海軍ジャーナリストが暴く、ペンタゴン《9:32》のトリック

アメリカにおける「911テロ政府関与説」は、もはや後戻りのできない1つの臨界点を突破したかのようだ。9月8日のワシントンポスト紙の記事も、肯定派と否定派の論拠を詳しく報じ始めている。(該当記事:Washington Post:「9/11 conspiracy theories multiply」(2006/9/8)

真相究明派(陰謀論者)は「LIHOP」と「MIHOP」の2つに分かれるという。

  • LIHOP(ライホップ)・・・・Let It Happen On Purpose
  • MIHOP(マイホップ)・・・・Made It Happen On Purpose

    政府はテロ計画をすべて知っていて、それをホイホイとやらせたんだろ!と主張するのが「ライホップ」さん。計画・立案・実行まで全部仕組んだんだろう!というのが「マイホップ」さんだ。

    ネット上の映像だけで論陣を張ろうとする「マイホップ」さんは、まちがいも多い。「墜落現場には遺体が1つもない」「機体の残骸がまったくない」と主張する人たちや、「犯人は生きている」と自信満々に語る妄想家たちは、ワシントンポスト紙の中でも、嘲りと哀れみの対象になっている。

    しかしながら、発表文書・メディア報道を緻密に考証している「ライホップ」さんがたくさんおり、時として危うい「マイホップ」さんたちをしっかり援護している。「ライホップ」から始めて「マイホップ」に転じた論客たちの考察は、とても説得力がある。そんな転向組の1人が軍事ジャーナリストのバーバラ・ホネガー(Barbara Honegger)だ。

    彼女は、2006年9月6日出版の『Terror Conspirasy』(by Jim Marrs)の巻末補足として『Pentagon Attack Papers -- Seven Hours in September: The Clock that Brock the Lie』を寄稿している。(ネットソース:http://blog.lege.net/content/Seven_Hours_in_September.pdf

    彼女の考察は、ペンタゴン内部の犯罪者たちを直撃する文字通りの爆弾発言になっている。以下、彼女の論文の一部を抜粋してまとめてみたい。


    ■■爆発は「9:37」ではなく「9:32」

    ペンタゴンへの激突は、当初「9:43」と報道されていた。中には「9:48」という報道もあった。ところが、この5年の間に次第に繰り上がり、現時点では「9:37」ということになっている。ところが、ペンタゴン内での「最初の爆発」は「9:32」である。激突付近の西ウィングならびヘリポートなどの複数の時計が、「9:32」で止まっているからだ。(正確には、「9時31分」と「9時32分30秒」の間)

    時計だけではなく証言もある。陸軍の機密クリアランスを担当するApril Gallopは、西ウィングにいた。彼女は「爆弾の音」を聞いたが、現場には飛行機の残骸も、ジェット燃料の臭いもなかった。彼女の腕時計は「9時30分過ぎ」で止まっていた。彼女はいまでもその時計を保管している。

    のちにデンマーク外相となるPer Stig Mollerは、テロ当時、近くのビルにいた。彼は爆発音を聞き、ペンタゴンから煙が上がっているを見た。時計を見ると「9:32」だった。

    2002年8月27日、ゴンザレス大統領顧問(現司法長官)は米国海軍大学院(Naval Postgraduate School)で講演を行い、「ペンタゴンは9:32に攻撃された」と語った。

    連邦航空局(FAA)のタイムライン文書「Executive Summary - Chronology of a Multiple Hijacking Crisis - September 11, 2001」にも、「0932:航空機がペンタゴンの西ウィングに衝突」と記録されている。

    つまり、爆発の原因が何であれ、最初の爆発は「9:32」であることは動かしがたい事実である。にもかかわらず、911調査委員会リポートは、アメリカン77の衝突時刻を「9:37」にしている。この5分間の差に重大な事実が隠されている。


    ■■飛行物体が衝突する以前の爆発

    陸軍フォートモンマウス基地所属の監査官は、西ウィングと南ウィングの境界付近にある仮オフィスに戻った直後に、爆発音を聞き、建物が揺れるのを感じた。何百人もの人が「爆弾だ!」と叫びながら、パニック状態になって廊下を走っていた。この証人の名前はここでは明かさないが、彼は大陪審または(新たな)独立調査委員会で証言すると言っている。

    この監査官とその同僚2人は、9月11日の7時30分頃、ペンタゴンの地下鉄駅で数多くの爆弾探知犬(bomb-sniffing dog)チームが動き回っているのを目撃してる。地下鉄で爆弾探知犬を見かけたのは、その日だけだったという。「K−9」と呼ばれるこのチームは、航空機を探すためのものではないので、911当日の爆弾攻撃がすでに予想されていた、と推理できる。

    西ウィングの生存者たちは、爆発によって、窓はまず「内から外」に壊れ、その後、内側に壊れたといっている。複数の証人が、最初の爆発のあとに「コルダイト(無煙火薬)」の臭いを嗅いでいる。ペンタゴン内で先に爆弾を炸裂させておけば、その後、同じ場所に熱探知ミサイルを誘導することは容易である。

    特殊作戦担当のロバート・アンドルー(Robert Andrew)国防次官補とその側近たちは、世界貿易センターに2機目が衝突した(9:03)ことを知って、地下にあるテロリズム対策センター(CTC)に走り、9:10頃に到着した。しばらくして、大振動とともに天井が崩れ落ち、煙が入り込んできた。アンドルーが時計を見ると「9:35」だった。彼の時計はいつも少し進めてあるので、実際の時間は「9:32」頃に近い。

    アンドルーたちは、ラムズフェルド国防長官のいるExecutive Support Center(ESC)を目指した。西ウィングの廊下から中庭に抜ける際に「死体の上を歩かなければならなかった」という。この「死体の上を歩いた廊下」とは、一番内側のAリングの廊下である。飛行物体が衝突してできた穴はEリングから入り、Dを通過し、Cに小さな穴を開けて止まっているはずなのだが。


    ■■「270度の急旋回」の正体

    911テロについて空軍がまとめた『Air War Over America』によれば、北米防空司令部(NORAD)はすでに遅きに失したとはいえ、戦闘機にスクランブル発進を命令している。ダラス空港管制塔レーダーが捕えた、高速で270度の急旋回をする飛行物体は、スクランブル発進の戦闘機の可能性が濃厚である。レーダーは150メートル以下の低空飛行を捕えないため、レーダーから消えた飛行物体がどこに行ったのかわからない。

    ペンタゴンが衝突時間を「9:37」にしたい理由は、このレーダーに写った飛行物体を「アメリカン77」であることにしたいからだ。「9:37」頃に到着した戦闘機には、すでにペンタゴンの爆発炎上のさまが見えていたに違いない。

    911テロの当日に行われていた大規模軍事演習の1つは「Vigilant Guardian」作戦であった。何と時代遅れにも、ソ連(ロシア)空軍がが北極圏ごしに攻撃してくるという想定である。これとまったく同じパターンの作戦が、1961年10月14日の「Sky Shield U」作戦でも行われていた。1800機のアメリカ空軍機と15機のカナダ空軍機が動員する大演習である。

    1961年の作戦では、事前の発表によって、民間航空機の飛行がいっさい禁止された。また、ソ連機を想定したジェット機を実際に飛ばして、迎撃訓練が行われた。レーダー画面の識別記号では、味方機はF(Friendly)と表示される。敵機はH(Hostile)になる。どちらか不明の場合はP(Pending)だ。演習では本物の敵と区別するために、K(faKer)が使用された。

    911当日の「Vigilant Guardian」でも、飛行するすべての航空機には当然、F、H、P、Kという記号がつけられていたはずである。ペンタゴン周辺には地対空ミサイルが据えつけてあるにもかかわらず、飛行物体に対して作動しなかった理由は、飛行物体が「F(Friendly)」の標識をつけた空軍機であったからではないか。


    ■■狙われた場所はどこか

    ペンタゴンで破壊されたのは2つの部署だ。1つは陸軍人事局につながる「陸軍財務管理・監査局(Army financial management/audit)」で、もう1つは「海軍司令センター(Naval Command Center)」だ。

    911テロの直前の9月10日に、ラムズフェルド国防長官は記者会見し、過去に遡って「2兆3千億ドル」の予算が使途不明になっており、調査が必要である、と発表している。「陸軍財務管理・監査局」はこの使途不明金の問題を調べていたのだろうか? 興味深いことに、当時のペンタゴンの財務最高責任者であるドブ・ザカイム(Dov Zakheim)は、航空機のリモートコントロール技術を扱う会社(System Planning Corp.)を経営していた。

    ■■■■■■十■■■■■■  

    以上が、PDFファイルで12ページにわたる彼女の論文の中から、3割程度をまとめてみたものだ。この論文には、「海軍司令センター」が狙われた理由については書かれていない。

    これは私の想像だが、ペンタゴン内部で「独裁」を目指すネオコングループにとって、国際協調派の海軍や厳しい監視の目を向ける陸軍財務管理・監査局は「うるさい存在」だったのではないか。

    ペンタゴンに封印された、「アメリカン77」の軍事技術者たちという記事でまとめた通り、激突場所の「ウェッジ1」の職員たちは、「ウェッジ2」からの引っ越し組である。引っ越しにあたって、「海軍司令部」と「陸軍財務管理・監査局」を抹殺するための計画はなかったのだろうか?

    これに加えて、「アメリカン77」には、航空機リモートコントロール技術に関連する軍事関係者や、元海軍関係者が数多く搭乗している。

    軍事ジャーナリストのバーバラ・ホネガーは、1人の市民として真相究明に尽力しているが、その出自は「米国海軍大学院」である。その彼女が、9月8日のワシントンポスト記事にも堂々と登場するようになってきた。ネオコンに「虐殺」された海軍司令部が、真相究明派を全面的にバックアップしながら、いよいよ巻き返しを開始した証ではなかろうか。


    ■参考1:ハイジャック4機のすべてに「爆発時刻」のトリックがある
    世界貿易センタービルでは、航空機が激突する直前に「地下で爆弾が炸裂」している。ペンタゴンに飛行物体が突入する直前に、建物内部で爆発がある。ユナイテッド93便がシャンクスヴィルに墜落する直前に、機内爆発あるいは撃墜がある。パターンは全部同じだ。

    ■参考2:「A-3 Sky Warrior 戦闘機」説は今のところグレー
    バーバラ・ホネガーは、「アメリカン77」を偽装してペンタゴンに激突したのは、リモートコントロールの「A-3 Sky Warrior」ではないかと疑っている。これは、人気ビデオ『Loose Change』や「真相究明の学者たち(Scholars for 911 Truth)」と同じく、現場のエンジン写真が「JT8D」であることを根拠にしている。しかしながら、1)写真が写した部品は、数多くのジェット機で使われており、2)FAA登録の現行の「A3-Sky Warrior」には「JT8D」を使ったものは1つもない、という。(参考:The JT8D & A3 Skywarrior Pentagon Theory

    ■参考3:NORADの大規模軍事演習とモハメド・アタ
    1961年の「Sky Shield U」作戦のときは、NORAD司令官はクーター(Kuter)空軍将軍だった。空軍の戦争ゲーム・シミュレーションセンターはアラバマ州のマックスウェル空軍基地にある。クーター将軍はかつてマックスウェル基地の司令官をしていたが、偶然なことに、911テロの主犯モハメド・アタもマックスウェル空軍基地の訓練学校に通っていた。
  • posted by ヒロさん at 01:30 | Comment(6) | TrackBack(0) | 911真相究明

    2006年09月17日

    WTC1、2、7の制御解体を示す「911 Mysteries」

    911テロの数々の謎をある程度理解したとしても、「アメリカ政府による内部犯行だ」と断定できる人は少ないであろう。

    日本で映画『ユナイテッド93』を見た人のほとんどは、「事実」として観賞したようだ。「すべてが事実ではないでしょうが・・・」「結局、飛行機の中で起こったことは誰にもわからない・・・」「陰謀説があるのは知っていますが・・・」と言いながら、「犯人=イスラム狂信者」と思い込んだとすれば、映画製作・配給側の目的は達成されたことになる。

    ユナイテッド93便は、空中で爆発した可能性が濃厚である。機内爆発か、ミサイル撃墜のどちらかということになる。ミサイル撃墜が仮にバレたところで、国民を騙していた罪は重いが、ホワイトハウスや連邦議会ビルに突入することを防いだ、やむを得ない措置だったとして許されることだろう。犠牲者は40人だ。

    ペンタゴン突入機の疑惑は山ほどある。しかし、現場の「写真検証」だけでは、そう簡単に納得できない。激突したのはボーイングではない、という説に夢中になると、「じゃあ、アメリカン77便はどこに行ったんだ?」「遺体検証もちゃんとあるじゃないか!」と反論されて、実りある議論が成立しない。

    当日の防空網が麻痺していた原因や、軍の最高指揮権はチェイニー副大統領が握っていたことなどを調べたほうがよい。あるいは、衝突前にペンタゴン内部で爆発あった疑惑や、海軍情報部がペンタゴンの「ウェッジ2」から衝突の「ウェッジ1」に移動させられたこと、アメリカン77便に海軍を含む多数の軍事関係者がいたことなども注目に値する。

    願わくは、リモートコントロールのアメリカン77便が、急旋回と超低空飛行を難なくこなし、ピンポイントの精度で改装中の「ウェッジ1」の1階と2階の間に突入したという解釈のほうがスッキリする。「ウェッジ1」は、航空機の突入を想定した強化改装が終了済みである。見かけ上の被害が小さくて、当然のことだ。ここでの犠牲者は189人である。

    撃墜疑惑の「ユナイテッド93」も、ペンタゴン突入の「アメリカン77」も枝葉末節である。前者は、テロリストと闘った勇気ある乗客という英雄譚をつむぎ出し、ブッシュ支持層のキリスト教右派を高揚させるために大いに役に立った。後者は、鉄壁の要塞ペンタゴンが攻撃されたことで、軍事関係者の危機感を煽り、「テロとの戦い」を後押しした。

    しかしながら、アメリカがアフガニスタンとイラクを攻撃する口実としては、ワールドトレード・センターへの激突と、恐怖の全壊崩落だけで、余りあるほどに十分である。1機目の激突の瞬間を見た人はほとんどいない。だが、2機目の衝突はテレビ映像を通じて、数億人の人たちの「視覚」に訴えた。そして、全壊崩落の映像は、2度にわたる「繰り返し効果」を発揮しながら、世界中の人たちを恐怖と戦慄に陥れた。約2800人の命を道連れにしながら・・・。

    あれだけの高層ビルを「制御解体」によって粉々にする段取りたるや、並大抵のことではない。多くの人は「爆砕」を1度は疑うが、「テロリストが、そこまでやるのは不可能」として一蹴してしまうのである。

    みな日々の生活や仕事で忙しい。軍事技術に詳しい作家にして、「9.11の直前にこんな与太記事を飛ばして良いのは東スポだけだ」と書き散らしている。底の浅い記事やTV番組しか見たことがないのだろう。

    そんな忙しい人たちに、30分だけ時間を割いて見てもらいたいビデオがある。トピックは、ワールドトレード・センターの崩落だけに絞ってあり、「与太話」は1つもない。911関連では、いままでに100本以上のビデオを見てきた私だが、その中で最高のビデオであることを保証する。



    これは90分ビデオ『911 Mysteris - Demolitions』の3分割の「2つ目」だ。オリジナルの映像・分析が満載である。興味を持たれた方は、「3つ目」と「1つ目」も以下のリンクからどうぞ。

    追加(2007/10/15):3分割版はリンク切れとなっているので、上記ビデオは9分割版の「6/9」に変更した。以下、見どころの多い「5/9」や「4/9」もご参考に。

  • 「911 Mysteries - Demolitions」 (5/9)
  • 「911 Mysteries - Demolitions」 (4/9)


    ■資料1:WTC7崩壊は、9月10日のCBC特集でも放映された
  • http://www.911podcasts.com/files/video/CBCSunday_20060910.wmv
  • posted by ヒロさん at 00:07 | Comment(10) | TrackBack(2) | 911真相究明

    2006年09月15日

    真実を求める遺族たちの「9/11 Press for Truth」

    あの日から5年。映画『United 93』と『World Trade Center』は、犠牲者の遺族に対する配慮がたりない、製作・公開がまだ早すぎると言う人もいる。

    一方で、胸が引き裂かれるような悲しみを乗り越え、どこまでも、どこまでも「真実」を追い求める遺族たちがいる。そんな遺族たちが綴る、1時間24分のドキュメンタリ映画『9/11 Press for Truth』。アメリカ政府の欺瞞が暴かれ、彼らの叫びが天に届くことを祈りつつ、この「真相究明映画」をともに分かち合いたい。


    ★この映画の注目ポイント
  • 「911調査委員会」という隠蔽の茶番劇
  • 政府首脳は「テロを事前に知っていた」という証拠
  • オサマ・ビンラディンは意図的に逃がされていたという証拠
  • posted by ヒロさん at 08:18 | Comment(4) | TrackBack(1) | 911真相究明