2007年01月27日

ロンドンの有名書店で平積みになった日本関連書

ロンドン地下鉄で隣に座っている人が「カフカ」を読んでいた。ドイツ文学のカフカではない。村上春樹の『海辺のカフカ』の翻訳版だ。

ピカデリーのWaterstoneという大型書店に行くと、店員のお薦めコーナーで目についたのは、吉本ばななの『アムリタ』だ。私が見た本の表紙には漢字で大きく「水」と記されてあった。

1階の入口では表紙が見えるようにラックに展示する「たて積み(平積み)」のコーナーがあるが、今日は日本特集をやっていた。4〜5段のラックに並べられた本のすべてを上から順序に列挙してみる。

  • Niall Murtagh・・・・Blue-eyed Salaryman - From World Traveller to Lifer at Mitsubishi
  • 谷崎潤一郎・・・・In Praise of Shadows
  • Kazuo Ishoguro・・・・An Artist of the Floating World
  • 紫式部・・・・Dairy of Lady Murasaki
  • Peter Carey・・・・Wrong about Japan - A Father's Journey with His Son
  • Christopher Ross・・・・Mishima's Sword - Travels in Search of a Samurai Legend
  • 作者なし・・・・俳句(写真集)
  • 三島由紀夫・・・・Temple of the Golden Pavilion
  • John Hersey・・・・Hiroshima
  • 川端康成・・・・Thousand Cranes
  • 三島由紀夫・・・・Spring Snow
  • Will Ferguson・・・・Hokkaido Highway Blues - Hitching Japan
  • 菅原孝標女・・・・As I Crossed a Bridge of Dreams
  • Ian Buruma・・・・Inventing Japan
  • 安部公房・・・・Box Man
  • 山田太一・・・・Strangers
  • 谷崎潤一郎・・・・Naomi
  • 夏目漱石・・・・I Am a Cat
  • 谷崎潤一郎・・・・Seven Japanese Tales
  • 谷崎潤一郎・・・・Quicksand
  • 山本常朝・・・・Hagakure
  • Robert Twigger・・・・Angry White Pyjamas
  • Arthur Golden・・・・Memoirs of a Geisha

    谷崎潤一郎が多い。政界の「ジュンイチロー」は引退したが、翻訳文学の「ジュンイチロー」は健在である。イギリスの売れ筋なのか、それとも店員の趣味なのか。「In Praise of Shadows」は『陰翳礼讚』、「Naomi」は『痴人の愛』、「Quicksand」は『卍(まんじ)』。

    三島由紀夫はオーソドックスに『金閣寺』と『春の雪』。川端康成は『千羽鶴』、夏目漱石は『我輩は猫である』、安部公房は『箱男』を押している。山田太一の『異人たちとの夏』はあるが、村上春樹は敢えてはずしたのか? ちなみに古典では菅原孝標女(たかすえの娘)の『更級日記』が選ばれている。

    Ian Buruma(イアン・ブルマ)の「Inventing Japan」をザッーと読んできた。日本史と中国史の両方に強い西洋人の代表格はやはりこの人であろうか。

    上記のコーナーにはなかったが、フィクションをあれこれ眺めていると「tokyo」(by Mo Hayder)という作品を見つけた。南京虐殺の現場を撮影したフィルムはどこに消えたか、という設定のフィクション。

    南京虐殺の情報戦はこれからが本番である。

    宮崎正弘の国際ニュース(2007/1/25)
      今朝(1月23日)、都内のホテルで歴史的な記者会見が開催された。
      日本の保守陣営が大同団結し、誤謬だらけの戦後の歴史認識と中国がばらまくインチキ歴史解釈の訂正のために、映像というもっとも効果的な方法での反撃が開始されたのである。南京攻略戦の真実を伝え、中国と米国の政治謀略「南京大虐殺」の嘘を暴くドキュメンタアリー映画「南京の真実」の制作発表と記者会見が開かれた。
      この映画は情報戦でもあり、英語版、中国語版がつくられ世界同時公開を目指す。またインターネットの動画による配信も計画されている。公開は南京70周年の12月を目処としている。
      記者会見は超満員となった。まずプロジューサー兼監督の水島総氏が挨拶、ひきつづき上智大学名誉教授の渡部昇一氏が「田中上奏文のインチキを当時、だれも真剣に反論しなかった。情報戦にやぶれることはかくも凄まじい結果をまねく。メディアにはメディアで、情報戦には情報戦で闘おう」。
      南京学会会長でもある東中野修道教授は、「おととしニュー・オーリンズを襲ったハリケーンのときに、強盗、強姦、放火,暴行が蔓延していると言う噂が拡がった。調べてみるとデマであった。
      南京の報道は陥落(1937年12月13日)から三日後に米国の新聞にでたが、爾後、東京裁判まで一切語られることが無かった。突如、1946年からの東京裁判で浮上し、1972年本多勝一の『中国の旅』で、中国側の宣伝キャンペーンが開始された。そこで南京に派遣された、生き残りの将校に数知れずインタビューしたが、誰もが「このまま(嘘の不名誉がばらまかれたまま)では死ねない」と言った。
      南京陥落から蒋介石軍は、漢口から重慶まで逃げて、その間、じつに300回も外人記者団との会見を開いたが、ただの一回も南京問題がでてこなかった。また当時の国民党中央宣伝部の用意したプレス・リリースにも一切現れていない。国民党報告には、一件の殺人事件さえ報告されていない」。

    さて、会場には加瀬英明、藤岡信勝、佐藤和男、中村アキラ、大高美貴、井尻千男、小山和伸、日下公人、勝岡寛次、佐藤克己、篠沢秀夫、田中英道、高森明勅、西尾幹二、西村幸祐、水間政憲、三輪和雄、八木秀次、山際澄夫氏ら、列挙できないほど夥しい有識者、大学教授、ジャーナリストが集合した。
  • posted by ヒロさん at 08:22 | Comment(15) | TrackBack(1) | イギリス見聞録
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