成都(チョンツー、正しい発音はチャンドゥーに近い)はイギリスの都市に例えるとどこだろうか、と私が質問したところ、そうねぇ・・・といろんな歴史的背景を語り始めた。で、私の反応が鈍いことを見破って「あなた、三国志を読んでないでしょ」と切り込まれた。
成都は三国志(彼曰く、Three Kingdom story)に登場する蜀の都だ。そこで中国4大小説の講義が始まるが、結局英語では埒が開かないので、紙と鉛筆を持ち出して、@紅楼夢、A三国演議、B水滸伝、C西遊記と書いてもらうと、話は滑らかに進展した。
相手が韓国人、ベトナム人、インドネシア人だと、仮にお互いに自国語でその小説を読んでいたとしても、なかなかこうは行かない。漢字を書けば、アッハンと意気投合できる。英語で『論語』に言及するときも、相手が中国人(+台湾人)ならば当然、話が早い。
彼がよく知っているテレビの中の日本人は、山口百恵(シャンコウ・バイフェイ)や三浦友和であり、栗原小巻や高倉健だ。そしてアジア各国に輸出された『阿信(おしん)』の話にまで到り、このガン君が懐かしい旧友のように感じられた。すべては“筆談”のなせる業だ。
日本の小説で何が好きかと聞くと、「春上村樹」と書いたので、笑いを誘いながら食卓が大いに盛り上がった。そういえば、3年前にリンゴの木の下で英訳の『ノルウェーの森』を読んでいたっけ。続いて「川端康成」と「大江健三郎」と書いたが、もちろん彼の頭の中には「カワバタ」や「オオエ」という発音は存在しない。
中国問題や東アジア情勢を英語で議論するときには、中国の固有名詞がネックになる。マオツートン(毛沢東)やチャンカイシェック(蒋介石)ぐらいならすぐ出てくるが、チアンツォーミン(江沢民)は口に馴染んでいない。こっちがチン・ディナスティ(清朝)のことを説明していたつもりなのに、どうも話がかみ合わないと思ったら、「秦」の話として誤解されていたりする。
日本から中国に輸出された「造語」について実験をさせてもらったことがある。この造語リストを台湾出身の25歳の男性に見せると「そんなバカな」と無知をさらけ出したのに対し、さすがは知識人のガン君はあっさりと認めて、明治維新後の日本の近代化をプロシア(ドイツ)の発展になぞらえてみせた。
2年前のこと、私が持ち歩いていた『Mao: The Unknown Story』をわしづかみでひったくり、貸してくれと懇願したガン君。その数カ月前に、大学の図書室に置かれてあった『ワイルド・スワン』をむさぼるように読んだというが、それもそのはず、文化大革命の実話を扱ったこの小説には、彼の故郷の成都が何度も登場する。中国では今なお発禁書となっている小説だ。
中国の政治問題を熱っぽく語り、近未来の最大の懸案は「台湾問題」だという。彼によれば、来年の台湾総選挙では馬英九が勝利し、過激な独立路線はあり得ないとする。「中国の政治体制は西太后のときよりもひどい」と嘆きながらも、老子か誰かの言葉を引用し「大国の治世は小魚を料理するがごとしだ」という。決して大鉈をふるってはいけない、丁寧にコツコツとやるしかない、さもなくば、魚はぐしゃぐしゃになってしまう・・・・ということで、中国政治に大変動はないとの結論だった。
このガン君、成都の親戚や友人とは、大学のインターネットを使ってスカイプ通話を楽しんでいる。故郷に帰って待っているのは結婚話だろうが、「イギリスにいるインド人留学生は90%が見合い結婚を肯定だが、中国では恋愛結婚が普通だ」と豪語する。
だが、産児制限は厳しい。彼は3人兄弟の末っ子だが、成都では厳しい1人っ子政策のため、結婚した兄弟の子供はみな1人だけだ。許可書なしに2人目の子供を作ると、公務員職を剥奪されてしまうので怖い。許可証が下りるのは1人目の子供に障害がある場合だけなので、「お子さんは何人ですか」という会話がほとんど聞かれなくなったということだ。