イエス伝承がギリシャ圏に広がった1世紀後半までに、以下のような状況がある。
膨大なストーリーを記憶するときの記憶術の基本は「場所とイメージ」だ。記憶術で使用する「場所」は記憶する個々人に委ねられるパーソナルな空間だが、社会全体がまちがいなく共有していた空間があった。現代日本では「夜7時のNHKニュース」などがささやかな共有空間になっているかもしれないが、古代社会にはテレビも電気も新聞も本もない。視力2.0〜3.0という視力抜群の古代人たちが夜に共有していたのは、パノラマ式に広がる星空のハイビジョン映像だ。

ヘブライ語(またはアラム語)とギリシャ語の両方をしゃべるバイリンガルのユダヤ系聖職者や知識人の場合は、BC3世紀から翻訳され始めたギリシャ語版の聖書物語(=旧約聖書)を吸収し、これを滔滔と語っていたはずだ。そして1世紀の後半になると、ザワザワと騒がしいもう1つの物語が広がり始めた。革命児イエスの物語だ。
福音記者マルコはこの革命児の物語をどのように整理したのか。以下、牡羊座から魚座にいたるまでの1年間のイエス物語を『The Gospel and the Zodiac』(Bill Darlison, 2007)から要約してみたい。
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■牡羊座(3月)春分・・・・決断、革新 <火星・Fire> マルコ1:1→3:35
「バビロニアの星座の名前」を調べるとわかるように、牡羊座はシュメール語の星座名では「Lu Hunga=雇われ人」を意味する。イエスが4人の漁師を筆頭に12人をリクルートしていく物語だ。リクルートの最中にいきなり「汚れた霊(悪魔)」との対決が起こるが、これは隣接の星座ペルセルスが怪物ケト(鯨座)と闘う様子を対比したもの。
多くの病人を癒すときに「シモン(=ペテロ)のしゅうとめが熱を出して寝ていた」(1:30)が、このしゅうとめは隣接するカシオペアのこと。妻カシオペアと夫ケフェウス(Cepheus)の間にアンドロメダという娘があり、この娘は怪物への生け贄として岩につながれていた。「岩につながれている」ことから「ペテロ(“石”の意)と結婚している」が出てきたもの。またペテロはアラム語ではCephasとなり、しゅうとのケフェウスも暗示する。
断食問答で「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか」(2:19)というたとえが出てくるが、この花婿とは、後にアンドロメダを救済して結婚する英雄ペルセウスのこと。花婿すなわち英雄の婚礼式で断食するなんて、何を考えているのか、古い考えは捨てよ、というたとえ話になる。
■牡牛座(4月)・・・・農耕、光、忍耐 <金星・Earth> マルコ4:1→4:34
牡牛座は農耕と忍耐の象徴だ。ここでは「種を蒔く人」、「種を蒔く人の説明」、「成長する種」、「からし種」と農業関連の話が連発される。中間部に「ともし火」のたとえが挿入されているのは、牡牛座のアルデバランが「ともし火」と呼ばれ、隣接のオリオン座が「天の光」とされていたことによる。
■双子座(5月)・・・・二元性、二重性 <水星・Air> マルコ4:35→6:29
双子座のカストルとポルックスは舟の上に乗る双子の構図だ。舟上のイエスと弟子たちを嵐が襲った話(マルコ4:35)は、ギリシャ神話のアクタイオン(Actaeon)の飼い犬ライラプス(Laelaps)が「嵐、旋風」を意味していることから、隣接のおおいぬ座をベースにする可能性が濃厚。また、ホメロスの『オデュッセイア』にある英雄ヘクトルと風神アイオロスのシーンに類似する。
ゲサラではレギオン(大勢)と名乗る霊群が登場する(マルコ5:9)が、レギオンは通常6千人を単位とするローマの歩兵隊であるにもかかわらず、なぜか「2千匹ほどの豚」に取り憑いて湖になだれ込む。湖の向こう岸に渡って癒したのは「12才の少女」(5:42)と「12年間出血に悩む女」(5:25)が2人の女がセットだ。村では弟子たちを「2人ずつ組」(6:7)にして遣わし、「下着は2枚着てはならない」という。(6:9)
霊に取り憑かれた人は二重人格であり、洗礼者ヨハネの処遇で揺れ動くヘロデ王(6:20)は二分された心だ。また双子座は「兄弟、姉妹、家族」の象徴でもあるため、イエスは「ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟」であり、「姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」(6:3)という、故郷ナザレで敬われないイエスの話が挿入される。
■蟹座(6月)夏至・・・・母性、授乳、食事 <月・Water> マルコ6:30→8:26
蟹座セクション直前でヨハネが殺されているのは意味がある。イエスは冬至生まれ、聖ヨハネは夏至生まれとして両極に位置しているが、夏至を境にしてヨハネの力は弱まり、イエスの力が強まることを示唆している。
蟹座の中心にある星団M44(プレセペ、Praesepe)は「蜂の巣」とも「飼い葉桶」とも呼ばれる。また蟹座のシンボルマークは女性の乳房をなぞらえており、授乳や食べ物を意味する。そのため、このセクションには食べ物の話が次々と出てくる。5千人に食べ物を与え(6:44)、汚れた手の食事(7:5)に関する質問に答え、「子供たちに十分食べさせなければならない」(7:27)と言い、再び4千人食べ物を与え(8:9)、ファリサイ派とヘロデのパン種(8:15)の話をする。
また、湖の上を歩く奇跡(6:49)があるのは、蟹座の関連星座としてアルゴス船(竜骨座Carina、船尾座Puppis、帆座Velaの合体形)が「水を克服したアルゴス」と呼ばれていたためだ。聴覚や視覚が不自由な人の癒し(7:35、8:24)は霊的な覚醒を意味するが、星座との関係は不明確。
■獅子座(7月)・・・・火、子孫、父子関係 <太陽・Fire> マルコ8:27→9:32
獅子座は伝統的に「子孫」を意味し、このセクションでは世代の縦の流れとしての「父子関係」が強調される。日本語の聖書で「子」と表現されている部分は「息子」のこと。「人の子(son of man)」という表現が続き、イエスの姿が白く変わり(9:3)、神の子となる。霊に取り憑かれた子供も「息子」(9:16)だ。
汚れた霊が再び登場するのは、英雄ヘラクレスの敵である獅子と海蛇を悪魔にたとえたものか。「人の子」が「神の子」に昇華するのは、獅子座の第1星レグルスが「王」(百獣の王)を意味し、第2星Algiebaが「高揚」、尻尾近くのZosmaが「顕現」を意味するため。獅子座は占星術成立時には夏至の星座なので、イエスの姿が白く輝くのも真夏の象徴だ。
■乙女座(8月)・・・・赤子、誕生、純粋 <水星・Earth> マルコ9:33→9:50
乙女座は「純真な子供」がテーマ。誰が一番偉いかという弟子たちの議論に対して、一人の子供を抱き上げる(9:37)のは乙女座の母子像の構図だ。逆らわないものは味方(9:40)、自分自身の内に塩を持つべき(9:50)という話も、子供のような魂の純粋さに通じる。
ここでは星座の関連が乏しいが、対応するマタイ福音書のセクション(マタイ18:11−14)では「迷い出た羊」の話が追加されており、これは乙女座に近隣する牛飼い座(羊飼い)を使ったものか。ちなみに、乙女座はヘブライ語で収穫を意味する「Bethulah」となり、イエスの生誕地ベツレヘム(Bethlehem)はパンの家(Beth=家、lechem=パン)を意味し、乙女座での誕生を暗示する。
■天秤座(9月)秋分・・・・バランス、くびき、正義 <金星・Air> マルコ10:1→10:34
天秤座は一対の牛馬をつなぐ「くびき」であるため、このセクションは離縁するなかれという夫婦の教え(10:1)で始まる。「天に富を積む」(10:21)も俗と聖のバランスや天の銀行の勘定(balance)の問題でもある。
死と復活の予告(10:32−33)があるのは、天秤座に隣接するケンタウロス座の足元に十字星(南十字星)があることが関係しているもよう。天文学者プトレマイオス(BC2世紀)は水平線ギリギリのこの星座にいっさい言及していないが、エルサレムやアレキサンドリアより若干緯度が低い古代ペルシャの南部では「十字」として認識されていたという。
私見ではあるが、「離婚するな」と「天の勘定」に挟まれている「子供の祝福」(10:13−16)の逸話は、1つ前の乙女座にジャンプさせ「純真な子供」として解釈できれば、区切りがさらにスッキリする。
■さそり座(10月)・・・・嫉妬、権力欲 <火星・Water> マルコ10:35→10:52
さそり座は火星とあいまって嫉妬や権力の象徴であるため、ヤコブとヨハネの権力欲とそれに嫉妬する十人の弟子の逸話(10:35−45)がある。続く盲人バルティマイの逸話(10:46−52)も、バルティマイ(Bartimaeus)がアラム語で「汚辱の息子」を意味する一方、ギリシャ語では「汚辱」の部分が「名誉」となる独特の掛け言葉だ。屈辱が栄光に逆転するストーリーになっている。
ちなみにユダヤ圏ではさそり座を隣接の鷲座で代用している。中世キリスト教の彫刻・図象では大天使ケルビムに遡る「人間、牛、獅子、鷲」の4獣神(テトラモルフ)が多用されるが、占星術成立当時の主要4星座が、人間(水瓶座)=冬至、牛(牡牛座)=春分、獅子(獅子座)=夏至、鷲(さそり座)=秋分であったことによる。
■射手座(11月)・・・・英雄、挑戦、冒険 <木星・Fire> マルコ11:1→11:33
射手座は上半身は人間が弓矢を持ち、下半身は馬の形をした半人半獣だ。そのため、イエスが子ろばに乗ってエルサレムに入る場面(11:1−9)は「人間+馬」だ。同じ場面を記述するマタイ福音書などでは「ろば(onos)」を使っているが、マルコでは「子馬(polos)」を使っているため、翻訳は「子ろば」ではなく「子馬」が正しい。
神殿から商人を追い出す話(11:15)が出てくるのは、射手座に祭壇座(Ara)が隣接しているため。また「Ara」はギリシャ語で「呪い」や「呪いの結果」も意味しているため、いちじくの木の呪い(21:18−19、11:20−25)のエピソードとなる。このいちじくの木の話が2度に渡って登場することで、人間と馬が合体する“二重性”を暗示している。
■山羊座(12月)冬至・・・・社会、共同体 <土星・Earth> マルコ12:1→12:44
山羊座では社会生活における権利・所有権・貨幣の話になっている。相続財産(12:1〜)、皇帝への税金(12:13〜)、女性の帰属(12:18〜)、隣人愛(12:28〜)、やもめの献金(12:41〜)など。
皇帝税金の問答でイエスがディナリオン銀貨を手に取る場面(12:15−16)があるが、これはアウグストゥス帝(帝位BC27-AD14)の銀貨で、肖像の裏側に「山羊のマーク」が鋳造されていたことによる。アウグストゥス帝は月の位置が山羊座と重なっているときに生まれた。また、マルコ福音書と同時期とみられるティトゥス帝(帝位AD79-81)は山羊座生まれだが、そのディナリオン銀貨の肖像の裏側には「山羊のマーク」が鋳造されていた。(銀貨のページはこちら)

■水瓶座(1月)・・・・個人、平等 <土星・Wind> マルコ13:1→14:16
水瓶座のこのセクションでは、社会の激変の中で個人が覚醒し、生き残ることを説く。ローマとのユダヤ戦争(AD64-70)でエルサレム神殿は完全に破壊されたことを背景に、終末論、黙示録の色合いを濃くする。「戦争の騒ぎやうわさを聞いても、慌ててはいけない」(13:7)と記しているため、マルコ福音書はこの戦争の最中または直後に書かれたという説が有力だ。
水瓶座が一発でわかるのは、イエスが過ぎ越しの(密会の)食事会場を指示する場面で、「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい」(14:13)という記述だ。水瓶を運ぶのは女性の役割であり、密会場所を指示する“伝令”としては、あまりにも目立ちすぎる。
■魚座(2月)・・・・情緒、自己犠牲、贖い <木星・Water> マルコ14:17→16:8
最後の晩餐、ユダの裏切り、十字架という魚座の自己犠牲でクライマックスを迎えるが、イエスは3日後に復活するので、終わりであると当時に始まりでもある。イエスの最後の言葉「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」は旧約聖書の詩編22−2からのコピーだが、わざわざアラム語で「エロイ、エロイ」(15:34)と書くのは、暗くなった天に対してギリシャ語で「ヘロイ(Heloi、太陽)」を暗示する掛け言葉だという。
牡羊座(3月)でも登場したように、隣接するアンドロメダ座は、何の罪もないにもかかわらず、海の怪物ケト(鯨座)の怒りを静めるために人身供犠として岩に鎖でつながれた哀れな乙女だったが、英雄ペルセウスがこれを救い、2人は晴れて結婚する。ここには「処女」「十字架」「犠牲」「救済」「復活」というメッセージがこめられる。娘を犠牲にした親(カシオペアとケフェウス)の罪は「人類の原罪」にもつながる。
本書には書いていないが、ローマ神話における魚座のイメージは、怪物テュフォーン(台風の語源)に追われた母ヴィーナスと息子キューピッドがエリダノス座(エジプト神話ではナイル川)を渡って、手をつないでいる姿であり、ギリシャ神話に対応させるとアプロデティとエロスになる。これは地母神と童子神の関係となり、十字架で死して聖母マリアと結ばれる構図と一致している。
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以上、サイクル全体をマルコ福音書、星座表、ギリシャ神話と突き合わせながらまとめてみた。ギリシャ語、アラム語、ヘブライ語、シュメール語(バビロニア語)などの“掛け言葉”の部分は、さらに専門家の言い分を聞いてみたいところだが、周辺星座とギリシャ神話に強い人ならば、マルコ福音書が十二宮を使って伝承された、あるいは意図的に書かれたという説明は大いに納得できるはずだ。
星座やギリシャ神話に興味がない人でも、双子座セクションの数々の二重性、ヨハネの死と夏至、乙女座の母子像、馬に乗るイエスと射手座の対比、山羊座と皇帝の銀貨の意味、過ぎ越しの晩餐会場を指示する“水がめを持った男”などに驚かれるであろう。
2世紀前半の教父パピアスに「順序だっていない」と指摘されたマルコ福音書は、牡羊座から始まり、魚座で終結することを意図していたため、イエスの出生を語ることができなかった。しかしながら、クインティリアヌス(1世紀)が唱えていたような「十二宮を使った記憶術」の威力を十二分に発揮し、口承の物語として絶大なる人気を勝ち得ていたことは想像に難くない。
■マルコを読んだことがない人のために・・・