2008年02月27日

十二宮星座をもとに記憶・伝承されたマルコ福音書

新約聖書の4つの福音書で最も古いのはマルコだ。その他3つの福音書と比べて、幾分稚拙なギリシャ語で書かれている。聖者かつ革命児のイエスついて語れられた伝承は山ほどあったはずだが、ギリシャ圏で生活するユダヤ人の語り部がこれを伝えようとするとき、膨大なストーリーを整理して暗記する“記憶術”のベースが必要だった。そのベースの役割を果たしたのが、十二宮星座とその周辺星座群だ。

イエス伝承がギリシャ圏に広がった1世紀後半までに、以下のような状況がある。

  • BC8世紀ごろから神話とトロヤ戦争の逸話が渾然一体となったホメロスの叙事詩が書かれる。
  • BC6世紀のバビロン捕囚で発生した亡命ユダヤ人のネットワークが、その後の救世主ペルシャ王によるユダヤ人の解放とあいまって、カルデアとペルシャの占星術・星座学をギリシャ圏に導入した。
  • BC3世紀からモーゼ五書を皮切りに旧約聖書のギリシャ語翻訳が徐々に進展した。
  • BC1世紀のキケロなどが弁論術としての記憶術を著作にまとめ、1世紀のクインティリアヌスは『Institutio Oratoria』(雄弁家教育論)で「記憶術のベースとして十二宮も使用されていた」ことに言及している。

    膨大なストーリーを記憶するときの記憶術の基本は「場所とイメージ」だ。記憶術で使用する「場所」は記憶する個々人に委ねられるパーソナルな空間だが、社会全体がまちがいなく共有していた空間があった。現代日本では「夜7時のNHKニュース」などがささやかな共有空間になっているかもしれないが、古代社会にはテレビも電気も新聞も本もない。視力2.0〜3.0という視力抜群の古代人たちが夜に共有していたのは、パノラマ式に広がる星空のハイビジョン映像だ。

    特にギリシャ圏では、頻繁に網膜に焼き付けられる星空という「場所」に、さまざまな神話が「イメージ」として配置された。中世のキリスト教圏には旧約・新約の聖書全編を暗記するつわものが登場するくらいなので、古代ギリシャのプロの語り部は、ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』をはじめ、数百・数千ページ分に相当する膨大なギリシャ神話、カルデア神話、バビロニア神話、ペルシャ神話を語り続けたことであろう。

    ヘブライ語(またはアラム語)とギリシャ語の両方をしゃべるバイリンガルのユダヤ系聖職者や知識人の場合は、BC3世紀から翻訳され始めたギリシャ語版の聖書物語(=旧約聖書)を吸収し、これを滔滔と語っていたはずだ。そして1世紀の後半になると、ザワザワと騒がしいもう1つの物語が広がり始めた。革命児イエスの物語だ。

    福音記者マルコはこの革命児の物語をどのように整理したのか。以下、牡羊座から魚座にいたるまでの1年間のイエス物語を『The Gospel and the Zodiac』(Bill Darlison, 2007)から要約してみたい。

    ■■■■■■十■■■■■■  

    現代の占星術は春分を起点として牡羊座から始まっているが、これは3000〜4000年前の占星術の伝統を踏襲したものだ。現在の春分点は魚座から水瓶座に近づいており、2000年前のイエスの時代には「牡羊座→魚座」という移行時期にあたっていた。マルコ福音書では、この新しい時代としての魚座を「人間を釣る漁師」などで強調しながら始まり、魚座と隣接のアンドロメダ座の象徴を使いながら「十字架と復活」で終結する仕掛けとなっている。

    ■牡羊座(3月)春分・・・・決断、革新 <火星・Fire> マルコ1:1→3:35

    「バビロニアの星座の名前」を調べるとわかるように、牡羊座はシュメール語の星座名では「Lu Hunga=雇われ人」を意味する。イエスが4人の漁師を筆頭に12人をリクルートしていく物語だ。リクルートの最中にいきなり「汚れた霊(悪魔)」との対決が起こるが、これは隣接の星座ペルセルスが怪物ケト(鯨座)と闘う様子を対比したもの。

    多くの病人を癒すときに「シモン(=ペテロ)のしゅうとめが熱を出して寝ていた」(1:30)が、このしゅうとめは隣接するカシオペアのこと。妻カシオペアと夫ケフェウス(Cepheus)の間にアンドロメダという娘があり、この娘は怪物への生け贄として岩につながれていた。「岩につながれている」ことから「ペテロ(“石”の意)と結婚している」が出てきたもの。またペテロはアラム語ではCephasとなり、しゅうとのケフェウスも暗示する。

    断食問答で「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか」(2:19)というたとえが出てくるが、この花婿とは、後にアンドロメダを救済して結婚する英雄ペルセウスのこと。花婿すなわち英雄の婚礼式で断食するなんて、何を考えているのか、古い考えは捨てよ、というたとえ話になる。

    ■牡牛座(4月)・・・・農耕、光、忍耐 <金星・Earth> マルコ4:1→4:34

    牡牛座は農耕と忍耐の象徴だ。ここでは「種を蒔く人」、「種を蒔く人の説明」、「成長する種」、「からし種」と農業関連の話が連発される。中間部に「ともし火」のたとえが挿入されているのは、牡牛座のアルデバランが「ともし火」と呼ばれ、隣接のオリオン座が「天の光」とされていたことによる。

    ■双子座(5月)・・・・二元性、二重性 <水星・Air> マルコ4:35→6:29

    双子座のカストルとポルックスは舟の上に乗る双子の構図だ。舟上のイエスと弟子たちを嵐が襲った話(マルコ4:35)は、ギリシャ神話のアクタイオン(Actaeon)の飼い犬ライラプス(Laelaps)が「嵐、旋風」を意味していることから、隣接のおおいぬ座をベースにする可能性が濃厚。また、ホメロスの『オデュッセイア』にある英雄ヘクトルと風神アイオロスのシーンに類似する。

    ゲサラではレギオン(大勢)と名乗る霊群が登場する(マルコ5:9)が、レギオンは通常6千人を単位とするローマの歩兵隊であるにもかかわらず、なぜか「2千匹ほどの豚」に取り憑いて湖になだれ込む。湖の向こう岸に渡って癒したのは「12才の少女」(5:42)と「12年間出血に悩む女」(5:25)が2人の女がセットだ。村では弟子たちを「2人ずつ組」(6:7)にして遣わし、「下着は2枚着てはならない」という。(6:9)

    霊に取り憑かれた人は二重人格であり、洗礼者ヨハネの処遇で揺れ動くヘロデ王(6:20)は二分された心だ。また双子座は「兄弟、姉妹、家族」の象徴でもあるため、イエスは「ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟」であり、「姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」(6:3)という、故郷ナザレで敬われないイエスの話が挿入される。

    ■蟹座(6月)夏至・・・・母性、授乳、食事 <月・Water> マルコ6:30→8:26

    蟹座セクション直前でヨハネが殺されているのは意味がある。イエスは冬至生まれ、聖ヨハネは夏至生まれとして両極に位置しているが、夏至を境にしてヨハネの力は弱まり、イエスの力が強まることを示唆している。

    蟹座の中心にある星団M44(プレセペ、Praesepe)は「蜂の巣」とも「飼い葉桶」とも呼ばれる。また蟹座のシンボルマークは女性の乳房をなぞらえており、授乳や食べ物を意味する。そのため、このセクションには食べ物の話が次々と出てくる。5千人に食べ物を与え(6:44)、汚れた手の食事(7:5)に関する質問に答え、「子供たちに十分食べさせなければならない」(7:27)と言い、再び4千人食べ物を与え(8:9)、ファリサイ派とヘロデのパン種(8:15)の話をする。

    また、湖の上を歩く奇跡(6:49)があるのは、蟹座の関連星座としてアルゴス船(竜骨座Carina、船尾座Puppis、帆座Velaの合体形)が「水を克服したアルゴス」と呼ばれていたためだ。聴覚や視覚が不自由な人の癒し(7:35、8:24)は霊的な覚醒を意味するが、星座との関係は不明確。

    ■獅子座(7月)・・・・火、子孫、父子関係 <太陽・Fire> マルコ8:27→9:32

    獅子座は伝統的に「子孫」を意味し、このセクションでは世代の縦の流れとしての「父子関係」が強調される。日本語の聖書で「子」と表現されている部分は「息子」のこと。「人の子(son of man)」という表現が続き、イエスの姿が白く変わり(9:3)、神の子となる。霊に取り憑かれた子供も「息子」(9:16)だ。

    汚れた霊が再び登場するのは、英雄ヘラクレスの敵である獅子と海蛇を悪魔にたとえたものか。「人の子」が「神の子」に昇華するのは、獅子座の第1星レグルスが「王」(百獣の王)を意味し、第2星Algiebaが「高揚」、尻尾近くのZosmaが「顕現」を意味するため。獅子座は占星術成立時には夏至の星座なので、イエスの姿が白く輝くのも真夏の象徴だ。

    ■乙女座(8月)・・・・赤子、誕生、純粋 <水星・Earth> マルコ9:33→9:50

    乙女座は「純真な子供」がテーマ。誰が一番偉いかという弟子たちの議論に対して、一人の子供を抱き上げる(9:37)のは乙女座の母子像の構図だ。逆らわないものは味方(9:40)、自分自身の内に塩を持つべき(9:50)という話も、子供のような魂の純粋さに通じる。

    ここでは星座の関連が乏しいが、対応するマタイ福音書のセクション(マタイ18:11−14)では「迷い出た羊」の話が追加されており、これは乙女座に近隣する牛飼い座(羊飼い)を使ったものか。ちなみに、乙女座はヘブライ語で収穫を意味する「Bethulah」となり、イエスの生誕地ベツレヘム(Bethlehem)はパンの家(Beth=家、lechem=パン)を意味し、乙女座での誕生を暗示する。

    ■天秤座(9月)秋分・・・・バランス、くびき、正義 <金星・Air> マルコ10:1→10:34

    天秤座は一対の牛馬をつなぐ「くびき」であるため、このセクションは離縁するなかれという夫婦の教え(10:1)で始まる。「天に富を積む」(10:21)も俗と聖のバランスや天の銀行の勘定(balance)の問題でもある。

    死と復活の予告(10:32−33)があるのは、天秤座に隣接するケンタウロス座の足元に十字星(南十字星)があることが関係しているもよう。天文学者プトレマイオス(BC2世紀)は水平線ギリギリのこの星座にいっさい言及していないが、エルサレムやアレキサンドリアより若干緯度が低い古代ペルシャの南部では「十字」として認識されていたという。

    私見ではあるが、「離婚するな」と「天の勘定」に挟まれている「子供の祝福」(10:13−16)の逸話は、1つ前の乙女座にジャンプさせ「純真な子供」として解釈できれば、区切りがさらにスッキリする。

    ■さそり座(10月)・・・・嫉妬、権力欲 <火星・Water> マルコ10:35→10:52

    さそり座は火星とあいまって嫉妬や権力の象徴であるため、ヤコブとヨハネの権力欲とそれに嫉妬する十人の弟子の逸話(10:35−45)がある。続く盲人バルティマイの逸話(10:46−52)も、バルティマイ(Bartimaeus)がアラム語で「汚辱の息子」を意味する一方、ギリシャ語では「汚辱」の部分が「名誉」となる独特の掛け言葉だ。屈辱が栄光に逆転するストーリーになっている。

    ちなみにユダヤ圏ではさそり座を隣接の鷲座で代用している。中世キリスト教の彫刻・図象では大天使ケルビムに遡る「人間、牛、獅子、鷲」の4獣神(テトラモルフ)が多用されるが、占星術成立当時の主要4星座が、人間(水瓶座)=冬至、牛(牡牛座)=春分、獅子(獅子座)=夏至、鷲(さそり座)=秋分であったことによる。

    ■射手座(11月)・・・・英雄、挑戦、冒険 <木星・Fire> マルコ11:1→11:33

    射手座は上半身は人間が弓矢を持ち、下半身は馬の形をした半人半獣だ。そのため、イエスが子ろばに乗ってエルサレムに入る場面(11:1−9)は「人間+馬」だ。同じ場面を記述するマタイ福音書などでは「ろば(onos)」を使っているが、マルコでは「子馬(polos)」を使っているため、翻訳は「子ろば」ではなく「子馬」が正しい。

    神殿から商人を追い出す話(11:15)が出てくるのは、射手座に祭壇座(Ara)が隣接しているため。また「Ara」はギリシャ語で「呪い」や「呪いの結果」も意味しているため、いちじくの木の呪い(21:18−19、11:20−25)のエピソードとなる。このいちじくの木の話が2度に渡って登場することで、人間と馬が合体する“二重性”を暗示している。

    ■山羊座(12月)冬至・・・・社会、共同体 <土星・Earth> マルコ12:1→12:44

    山羊座では社会生活における権利・所有権・貨幣の話になっている。相続財産(12:1〜)、皇帝への税金(12:13〜)、女性の帰属(12:18〜)、隣人愛(12:28〜)、やもめの献金(12:41〜)など。

    皇帝税金の問答でイエスがディナリオン銀貨を手に取る場面(12:15−16)があるが、これはアウグストゥス帝(帝位BC27-AD14)の銀貨で、肖像の裏側に「山羊のマーク」が鋳造されていたことによる。アウグストゥス帝は月の位置が山羊座と重なっているときに生まれた。また、マルコ福音書と同時期とみられるティトゥス帝(帝位AD79-81)は山羊座生まれだが、そのディナリオン銀貨の肖像の裏側には「山羊のマーク」が鋳造されていた。(銀貨のページはこちら)



    ■水瓶座(1月)・・・・個人、平等 <土星・Wind> マルコ13:1→14:16

    水瓶座のこのセクションでは、社会の激変の中で個人が覚醒し、生き残ることを説く。ローマとのユダヤ戦争(AD64-70)でエルサレム神殿は完全に破壊されたことを背景に、終末論、黙示録の色合いを濃くする。「戦争の騒ぎやうわさを聞いても、慌ててはいけない」(13:7)と記しているため、マルコ福音書はこの戦争の最中または直後に書かれたという説が有力だ。

    水瓶座が一発でわかるのは、イエスが過ぎ越しの(密会の)食事会場を指示する場面で、「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい」(14:13)という記述だ。水瓶を運ぶのは女性の役割であり、密会場所を指示する“伝令”としては、あまりにも目立ちすぎる。

    ■魚座(2月)・・・・情緒、自己犠牲、贖い <木星・Water> マルコ14:17→16:8

    最後の晩餐、ユダの裏切り、十字架という魚座の自己犠牲でクライマックスを迎えるが、イエスは3日後に復活するので、終わりであると当時に始まりでもある。イエスの最後の言葉「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」は旧約聖書の詩編22−2からのコピーだが、わざわざアラム語で「エロイ、エロイ」(15:34)と書くのは、暗くなった天に対してギリシャ語で「ヘロイ(Heloi、太陽)」を暗示する掛け言葉だという。

    牡羊座(3月)でも登場したように、隣接するアンドロメダ座は、何の罪もないにもかかわらず、海の怪物ケト(鯨座)の怒りを静めるために人身供犠として岩に鎖でつながれた哀れな乙女だったが、英雄ペルセウスがこれを救い、2人は晴れて結婚する。ここには「処女」「十字架」「犠牲」「救済」「復活」というメッセージがこめられる。娘を犠牲にした親(カシオペアとケフェウス)の罪は「人類の原罪」にもつながる。

    本書には書いていないが、ローマ神話における魚座のイメージは、怪物テュフォーン(台風の語源)に追われた母ヴィーナスと息子キューピッドがエリダノス座(エジプト神話ではナイル川)を渡って、手をつないでいる姿であり、ギリシャ神話に対応させるとアプロデティとエロスになる。これは地母神と童子神の関係となり、十字架で死して聖母マリアと結ばれる構図と一致している。

    ■■■■■■十■■■■■■  

    以上、サイクル全体をマルコ福音書、星座表、ギリシャ神話と突き合わせながらまとめてみた。ギリシャ語、アラム語、ヘブライ語、シュメール語(バビロニア語)などの“掛け言葉”の部分は、さらに専門家の言い分を聞いてみたいところだが、周辺星座とギリシャ神話に強い人ならば、マルコ福音書が十二宮を使って伝承された、あるいは意図的に書かれたという説明は大いに納得できるはずだ。

    星座やギリシャ神話に興味がない人でも、双子座セクションの数々の二重性、ヨハネの死と夏至、乙女座の母子像、馬に乗るイエスと射手座の対比、山羊座と皇帝の銀貨の意味、過ぎ越しの晩餐会場を指示する“水がめを持った男”などに驚かれるであろう。

    2世紀前半の教父パピアスに「順序だっていない」と指摘されたマルコ福音書は、牡羊座から始まり、魚座で終結することを意図していたため、イエスの出生を語ることができなかった。しかしながら、クインティリアヌス(1世紀)が唱えていたような「十二宮を使った記憶術」の威力を十二分に発揮し、口承の物語として絶大なる人気を勝ち得ていたことは想像に難くない。

    ■マルコを読んだことがない人のために・・・
  • 3分でわかるマルコ福音書
  • 四福音書の成立背景の簡単な解説
  • マルコの組み立て構成がよくわかる“四福音書の記述対照表”
  • posted by ヒロさん at 19:03 | Comment(5) | TrackBack(0) | 神話・宗教・民俗学

    2008年02月22日

    白虎のオリオン、太陽神の母シリウス、住吉筒男のウシバス

    読み書きのあり方1つをとってみても、現代人と中世人の意識には大きなギャップがある。さらに紀元前の古代の遡って当時の人々の生き様を探ろうとするとき、あるいは旧石器時代の壁画アートの芸術家たちの意識に触れようとするとき、そこに近づける手がかりは何であろうか。

    晴れた日の夜に星空を見上げると、数千年の昔に同じ天弧を眺めていた人たちのことを思う。現在田舎の丘の上に住んでいるせいであろうか、くっきりと浮かび上がる天球をひとたび見上げると、そのまま立ち止まってしまう。いますぐ外に出て見える星座からどんな物語が生まれてくるか、やってみよう。


    南東または南の空にすぐに親しめるのはオリオン座。誕生日がふたご座とおうし座の人は、幸いなり。オリオンに右上におうし座、左上にふたご座をすぐに見つけることができる。オリオンの三ツ星を右上に延長すると、牡牛の目にあたるアルデバランが赤く輝き、さらに延長すると7人娘のプレヤデス(すばる)がぼんやりと光っている。左下に延長すると全天で最も明るいシリウスが煌々と輝く。狩猟の巨人オリオンに2匹の犬が連れ添っているというお話なので、オリオンの左上角のベテルギウス、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンで、くっきりと冬空の大三角形を構成する。

    オリオンが右手で高く掲げるのは剣、棍棒、手鎌とバリエーションがあり、前に突き出す左手は弓のときもあれば、牡牛の角を防ぐ盾の場合もある。いずれにせよ、オリオンはスペインの闘牛士のごとく、牡牛と戦っているのだ。

    オリオン座の形を「狩猟の巨人」と吹き込まれるとそのように見えるだけで、世界各地の見え方はさまざまだ。別のギリシャ神話ではこれを牛の皮を剥いで広げた姿とする物語りもある。エジプトでは船にのるオシリス神だ。マーシャル諸島ではタコ、ボルネオ島では動物に仕掛けるワナ。ペルー(インカ)では4羽のハゲタカに食われる囚人。ブラジルではワニ、カメとみる部族もある。中国では周辺遊牧民の来襲から農産物を守る守護神・白虎の姿となっている。

    古代ギリシャ・ローマは十二宮を採用したが、古代中国は二十八宿だった。四方位に北=玄武(黒い亀)、東=青竜(青い竜)、南=朱雀(赤い鳥)、西=白虎(白い虎)という4つの獣神を配属し、それぞれに7つの星座を割り振った。

  • 北の玄武・・・・斗・牛・女・虚・危・室・壁
  • 東の青竜・・・・角・亢・氏・房・心・尾・箕
  • 南の朱雀・・・・井・鬼・柳・星・張・翼・軫
  • 西の白虎・・・・奎・婁・胃・昂・畢・觜・参

    北の黒い亀さんこと「玄武」を見てみると、「斗」は南斗六星のことで射手座、つづく「牛」はなぜか山羊座、“虚ろで危ない女”の「女・虚・危」は水瓶座だ。西の白い虎さんには、アンドロメダの「奎」や、牡羊座の「婁・胃」、プレヤデス星団の「昂(ぼう)」、牡牛座のヒアデス星団(あめふり星)の「畢(ひつ)」がいる。オリオン座の頭部は「觜」で、三ツ星を「参」としているが、オリオンのごっつい体全体を“四肢を広げた虎の姿”と捉えることもある。

    古代エジプトではオリオンは男神オシリスで、おおいぬ座のシリウスは女神イシスだ。毎年シリウスが東から昇った直後に、同じ場所からこれを追いかけるように太陽の日の出が始まるときがある。これを元に1年の周期(シリウス・サイクル、Sothic Cycle)を365.25日として計算していた。女神イシスから太陽神ホルスが生まれる神話の元ネタだ。

    ちなみに、最も明るい恒星シリウスは二連星だ。1844年にドイツの天文学者ベッセルが周期50年の伴星を予想し、1862年に望遠鏡で確認された。明るい星シリウスAに比べ、暗い星シリウスBは1万分の1の明るさであるため、肉眼での確認は(限りなく)不可能。が、1920年〜30年にフランス人学者2人による調査報告が、西アフリカのマリに在住するドゴン族がシリウスの連星を示唆する神話をもっていると発表。1976年出版の『シリウス・ミステリー』が宇宙人到来説と結びつけて話題になった。(ちなみにこの神話では二連星ではなく、三連星となっている。)

    オリオン座は聖書の中にも見つけることができる。旧約聖書「ヨブ記」をごらんあれ。

    神は北斗やオリオン、すばるや南の星座を造られた。
    (ヨブ記 9:7)

    すばるの鏡を引き締め
    オリオンの綱を緩めることがお前にできるか。
    時がくれば銀河を繰り出し
    大熊と小熊とともに導き出すことができるか。
    (ヨブ記 38:31)

    日本語の聖書では「北斗」と訳してしまっているが、原語では「熊」だ。「すばるの鏡を引き締め、オリオンの綱を緩めることができるか」という表現に、ユダヤ教における占星術への目覚めが感じられる。

    極東の日本では、オリオン座は韓鋤(からすき)や酒枡(さけます)にみえるとして「からすき星」「さけます星」と呼ばれていた。そのほかに鼓星(つづみぼし)、くびれ星(くびれぼし) 、袖星(そでぼし)と見立てる呼称もある。余談ながら、清少納言の『枕草子』にも出てくる「すばる」は、プレヤデス星団がひとかたまりに群れていることから、結びつきを意味する「統(すまる)」が転じて「すばる」となった。

    日本のオリオン座の話で興味津々なのは、住吉大社の祭神の「筒男(つつのお)三神」だ。地元の人が「すみよっさん」と呼ぶこの神社では、住吉明神として底(そこ)、中(なか)、上(うわ)を冠する三神の底筒之男命、中筒之男命、上(表)筒之男命が祀られている。この三神の神殿は縦に並べられおり、複数神を縦に並べる様式は日本の神社の中で住吉大社がただ1つだという。

    大和岩雄の『神社と古代民間祭祀』と『神々の考古学』では、この「筒男三神」を「オリオン座の三ツ星」としている。「つつ」は古代語で「星」を意味し、この三神が“次々と海から生まれた”という伝承がある理由は、オリオン座の三ツ星が東の海からのぼる際に、縦一直線となってせりあがることによる。さらにこの住吉大社の由来縁起を描いた『八幡縁起絵巻』(1389)では、住吉神と海を泳ぐ牡牛との戦いが描かれており、ギリシャ神話の猟師オリオンが牡牛座と闘う構図に一致する。(八幡縁起絵巻とは異なるが類似の絵巻はこちら)

    牡牛がなぜ海を泳いでいるのかだが、これはギリシャ神話の助平ゼウス神のいつもの得意技で、あの島のかわいい娘をさらいたい、さらいたい、そうだ、牛に化けて彼女に前にのんびり横たわろう、そうすればそのうちに油断して背中に乗ってくれるかもしれないから・・・。いたいけな乙女はのちに「ヨーロッパ」という地名のもとになる「エウロペ」だが、この牛に乗った瞬間に、牛は海に向かって走り出し、バシャバシャと泳ぎまくって娘をクレタ島まで連れ去ってしまったというわけだ。この“欧州大レイプ事件”の星座神話が、何らかのルートで航海の安全を祈る住吉大社に合流したことになる。

    ■おまけ(グラハム・ハンコック批判)
    星座の見え方で思い出すのは、グラハム・ハンコックの『神々の指紋(Fingerprints of the Gods)』だ。エジプトのスフィンクス(半獣半人)はピラミッドよりも早い時期に建立されているが、アトランティス南極大陸説にあこがれるハンコックは、「スフィンクス=しし座」なので、1万2千年前に違いないという強引な論法だ。春分の日の出と重なって見える星座は、現在は水瓶座に近づいているが、地球のコマ振り運動(歳差運動)が原因でイエスの時代からは魚座であり、ときを遡ると山羊座、牡牛座、双子座、蟹座、獅子座となっていた。スフィンクスがライオンに似せられて真東を向いている理由は、1万2千年前の春分点が獅子座であったからだという主張だが、そんな昔に「獅子座」と呼ぶものがあったのかどうか、疑問符がたくさんつく。(ちなみに獅子座の起源は5000年前のメソポタミアとされている)

    ■参考文献:
  • Julius D. W. Staal 『Patterns in the Sky』
  • 大和岩雄 『神々の考古学』

    ■学齢前の子供向けの究極の絵本:スズキコージの『ウシバス』


    このウシバスはついに海を泳ぎだし、終点についてみると客が振り落とされて誰一人いなくなっている。これを超えられる抱腹絶倒の絵本はない。小さい子供がいる人は必ず買っとけ。
  • posted by ヒロさん at 17:12 | Comment(7) | TrackBack(0) | 神話・宗教・民俗学

    2008年02月18日

    記憶喪失の現代に問いかける、中世修道院の聖なるメモリー空間

    日本では聖徳太子が十人の話を同時に聞いて理解したという伝説がある。一方西洋ではジュリアス・シーザーが4人の秘書官に異なる手紙を同時に口述筆記させ、さらに自分でもう1つの手紙を書いていた、という伝説がある。

    聖徳太子はワイワイ、ガヤガヤとカクテルパーティーのような会話を“同時”に聞くわけだが、シーザーは4人に向かって“同時”にしゃべるわけではない。羊皮紙やパピルスへの筆記は彫刻のように時間がかかる。そのため、書記官Aに「5月に決議した元老院の4条8項に関しては」と言い、続いて書記官Bに「先日は遠くからはるばるお越しいただきまして」と言い、書記官Cには「ガリア地方のカルヌート族の信仰について・・・」などとしゃべる。で、自分も私信として「クレオパトラ様、この次の満月の夕べに是非・・・」と書いていたかもしれない、という話だ。

    1日に200通以上のメールや、数十本の電話、数回のミーティングをこなしている人からすると、たいしたことはないように思える。ただし、4通のメールを単にバラバラに書くのではなく、4通の文章をすべて完璧に頭で組み立てた上で、小出しにしながら書くという作業だ。中世まではこのような4人への同時口述筆記は「神業」だった。実際、13世紀の神学者トマス・アクィナスが4通の同時口述筆記をしたことが記録されており、天才神学者の彼を称える逸話になっている。

    中世にはほかにも神業がある。修道院の書写室(図書室)で音読が禁止されるのは9世紀からで、それまではいかなる本も「音読」されるのが常識だった。「黙読」は神の領域だったのだ。図書館で本を開く人がすべて音読している状況を思い浮かべてほしい。中途半端に静かな環境では、ヒソヒソ話や携帯はうるさいが、全員が音読する図書館ならば、駅前の待ち合わせ場所のように活気がある。

    ゴシック大聖堂の建築ラッシュよりも200年ほど遡る11世紀に、フランスのシャルトルでは大学教育の前身となる修道院学校が設立された。自由学芸(Liberal Arts)七科目と呼ばれる科目分けがあり、現代風にいうと文系3科目(文法、修辞、論理)と理系4科目(算術、幾何、天文、音楽)を勉強した。修辞学(Rhetoric)の中でとりわけ重要なテーマになっていたのは記憶術(mnemonics)だ。本はすべて貴重品であり、気軽にメモができる鉛筆やノートもない。字の読める知識人にとって、本を読む作業とはすなわち、読んだ内容を同時にすべて暗記していく作業でもある。時間を置いてから、手許にない原典を引用して語ったり、これに対する注釈書をつくったり、論争がある場合には暗記した内容をもとに反論しなければならない。

    中世の修道院では読む作業も、書写する作業も、すべて聖なる営みだった。暗誦の基礎は、旧約聖書の詩編150編から始まる。優秀な生徒は6ヵ月、凡庸な生徒は2〜3年をかけて、これを一字一句すべて暗記する。聖アントニウスにように耳コピーだけで聖書の全文を暗記する人物も現れる。マタイ伝の4:13、詩編の75番目のように訊かれても、すぐにその部分を暗誦できた。頭の中に「何丁目何番地の○○さん」というような地図が出来上がっていればこそできる芸当だ。

    このような丸暗記を可能にする記憶術のテクニックは、

  • BC4世紀のアリストレスの『De Memoria』(記憶論)
  • BC1世紀のキケロの『De oratore』(弁論家について)
  • キケロと同時代で作者不明の『Rhetorica ad Herennium』(ヘレンニウス宛 修辞学)
  • 1世紀のクインティリアヌスの『Institutio Oratoria』(雄弁家教育論)

    でほぼ網羅されている。キケロ式記憶術とも呼ばれ、心の中に既知の地理・建物を思い浮かべ、そこに覚える対象をイメージ化して配置する「場所とイメージ」の記憶術だ。

    ■■■■■■十■■■■■■  

    この記憶術の手順は2つ。1つは、すでによく知っている風景、道順、建築物などがありありと、順序よく思い浮かべられること。もう1つは、覚えたい内容のキーワードをイメージに連想変換してその風景、道順、建築物に置いてくること。

    2000年前からしっかり指摘されていることだが、記憶術で使う「場所とイメージ」は完全にパーソナルな空間だ。他人がどんなに重宝にしている連想空間があったとしても、自分にはまったく役に立たない。「白」というキーワードを記憶するとして、連想するべきは「シャツ」なのか「ミルク」なのか、あるいは「ハト」や「歯磨き」にするのかは、自分にしか決めることができない。

    私が高校生のときに手にした記憶術の本では、「場所」は東京の山手線の各駅、「イメージ」はプロ野球の巨人軍の打順を例に上げていた。残念ながら、当時の私は山手線の駅を何1つ知らず、巨人軍の打順にも興味がなかった。これにこだわってしまうと、練習を行う時点でつまずいてしまう。

    毎日の通学・通勤路は誰でも順序よく思い出せるはずだ。が、詳細にありありと、生き生きと思い出せるかというと、さにあらず。しっかりと見て歩いていない自分に気がつく。電車やバスに乗っても、車窓の風景にまったく関心がないという人もいる。高校生の私は自転車通学だったが、学校に行き着くことで忙しく、赤毛のアンのように風景を楽しんだ思い出がほとんどない。大学になると徒歩2分の場所に居を構えたので、慣れ親しむ通学路が存在しなかった。

    イメージ変換には訓練がいる。「自宅の玄関」を場所に使い、そこに「赤いリンゴ」を結び付けたいとする。そもそも「自宅の玄関」がありありと思い浮かばない人がいる。場所がありありと思い浮かばない人は、そこに置こうとした「赤いリンゴ」も当然のこと、ぼんやりとしている。

    準備に時間がかかるのがいけない。新約聖書の福音書をマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの順序で覚えたいとして、マタイを何にイメージ変換しようか・・・と時間がかかるのは不経済だ。そもそも関心の高いものは何度も出会ううちに記憶に定着するものであり、頭文字をとって「マ・マ・ル・ヨ」と繰り返していれば覚えられたりする。

    数字をイメージに変換する記憶法では、「26=風呂」、「35=珊瑚」などを使って、いくつかの電話番号をイメージ連結で覚えた記憶はあるが、現在は忘却のかなただ。それよりも、セリフのように何度もつぶやいた「いい国つくるの鎌倉幕府」や、ルート2は「ひとよひとよにひとみごろ」のような語呂合わせのほうは、イメージなしでいまでも口について出てくる。

    「場所とイメージ」の記憶術では成果が出なかった私だが、イメージ変換の小手先の記憶術はそれなりに役に立ったものもある。

    スペイン語を始めて覚えるときに、右が「デレチャ(derecha)」で左は「イスキエルダ(isquierda)」だった。このときトッサに想像で右側に「デレデレしてお茶を飲んでいるお姉さん(=女性名詞)」を置き、左側に椅子を置いて「椅子消えるだ!」と心の中で叫んだら、一発で覚えた。

    電池の単1、単2、単3は、単1と単3のどちらが小さい電池なのか、幼少期よりいつも混乱していた。そこで、単3は「炭酸のコカコーラのビンに入る小さな電池」と想像したら覚えられた。

    どちらも語呂合わせだが、単に言葉遊びで面白がるのではなく、実際にイメージで思い浮かべる。「椅子消えるだ!」を初めて覚えたときの状況や、「コカコーラのビンに電池を入れる」シーンは、30年近くなった今でも覚えている。

    ■■■■■■十■■■■■■  

    現代は記憶喪失の時代だ。ワープロが普及してくると漢字が書けなくなる。カラオケでは歌の歌詞を覚える必要がない。携帯電話では、登録してある他人の番号はもとより、自分の番号を覚えていない人もいる。手紙を書かなくなると、自宅の郵便番号も忘れられる。

    読み書きの能力が強まれば強まるほど、記憶する能力が弱くなるという説もある。どんな楽譜でもすぐに初見で弾けるが、暗譜はサッパリというピアニストは、読み書きと記憶の能力が対立する例証になるだろうか。小川洋子の小説『博士の愛した数式』にあったように、短期記憶がほとんどなくなっても、しっかりと記録する能力と後からそれを読む能力があれば、知的創造に支障はない、と居直ることができるだろうか。

    古代ローマで考案された記憶術や、暗記に全身全霊を捧げた中世の知的活動から、さて、学べることは何であろうかと考えてみた。

    1.「本は手許に置いておけば後からいつでも読める」という天国は中世には存在しなかった。が、いつでも読めるという甘さがゆえに、積んドクで読まれていない本、表面的に読んでわかったと思っている本が本棚に眠っていたりする。また、本屋の立ち読みや図書館の貸し出しで“勝負をつける”という意気込みがなくなっている。

    2.読む本がたまり、目の疲れが気になってくると、本の存在自体が鬱陶しくなる。こんなとき、自分の本棚にある本を「聖書」であると思い込んでみる。世の中には自分の本棚にある本しか存在しない。その本を通して、1つでもいいから「聖なるもの」「価値あるもの」に出会いたい。すでに他界した著者の本の場合は、あの世とこの世の神秘的な対話なのだ。

    3.暗記から解放された現代人の頭は何に使われるべきだろうか。頭を言葉から解放し、もっとよく見ること、もっとよく聞くこと、自分の感情や内面の変化をもっとよく感じることに専念できないものか。自分の枠を広げること、新しい概念を読み取ることにもっと多くの時間を割けるはずだ。

    4.「Think globally, memorize locally」という形で、世界の地誌と歴史を身近なローカルの空間に圧縮する。中央アジアのマップを近所の公園に対比し、ヨーロッパの地図を大学の建物にはめ込んでみる。歴史を覚えるときは、10世紀の事象は○○商店街に、13世紀の事件は××散歩道に埋め込んでみる。ローカルの世界をもっとしっかり見ようする気持ちにもつながる。

    5.現代の生活では、人の名前を覚えることに記憶術は使うべきではないか。事象を忘れても、キーになる人物名を覚えていれば検索、調査、井戸端会議は発展する。人の名前をしっかり覚えることは、人間関係のよりよい潤滑油としても機能する。自分の身の回りにいる人たちで、フルネームで覚えている人たちの領域を50人、100人、500人と広げていくと何が起こるだろうか。

    6.トマス・アクィナスは国王の晩餐会でも暗記や作文を続け、いい文章がまとまると「これだ!」と大声叫んでしまった。長文を頭の中だけで構成し、口から発せられたときに“完成文”にするという訓練は、「場所とイメージ」を上手に使えば可能だ。1980〜90年代にはメモだけを頼りに、週刊誌などに電話送稿で完成文を送るルポライターがごくわずかながら存在した。

    7.とりあえずで書き始め、あとから文章をいくらでも修正できる「奇跡のワープロ」が普及してから、まだわずか20年あまりだ。中世の知識人はワープロを神として崇めるだろう。「私は文章の才能がない」などと卑下せずに、中世の修道院に思いを馳せながら、このようなすばらしい神器の可能性をもっともっと追及してみよう。

    ■参考文献:
  • Mary Carruthers 『The Book of Memory - A Study of Memory in Medieval Culture』
  • Alberto Manguel 『History of Reading』
  • posted by ヒロさん at 08:51 | Comment(1) | TrackBack(0) | 神話・宗教・民俗学

    2008年02月12日

    シャルトル大聖堂の偉大なる、ユニバーサルな異教空間

    3泊4日でフランスのシャルトル(Chartres)に行ってきた。目的地はただ1つ。「ノートルダム」という聖母マリアに捧げられた12〜13世紀のゴシック建築、シャルトル大聖堂だ。

    非信徒として2回の礼拝に参加したが、感動の一言に尽きる。いや、尽きないのでもっと、もっと書くと、異教徒であればこそ聖なる感動の体験が待っている。

    オルガンの音色にハッ、と魂が目覚める。

    礼拝はバッハのオルガンで始まる。私語がやみ、俗が聖に転換する。自宅のパソコンで流すオルガン曲はオモチャのオルゴールに過ぎない。大聖堂のオルガンは全身を洗い流し、背中や胸を熱くする。心は高揚し、視線は天上へと向かう。

    天蓋アーチに至る36.5メートルの垂直空間。

    上方には頭を押さえつけるものはなにもない。そこに待つのは天の高みであり、私に与えられた自由なる空間だ。世俗の会話から隔絶された、私だけの聖なる空間。

    目に優しいステンドグラスの光模様。

    前方に待ち受けるのは、色彩豊かなステンドグラスによる光のパノラマだ。「光」を意識せずにはいられない。希望の光が開けている。ステンドグラスには“意味”をもったシンボルやストーリーがあるが、ぼんやりと表現されているため、異教徒はその表象をほとんど意識することがない。

    聖歌やお祈りはラテン語とフランス語だ。

    日本語や英語では「言葉の意味」を意識してしまう。ラテン語やフランス語ならば(圧倒的多数の日本人にとって)音楽であり、自然音の一部だ。ヴィーナスのささやきであり、北欧ヴォータン神の冬将軍であり、ケルトの水の妖精のおしゃべりにしか聞こえない。ラテン語やフランス語がわからない人は天国に近い。幸いなり。

    できるだけ後方に立つこと。

    前方の祭壇に接近すると、左右の袖廊に近くなるので風通しがよくなって、冬場は寒い。司祭様が脚をボリボリ掻いている姿とか、咳き込む様子とか、白装束の男性が“お香の銀壷”を暴力的に振り回しているのが見えてしまい、世俗な気分に戻ってしまう。なので、後ろに下がったほうがよい。そうすれば、さらに異界の気分が深まる「ラビリンス(迷路)」が待っている。


    このラビリンスの中心部には大理石が埋め込まれており、感受性の強い人は、この中心部に立った瞬間に体感の変化を感じる。この地下に不思議な何かがあることを感じさせるのだ。(椅子で埋め尽くされている場合が多いので、上記の写真は日頃の心がけがよい人のみ)

    聖堂や教会堂は一般に「西」に入口があり、「東」の端にマリア様やイエス様が鎮座する。バシリカ形式では、通路は縦長の「ラテン十字」になっており、十字の交差点で「聖体の祭儀」が執り行われる。十字架のシンボルは丸首のエジプト十字(アンク、Ankh)が起源とされているので、西の入口から前進する一歩一歩は、一粒の種が芽を伸ばし成長する姿だ。あるいは両性具有の地母神のファロス(陽根)から生命が復活する象徴だ。

    この縦長の廊下(身廊、nave)を進み、十字架の交差点に触れるとき、陰と陽が融合し、キリストの血はワインと変わり、その肉はパンとなる。交差点を超えて(聖職者以外立ち入り禁止の)丸首の輪に交接するとき、犠牲となった“種”は、あの世で晴れて大女神マリア様と結ばれる。“いけにえ”の童子は、豊穣を祈る農業の神に昇華する。

    シャルトル(Chartres)の地名は、ケルト人のカルヌート族(Carnute)に由来する。大地の神エスス・ケルヌノスは、木の枝に生け贄が吊るされることを喜ぶ。地下のクリプト(地下礼拝堂)に下ると、二重三重に昔の礼拝堂の跡を辿ることができるが、最下層にはドルイド教の聖水の井戸が眠っている。

    さらに異教の世界をめぐりたい人は、約50mの塔を300ステップの螺旋階段で登るとよい。偽ディオニュソスの書いた『天上位階論』でも思い出しながら、この世のヒエラルキーを一歩一歩と登る。そして息が切れたころに外に出ると、魔よけの化け物たち(gargoyle)が、こんにちは、とあなたを待ち受けている。

    こんな偉大な発明があっただろうか。古代エジプト文字で「生命」を意味するアンク十字を感じながら礼拝堂を歩き、遺骸をパンやワインに変えるディオニュソス儀式に目を見張らせ、小アジアの豊穣神イシュタルとともに喜び、クレタ島のラビリンスに胸を躍らせ、ケルトの聖水で御霊を洗い、北欧ゲルマンの魔物で厄を払い、天上のイスラエルを目指したノルマンディーのバイキング王族の尊大さに打たれる。

    そして、バッハやグレゴリオ聖歌の調べに踊りながら、俗界に打ち出でて50mも歩けば、おいしいバターとカンパーニュ・パン(田舎パン)の店が待っている。まさにユニバーサルな至福の空間ではありませんか。

    ■■■■■■ つぶやき ■■■■■■  

    この時期、さらにユニバーサルなのは、日本からのグループ観光ツアーが押し寄せること。毎日40人ぐらいだが、閑期がゆえにその行動形態は特に目立つ。茶髪だらけの“異邦人”軍団(女性90%)が、シルバー系のデジカメを一斉に頭上にかざしながら、ローマ軍4列行進よろしくシャルトル大聖堂に進撃するのは、見ものだ。日本人ガイドの声に耳を澄ますと、「シャルトルの教会堂は火災や略奪で何度か焼け落ちましたが、いい国つくる鎌倉幕府の2年後の1194年に、現在の大聖堂の母屋が完成しました」とさ。

    1066年にバイキング王のノルマンディー公ウィリアムが、わが家の近所のヘイスティング(Hasting)から上陸して荒らし回った挙句、変なフランス語をたくさん置き去りにしたので迷惑している。例えば「Forest Row」という地名は、「Foret de Roi(王様の森)」が訛ったもの。あだ討ちということで、ドーヴァー(Dover)→ユーロトンネル(自動車専用列車)→カレー(Calais)→ルーアン(Rouen)→エヴルー(Evreux)→ドルー(Dreux)→シャルトル(Chartres)のルートでノルマンディー上陸作戦を決行した。本日の写真はネットを十字軍的に荒らし回って略奪してきたもの。
    posted by ヒロさん at 08:33 | Comment(20) | TrackBack(0) | 神話・宗教・民俗学

    2008年02月06日

    バビロン捕囚で始まった、恐怖の「ペルシャ大王」の黙示録と歴史観

    『Beliefs -- That Changed the World』という新刊の世界宗教の解説書を見ると、一神教のユダヤ教、キリスト教、イスラム教に始まり、インドの信仰(ヒンズー、ジャイナ、シークなど)、仏教、中国の信仰(儒教、道教など)、日本の信仰(神道)のように続いている。

    「世界を変えた信仰」と副題がつくにもかかわらず、3つの一神教に絶大な影響を与え、さらに仏教を経由して中国や日本にたどり着いたペルシャのゾロアスター教(+ミトラ教)についてはほとんど何も語られていない。

    が、わずかに残された痕跡は「インドの信仰」として解説されているパールシー教だ。「パールシー」=「ペルシャ」のことで、拝火教とも揶揄される。ムンバイ(ボンベイ)に数多くの信者を有し、インドの財界で力をもつタタ財閥はパールシー教徒だ。

    本家本元のイラン(ペルシャ)は長年のイスラム化に加え、1980年のホメイニ革命でさらに過激なイスラム路線を走ってきたため、現代イランではゾロアスターの影は薄い。ただし、イラン議会ではキリスト教徒、ユダヤ教徒、ゾロアスター教徒の代表にそれぞれ1議席が与えられており、ユダヤ教やキリスト教と“同等”の地位を保っている。

    ■■■■■■十■■■■■■  

    3つの一神教に対する「絶大な影響」の中身は何なのかというと、善悪二元論、終末論、天使論(7つの天使)などだ。黙示録的な話に限定すると、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教がそれぞれにもっている「神と悪魔の対決」「メシア思想」「最終戦争」「死後の審判と救済」「千年王国」などは、すべてゾロアスター教に起源があり、BC6世紀頃からまずユダヤ教にコピーされたものだ。

    ゾロアスター教の宗教観がどのような経緯でユダヤ教に伝播したのか、今回はその歴史的な背景を解説したい。

    まずは、世界史の教科書にも出てくるBC6世紀のバビロン捕囚(Babylonian captivity)だ。バビロニアのネブカドネザル王がユダ王国(南イスラエル)を征服し、イスラエル人がバビロニアの捕囚となった期間(BC597-538)を指す。

    ユダヤ人にとって憎い、憎い、憎い存在がバビロニアだ。この憎さは定型句となって、新約聖書『ヨハネ黙示録』では憎き存在を「バビロンの大淫婦」と呼ぶまでになっている。バビロニアにとどまったものから見ると「捕囚」だが、シリア、ギリシャなどに国外逃亡したユダヤ人にとっては「ディアスポラ」の始まりである。

    ところが約60年の辛酸を嘗めた後に、神風が吹いた。ペルシャのキュロス大王(Cyrus the Great)がバビロニアを破り、ユダヤ人を解放するに至った。このペルシャのキュロス王は、旧約聖書のイザヤ書で救世主(メシア、キリスト)として記述されている。

    ■旧約聖書 イザヤ書 44:24〜45:1 (新共同訳)
    あなたの贖い主
    あなたを母の胎内に形づくられた方
    主はこう言われる。
    わたしは主、万物の造り主。
    <中略>
    キュロスに向かって、わたしの牧者
    わたしの望みを成就させる者、と言う。

    エルサレムには、再建される、と言い
    神殿には基が置かれる、と言う。

    主が油を注がれた人キュロスについて
    主はこう言われる。
    わたしは彼の右の手を固く取り
    国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。
    扉は彼の前に開かれ
    どの城門も閉ざされることはない。

    万物の造り主たるヤウェの神が、キュロスこそが私の「牧者(羊飼い)」であり、「私の望みを成就させる者」と絶賛する。さらにキュロスを形容する言葉として「主が油を注がれた人(Annointed one)」を使っており、「油を注がれた人」とはヘブライ語で「Meshiach」(メシア)のことで、ギリシャ語の翻訳では「Christo」(キリスト)のことだ。

    つまり、ユダヤ人にとってペルシャの大王キュロスは救世主キリストであり、神自らが絶賛するユダヤ民族の命の恩人なのだ。ペルシャ支配下で信仰を認められたユダヤ人は、エズラ書やエレミア書に記載されているとおり、第二神殿の建設に勤しむことになる。

    手許に聖書がある人はエステル記を見てほしい。英語でいうとエスター・ヒックス(Esther Hicks)のエスターにあたる女性の名前だが、名もなきユダヤ人の孤児エステルは、なんとシンデレラ物語よろしく、キュロス大王の曾孫にあたるクセルクセス王(Xerxes)の王妃の座を射止めている。史実からすれば与太話であろうが、権力の中枢に潜り込むユダヤ人のしたたかさを思わせると同時に、ユダヤ人がいかにペルシャ王権にぞっこんで惚れ込んでいたのかを物語る逸話だ。

    ペルシャはその後、マケドニアのアレクサンダー大王に征服され、ギリシャ文化の風が吹くことになる。ペルシャ系のユダヤ人は抜群の機動力を発揮し、ペルシャ文化をギリシャに持ち込んだ。貨幣鋳造、郵便制度、ペルシャ美術などとともに、ゾロアスター教のパワーと神話がギリシャにもたらされた。

    ゾロアスター教にある善悪二元論、終末論、死後の審判などの黙示録的な教えが、ユダヤ教の中に合流したわけだ。ギリシ圏ャに移住したユダヤ人は、聖書(旧約聖書)のギリシャ語訳なども進める一方、救世主ペルシャを好意的にヘレニズム文化に伝播する。ゾロアスターはヘレニズムにおいても、偉大なる宗教家・神秘家・革命家・占星術師として大々的に宣伝されることになったわけだ。

    また、ギリシャで「歴史の父」と言われたヘロドトスは、ギリシャ語で「研究」を意味する『ヒストリアイ(歴史)』を表した。何の研究かというと、ギリシャのことは何1つ書かず、ペルシャ王朝史の研究だった。当時はアレクサンダー大王が登場する200年前のことであり、弱小国ギリシャにとって最大の関心は超大国ペルシャの動向だった。(この構図は隋・唐が猛威を振るったころの日本と中国の関係にも似ているかも)

    歴史の父ヘロドトスは、その後のアレクサンダーのペルシャ征服とあいまって、「ヨーロッパ対アジア」の対立の歴史観の源流になったといわれている。このような対立の歴史観に加え、“ペルシャ原産”の二元論と終末論がユダヤ教で増幅、さらにキリスト教で肥大化し、「善なるヨーロッパ」と「悪魔のアジア」という二千年の歴史観が展開していくことになるわけだ。


    ■参考文献:
    Simon Pearson 『End of the World - From Revelation to Eco-disaster』 (Robinson)
    Richard C. Foltz 『Spirituality in the Land of Noble - How Iran Shaped the World's Religions』 (Oneworld Oxford)
    Jason Elliot 『Mirrors of the Unseen - Journeys in Iran』 (Picador)
    岡田英弘 『世界史の誕生』 (ちくま文庫)
    前田耕作 『宗祖ゾロアスター』 (ちくま学芸文庫)
    posted by ヒロさん at 22:33 | Comment(14) | TrackBack(0) | 日本史・世界史
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