2008年03月17日

視力回復で効き目がある3項目:熱いタオル、マッサージ、アイマスク

久しぶりに視力が回復してきた。『あなたの視力はすぐ戻る』という本を参考にして、毎日やっていることは以下の3つ。

  • 朝起きたら、熱いタオルを目の上に乗せる。
  • 目の周辺をマッサージする。
  • 裸眼に穿孔アイマスクをかけ、視力表をじ〜ぃと見つめる。

    1つ目のタオルだが、ほとんどすべての病気は暖めると回復に向かう。疲れ目のときは、蒸しタオルや熱いお湯のタオルで視力はぐっと回復する。朝だけではなく、夜寝る前にするとさらによい。また、ちょっとでも疲れたなと感じたときは日中でも。

    ちなみに、戦争中に零戦のパイロットはこの蒸しタオルで3.0、4.0という視力を維持したそうな。空中戦では先に相手を発見し、後ろを取ったほうが基本的に勝ちなので、わずかな視力の差が生死を分ける。

    2つ目は眼球の周辺を徹底的にマッサージ。ネットで検索をかければいろんな方法が出てくるが、とにかく自分であれこれ試して、目がスッキリする方向でマッサージしている。ついでに首と肩をほぐす運動もあれこれと。

    3つ目は小さな穴がたくさん空いた柔らかい穿孔アイマスクを使用して、裸眼で視力表を見る(コンタクトは絶対はずすこと)。もう何十年も1.0付近を見ようという気すら起こっていなかったが、このアイマスクで0.5以上が見える。調子のいい日は0.8〜0.9も見えるようになってきた。読み取れはしないが、1.5や2.0の段になにかゴミのようなものが感じられるようになってきた。

    上記3つのいずれの場合も、「私の目はいつも気持ちがいい」、「ハッキリ、スッキリ、きれいに見える」、「どんどん見える、ますますよく見える」などのコトバを繰り返して、絶対によくなると信じる。ちなみに私の視力は長年0.06〜0.08程度だったが、最近は0.2がじわじわと見えてきた。

    視力回復の体験談はいろいろある。目の機能は不思議なもので、人によっては裸眼はほとんど上がらないのに、メガネ視力がぐっと上がる人もいる。メガネ屋さんでは網膜に焦点をあてて視力を測定する機械があるが、この機械測定ですごい近視なはずなのに、裸眼で正常に近い視力を発揮する人もいる。

    視力は、1)レンズの機能、2)眼軸を伸縮させる機能、3)脳内で映像を解析する機能、のそれぞれがお互いに補っている。どれか1つがよくなっただけも、視力がぐっと上がる人がいるということだ。

    特に3)だが、逆さメガネといって、上下が逆に見えるメガネをかける実験があり、しばらくすると脳内で上下を反転させてみることも可能になるという。そもそも網膜には上下左右反転の映像が映っているのを脳がひっくり返してみているわけなんですけど。網膜にぼけて映った映像の場合も、映像信号の解析次第ではクリアに見えるということもあるということか。

    視力回復でさらに心がけがあるとすれば、

  • 毎日できるだけ目の日光浴。(できれば早寝早起き)
  • 食事は玄米を中心に。
  • 暇をみて、さまざまな眼球運動。

    中学生の頃から「眼球運動」ばかりやって、ほとんど何も効果がなかったが、「熱いタオル」「マッサージ」「アイマスク」「食事」「日光浴」と併用すれば、それなりによくなるはずだ。さらに視力が上がったら、また報告するね。
  • posted by ヒロさん at 08:37 | Comment(10) | TrackBack(0) | 視力回復への道

    2008年03月11日

    モーゼが視たヘルメス蛇の幻想 ― 龍神イエスを導くマトリックス

    ヘブライ大学の認知心理学の教授がモーゼ研究で面白いことを言っている。

    AFP:十戒を受けたときモーゼはハイだった、イスラエル研究報告(2008/3/6)
     旧約聖書に登場するモーゼ(Moses)はシナイ山(Mount Sinai)で神から10の戒律を授かったとされているが、それは麻薬の影響による幻覚経験だった――イスラエルの研究者によるこのような論文が今週、心理学の学術誌「Time and Mind」に発表された。
     ヘブライ大学(Hebrew University)のベニー・シャノン(Benny Shanon)教授(認知心理学)は、旧約聖書に記されている「モーゼが十戒を授かる」という現象に関し、超常現象、伝説のいずれの説も否定。モーゼもイスラエルの民も麻薬で「ハイになっていた」可能性が極めて高いとしている。
     モーゼが「燃える柴」を見たり、聖書によく出てくる「声を見た」という表現も、麻薬の影響を示しているという。
     教授自身も麻薬を使用して同様の感覚を味わったことがあるという。1991年、ブラジルのアマゾンの森林で行われた宗教儀式で、「音楽を見る」ための強力な向精神薬、アヤフアスカを服用。精神と宗教のつながりを視覚的に体験したと言う。
     アヤフアスカには、聖書の中でも言及されているアカシアの樹皮でつくる調合薬と同程度の幻覚作用があるという。

    「アヤフアスカ」はアヤワスカとも呼ばれる幻覚調合剤で、エハン・デラヴィやグラハム・ハンコックなど意識の冒険家たちが何度も服用している。このアヤワスカを飲むと大蛇の幻覚を例外なく見ると言われているが、シャーマンとしてのモーゼがアカシア樹脂を使って同様の幻覚作用を得ていたとすると、モーゼの「蛇の杖」や「炎の蛇」や「青銅の蛇」も説明がつく。

    蛇信仰は世界中で普遍的に存在するが、旧約聖書の創世記では蛇はサタンの化身であり、イブをけしかけて知恵の実を食べさせた。一方、エジプト脱出のモーゼは杖を蛇に変えたり、堕落した民を炎の蛇で殺してしまうという“蛇使い”だ。

    ◆旧約聖書 『民数記(Numbers)』 21:4−9 (新共同訳)
    彼らは、ホル山を旅立ち、エドムの領土を迂回し、葦の海を通って行った。しかし、民は途中で耐え切れなくなって、神とモーセに逆らって言った。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力もうせてしまいます。」 主は炎の蛇を民に向かって送られた。蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。民はモーセのもとに来て言った。「わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。」 モーセは民のために主に祈った。主はモーセに言われた。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者ががそれを見上げれば、命を得る。」 モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。

    最も不思議なのは、ユダヤの民が許してくださいと哀願したときに、蛇にかまれても死ぬことのない“解毒装置”として、「青銅の蛇」を用意したことだ。蛇にかまれても、この青銅の蛇を見ると命を得るという。

    偶像を拝んではいけない、他の神を拝んではいけないといいながら、チャッカリ蛇の偶像を用意したことになる。みんな死ぬのが怖いので、この青銅の蛇をありがたや、ありがたやと拝むに決まっている。どうして蛇の天敵である「鷲」や「鷹」の像を使わないのか。あるいは「ヤウェ、ヤウェと10回繰り返せば直る」という言葉のパワーを使わないのか。

    ◆旧約聖書 『列王記 下(II Kings)』 18:1−4 (新共同訳)
    イスラエルの王、エラの子ホシュアの治世第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。彼は二十五歳で王となり、二十九年間エルサレムで王位にあった。その母の名はアビといい、ゼカルヤの娘であった。彼は父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行い、聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた。イスラエルの人々は、このころまでにこれをネフシュタンと呼んで、これに香をたいていたからである。

    時代が下ってヒゼキヤ王の時代になると、モーゼの造った青銅の蛇は打ち砕かれてしまう。蛇神は拝んではいけませんよ、何度注意しても、人々は蛇を拝んでしまっていたということだろう。しかしながら、この蛇拝みの元を造ったのはユダヤ教の開祖モーゼなのだ。

    蛇神というとおどろおどろしいが、いわゆる地の神の象徴であり、龍神さまと言ってもいい。龍神の側に立って、旧約聖書にある「ヤウェ vs 龍神」の対立構造を読み取ると以下のようになる。

  • ヤウェがこの世を創造したけれど、ロクなもんじゃないよ、この世界は。
  • アダムとイブを救うべく、知恵の実を食べさせる龍神さまの電撃作戦がついに決行!
  • ところがヤウェが「原罪」と恐怖政治の手法を使って闇の人間支配を継続。
  • これに反撃すべく、モーゼが登場。ヤウェだけを拝むように見せかけて、「青銅の蛇」を拝まざるを得ない仕組みを構築。
  • ヤウェの化身ヒゼキヤ王がこの工作に気づき、龍神の通信機「青銅の蛇」を破壊。

    互角の戦いといったところか。で、この後にユダヤの律法主義を批判しながら登場するイエスは、さて、どちら側の化身なのか。正統派のキリスト教会は口先でユダヤ教を否定・超克したと言いながら、<ユダヤの神=キリストの神>という路線を選択。一方、キリスト教の異端であるグノーシス派は<ユダヤの神=サタン、キリストの神=龍神>を選択している。

    ユダヤ教の神ヤウェがサタンであるとすると、アダムとイブに知恵づけをした蛇が本当の神さま(龍神さま)だったということになる。また、イエスこそが龍神の化身であり、ヤウェが仕組んだ「原罪」を浄化するために、あえて十字架に掛かって犠牲になったという解釈や、スキをついてサタンをコブラツイストで締め上げたという解釈も成り立つ。

    中世のキリスト教では、旧約の神様が偶像崇拝はいけないと何度も警告したにもかかわらず、イエスの磔刑や聖母マリアを偶像にしてしまう。一方、東欧で栄えたグノーシスのボゴミール派は、龍神イエスを処刑した十字架を拝むなんてトンでもないということで、十字架を含めいっさいの偶像を否定した。

    ルネサンスになると、エジプトのヘルメス主義やギリシャの秘儀、ユダヤ教のカバラなどを融合した新プラトン主義が台頭する中で、「十字架に架かる蛇」(フラメル紋章)も現れる。反カトリックの神秘主義者は<蛇神=イエス>をほのめかし、詭弁のキリスト教徒は<これはモーゼの青銅の蛇を意味し、イエスの磔刑を予言したもの>とうそぶいて、“旧約は新約の予表”という預型論(タイポロジー)に溺れる。

    いずれにせよ、一方が神で他方はサタンであるという善悪二元論を超越しない限り、旧約を“聖”書に仕立て上げたバイブルであれ、旧約を全面的に否定したグノーシスであれ、英知に至ることは不可能であろうね。

    ■参考文献:
  • Joseph Campbell 『Creative Mythology - Mask of God』

    ■おまけ:
    映画『マトリックス』はグノーシス的な映画。機械の神(ヤウェ)が創った世界は地獄そのもので、ザイオンは“天上のシオン”からほど遠い。そこで龍神派の勢力が「赤いカプセル」(智恵の実)を用意する。反マトリックスの指導者オラクル(モーゼ)が来るべき時代を預言するが、ヤウェはエージェント・スミス(ヒゼキヤ王)などを送り支配管理を強化する。救世主となって登場したネオ(イエス)は、機械神のザイオン攻撃がエスカレートする中で、自らの身を犠牲にして(十字架に掛かり)、この世のギリギリの救済に乗り出す・・・・。
  • posted by ヒロさん at 05:21 | Comment(4) | TrackBack(0) | 神話・宗教・民俗学

    2008年03月04日

    「部分と全体」の楽観主義、「拡大解釈」のアファメーション

    『Learned Optimism』によると、人生トントン拍子でうまくいく人の思考パターンは以下の通りだという。

    どんな失敗も“部分”であり、うまくいったことはすべて“全体”。

    失敗、つまづき、トラブル、不和、災難などはどんな人にも起こるが、それが起こったときは「たまたま起こった」と考える。一方、少しでもラッキーなこと、うれしいこと、うまくいったことは「私はいつも絶好調、超ラッキー」と考える。

    つまらないものや嫌な体験を味わっても、「本なんて所詮・・・」「派遣会社なんて結局・・・」「男なんてみんな・・・」「フランス人は必ず・・・」のように一般化するのはやめる。その本や、その派遣会社や、その男や、そのフランス人がたまたま自分の波長に会わなかっただけだ。

    そして、いいものに出会ったときは「私はツイている、みんな助けてくれる、結局は私はハッピーエンド」にしてしまう。さらに、友人や他人にいいことが起こった場合は、自分にもひょっとして起こるかもと“拡大解釈”する。

    世の中だ不況だ、鳥インフルエンザだ、食糧難だ、戦争だと騒ぎ始めても、それは「全体」ではなく「一部」の話にすぎない。一方、人様の話で借金地獄から大逆転、視力が0.01から0.6へ回復、高齢になってからベストセラーと書いたといった成功談があれば、「同じ人間がやったこと、私にもできるかも」と考える。

    エスター・ヒックスの『The Law of Attraction』(邦題:引き寄せの法則)にあるアファメーションもよくできている。宇宙意識アブラハムがあなたのために以下のような言葉を選んでいる。

    ◆Esther and Jerry Hicks 『The Law of Attraction』 p70
    I want perfect health! I like feeling good.
    I enjoy my good-feeling body.
    I have many positive memories of feeling good in my body.
    I see many people who are clearly in a state of good health,
    and it is easy to see how much they are enjoying their good-feeling bodies.
    When I think thoughts like this, I feel good.
    These thoughts are in harmony with a healthy body.


    【拙訳】完全な健康がほしいなぁ! 私は気持ちのよいのが大好き。
    私の体はとっても気持ちがいいので、ほんと〜うにうれしいわ。
    私の体には、気持ちのいい思いをしたときのいい思い出がたくさん詰まってる。
    世の中にはすてきな健康を楽しんでいる人たちが、ほんとうにた〜くさんいる。
    その人たちを見ていると、気持ちのいい体をほんとうに楽しんでいるんだなぁ、ってわかる。
    と、こんなことを考えているだけで、気分がよくなっちゃった。
    こういう考えが実際の健康を引き寄せちゃうのよね。

    このアファメーションを「部分と全体」のオプティミズムで読み取ってみる。

    こういうアファメーションは「病気を何とかしたい」「もっと健康になりたい」からやるわけだが、今の病状にはいっさい触れずに、私の体の“全体”が「いい気持ちの体なのよ!」と宣言する。今はどうであれ、過去に一瞬でも「いい気持ち」があれば、そんないい気持ちが“た〜くさんあった”ことにする。今この瞬間、実際に気持ちのいい気分のときは、これに付け込んで「私はいつも気持ちがいい、私の体は気持ちがよくなるためにあるの」という“普遍的な状態”に誘導する。

    自分の過去に「気持ちのいい」健康ファイルが乏しいときは、他人の「気持ちよさ」を自分の意識に転用し、流用し、拡大させる。一方で他人の老化、病気、事故、怪我の話は素通りのスルーにしてしまう。友人が風邪を引き始めても、自分の喉がちょっと痛み始めても、いちいち話題にしない。明日の朝はニコニコ健康で目覚めることだけを考える。

    『Power of Now』(邦題:悟りを開くと人生はシンプルで楽になる)が指摘するように、大多数の人たちの体に対する意識は「Pain Body(痛みの体)」にある。体は痛み、苦しむためにある。痛みと苦しみは恨みとなって体に染み付き、霊的覚醒や心の成長のためには、体の“受難”の日々は避けられないと信じ込む。そんな「体の痛み」や「心の痛み」は、全部まとめてゴミ箱に捨ててしまえということだ。

    もう1度まとめると、

    不愉快なものは限定解釈、気持ちいいものは拡大解釈。

    このような「思考の習慣」は単純だが、単純であるがゆえに、よほどラッキーな星の下に生まれた人以外は、学習しないと身につかない。が、学習すれば確実に身につく。お稽古事を1つマスターするぐらいの意気込みは必要かな。

    ■つぶやき:
    書棚にあった三浦綾子の本とおさらばすることにした。『塩狩峠』『氷点』『道ありき』など悲しくも気高い名作で、著者の誠実さと不屈の精神が“買い”でもあるが、「痛みの体、犠牲→信仰(キリスト教)」という文脈はもはや私の人生に必要としない。ドストエフスキーも然り。さようなら。
    posted by ヒロさん at 21:09 | Comment(2) | TrackBack(0) | 「引き寄せ」の考察

    2008年03月02日

    母を尋ねて三千キロのオオカミ少女、虚言の舌の根が干上がる

    極限状況から奇跡の生還を遂げた人々の物語は、惰性の人生にカツを与える。ナチス強制収用所の極限の日々を描いた『夜と霧』。アンデスの雪山で遺体を食べながら生き残ったラグビー選手たちの『アンデスの聖餐』。ナチス占領下の欧州で、オオカミの群れと一緒に三千キロを歩いて生き延びた8歳の『少女ミーシャの旅』。

    欧州の奇跡の“もののけ姫”こと少女ミーシャの物語は、知り合いのベルギー人がフランス語版を読んでいたので、私も2日前に英語版の『Surviving with Wolves』の注文を入れたところだった。ところが・・・・。

    AFP:実話を元にしたベストセラー本の著者が告白、「オオカミと暮らしたのはうそ」(2008/3/1)
    【3月1日 AFP】第2次世界大戦中のベルギーで、両親をナチス(Nazis)に連行されオオカミに育てられたという実話を元にした物語『少女ミーシャの旅』の著者ミーシャ・デフォンスカ(Misha Defonseca)氏が、「自伝」はフィクションだったと認めた。ベルギーの日刊紙「ルソワール(Le Soir)」が28日、報じた。

    物語では1941年、両親をナチスに連行された8歳の少女ミーシャが、オオカミの群れの一員となって、ベルギー・ドイツ・ポーランドを3000キロにわたり旅し、両親を捜す。この本はベストセラーとなり、映画化もされた。

    しかし、現在米国で暮らすデフォンスカ氏が同紙に発表した声明によると、両親がブリュッセル(Brussels)でナチスに連行されたのは本当だが、その後は祖父とおじの家を転々として、ひどい扱いを受けていたという。

    「ねつ造」疑惑が持ち上がったのは、デフォンスカ氏の本名がモニク・ド・ワエル(Monique de Wael)であることが明らかになったことがきっかけ。「ド・ワエル」はユダヤ名ではなかったためだ。さらに、出生記録によると同氏は1941年にはわずか4歳だった。

    デフォンスカ氏は声明で、「わたしには実際の出来事と自分の内部で起こっていることの区別が付きにくい時期があった」としたうえで、「この本はわたしが作った物語だが、現実に基づいていないにしても、わたしが嫌悪する者と自分を切り離して生きていくために必要な『真実』だった」と主張。さらに「裏切られたと感じた読者には許しを請いたい。でも、たった4歳ですべてを失い、生きていかなければならなかったわたしの気持ちを察してほしい」と述べた。

    デフォンスカ氏は、一家は戦時中ベルギーから移送され殺害されたものの、ユダヤ人ではないことも認めた。

    2月にフランスで行われた物語を原作にした映画の上映会で、デフォンスカ氏は、「わたしの1番大切なお守り」として、旅で使用したとされる小さなコンパスを手に登場した。また、今回「ねつ造」を認めるまで同氏は、人々の疑惑に深く傷つけられたと語っていた。

    デフォンスカ氏は、自分は物語の出版を望んでいなかったが、米国の編集者に説得されたと主張している。(c)AFP

    このオオカミ少女おばさんは、ローマ建国のロムルスとレムルスの末裔なのであろう。1997年の出版以来17カ国語に翻訳され、映画や講演会なども含め、世界中をおおいに騙し続けてきた“奇跡の物語”は、10年を経て捏造の白旗が上がったことになる。マスコミのウソ報道と同じで名誉毀損でもない限り取り締まるすべがないが、多くの人を何十年も騙し続けている“ノンフィクション”や“証言”は他にもたくさんあるので、注意しよう。

    ■追加:
    もうじき届く『Surviving with Wolves』だが読むつもりはない。私にこの物語を紹介したベルギー人に献呈するつもりだ。英仏対訳で英語の勉強に使えるだろう。
    posted by ヒロさん at 02:42 | Comment(2) | TrackBack(0) | 報道・メディア論
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