2008年08月25日

『Why Beauty Is Truth』:数学における対称性の歴史について

「美」「真実」という言葉が出てくると芸術論を期待してしまうが、純粋に数学と物理学のお話だ。美術における対称性(シンメトリー)は主に鏡像の左右対称のことだが、数学の対称性は「ある変換を行ったときに、変換後も状態が変わらない場合」の変換性を指す。

正三角形は、120度、240度と回転させても状態は変わらない。おでんのように串刺しにしてクルリと180度回しても見かけは元のままだ。そのような操作と結果の集合が示すふるまいをあれやこれやと研究していたところ、群論(Group Theory)が生まれた。五次方程式の一般解が代数的に解けないことを証明したのも、ガロアやアーベルの群論だった。

五次方程式が解けようが解けまいが、二次が解けたから次は三次だ、そして四次だ・・・という数学者の頭の中のお遊びに過ぎなかったものが、過去200年弱の間に大いに発展し、相対性理論や量子力学を説明し、いまや重力と電磁力などを統合する「大統一理論」や「超ひも理論」の最先端を走る理論となっている。

ある演算を考えて、その結果を「百ます計算」のようにマトリックス表に書き出してみる。その結果が対角線をはさんで対称になったときに、オォーと何らかの美を感じるかどうか、あるいはよくある話じゃないのと素通りするのかどうか。

私の配偶者はほとんど何も勉強した形跡がないのに、ゼネコンの都市計画で活躍するようになった建築士だが、やはり数学のセンスが私とは違うものだなぁ〜と感心したことがある。

代数で「A×B=B×A」という交換法則がある。大人になってみれば常識の「3×5=5×3」だが、小学2年生のときに九九表を見て、これにピーンと反応したかどうか。私はまじめな性格なので、1の段、2の段、3の段とすべてをセッセと暗記したものだが、わが配偶者の場合は、

2×2、2×3、2×4、2×5、2×6、2×7、2×8、2×9
    3×3、3×4、3×5、3×6、3×7、3×8、3×9
        4×4、4×5、4×6、4×7、4×8、4×9
            5×5、5×6、5×7、5×8、5×9
                6×6、6×7、6×8、6×9
                    7×7、7×8、7×9
                        8×8、8×9
                            9×9

を暗記して終了である。「1」を含む掛け算は群論でいう「単位元の演算」なので、これもすべて省略する。そうすると本来の九九=81種類の演算は36種類に減少する。つまり小2にして群論の奥義と対称性の美に目覚めた人は、その後の数学人生の歩みが異なるのではないか・・・とぼんやりと考えている私である。(単なる賢いナマケモノに過ぎないという解釈もある。わが配偶者はイギリスに来るまでただの1度も英和辞典を引いたことがないという、トンデモのツワモノですので・・・)

数学的美学の探究は、物理的真実の探求に貢献するかどうか。この数百年の数学と物理学の発展関係を整理すると、「数学的な美」は「物理学の発見」に大いなる手がかりを提供している。物理的真理を究める上で、数学的な美は「十分条件」ではないが「必要条件」となっていることを否めない。

そしてこの「数学的な美」の中心にあるのが「対称性」だ。数学は非ユークリッド幾何学であれ、群論であれ、数学者がルールをつくって、その枠組みの中で遊ぶ世界だ。一方の物理学は、相対性理論であれ、量子力学であれ、自然(神)がつくったルールを探求し、その枠組みの中で遊ぶ世界だ。この2つの異なる世界が「対称性」を媒介にして限りなく接近する理由はどこにあるのだろうか。

『Why Beauty is Truth - History of Symmetry』の著者は、バビロニアの二次方程式、ギリシャの三大難問、三次・四次・五次方程式、ガウスの正十七角形作図、複素数平面、四元数、相対性理論、プランク定数、シュレディンガー方程式、結晶構造、次元の意味、ゲージ対称性、クオーク、超ひも理論、リー群、八元数などを説明した後に、数学と物理をとりもつ「対称性」について神秘的な問いを発しているが、その問いに答えていない。



宇宙の根源や究極の物理法則を探れば探るほどに、数学的な対称性に急接近するのは、おそらく宇宙の始まりが対称的な存在だったからだろう。写真(ネットより借用)は、12月にわが家の食卓を飾っていたものとそっくりなブロッコリーだ。これを例えに使うと、宇宙はもともと無数の対称性を持つ球体のような存在であったが、次第にキャベツのようになり、いくつかのパターンを繰り返しながら、次々と分化してブロッコリーのような多様性を演じているのではないか、ということだ。

「対称性の破れ」という言葉を使って説明する方法もある。

1) 人間は自然の一部であるがゆえに、ある対称性のパターンに美を見い出すように出来上がっている。
2) 自然や事象の多様性や複雑性とは、元々単一かつ不変であった対称性が次々に破れて展開した“なれの果て”だ。
3) 複雑性が展開する前の状態を突き詰めようとすると、必然的に“対称性”が絡むシンプルな法則に導かれていかざる得ない。

数学と物理の対称性は、「人の命の非対称性」や「ニュースの重みの非対称性」のように日常生活のレトリックとしても使われている。対称性の美と真理に目覚めた人は、社会学や日常生活のウソや飛躍を見破り、真理に迫っていく力を兼ね備えているという“拡大解釈”は、さて、果たして可能であろうか。
posted by ヒロさん at 14:53 | Comment(1) | TrackBack(0) | カテゴリ無し