2009年01月29日

うつ病的なサブルーチンのループ思考をやめる方法

■吉永良正『ひらめきはどこから来るのか』(草思社2004年) p155から引用
 うつ病者はよく考える。精神病者もよく考える。うつ病者はいつも「どうしよう、こうしよう、ああすればよかった、こうすべきではないか」と、自分の挙動や意思決定について思い悩み、同じ問題をめぐってくよくよと考え続ける。被害妄想に陥った精神病者は、他人のありもしない悪意について思い詰め、そのことだけを昼夜を問わず考え続ける。<中略>両者においては、どちらにせよ「考える」という行為が人間の偉大さではなく、悲惨さのしるしとなっている。
 もちろん、うつ病者や精神病者がよく考えるとはいっても、それは頻度や持続時間など量的な評価であり、質的な意味での「よりよく」にはけっしてならない。
 考える力は本来、サブルーティン化や階層化による思考の短縮や、真偽の弁別に対する直観の洗練化をもたらすものだ。それが精神の弁証法であろう。ところがこの弁証法がうまく働かなくなると、質的な発展が阻害されて量的な強度のみを強いられることになる。うつ病者のルーティンワーク的な「ぐるぐる思考」や精神病者の歯止めを失った妄想の自己増殖は、まさにそうした純粋な強度の独演劇ともいえる。

「うつ病」という診断を受けたことがない人でも、「うつ病的」な傾向はあるものだ。過去の後悔や未来の心配など、「よからぬ」考えが次々と意識を駆けめぐっている。頭の回転が速い人ほど、同じサブルーチンがループして暴走すると精神的な消耗が激しい。

以前「同調体質」と絡ませて記事を書いたことがあるが、このような「うつ的思考」に対する私の処方箋は以下のようなものだ。
  • 大好きな音楽を聴く。ワイヤレスヘッドホンやMP3プレイヤを活用せよ。
  • とにかく息を長く吐く(過呼吸対策)。
  • PC&TVの光よりも、もっと太陽の光を。そして適度な運動を。
  • 掃除をやれ。意識のゴミは、部屋・家のゴミと連動している。
  • 頭に巡っていることは、書き出せ。そして不要ならば捨てよ。
  • 人の気持ちを察することをやめる。そんなものは永久にわからない。
  • 「なぜ悪くなったか」よりも「どうすれば良くなるか」を考える。
  • 身の回りを「好きなもの」でいっぱいにする。
  • 過去の「うれしい」記憶や体験をリストアップし、これを繰り返し想起して、感情の制御に利用する。
  • 「世の中は悪意で満ちている」という陰謀論よりも、「みんなが私を助けてくれる」という互助論で心を満たせ。

といったところか。掃除や整理整頓で不要なものを捨てることの意味は、非生産的なサブルーチンを排除することにもつながる。パソコン回りや勉強机からは、余計な連想(=サブルーチン)を呼び出すトリガーを全部片づけてしまう。一方で「今日の目標」「自分を励ます言葉」「自分をワクワクさせるもの」を身近に置く。

「よからぬループをやめる」ことを意識するよりも、「やりたいこと」「楽しいこと」「今すべきこと」という別のサブルーチンを絶え間なく起動し、それに集中し、没頭するための工夫をする。

■吉永良正『ひらめきはどこから来るのか』(草思社2004年) p157から引用
 うつ病者の病前性格をみると、単極性(うつのみが現れるタイプ)では「几帳面、秩序を重んじる、ていねい、人に気をつかう」という特徴があり、双極性(うつと躁が交代するタイプ)では「活動的、ひょうきん、社交的、世話好き」などの傾向が強い。どちらにしても社会生活への適応のために形成された性格だが、慢性的ストレスにさらされると几帳面や活動的というパターンに「行き過ぎ」が生じ、そのために疲れてしまってうつ病を発症すると考えられる。
 <中略>単極性にせよ双極性にせよ、うつ病者のリアルな生活感覚の基本には「柔軟性のなさ」と「気持ちの切り替えに非常に時間がかかる」という特徴が見出される。それは結局のところ、「物事の重みづけができないこと(どれが重要で、どれがそうでないかを判断するのが苦手)」「あるネガティブな感情がいつまでも残る」の二つの問題点に根ざすことのように思われる、と氏は言う。

私の子供のころはノートをひたすら完璧にまとめる「几帳面」な子供だった。1つでも間違えるとゼロから書き直そうとするので時間がかかる。そして、ただただ几帳面を貫き通そうとするとエネルギーが枯渇していく。このとき、ひと休みするとか、やり方を変えるとか、そもそも目的は何かを再確認するとか、優先順位を見直してエネルギーを再配分するとか、そんなことがなかなかできない。

私の場合は「約束を破る、変更する、手持ちを捨てる」=「悪」のような思考パターンがあったようだ。計画や約束や決めたことは、常にどんどん変わっていくもの。途中であれこれ変えても、自分を責めることはない、よしよし、と自分を抱きしめてあげよう。

几帳面さや完璧さというものも、過度に「他人の目」を意識した結果でもある。ひょうきんさや社交性にこだわるのも他者意識に過敏だからだ。現実に失敗して「笑われた」「叱られた」という経験が多いと、ここから不幸のループに陥りがちだが、「部分と全体」の楽観主義、「拡大解釈」のアファメーションで乗り切っていきましょう。

posted by ヒロさん at 11:42 | Comment(8) | TrackBack(0) | 「引き寄せ」の考察

2009年01月25日

「千年女優」の古きよき日本映画は、ひたむきに走る、走る、走る

日本映画を話題にする英語圏のサイトで『千年女優(Millenium Actress: 2002年作品)』が話題に上っていたが、これは抜群の名作だった。久々にいいアニメをみて感慨にふけっている。

YouTube:「千年女優」 (1時間26分)

出だしは『オネアミスの翼』か『MEMORIES - 彼女の想いで』のような宇宙もののファンタジーかと思ったが、まったく違う意外な展開だった。とにかくテンポがよい。関東大震災の年に生まれた主人公の大女優は、“あの人”を探し求めて、ただひたむきに走る、走る、走るのだ。

昭和10年〜40年頃の日本の映画が1つでも脳裏にかすめている人は、引き込まれるだろう。伊丹万作の『無法松の一生』、黒澤明の『蜘蛛巣城(くものすじょう)』、小津安二郎の『鞍馬天狗』、今井正の『青い山脈』、円谷特撮による『ゴジラ』など。反戦活動家が登場するのは『わが青春に悔なし』だ。

映画のシーン、私生活の回想、インタビュー取材、輪廻転生の物語が縦横無尽に入れ子となって交錯していく。カメラ撮影の大阪弁も漫才のようでとても楽しい。

主人公・藤原千代子のモデルが原節子とわかったので、私自身も回想モードだ。というのも、原節子主演の映画の1つが私の母の実家で撮影されているからだ。わが家の私的映画史は、山田五十鈴や高峰秀子よりも、原節子のインプットが大きい。

『千と千尋』の人気で神隠しにされた感のあるアニメ映画だが、字幕スーパーで絶賛する海外ファンは、この邦画回想史をどのようにとらえたのだろうか。ともあれ、走馬灯にように駆け巡る旅をぜひともお楽しみあれ。

■満州のシーン
“永遠のスタア”原節子はデビューの『新しき土』で満州移住の国策を盛り上げた。満州と映画といえば、ビッグコミックオリジナルの『龍 -RON-』に登場する「田鶴てい」を思い出す。女優&監督として活躍する田鶴ていは、実在の坂根田鶴子(さかね・たずこ)をモデルにしたから「田鶴」だったわけだ。

posted by ヒロさん at 09:44 | Comment(1) | TrackBack(0) | 映画・ドラマ・アニメ

2009年01月14日

想像力豊かな「赤毛のアン」に引き寄せられるもの

『赤毛のアン』(Anne of Green Gables)が書かれたのは1908年。少女の成長過程を描くビルドゥングス・ロマンとして今日も読み継がれている小説だが、大人になった私たちの人生訓話として、以下のような読み方もできる。

1)運命を変えるのは豊かな想像力
I'm so glad I'm going to live here. I've always heard that Prince Edward Island was the prettiest place in the world, and I used to imagine I was living here, but I never really expected I would. It's delightful when your imaginations come true, isn't it?
【訳】ここに住むことになるなんて、本当にうれしい。プリンス・エドワード島は世界で一番きれいなところだっていつも聞いていたし、ここに自分が住む姿もよく想像していたの。でもまさか本当になるなんて! 想像したことが本当になるなんて、感激。

いつも想像していたプリンス・エドワード島に到着し、舞い上がるアン。想像していたことが本当に実現するなんて、なんてステキなんだろう! アンの喜々とした話しぶりに、マシューの心も揺れ動く。待ち望んでいたのは男の子だったにもかかわらず・・・。

2)歓喜と感謝が状況を動かす
Oh, I don't mean just the tree; of course it's lovely - yes, it's radiantly lovely - it blooms as if it meant it--but I meant everything, the garden and the orchard and the brook and the woods, the whole big dear world. Don't you feel as if you just loved the world on a morning like this? And I can hear the brook laughing all the way up here. Have you ever noticed what cheerful things brooks are? They're always laughing. Even in winter-time I've heard them under the ice. I'm so glad there's a brook near Green Gables. Perhaps you think it doesn't make any difference to me when you're not going to keep me, but it does. I shall always like to remember that there is a brook at Green Gables even if I never see it again.
【訳】木だけじゃなくってよ。もちろん木もステキ、まばゆいほどステキ、そう言いたげに花開いてるんだもん。でも私の言いたいのは、庭も、果樹園も、小川も、森も、世界全部がステキだってこと。こんなふうに朝、世界をただ大好きになっちゃった、って感じたことない? 小川の笑い声がここまで聞こえてくるの。小川は陽気なものだって、気づいたことある? いつも笑っているの。冬の間も氷の下から声が聞こえてくる。グリーンゲーブルの近くに小川があって本当にうれしい。どっちみち私はここに居れないわけだから、それが何だっていうのって思うかもしれないけど、違うの。もう二度と見ることができなくても、グリーンゲーブルに小川があったことをずっと憶えていたいの。

悲嘆の一夜が明けて、朝のすがすがしい光景に魅了されるアン。引き寄せたものが完璧ではなかったにせよ、その一瞬一瞬の出会いと与えられた機会に感謝する。この子は饒舌すぎてやかましいと感じていたマリラにも変化の兆しが・・・。

一方、いつもいつも気にしている「赤毛」は、案の定、次から次へとトラブルを引き起こしていく。なるほど、「引き寄せの法則」のテキストとしてはいいかもしれない。『赤毛のアン』の映像を見ていると、胸がキュンと切なくなるのはどうしてだろう。アン役のMegan Followsはとてもいい味を出している。

posted by ヒロさん at 21:37 | Comment(2) | TrackBack(0) | 「引き寄せ」の考察

2009年01月09日

奇跡の百人一首と数字変換の記憶術

冬休みが明けると「百人一首」遊びともおさらばだが、毎年巡ってくるものなので、この際全部覚えてしまうことにした。

小学低学年ですでに暗記を終えた人たちとカルタ取りで張りあってもしようがない。私の関心は以下のようなものだ。

  • 掛け言葉見立ての中に、日本のダジャレ文化の奥深さをしみじみと味わう。
  • 記憶・イメージ訓練として、100首を自在に取り出せるようにする。
  • 地名を調べ、色彩を感じる。
  • 作者名を全部覚える。

    例えば、清少納言の『枕草子』は知っていても、

    夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

    は知らなかったりする。鳥の鳴きまねで函谷館(かんこくかん)を開けさせた史記のエピソードを思い出したり、ついでに「貴方は今夜、鶏が鳴く前に、三度私のことを知らないというであろう」というマタイ伝を連想したりする。「大坂」と「逢ふ坂」のような掛け言葉は、ハイハイそうですか、と受け止めてあげる。

    天気のよい日に目の前のベランダに干してあるシーツを見ると、「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」(持統天皇)が髣髴とされる。百人一首には雪、かささぎ、霜、白菊、白雪など、やたらと白いイメージが多い。

    百人一首には番号が振られてある。100首をいつでも取り出せるようにするために、連想用の「番号イメージ」を用意する。

  • 01・・・ワイシャツ
  • 02・・・ワニ
  • 03・・・ワサビ
  • 04・・・ワシ
  • 05・・・ワゴン

    このような数字連想用のキーワード(イメージ)を使って、上の句の最初の5文字が出てくれば、あとは何とか思い出せることが多い。「ワイシャツ」から「秋の田の・・」、「ワニ」から「春すぎて・・」、「ワサビ」から「あしびきの・・」が引き出せるように何からのイメージ連想する。

    想起訓練は多いに越したことはない。ゆっくりとスクワットでもするときに、数字を数えるついでに「01→ワイシャツ→秋の田の」を思い起こす。歌全体を思い出すのは時間がかかるので、カードをパッパッとめくるように、最初の5文字だけをハイスピードで言えるようになればOK。

    外を散歩するときは、見かけた車のナンバープレートでランダムに練習ができる。「62-05」という数字を見たら、「62→浪人→夜をこめて・・」、「05→ワゴン→奥山に・・」と歌全体を想起する練習をする。

    『奇跡の百人一首』の著者は小学校の校長先生で、学校を挙げて暗証に取り組んでいる。上述のような記憶術は使っていないが、まったく何も見ないで100首を全部詠み上げる目標時間を7分に設定している。これは厳しい!


  • posted by ヒロさん at 17:07 | Comment(4) | TrackBack(0) | 言語学&コトバ遊び
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