「断捨離」というコトバはけっこうきつい。断ち切る、捨て去る、距離を置く、ということだが、とくに最初の2つは「絶縁」のニュアンスもあるので、実行にはエネルギーがいる。(結婚相手の断捨離は、すごいパワーがいるよね?)
一方、最後の「距離を置く」は、少しお気楽なユルユルな状態だ。あってもいいし、なくてもいい。やってもいいし、やらなくてもいい。読んでもいいし、読まなくてもいい。がんばるのもいいし、がんばらないのもいい。つまり、執着のない自由な心の状態にしよう、まずそれをモノとの関係から実践してみようということだ。
私はこれに「放」を加えて、もう少しユルユルにしてみたい。関係は切ったり、捨てたりすることはない。相手を自由にする、手放す。しがいみついていた手を放す。固定していたものを風船のように自由にする。「離」が距離感で解脱を表しているとすれば、「放」は握り・緊張・圧力といった、自分の心の中の「縛り」や「つかみ」を解き放つような感覚だ。
これに「分」も付け加えてみる。ゴミだって分別する。捨てなくてもとりあえず、分ければいい。人間関係もあの人は○○だ、と割り切る。ビジネスライクでつきあう。ここでの自分の役割は△△だと限定する。旦那に話し相手、経済力、食事で楽しい人、趣味が一致する人・・・と何もかも求めても無理というもの。で、全部得られないからといって、全否定することもない。情の世界はそうすっきりと割り切れない・・・って言っている人ほど、まずモノとの関係で分けるレッスンが必要なわけ。
「断捨離」は「断捨+離」と強行派が2対1で勝っているけれど、「断捨離放分」にすれば「断捨+離放分」になり、ユルユル派の方が2対3で逆転する。その方が、片づけも少しはやりやすくなるんじゃないかな、と考えてみた。一世一代の決意だとか、清水の舞台から変身ジャーンプ!と飛び降りるみたいなことは、どうせ続かない。気楽に少しずつ前に進むことが大事なわけよ。
断捨離放分は、モノとの関係から始まり、行動に変化が生まれ、人間関係をリストラし、思考・連想・感情・観念の世界にも波及していく感じだ。
◆宝島社『ようこそ断捨離へ ― モノ・コト・ヒト、そして心の片づけ術』(やましたひでこ)
別居中、協議離婚の話し合いの最中だった受講生さん。なかなか進展しない協議に、心が落ち着くことがなく。
そこで、思い切って、夫が残していった荷物、夫にまつわるモノすべてを、一気に片づけた。
要らないモノは処分し、その他諸々は、夫の元に送った。
で、離婚問題が加速度的に進展・解決。ご本人も、不思議なくらいと。
今では、元ご主人と、結婚した時には考えられないほど、良い関係だとか。
(p157)
家をきれいにする
↓
家が好きになる
↓
家にいることが好きになる
↓
家にいる自分が好きになる
↓
家に一緒にいる(いた)人も好きになる
こんなプロセスをたどるわけ。
きれいにしようというときに、「断」「捨」をあまり意識しないことが大切だ。
◆PHPスペシャル 2011年4月号 「片づけはマインドが9割」(近藤麻理恵)
片づけでは、「捨てるモノ」ではなく、「残すモノ」を選ぶというマインドがじつは大切なのです。<中略>
残すモノを選ぶ基準は、「触ったときにときめくか」。
1つ1つ手にとって、ときめくモノだけを残します。ポイントは、必ず手で触ること。たとえばタンスの引き出しを開けて、中身を眺めてみただけで判断してはいけないのです。(p106〜107)
残すモノを選ぶ基準は、「触ったときにときめくか」。
1つ1つ手にとって、ときめくモノだけを残します。ポイントは、必ず手で触ること。たとえばタンスの引き出しを開けて、中身を眺めてみただけで判断してはいけないのです。(p106〜107)
自分の身の回りを、自分が毎日触れるものを、自分がときめくものでいっぱいにすることが大事だってこと。
そして、見えるものをきれいに整理していくと、買い物の行動も、人間関係も、心に浮かぶコトバや連想の数々も、自ずと「ときめく」方向に整理されていくということ。目に見えないものも、ドンドン整理されていくということ。そして、最終的には目に見えない世界の真理もわかる、ってことかな。