2011年03月17日

「断捨+離放分」は見えるものから、見えないものへ

「断捨離」は、片づけコンサルトタントで有名人になった<やましたひでこ>のベストセラーが生み出した流行語だが、先日親友と話をしていて、これに「放」と「分」を付け加えることにした。

「断捨離」というコトバはけっこうきつい。断ち切る、捨て去る、距離を置く、ということだが、とくに最初の2つは「絶縁」のニュアンスもあるので、実行にはエネルギーがいる。(結婚相手の断捨離は、すごいパワーがいるよね?)

一方、最後の「距離を置く」は、少しお気楽なユルユルな状態だ。あってもいいし、なくてもいい。やってもいいし、やらなくてもいい。読んでもいいし、読まなくてもいい。がんばるのもいいし、がんばらないのもいい。つまり、執着のない自由な心の状態にしよう、まずそれをモノとの関係から実践してみようということだ。

私はこれに「放」を加えて、もう少しユルユルにしてみたい。関係は切ったり、捨てたりすることはない。相手を自由にする、手放す。しがいみついていた手を放す。固定していたものを風船のように自由にする。「離」が距離感で解脱を表しているとすれば、「放」は握り・緊張・圧力といった、自分の心の中の「縛り」や「つかみ」を解き放つような感覚だ。

これに「分」も付け加えてみる。ゴミだって分別する。捨てなくてもとりあえず、分ければいい。人間関係もあの人は○○だ、と割り切る。ビジネスライクでつきあう。ここでの自分の役割は△△だと限定する。旦那に話し相手、経済力、食事で楽しい人、趣味が一致する人・・・と何もかも求めても無理というもの。で、全部得られないからといって、全否定することもない。情の世界はそうすっきりと割り切れない・・・って言っている人ほど、まずモノとの関係で分けるレッスンが必要なわけ。

「断捨離」は「断捨+離」と強行派が2対1で勝っているけれど、「断捨離放分」にすれば「断捨+離放分」になり、ユルユル派の方が2対3で逆転する。その方が、片づけも少しはやりやすくなるんじゃないかな、と考えてみた。一世一代の決意だとか、清水の舞台から変身ジャーンプ!と飛び降りるみたいなことは、どうせ続かない。気楽に少しずつ前に進むことが大事なわけよ。

断捨離放分は、モノとの関係から始まり、行動に変化が生まれ、人間関係をリストラし、思考・連想・感情・観念の世界にも波及していく感じだ。

◆宝島社『ようこそ断捨離へ ― モノ・コト・ヒト、そして心の片づけ術』(やましたひでこ)
別居中、協議離婚の話し合いの最中だった受講生さん。なかなか進展しない協議に、心が落ち着くことがなく。 そこで、思い切って、夫が残していった荷物、夫にまつわるモノすべてを、一気に片づけた。 要らないモノは処分し、その他諸々は、夫の元に送った。 で、離婚問題が加速度的に進展・解決。ご本人も、不思議なくらいと。 今では、元ご主人と、結婚した時には考えられないほど、良い関係だとか。 (p157)

家をきれいにする
   ↓
家が好きになる
   ↓
家にいることが好きになる
   ↓
家にいる自分が好きになる
   ↓
家に一緒にいる(いた)人も好きになる


こんなプロセスをたどるわけ。

きれいにしようというときに、「断」「捨」をあまり意識しないことが大切だ。

◆PHPスペシャル 2011年4月号 「片づけはマインドが9割」(近藤麻理恵)
 片づけでは、「捨てるモノ」ではなく、「残すモノ」を選ぶというマインドがじつは大切なのです。<中略>
 残すモノを選ぶ基準は、「触ったときにときめくか」
 1つ1つ手にとって、ときめくモノだけを残します。ポイントは、必ず手で触ること。たとえばタンスの引き出しを開けて、中身を眺めてみただけで判断してはいけないのです。(p106〜107)

自分の身の回りを、自分が毎日触れるものを、自分がときめくものでいっぱいにすることが大事だってこと。

そして、見えるものをきれいに整理していくと、買い物の行動も、人間関係も、心に浮かぶコトバや連想の数々も、自ずと「ときめく」方向に整理されていくということ。目に見えないものも、ドンドン整理されていくということ。そして、最終的には目に見えない世界の真理もわかる、ってことかな。

posted by ヒロさん at 15:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | そうじ力、整理学

2011年03月13日

水辺の交流で心洗われるということ



素敵な人と食事をしてきました。心にたまったわだかまりを綺麗にするには、水面(みなも)を見つめながら、心のさざ波を立てずに、大好きな人と静かに食事をするのが一番です。

私も東北出身で、親族や友人たちがたくさんいます。死そのものは、それほど悲惨なことではありません。亡くなられた方はすでに別の世界にいらっしゃいます。生き残られた方が勇気と希望を持つことができるように、やさしく明るい波動を送りましょう。今はちょっぴり仕事を頑張って、しばらくしたら、ささやかな義援金を送りたいと思ってます。

今幸いに暮らしておられる方は、今宵も温かい布団で眠れること、電気も水道もあること、家族がいることの幸せをかみしめて、素直な心を取り戻しましょう。

この数カ月の私の悩みごとは、水辺で洗いざらい友人に話すことができ、そして今回の大自然の摂理を目の当たりして、すべて消えていきました。しっかり前に向かって歩んでいくエネルギーをもらいました。どうもありがとう。


posted by ヒロさん at 23:23 | Comment(6) | TrackBack(0) | カテゴリ無し

2011年03月08日

よく「遊ぶ人」ほど成功できる

私がスキーをやるぞ、と心に決めたのは前シーズンのことだった。佐藤富雄の著作を読み進め、彼が50才近くになってからスキーを始め、プロ級の腕前になったという話を読んで、強い衝撃を受けた。私のスキーはすぐには始まらなかったが、彼の推奨するジョギングとサプリメントは速攻で始め、1年以上経過したいまも、着々と進化を遂げながら生活の一部となっている。

彼の著作の中で異色のおもしろさがあったのは『よく「遊ぶ人」ほど成功できる』だった。できる人は遊びもうまい、という話はよく聞くが、彼自身の遊びもハンパではない。ヨット、スキー、射撃、ハンティング、車、ハーレー・ダビッドソン、カメラ、旅行、フィッシングなど。鉄道模型や楽器など、子供のころに憧れていた趣味でもいい。さらに、異性とのおつきあいも、最高の遊びだという。

彼は「徹底的に遊べば、必ず金回りもよくなる」という意味で、遊ぶ人ほど成功できる、と言っている。キーワードになるのは「ベータエンドルフィン」と「ネオタニー」だ。前者は脳内に流れる快感ホルモン、後者は発生生物学的には「幼生」のことだが、この本では子供心や童心回帰のような意味で使っている。

理屈はこうだ。ハンパな遊びではいけない。レジャーではダメだ。体をしっかりと動かし、子供のように無邪気になって、些末な日常を何もかも忘れてしまうことができるような遊びに没頭すると、脳内にベータエンドルフィンが流れる。全身の「快」が持続する。これを1日中続ける。そうすると、日常においても、休日明けの仕事においても、いいアイデアが次々と浮かび、結果的に遊びで使った何倍ものお金が入ってくる

私の今季のスキーは35年ぶりだが、大自然に抱かれながら、雪面を下半身でしっかりと受け止め、一瞬一瞬のスリルを感じながら滑り降りるのは、快感そのものだ。来年もまちがいなく続けるし、100才まで続けたいと決意している。

このような素晴らしい「快感」には積極的に金をかけることだ。自分の至福と喜びに気づいたら、それに(ちょっぴり背伸びをして)惜しみなくお金をかけること。そうすれば、お金を使うこと自体が喜びとなり、お金の流れがよくなる。排気口の詰まりを取ると、通気口からドッと新しい空気が流れてくるように。

実は中3を最後にスキーをやめた理由の1つは「お金がかかる」だった。エッジのないスキーで滑っていたのは設備投資する余裕のない家庭状況だったからだ。スキーは道具や服装を揃えるだけでもお金がかかる。スキー場への交通費もかかるし、リフト券も高い・・・と言い訳をして、「やりたいけど、お金がないからできない」→「自分はスキーよりもスケートに向いている」のように、負け惜しみの回路をつくってしまったわけだ。私にとって、今年はこの回路を35年ぶりに逆転させた記念すべき年なのだ。

私が100才まで遊びたいのは、このスキーに加えて、ピアノや歌、ファッション、旅行、そして異性への恋心。今年から楽しいと思っていることに、どんどんお金をかけていきたい。

とりあえずお金をかけずに、今すぐ始められる快感脳の遊びもある。佐藤富雄によれば、それはジョギングだという。1年前の私は「走るのがどうして快感なのか」と多少訝っていたが、いまははっきりと「本当に快感なんです」と声を大にして言える。

ジョギングに関して共感できる一節を『恋するからだ』(小手毬るい)から引用したい。

走っていると、心の中から少しずつ、なくなっていくものがある。悲しみとか、喜びとか、怒りとか、そういうくっきりとした感情がまず最初に姿を消し、それにつづいて、もやもや、うじうじ、くよくよ、というような、掴みどころのない気持ちが少しずつ消えてゆく。そして心はいつのまにか、澄み切った鏡のようになっている。(p30)

posted by ヒロさん at 20:02 | Comment(4) | TrackBack(0) | カテゴリ無し
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