2011年10月25日

車・ワゴンは、サイクルやホイールにもこだわりたい

自動車関連の翻訳をしていると、2-cycle engine とか rear wheel という単語が出てくる。「cycle(サイクル)」と「wheel(ホイール)」は見た目は全然似ていないが、語源は同じだった。

「車輪」は印欧祖語で語根が「kwel-」と推定されており、ラテン語で cyclus、ギリシャ語で kyklos、サンクリット語で chakra となる。英語の wheel は元々は発音通りに hweel と綴られているので、「kwel→hweel」は k→h の素直な変化として納得できる。

「cycle」は「circle(円)」にも似ている。「曲げる」を意味する印欧祖語の語根は「kirk-」となっており、ラテン語が circus、ギリシャ語が kirkos。曲がったものは curve(カーブ)や curl(カール)なり、ぐるりと一周曲げれば円になる。

「car(車)」の語源は「走る」で、印欧祖語では「kers-」だ。carry(運ぶ)、current(流れ)、courante(クーラント)というコトバに発展する。クーラントはステップの速い流れるようなダンスであり、そのために演奏される音楽というわけだ。

ちなみに「wagon(ワゴン)」は馬車の意味で、これをつくる職人の苗字がドイツ語では Wagner(ワーグナー)、フランス語では Cartier(カルチエ)、英語では Carpenter(カーペンター)または Wright(ライト)だ。最後の Wright の原義は「worker/builder」で、wheelwright(車大工)が省略されたもの。15世紀には millwright(風車大工)、17世紀には playwright(劇作家)というコトバも登場する。

なんと、playwright(劇作家)の「wright」は、「write(書く)」とは関係がなく、建物のように組み上げる意味だったのか! 語源の落ち穂をつっつきながら、クウェル! キルク! ケルス! カー!と鳴きたい気分。

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  • posted by ヒロさん at 14:06 | Comment(5) | TrackBack(0) | マイ・カーライフ

    2011年10月11日

    音楽ビートウォーキングの楽しい効用

    近所の美人マダムがお腹がデブって困った、困ったというので、MP3プレイヤーを使った音楽ビートウォーキングの段取りをしてあげている最中だ。

    夕方にたまたま時間が空いたので、私自身も高速の音楽ビートウォーキングを試してみることにした。最近の私のジョギングは山コースと川沿いコースの2種類の8キロコースが定番になってきているので、8月に開拓した5.5キロコースが少々ご無沙汰になっている。そこで、この5.5キロをひたすら歩いてみることにした。

    昨年秋に蓄積した80年代ロックに加え、その後、YouTubeの「誰でも知っている洋曲サビメドレー660曲(The Greatest 660 Hits from 1950s to 2008)」などから曲をコツコツと聴き集め、以下のようなBPM(1分間のビート数)130前後の曲が勢揃いした。

  • Scatman (Scatman John)・・・♪=135
  • Beautiful Life (Ace of Base)・・・♪=135
  • You Promised Me (In-Grid)・・・♪=132
  • Venus (Shoking Blue)・・・♪=132
  • You're Still the One (Shania Tawain)・・・♪=132
  • Lay All You Love on Me (ABBA)・・・♪=132
  • Freedom (Wham!)・・・♪=132
  • Hearts (Yes)・・・♪=131 スピード編集
  • On Sweet Day (Mariah Carey)・・・♪=130
  • Born to Be Alive (Patrick Hernadez)・・・♪=130
  • Can't Take My Eyes Off You (Boys Town Gang)・・・♪=128
  • Bombaleo (Gipsy Kings)・・・♪=122
  • Lambada (Kaoma)・・・♪=120

    テンポはBPM=120〜135にしてある。上限は135程度だろう。これを超えるとジョギングに近い競歩の世界になり、かなり汗をかく。一方、120代で歩けば、道ばたの花を愛でたり、あれこれと思考をめぐらせる余裕もある。

    ジョギングは下半身中心の運動だが、ハイスピードのウォーキングでは四肢全体が鍛えられる。ジョギングは腕を曲げて、手を腰のわきに据えるようなスタイルが一般的だが、ウォーキングは腕の振りが大きく、肩凝り対策として効果が大きそうだ。人目をはばからず「大手を振って歩く」のもなかなかよい。

    ビート・ランニングは、2003年に八王子市の中学陸上部で導入され、その成果が認められて全国に広がった。特定ビート数のレゲエやポップスを聴きながら走ることで、短距離・中距離走の記録がアップさせることができるという。

    こちらのサイトで紹介されている曲目は、BPM=90〜125で、実際の足のビートはこの2倍の180〜250になる。歩くビートは100〜130、競歩は130〜160、ジョギングは160〜200と考えておけばよい。私のジョギングビートは現在160〜176を採用している。

    音楽ビートを使うメリットはいろいろある。曲そのものがワクワクと楽しいこと、3〜5分で曲が入れ替わるので飽きが来ないこと、曲の進行で時間測定ができるため時計が不要になること、楽しみながら徐々に体力がついてスピードもアップすること、などだ。

    BEAT RUNNING
    最近では音楽を聴きながらジョギングをすることが当たり前のようになってきています。しかし、BEATJOGは音楽を聞きながら気持ちよく走ることが目的ではありません。あくまで音楽のビートにのって走ることが目的なので、適切なBPMが重要となってきます。

    「気持ちよく走ることが目的」ではない、「ビートにのって走ることが目的」だ、と歯切れの悪いことを書いてある。両方をとって、気持ちよくビートにのって走ればよいではないか。楽しく、気持ちよく、ワクワクしながら記録が伸びることもあるでしょうに。


  • posted by ヒロさん at 20:05 | Comment(1) | TrackBack(0) | 四肢は百獣の王

    2011年10月01日

    103才・105才姉妹の「今日はもっと素敵な日」

    『今日はもっと素敵な日』(原題:The Delany Sisters' Book of Everyday Wisdom)は、1996年に105才と103才のディレイニー(Delany)姉妹が書いた本だ。3年前に2人の100年史を綴った『Having Our Say』が大ヒットして、一躍有名人になった。

    父親は米国聖公会(Episcopal Church)の黒人学校の神父・副学長を務め、母親は同じ学校の家政婦長だった。男6人、女4人の10人の子供をキャンパスで育て、教育熱心だった。

    ディレイニー家は、出身のノースカロライナ州やその後長寿姉妹が人生の大半を過ごすニューヨーク市ハーレムの黒人コミュニティで「奇跡のファミリー」として知られている。なにしろ、1910〜20年代という大学教育が普及していない頃に、兄弟姉妹の10人全員が大学教育を受けているからだ。

    お金持ちというわけではない。長寿姉妹2人は教員養成所兼神学校で2年間の教育を受けたあと、働きながらお金を貯めて、約8年後に4年生の大学に入る。姉のセアラは教育学で修士号、妹のエリザベスは歯科学で博士号を取る。弟2人は弁護士・判事で、ジュリアード音楽院を出た妹もいる。

    父母ともに信仰熱心で、教育関係者だったという環境の賜物だろうか。父親は黒人奴隷として生まれたが、母親は白人の血が多い混血であったことが幸いしたのだろうか。とにかく学歴が異常なほどに高いファミリーなのだ。(あまりにも学歴が高いため、黒人社会からのやっかみも多い)

    長寿姉妹2人に長生きの秘訣を語らせると、毎朝ヨガ体操をし、野菜と果物をたくさん食べ、ビタミンサプリメントを欠かさないという。ほとんどの野菜は自分の庭で育て、教会にもしっかり通っている。2人は未婚のまま、ずっと一緒に暮らしている仲良し姉妹だ。

    運動、食事、仲良しの姉妹関係などに加え、信仰に裏打ちされた前向きな姿勢が彼女たちの寿命を延ばしているように思える。セアラは、毎朝目覚めると「今日という日も、きっと何か新しいことを運んできてくれる。まだ経験していない何かをすることになる」と強く思い、その思いがある限り、人は年を取らないと言っている。

    「長生きして学んだこと」と題する一節では、姉セアラは次のように記している。

     弱気になる ― これが年寄りの困ったところでしょうね。「自分はこれもできない。あれもできない」と決めてしまうんですねぇ。ある年齢をこえると、「もうだめ」とあきらめちゃう・・・。
     残念もいいところよ! 長生きして学んだことがあるとすれば、この人生はとっても楽しい、こんなに楽しいんだから、1日だって無駄にできない、ということです。人生を楽しいものにするかしないかは、その人しだいなのよ。

    ヤル気満々の姉妹は、90才代前半に2人だけで冷蔵庫を2階から1階に降ろしたことがあるという。たぶん小さめの冷蔵庫だったのだろうが、90代でそれをやろうとすることがすごい。「何もできない年寄りと思われるのが悔しい」としながらも、「ここまではできるがこれ以上は無理、という限界はワキまえてね」と釘も刺す。

    セアラは103才のときに腰の骨を折って入院する。右側の骨を折って、退院後はまた左側の骨を折るという災難だ。入院生活は1906年に腸チフスにかかって以来、88年ぶりのことだった。100才を越えて入院の寝たきり生活をした場合、そのままあの世に行ってしまうのがふつうだが、セアラは退院後は109才まで生きて、先に他界した妹エリザベスを偲びながら、3冊目の本『On My Own at 107: Reflections on Life Without Bessie』まで著すことになる。

    ただし、いずれの本も元ニューヨークタイムズ記者が聞き役になってまとめた口述筆記だ。100才を過ぎて自分でワープロを打って本を書ける人がいたら、すごいですね。わたしも頑張りましょ、っと。


    posted by ヒロさん at 15:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 100歳の誕生日
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