『今日はもっと素敵な日』(原題:The Delany Sisters' Book of Everyday Wisdom)は、1996年に105才と103才のディレイニー(Delany)姉妹が書いた本だ。3年前に2人の100年史を綴った『Having Our Say』が大ヒットして、一躍有名人になった。
父親は米国聖公会(Episcopal Church)の黒人学校の神父・副学長を務め、母親は同じ学校の家政婦長だった。男6人、女4人の10人の子供をキャンパスで育て、教育熱心だった。
ディレイニー家は、出身のノースカロライナ州やその後長寿姉妹が人生の大半を過ごすニューヨーク市ハーレムの黒人コミュニティで「奇跡のファミリー」として知られている。なにしろ、1910〜20年代という大学教育が普及していない頃に、
兄弟姉妹の10人全員が大学教育を受けているからだ。
お金持ちというわけではない。長寿姉妹2人は教員養成所兼神学校で2年間の教育を受けたあと、働きながらお金を貯めて、約8年後に4年生の大学に入る。
姉のセアラは教育学で修士号、妹のエリザベスは歯科学で博士号を取る。弟2人は弁護士・判事で、ジュリアード音楽院を出た妹もいる。
父母ともに信仰熱心で、教育関係者だったという環境の賜物だろうか。父親は黒人奴隷として生まれたが、母親は白人の血が多い混血であったことが幸いしたのだろうか。とにかく学歴が異常なほどに高いファミリーなのだ。(あまりにも学歴が高いため、黒人社会からのやっかみも多い)
長寿姉妹2人に長生きの秘訣を語らせると、毎朝ヨガ体操をし、野菜と果物をたくさん食べ、ビタミンサプリメントを欠かさないという。ほとんどの野菜は自分の庭で育て、教会にもしっかり通っている。2人は未婚のまま、ずっと一緒に暮らしている仲良し姉妹だ。
運動、食事、仲良しの姉妹関係などに加え、信仰に裏打ちされた前向きな姿勢が彼女たちの寿命を延ばしているように思える。セアラは、毎朝目覚めると「今日という日も、
きっと何か新しいことを運んできてくれる。まだ経験していない何かをすることになる」と強く思い、その思いがある限り、人は年を取らないと言っている。
「長生きして学んだこと」と題する一節では、姉セアラは次のように記している。
弱気になる ― これが年寄りの困ったところでしょうね。「自分はこれもできない。あれもできない」と決めてしまうんですねぇ。ある年齢をこえると、「もうだめ」とあきらめちゃう・・・。
残念もいいところよ! 長生きして学んだことがあるとすれば、この人生はとっても楽しい、こんなに楽しいんだから、1日だって無駄にできない、ということです。人生を楽しいものにするかしないかは、その人しだいなのよ。
ヤル気満々の姉妹は、90才代前半に2人だけで冷蔵庫を2階から1階に降ろしたことがあるという。たぶん小さめの冷蔵庫だったのだろうが、90代でそれをやろうとすることがすごい。「何もできない年寄りと思われるのが悔しい」としながらも、「ここまではできるがこれ以上は無理、という限界はワキまえてね」と釘も刺す。
セアラは103才のときに腰の骨を折って入院する。右側の骨を折って、退院後はまた左側の骨を折るという災難だ。入院生活は1906年に腸チフスにかかって以来、
88年ぶりのことだった。100才を越えて入院の寝たきり生活をした場合、そのままあの世に行ってしまうのがふつうだが、セアラは退院後は109才まで生きて、先に他界した妹エリザベスを偲びながら、3冊目の本『On My Own at 107: Reflections on Life Without Bessie』まで著すことになる。
ただし、いずれの本も元ニューヨークタイムズ記者が聞き役になってまとめた口述筆記だ。100才を過ぎて自分でワープロを打って本を書ける人がいたら、すごいですね。わたしも頑張りましょ、っと。
posted by ヒロさん at 15:33
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100歳の誕生日