冬至こそが天文学的な1年の始まりなので、あけましておめでとう、とご挨拶したい。
草木も枯れ、気温は下がり、日中の時間はどんどん短くなり、ついに冬至を迎える。そこから今度は、春に向けて徐々に日差しが強まっていく。古代の人たちにとって、冬至は「死と再生」を象徴するとても大切な1日だった。
冬至の日に太陽の神さまに「ありがとう」と感謝を捧げる。御神酒や五穀や動物のお供えのときもあるが、人身供犠の場合もある。人身の場合は生娘の巫女が選ばれ、神様との「聖婚」が執り行われる。冬至の太陽の光を巫女の体に交わらせる儀式などがある。
神様との結婚なので、捧げられた巫女はこの世に戻ることはない。だが、聖婚によって「新しい種」が宿り、命の息吹が芽生える。これが処女懐妊だ。ここにも「死と再生」があり、神と人の共同創造がある。
キリスト教では、イエス様とマリア様をこの世に生み出した処女懐妊を「無原罪の御宿り(Immaculate Conception)」と呼ぶ。神様を介してのご懐妊なので、罪・カルマ・しがらみがいっさいない、穢れのない、清純な懐妊であるとする。
この穢れなき懐妊は、次のように解釈することもできる。
◆ネヴィル・ゴダード著 『Power of Awareness』 p53
Psychologically, the Immaculate Conception means the birth of an idea in your consciousness, unaided by another. For instance, when you have a specific wish or hunger or longing, it is an immaculate conception in the sense that no physical person or thing plants in your mind. It is self-conceived. Every man is the Mary of the Immaculate Conception and birth to his idea must give.
【拙訳】「無原罪の御宿り(穢れのない着想)」とは心理学的に、人の助けを借りずに、あなたの意識の中に考えが芽生えることを意味する。例えば、特別の願いや渇望、待ち焦がれる気持ちがある場合、外部の事柄や人物から植えつけられたものではないという意味で、これは「穢れのない着想」なのだ。自ら宿されるものだ。あらゆる人が「無原罪の御宿り(穢れのない着想)」を実現するマリアであり、その着想は生み出されなければならない。
【注】「Immaculate Conception of Mary」は、イエスと並んで聖母マリア自身も処女懐妊で生まれたことを意味する。
人の意見に左右されることのない、自分の中から生まれた純粋な気持ちやインスピレーションこそが、未来に向けて大きく成長する「新しい種」になるということでしょう。今年1年、みなさまに実りある「処女懐妊」が訪れますことをお祈り申し上げます。
参考:ネヴィル・ゴダード(Neville Goddard)は、ジョセフ・マーフィーと共に、エチオピア系のユダヤ人神秘思想家に弟子入りしている。邦訳の『想定の超法則』もお奨めだ。
高田好胤さんが良く「偏らない心」を持ちましょうとおっしゃっていたのを思い出します。難しいことですが、出来る限り偏見のない観方を身に着けたいものです。
新しい年に、何か一つでも良いことがありますように。
昨日は、継体天皇、山城郷土資料館、十年間の戦場となった祝園の話・・・など、歴史に詳しい方々とも歓談しました。新しい年は京都・奈良の県境で暮らしてから3年目になります。タダさんのHPもじっくりと勉強しようかと思っております。
無縁の大和路ですが、所によっては千数百年前と「ほぼ同じ」ような風景があります。
時間に余裕をもって、道草のつもりで、あちこちと歩かれれば良いと思います。