2008年03月04日

「部分と全体」の楽観主義、「拡大解釈」のアファメーション

『Learned Optimism』によると、人生トントン拍子でうまくいく人の思考パターンは以下の通りだという。

どんな失敗も“部分”であり、うまくいったことはすべて“全体”。

失敗、つまづき、トラブル、不和、災難などはどんな人にも起こるが、それが起こったときは「たまたま起こった」と考える。一方、少しでもラッキーなこと、うれしいこと、うまくいったことは「私はいつも絶好調、超ラッキー」と考える。

つまらないものや嫌な体験を味わっても、「本なんて所詮・・・」「派遣会社なんて結局・・・」「男なんてみんな・・・」「フランス人は必ず・・・」のように一般化するのはやめる。その本や、その派遣会社や、その男や、そのフランス人がたまたま自分の波長に会わなかっただけだ。

そして、いいものに出会ったときは「私はツイている、みんな助けてくれる、結局は私はハッピーエンド」にしてしまう。さらに、友人や他人にいいことが起こった場合は、自分にもひょっとして起こるかもと“拡大解釈”する。

世の中だ不況だ、鳥インフルエンザだ、食糧難だ、戦争だと騒ぎ始めても、それは「全体」ではなく「一部」の話にすぎない。一方、人様の話で借金地獄から大逆転、視力が0.01から0.6へ回復、高齢になってからベストセラーと書いたといった成功談があれば、「同じ人間がやったこと、私にもできるかも」と考える。

エスター・ヒックスの『The Law of Attraction』(邦題:引き寄せの法則)にあるアファメーションもよくできている。宇宙意識アブラハムがあなたのために以下のような言葉を選んでいる。

◆Esther and Jerry Hicks 『The Law of Attraction』 p70
I want perfect health! I like feeling good.
I enjoy my good-feeling body.
I have many positive memories of feeling good in my body.
I see many people who are clearly in a state of good health,
and it is easy to see how much they are enjoying their good-feeling bodies.
When I think thoughts like this, I feel good.
These thoughts are in harmony with a healthy body.


【拙訳】完全な健康がほしいなぁ! 私は気持ちのよいのが大好き。
私の体はとっても気持ちがいいので、ほんと〜うにうれしいわ。
私の体には、気持ちのいい思いをしたときのいい思い出がたくさん詰まってる。
世の中にはすてきな健康を楽しんでいる人たちが、ほんとうにた〜くさんいる。
その人たちを見ていると、気持ちのいい体をほんとうに楽しんでいるんだなぁ、ってわかる。
と、こんなことを考えているだけで、気分がよくなっちゃった。
こういう考えが実際の健康を引き寄せちゃうのよね。

このアファメーションを「部分と全体」のオプティミズムで読み取ってみる。

こういうアファメーションは「病気を何とかしたい」「もっと健康になりたい」からやるわけだが、今の病状にはいっさい触れずに、私の体の“全体”が「いい気持ちの体なのよ!」と宣言する。今はどうであれ、過去に一瞬でも「いい気持ち」があれば、そんないい気持ちが“た〜くさんあった”ことにする。今この瞬間、実際に気持ちのいい気分のときは、これに付け込んで「私はいつも気持ちがいい、私の体は気持ちがよくなるためにあるの」という“普遍的な状態”に誘導する。

自分の過去に「気持ちのいい」健康ファイルが乏しいときは、他人の「気持ちよさ」を自分の意識に転用し、流用し、拡大させる。一方で他人の老化、病気、事故、怪我の話は素通りのスルーにしてしまう。友人が風邪を引き始めても、自分の喉がちょっと痛み始めても、いちいち話題にしない。明日の朝はニコニコ健康で目覚めることだけを考える。

『Power of Now』(邦題:悟りを開くと人生はシンプルで楽になる)が指摘するように、大多数の人たちの体に対する意識は「Pain Body(痛みの体)」にある。体は痛み、苦しむためにある。痛みと苦しみは恨みとなって体に染み付き、霊的覚醒や心の成長のためには、体の“受難”の日々は避けられないと信じ込む。そんな「体の痛み」や「心の痛み」は、全部まとめてゴミ箱に捨ててしまえということだ。

もう1度まとめると、

不愉快なものは限定解釈、気持ちいいものは拡大解釈。

このような「思考の習慣」は単純だが、単純であるがゆえに、よほどラッキーな星の下に生まれた人以外は、学習しないと身につかない。が、学習すれば確実に身につく。お稽古事を1つマスターするぐらいの意気込みは必要かな。

■つぶやき:
書棚にあった三浦綾子の本とおさらばすることにした。『塩狩峠』『氷点』『道ありき』など悲しくも気高い名作で、著者の誠実さと不屈の精神が“買い”でもあるが、「痛みの体、犠牲→信仰(キリスト教)」という文脈はもはや私の人生に必要としない。ドストエフスキーも然り。さようなら。
posted by ヒロさん at 21:09 | Comment(2) | TrackBack(0) | 「引き寄せ」の考察
この記事へのコメント
TITLE: このお稽古事をマスターしましょう。
お久しぶりです。最近ちょっと嫌なことが続いてヘコみそうだったのですが、また元気になっちゃいました。そう、たまたま波長が合わなかっただけでしょうねぇ。
私はヒロさんが時々書いていらっしゃる「みんなが助けてくれる」という言葉が大好き。実際それでうまくいったこともあります(シンガポールの空港で)。
結局、単純かつ「おめでたい」人が幸せになるのかも。そういえば、自分の良いようにしか解釈しなくて、思い切り空気が読めない伝説の元同僚が結婚して幸せに暮らしているそうな・・。私も学習したいと思います。
Posted by yummy at 2008年03月05日 18:38
TITLE: これは素晴らしい!
こういう考え方は良いですね。どうしても伝統的な日本の考え方だと(いや外国でもかも)苦しみを楽しむみたいになりますが、ただ波長が合わないだけと思うと気持ちが軽やかになって幸せな気持ちになります。こうすれば良かったのか…。
Posted by おれんじ at 2008年12月22日 02:46
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