正三角形は、120度、240度と回転させても状態は変わらない。おでんのように串刺しにしてクルリと180度回しても見かけは元のままだ。そのような操作と結果の集合が示すふるまいをあれやこれやと研究していたところ、群論(Group Theory)が生まれた。五次方程式の一般解が代数的に解けないことを証明したのも、ガロアやアーベルの群論だった。五次方程式が解けようが解けまいが、二次が解けたから次は三次だ、そして四次だ・・・という数学者の頭の中のお遊びに過ぎなかったものが、過去200年弱の間に大いに発展し、相対性理論や量子力学を説明し、いまや重力と電磁力などを統合する「大統一理論」や「超ひも理論」の最先端を走る理論となっている。
ある演算を考えて、その結果を「百ます計算」のようにマトリックス表に書き出してみる。その結果が対角線をはさんで対称になったときに、オォーと何らかの美を感じるかどうか、あるいはよくある話じゃないのと素通りするのかどうか。
私の配偶者はほとんど何も勉強した形跡がないのに、ゼネコンの都市計画で活躍するようになった建築士だが、やはり数学のセンスが私とは違うものだなぁ〜と感心したことがある。
代数で「A×B=B×A」という交換法則がある。大人になってみれば常識の「3×5=5×3」だが、小学2年生のときに九九表を見て、これにピーンと反応したかどうか。私はまじめな性格なので、1の段、2の段、3の段とすべてをセッセと暗記したものだが、わが配偶者の場合は、
2×2、2×3、2×4、2×5、2×6、2×7、2×8、2×9
3×3、3×4、3×5、3×6、3×7、3×8、3×9
4×4、4×5、4×6、4×7、4×8、4×9
5×5、5×6、5×7、5×8、5×9
6×6、6×7、6×8、6×9
7×7、7×8、7×9
8×8、8×9
9×9
を暗記して終了である。「1」を含む掛け算は群論でいう「単位元の演算」なので、これもすべて省略する。そうすると本来の九九=81種類の演算は36種類に減少する。つまり小2にして群論の奥義と対称性の美に目覚めた人は、その後の数学人生の歩みが異なるのではないか・・・とぼんやりと考えている私である。(単なる賢いナマケモノに過ぎないという解釈もある。わが配偶者はイギリスに来るまでただの1度も英和辞典を引いたことがないという、トンデモのツワモノですので・・・)
数学的美学の探究は、物理的真実の探求に貢献するかどうか。この数百年の数学と物理学の発展関係を整理すると、「数学的な美」は「物理学の発見」に大いなる手がかりを提供している。物理的真理を究める上で、数学的な美は「十分条件」ではないが「必要条件」となっていることを否めない。
そしてこの「数学的な美」の中心にあるのが「対称性」だ。数学は非ユークリッド幾何学であれ、群論であれ、数学者がルールをつくって、その枠組みの中で遊ぶ世界だ。一方の物理学は、相対性理論であれ、量子力学であれ、自然(神)がつくったルールを探求し、その枠組みの中で遊ぶ世界だ。この2つの異なる世界が「対称性」を媒介にして限りなく接近する理由はどこにあるのだろうか。
『Why Beauty is Truth - History of Symmetry』の著者は、バビロニアの二次方程式、ギリシャの三大難問、三次・四次・五次方程式、ガウスの正十七角形作図、複素数平面、四元数、相対性理論、プランク定数、シュレディンガー方程式、結晶構造、次元の意味、ゲージ対称性、クオーク、超ひも理論、リー群、八元数などを説明した後に、数学と物理をとりもつ「対称性」について神秘的な問いを発しているが、その問いに答えていない。

宇宙の根源や究極の物理法則を探れば探るほどに、数学的な対称性に急接近するのは、おそらく宇宙の始まりが対称的な存在だったからだろう。写真(ネットより借用)は、12月にわが家の食卓を飾っていたものとそっくりなブロッコリーだ。これを例えに使うと、宇宙はもともと無数の対称性を持つ球体のような存在であったが、次第にキャベツのようになり、いくつかのパターンを繰り返しながら、次々と分化してブロッコリーのような多様性を演じているのではないか、ということだ。
「対称性の破れ」という言葉を使って説明する方法もある。
1) 人間は自然の一部であるがゆえに、ある対称性のパターンに美を見い出すように出来上がっている。
2) 自然や事象の多様性や複雑性とは、元々単一かつ不変であった対称性が次々に破れて展開した“なれの果て”だ。
3) 複雑性が展開する前の状態を突き詰めようとすると、必然的に“対称性”が絡むシンプルな法則に導かれていかざる得ない。
数学と物理の対称性は、「人の命の非対称性」や「ニュースの重みの非対称性」のように日常生活のレトリックとしても使われている。対称性の美と真理に目覚めた人は、社会学や日常生活のウソや飛躍を見破り、真理に迫っていく力を兼ね備えているという“拡大解釈”は、さて、果たして可能であろうか。
http://www.bk1.jp/product/02408841
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001148.html
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0979.html
えのさん、新年おめでとうございます。今年は中沢新一の著作にも読書の対称性を発揮できますように。「圧倒的な非対称」が支配するブログから、至福の対称性の世界へ・・・。
http://www.bk1.jp/review/0000319045 (書評:『対称性人類学』)
『レーニンの『国家と革命』と柳田国男の『石神問答』を「発展させ完成に近づけていくことこそ、自分にあたえられた重大な人生の課題ではないか」(『精霊の王』あとがき)と考えた中沢新一が、『フィロソフィア・ヤポニカ』(2001)と『精霊の王』(2003)で『石神問答』を、『緑の資本論』(2002)と『カイエ・ソバージュ』(2002〜2004)で『国家と革命』をそれぞれ発展させたこと。(さらに言えば、それぞれを完成させるためにはあと二冊、一つはちゃんとした数学書、いま一つは本格的な仏教論が書かれなければならないと思ったこと。)』
>http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001148.html
コンピュータは0と1で考えると言うが、根源にあるのは2つの項目を操作する「二項操作」「二項論理」である。
例えば人類学者のレヴィストロースは、神話の研究の中で、世界中の神話の物語には共通する構造があることを発見した。良いことや悪いこと、悲しみや喜びの感情など、ふたつの対立する事柄を補い合うような隠れた数学的構造が、神話のストーリーを形作っているという説である。
9.11事件が中沢新一にとっても対称性人類学を考える大きなきっかけであったらしい。近代宗教でありながら内に対称性の論理を秘めた仏教に関する考察や、近代に登場した「幸福」概念の批判などにも紙幅をとっている。
いつも拝見させていただいてます。どの記事もすごく面白くて読み応えがあります。
私のブログにもちょこちょこ引用させてもらってます(勝手にすいません)。
今、子供に必死で九九を教えているのですが、ひたすら1〜9まで繰り返させていた自分が恥ずかしくなりました。苦手な分野は教えないほうがいいみたいですね。
しかしこのブロッコリー見事な形ですね!神秘的で見てると吸い込まれそうです。。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1225.html
フラクタル 華厳経
http://nichigetu.b-tama.com/
http://homepage3.nifty.com/huayan/eirei.htm
情報考学:『対称性―レーダーマンが語る量子から宇宙まで』
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/06/post-778.html
『本書はほとんどネーターの定理の本である。ネーターの定理とは「物理法則の何か一つの連続的対称性があれば、それにともなって一つの保存則が存在するはずである。何か一つの保存則があれば、それにともなって一つの連続的対称性が存在するはずである。」というものだ。対称性があるところには必ず保存則があり、保存則があるということは対称性があることを意味する。
たとえば、さきほどの球体の回転対称性には角運動量保存の法則が働いている。フィギュアスケートの選手が回転するとき、手を大きく伸ばしていれば回転はゆっくりだが、縮めると速くなる。角運動量が一定に保存されているからだ。
対称性は回転という変換に限らない。ビリヤードの二つの玉が衝突するとき、二つの玉は相互作用して別々に転がる。別の空間でまったく同じ状態を再現して衝突させれば、同じように転がる。そして全運動量は2回ともまったく同じである。空間の並進に対して運動量は対称である。空間に対する対称性には運動量保存の法則が対応しているのだ。』
”数学と物理の対称性は、「人の命の非対称性」や「ニュースの重みの非対称性」”
の段落にピンのきたもので書き込みしました。
(googleで対称性でこのサイトを見つけました。)
みんな対称性についてこれが根源であるという事を気づいているのだなと嬉しくて。
物理の超対称性にしろ、男女が対象、身体が右手左手があるように。
無から無理やりビックバンで広げられた宇宙空間でものが存在するためなのでしょうね。
数学でいえば対称、球体を説明するブレークスルーの理論がまだないですね。
だから虚数とかcos,tanとかでまだ3.14...とかで苦労していますね。
ついでに面白い話ですが、三位一体という事を聞かれたことがあると思いますが。
(参考、中沢新一「三位一体モデル」)
ーー父と子と精霊ーー
私の解釈では
父=社会共有知性(例、数学の理論)長い人類の歴史の中で環境(精霊)をモデリングしたもの。
子=モノとその行動
精霊=周りの環境、宇宙まで含めて
なぜこの三位一体が優れているかというと、対称性の運動をうまく説明できるのですね。
精霊という環境を父が切り開いた認識世界の中で子としての物質がある。
例えば、宇宙空間の中で太陽系システムの中で地球が有り、
地球環境の中で男女という種保存のモデルの中でAさん何何した結果、
その結果としての精霊・環境に対してネストして続く・・・と言うふうに。
先の段落の上に非対称性の話がありましたが、
三位一体で説明がつかない非対称性はレベルが違うものを対称しようとしているのであってそれは非対称でもなんでもなくてモデルのレベルが違うと思います。
私はソフトのエンジニアで設計するときに三位一体とモデル(対称性)を使うと
全てに辻褄が合ってくるので気が付きました。
(モデルの値の幅が対称性で、例えば人モデルの幅が男女とか)
取り留めがなくてすいません、では。