通常は直前にやっていた仕事、見ていたテレビ、読んでいた本、かわしていた会話のことを考えていたりする。あるいは、何にも考えてないですよ、とにかくサッサと済ますだけですから、と答える人もいるだろう。
便座に座って、スポーンと異物が出て行くとき、私はときどきボンヤリと考える。いったい全体、誰がこんなことをしているのだろう・・・食べたものを消化して、不要物が溜まってくると、そろそろゴミを捨てる時間ですよと虫の知らせがあって、スポーンと体から消えていく。実に不思議だ。
人間、食事のときは「いただきます」とか「Blessing on the meal」とか言ってありがたがるが、出て行くときは「長旅お疲れさまでした」「いつもご苦労さま」という労いのコトバを聞かない。聞かないと言っても、それぞれ密室で起こっていることなので、合掌したり、ウィンクしたり、いろんな儀式をしている人がいるのかもしれないが、私が取材した範囲ではみな無頓着である。
食べないと普通はいずれ死んでしまうが、出なくても死んでしまう。これを情報の流れにたとえて、入力したものは出力が必要だとか、人間は受け取るだけでなく与える存在だとか、表現することを前提として何かを吸収しなきゃだめだよ、などと考えてみる。
出ていくものは単純に食べ物のカスみたいに思いがちだが、あの茶色は赤血球の死骸の色だ。血液中でセッセと酸素を運んでいた宅急便屋さんが、約4ヵ月のお勤めを終え、最期の姿をさらしているのだ。何百万という偉大な殉職者たちに、合掌の1つでもするのが人の情けというものだろう。
瞑想セミナーに参加したときに私が「トイレ瞑想」を提案したところ、多くの参加者にクスクスと笑われた。トイレで合掌したり、ありがとう、という人はいないらしい。私の提案は、とにかく命って不思議、食べ物の消化って不思議、人間は出ないと死んでしまう、だから、「イノチさまありがとう」という継続的な習慣をトイレで積み上げてはどうだろう、というものだった。
人間は日々の生活に追われる。仕事を抱えている人は「何かをする」ことで忙しくなる。生活や仕事から離れて、精神統一をする、ワクワクする感情を維持する、未来のよき自分をイメージする・・・などを習慣にできるかどうかは、とにかく定期的にシステマチックに繰り返せるかどうかにかかっている。
時計に短いアラームを設定して、ピッピッと鳴ったときに必ず6回深呼吸する、ついでに「すべてはうまくいっている(Everything is going well with me)」と心の中で繰り返すという人もいる。「The Secret」というビデオでは、おまじない石をポケットに入れておき、これに触るたびに「夢は必ず実現する」と唱えることを習慣している人もいた。
要は絶対に繰り返すトリガーを用意することだ。ならばトイレは絶好の場になりえる。風呂に毎日入らない人はいても、トイレには必ずいく(でしょ?)。食事も毎日しているが、ときに社交の場となり、ときにテレビや仕事の「ながら族」の場になってしまうので、内面に深く浸るのが難しい。トイレは基本的に個室なので、完全にプライベートな空間だ。
そのプライベートな密室で、眼をつぶりながら、「ありがたいなぁ〜、ゆたかだなぁ〜、しあわせだなぁ〜、ふしぎだなぁ〜」としみじみとつぶやくのである。最近、トイレで用をたしながら眼をつむって合掌することも併用してみたが、これがまたなかなかよい。男性も便座に座って小用する人が増えてきているそうなので、男性でも回数を稼ぐことができる。
ヒラメキが起こるのは、馬上・枕上・厠上(乗り物・ベッド・トイレ)の3つだと言われているが、サッサと済まそうと思っている現場では、ヒラメキなんぞ起こりそうもない。その意味で、とくにトイレは明るく、きれいで、さわやかにしておくことが肝要だ。
その昔、トイレに英単語帖を置いて、出るまでに必ず1つ覚えてくるという修行をしたことがあるが、そんな風に頭に詰め込むことよりも、頭を空っぽにして、ただ「ありがたいなぁ」と思う修行にすればよかったなぁと、この年になってから思う今日この頃であるよ。
■今日のまとめ
禅寺では、トイレは「東司」(とうす)と呼ばれ、修行の場の一つとされています。
『もとより浄、不浄を超えて、永平寺では東司においても、法にしたがって所作をいたします。御尊像の下に、自らの心に恥ずことのない進退をしなければなりません。夫(そ)れ東司は仏法修行の「道場」なのですから。』
http://www.sotozen-net.or.jp/books/syuppan/tomo/0704/0704_a.htm
重要文化財に指定されている東司もあります。
http://www.y-morimoto.com/haisetsu/tousu.html
《この「東司」を実際につかっていたころは、床が張られ、囲いもあったそうです。》
http://fujimusume.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_f704.html》
ウンの構成は、大部分が水分で残りは「食物のカス」、「腸管内壁の剥がれた上皮細胞」、「腸内細菌(生菌と死菌)」が約1:1:1の比で含まれます。プロバイオティクスとして愛用されるビフィズス菌も乳酸菌も人の腸内細菌(ウン)が由来です。ドイツには難治性腸疾患の治療薬として善玉大腸菌製剤(経口薬)があり、普通に使われています。これを日本に導入しようと考えましたが、大腸菌のイメージ及び規制当局の助言(ネガティブなもの)により断念したことがあります。
若い頃は、未だ知らないことも沢山あり、詰め込むことも必要です。剣道でも無心になる前にいろいろ考え修練した末にそれが得られるのであって、最初から無心では、駄目だと思います。いろいろ情報を詰め込んだ後、頭をたまに空っぽにするのは、良いでしょうが、常に空っぽでは、無知の人になってしまいます。
因みに私は未だ、無心の境地まで達していないので、便所や風呂では本を読んでいます。上の息子はゲームボーイを良くやっています。下の息子や妻は、無心でやっているのかな?とにかく、私はアメリカに住んでいるので、便所はやたらと広い。これに慣れると日本の狭く束縛された便所が嫌になります。逆に、多分日本人は、居心地が悪いかもしれませんね。
こんにちは。こだまゆうこともうします。
いつもとても楽しく読ませていただいています。
ヒロさんの日記は、日本ではわからない充実した内容が掲載されていて、
いつも楽しみにしております。
さて、今回はめずらしくトイレのお話でしたね。
いつもと違って、めずらしい記事に思わず初コメントを書きました。
いただくときもだすときも、感謝ですね。
いつもありがとうございます。
また次の記事、楽しみにしています。
大腸菌製剤についての発見の経緯が小説以上におもしろいので続いて紹介します。
第二次世界大戦時の1917年にドイツ軍のある師団に強烈な下痢が蔓延しました。しかし、一人だけ全く症状の出なかった兵士がいたのです。話を伝え聞いた細菌学者Nissle博士がその兵士の糞便から分離した細菌の中に、他の兵士には存在しない種類の大腸菌を見出しました。その後、この善玉大腸菌の菌株名はNissle 1917と命名され、現在もドイツ(EUもだったかも)の細菌バンクに登録されています。その大腸菌から成る細菌製剤がドイツのPharma-Zentrale社からMutaflorの商標で販売されています。また、この細菌製剤が日本において難病指定されている潰瘍性大腸炎の緩解期の維持に有効であることが経験的に分かっています。更に、10年ほど前に多施設大規模2重盲検臨床試験において潰瘍性大腸炎に対する有効性が認められ、イギリスの有名医学誌Lancetに公表され一躍脚光を浴びました。が、一般の医薬品と違い作用機序の複雑さ等が災いし、米国、EU、日本において医薬品としての開発は困難との判断が下されました。現在、ドイツ及びバルト3国で潰瘍性大腸炎の治療薬としてローカルに使用されています。
あら、みなさんトイレ談義で盛り上がっておりますね。
>「食物のカス」、「腸管内壁の剥がれた上皮細胞」、「腸内細菌(生菌と死菌)」が
>約1:1:1の比で含まれます。
そうなんですか!食べカスが8割くらいだと思ってましたよ!ウンの運行に関して、根本から学び直さないといけないですね。では、便乗して私も一席。
あるテレビ局で放送用語の議論があって、私も参加していました。マラソンの実況中共で「○○選手が、5人をごぼう抜きにしました」みたいな表現があって、あるディレクターはこれはダメだという。理由は「ごぼう抜きは垂直系の運動であって、これを水平系の運動の比喩として使うのはいかがなものか」という。
で、これに対して反論して人がいてね。「じゃ、なんですかい?昔は米を食べていたから、米が異質になった『糞』でもよかったけど、今はパン食だから『糞』は使っちゃいけないとでも?」という、よくわからない反論なんだな。
で、真実は「米(パン)が異なったもの」ではなくて、大半が細胞や細菌の死骸だという。私もどこかでこの話の薀蓄(ウンチク)を傾けるとしよう。ちなみに、「薀蓄を垂れる」はまちがいだそうで。薀蓄は、撒き散らす中身のほうではなく、入れ物の意味だそうですよ。
>第二次世界大戦時の1917年
間違いでした。正しくは「第一次世界大戦時の1917年」です。
薀蓄のための豆知識を少し。
1.成人の腸管内壁表面積は、なんとテニスコート1.5面以上。
2.腸管内壁を覆う上皮細胞のターンオーバー(生→死)は体細胞中で一番早い。つまり寿命尽きた細胞が常に剥がれ、新しい細胞と短期間に置き換わっている。
3.腸内細菌は100兆個以上存在する。
4.腸管粘膜面の免疫担当細胞は腸内細菌とシグナル交換することで粘膜面での免疫機能の恒常性を維持している。つまり「腸内細菌フローラ」は生活していく上で欠くことの出来ない臓器としての側面を持つ。
今は知りませんが、昔の公衆便所(トイレとは呼ばなかった)や学校の便所には落書きのあるのが当たり前の状態でした。その落書きの中に、今でも覚えている名言があります。
それは、「かみがなければ自らの手でうんを掴め」と言う言葉です。紙と神、ウンと運を掛けた言葉で、切実感と悩みを抜けたすがすがしさが感じられ、妙に感心した記憶があります。
今でも、外出先で用を足す必要に迫られ、個室でぼんやりと目の前のドアを眺めているとき、この言葉をふと思い出します。
久しぶりに笑えました。なんか文字が太く茶色く無かったですか?そんな気がします。
因みに頭を過ぎる発音はどちらですか?
事実かどうか不明ですが、こんな話を読んだ記憶があります。
1.日本人は野菜を多く食べるので肉食の西欧人より腸が長い。このためウンが彼らより臭い。
2.ヨットのトイレは船外にデッキ状に取り付けてある。大をするときは、体はヨットの中にあり、尻をデッキの床板に開いた孔の上に置く。西欧人は大と小とが別々なので何の問題もないが、日本人は大と小とが一緒に出るので使うのが難しい。
ウ〜ン、西欧人と一緒の生活は便秘になりそうだ。
>西欧人は大と小とが別々なので何の問題もない
スリランカで現地人と結婚した日本人が、親族全部にインタビューして全員から「大と小は別」という回答を得たそうです。日本人でも別々の人はいるでしょうけれど、同時の人が多いような気がする。日本のトイレが単なる穴型ではなく「金隠し」付きなのも、「小」対策であるという説があります。
この手のまじめな研究はどこかにないものでしょうか。農耕文化としても、人糞を肥料として使う場合、「小」が混じると質が落ちるそうです。ゆえに小さい頃から「大と小は絶対に別々」という躾ができている可能性がありますが、わが日本はいつから同時になったのでしょうか。
腸は脳から独立して働いている
http://www.nyu-sankin.net/intestinal/020201.html
『ところが最近の研究で、「腸にも脳がある」事がわかってきました。アメリカの神経生理学者のマイケル・D・ガーション医学博士が、「セカンド・ブレイン=第2の脳」と言う本の中で、この事実を発表し大変な話題となりました。博士の専門は脳の研究でしたが、あるとき、脳に存在しているはずの神経伝達物質「セロトニン」が腸にも存在する事を発見しました。より研究を進めて行くと、何と体内のセロトニンの95%が腸で作られている事をつきとめました。
博士のこの本で「現在我々は腸に脳があることを知っている。とても信じられないことかもしれないが、あの醜い腸は心臓よりずっと賢く、豊かな感情を持っているのである。脳や脊髄からの指令がなくとも反射を起こさせる内在性神経系を持っている臓器は腸だけである。進化はうまい工夫をした。我々の先祖はアメーバの原生的生物から進化して脊椎を獲得した時、頭蓋と腸の両方にそれぞれ別の感情を持つ脳を発達させたのである。」と述べています。脳とは腸から進化して最後に出来たものなのです。』
本当に面白くためになるブログですね。ヒロさんの意見に大賛成。私は時々感謝してますよ、、、だってたった今まで私の体内にいてくれて寿命を全うして出てきたのですからね。便秘で苦しんだこともあるのでホント快便には感謝なんですよ。友人が言ってましたが、昔、中学の時、担任の先生の妹さんは排便の時力むのが嫌で便をためすぎて亡くなった、と。そんなことあるのかなあ。イギリス人が野菜をくたくたに煮て食べるのは一説にはおならの臭さを消すため、、、と読んだことがあります。嘘か本当か知りませんが。トイレの名言ー本当に凄い!!