スクワットをするときに、回数を数えることをやめて、アファメーション(よい言葉)を使うと、その言葉が心の奥深くまで染み込んでいく。潜在意識への働きかけは、静かな瞑想よりも、リズミカルな運動のほうが「刻印力」が強い場合もあるということだ。
何かを覚えるときも同様である。外国語のテープを聴くときは、椅子に座って目をつぶるよりも、腕振り運動をやりながら、MP3プレーヤーで聴いたほうが頭に入る。聴いている最中に眠気が差しやすい人は、この方法は特によい。
現在、いつでもどこでも簡単にできる運動として、スクワットと腕振りを実践している。あれやこれやと準備や条件がつく「運動」は、生涯の友になりにくい。フィットネスクラブもいらない。着替えもいらない。床に横になる必要もない。室内でも屋外でもできる。いますぐ1分でも5分でもできる。そんな「運動」がいい。
この「スクワット」と「腕振り」は、いってみれば「四肢活性化」の運動である。
座る生活、パソコンの前で仕事をする生活が増えている。椅子の上にお尻がドンと乗って、脚は机の下でおとなしくしている。せいぜい男性陣の「貧乏ゆすり」が関の山である。脚の動きが死んでいる。一方、腕の方は「箸よりも重いものを持ったことがない」というお嬢様のごとく、マウスよりも重いものを動かさない。キーボードの上で指ばかりが踊っているが、腕全体の動きが死んでいる。
つまり股関節と肩関節の動きが緩慢になり、四肢への血液の流れが停滞し、エネルギー(気)の流れが閉塞している。文明病である。
『ヨーガ革命』の飯島貫實は、腕振り、脚振りを推奨していた。腕と脚を同時に振りたければ、仰向けになって手足を上方に伸ばし、連続カラ手チョップのように振りまくる、という方法がある。ただし、これは床に寝る必要があり、家屋に凄まじい振動を引き起こす。口の悪い人は「ゴキブリがひっくり返って足をバタバタさせているみたいだ」というので、人様に見せられるシロモノではない。
スクワットの場合は「脚振り」にはならないが、股関節も刺激するので、脚の血行はよくなる。これから冬場で脚が冷えるという人には、特にお奨め。私は初めのころは20回がやっとだったが、今日は新しいアファメーションを追加して、ついに150回になりましたよ!
ヒザを痛めたことがある人や体重の重い人は、急に回数を増やしたり、ヒロさんに負けるものかと「がんばって」はダメですよ! スクワットの効能とやり方はこちら。
このスクワットと腕振りから発展して、週末に考えていたことは、人生を拓くための「感情」のエネルギーについてだ。運をどんどん拓くカギは「感情」である。どんな分野であれ、日常のどんな些細なことであれ、自分を高めたいと思うときに、「感情」がカギになる。
よい手本(技術)、よい言葉、よいイメージがあれば、何でもスイスイとできてしまう恵まれた才能の人もいることだろう。が、大半の人は、何か1つでもうまくゆかなくなったときの「感情」の制御でつまづくのである。この辺の詳しい話は、『No.1理論』がお奨めである。
「感情」と直結しているのは「体の状態」でもある。体のエネルギーの流れをよくすることで、「ありがたいなぁ、ゆたかだなぁ、しあわせだなぁ」という、ほのぼの感を育むことができると思うわけである。
「心のエネルギー」または「心のベクトル」を考えてみると、もう1つ、「好きだ」という感情が、運を拓くためのカギになっているような気がする。
自己実現やセルフヘルプの本には、今生きていること、生かされていることに「感謝せよ」という話がよくある。とにかく「ありがたいなぁ」とつぶやくという方法は一理ある。一体何がありがたいの?と訝しがる向きもあるだろうが、とにかく一瞬一瞬、何でもかんでも、ありがてぇんだ、べらんめぇ、ということだ。
何が「ありがたい」か、わからないうちに、「ありがたい」と言ってしまう。そして言ったあとに、理屈が欲しいひとは「そういえば、○○がありがたい」と後付けで理由を考える。大事なのはありがたい「対象」ではなく、ありがたい「気分」なのだ。過去に1度でも「ありがたいなぁ」と感じた場面があれば、それを思い出しながら、その気分に浸ってみてもいい。
過去ではなくて、今この瞬間「ありがたいなぁ」と感じるとすれば、何がありがたいか。「感じられる」という感性が「ありがたいなぁ」と思ってみる。「感じられること」は快感・不快感がある。頭で判断すると良し悪しがある。快不快、善悪をとっぱらって、とにかく「感じられる」という現象を「ありがたい」と思ってみる。
何も感じられなくなったときが人生の終わりである。体から来る「信号」や「命の声」を感じられない人は、思わぬ大病をしたり、交通事故で帰らぬ人になってしまうかもしれない。どんなものでも、感じられるというこの命がありがたい。繊細な神経、ありがとさん。
さらにもう1歩前進。「ありがたい」から「好き」にジャンプしてみる。「命がありがたい」にはジーンと感じられるものがあるかもしれないが、ギラギラ、ドキドキするものがない。好きな人に告白するときの、胸の高なりや、高揚感、変性意識、あるいは激情がない。初動のパワーがない。
そこで「私のことが大好きです」と声に出していってしまう。「ずっと言えなかったけど、好きなの!あなた(私)のことが大好きだったの。誰よりも、何よりも好きだったの。この世であなたのことが一番大好きなの!!!」
「感じられる」という自分のエネルギーがありがたい。「ありがとう」だとちょっと弱いので、「そんなあなたが好き」に発展させてみる。この世の森羅万象を「感じている」あなたは、とってもステキ、わたし、そんなあなたが大好き!
自分を大好きだと認めた人は、体であれ、言葉であれ、身だしなみであれ、今までよりは少しは気配りするようになるだろう。もっとキレイになろう、もっと工夫をしようと思うようになるであろう。
願望は大いに結構なことだ。しかし上記の叫びだけでは「エネルギー漏れ」が激しい。もっとも大切な「私は、私のことが大好き!」が抜けているのだから。
私と恋愛しよう。今まで拒否していた「私」を抱きしめよう。強く、強く抱きしめよう。「好き」とはすなわち、「一体になりたい」という願望である。
大好きなものは磁石のように集まってくる。次から次へと、いいヒラメキ、アイデア、出会い、発見が生まれ、何かに導かれるようにうまくいく。その第1歩が「私、大好き」である。
スクワットであれ、腕振りであれ、「習慣としての運動」をやりながらアファメーションを使うことを考えている人は、「私はあなたが大好きです、心の底から大好きです、この世で一番大好きです、あなたのことを抱きしめたい!」という、私への熱烈な告白文を、ぜひともいれてくださいね。
教えていただいた腕振り運動は気軽に出来るんでいいっすね。このところ冷えの性か肩こり酷かったし。
スクワットは母も奨励。テレビ見ながらやるとかしてます。
気持ちの持ちようは大切ですね。大変なときに大変だと思うと駄目になる。
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin
プロスキーヤーでもありエベレスト登頂した三浦雄一郎さんは数キロの錘を足につけ,最低30キロのリュックを背負ってどこにでも歩くというトレーニングをしています。「今晩はキムチ鍋だ」と言いながらかはさだかではありませんが(爆),自分の場合2キロの錘を両足につけ,1キロを両手にデューク更なんとかさんのウオーキングで最低一万歩を行進しています。気狂いと思われない様に早朝か夜間にやっています。人がくると止め,去るとやる。滝のような汗のあとシャワーを浴びる。至福の時です。足にまく錘は売っていますのでやってみてはいかがですか?
「デューク更家」(ウィキペディアより)
デューク更家(さらいえ、本名・更家拓也、1953年4月10日)は、ウォーキングドクター。和歌山県新宮市出身。
和歌山県新宮市に生まれ、学生時代はバスケットボールの選手として活躍した。
DUWASデュワズ(デュークウォーキング協会)を設立し、気功・呼吸法・バレエなどから独自のウオーキングスタイルを提唱している。
現在はモナコに住んでいることで有名。
『ウォーキング・バイブル』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4797671505/503-5152373-7954317
『DVD版 デューク更家の1分間ウォーキングスーパーセラピー』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4391129930/503-5152373-7954317
「心と身体が密接につながっていることは、だれもが実感したことがあると思います。精神的なストレスが原因で身体の調子を崩し、病気を発症する例は枚挙に暇がありません。心のストレスを取り除くことで、体調を良くしようという試みはたくさんあります。ならば身体を使ってのエクササイズや呼吸法を実践することで、心に巣くう悩みを解消することが出来るというのが、テレビで大人気のウォーキングドクター デューク更家さんの他に例のない理論です。日常生活で経験する心の悩みや、少し広げて肩こりや腰痛などの不定愁訴を、身体を使って解決するという画期的な内容です。」