4年前、東京・三鷹でシュタイナー学校の説明会に参加したときに、私の心に響いたのは、ある先生の言葉だった。
「シュタイナー教育は英才教育ではありません。進学に有利なわけでもありません。では、何のための教育なのかということですが・・・、少なくとも、子供たちには『学ぶことは本当に楽しいんだ』ということを体験してもらいたい、そんな気持ちで私たちはやっています」
学校の理事をしているPTA代表の方の話も印象的だった。
「(学校認可のない)シュタイナー学校に通わせると、最寄の公立学校の『不登校児扱い』にしなければいけないので、公立学校の校長に挨拶にいかないといけないのです。何回か挨拶にいったとき、『シュタイナー学校ではどんなことをやっているんですか』と訊かれたので、『いま神話の勉強をしています』と答えると、その校長の目が輝いて、それはすばらしい、今の小学校では神話教育ができなくて、困ってるんです、と話が盛り上がりました・・・・」
当時の私は、ジョセフ・キャンベルの『Power of Myth』を読んだあとで、神話の世界に心が傾きかけていた。この本の日本語訳『神話の力』(早川書房)を大学の図書館で見つけたので、当時の私に響いた部分を抜粋してみたい。
キャンベル:あなたはシンクレア・ルイスの『バビット』を読みましたか?
モイヤーズ:ずいぶん昔ですが。
キャンベル:最後の1行を覚えていますか?「私は一生のうち1度も自分のしたいことをしたことがない」というのです。自分にとっての無上の喜びを追求したことのない人間。そういえば、セイラー・ロレンス大学で教えていたころ、この耳で実際にいまの言葉を聞きましたよ。私は結婚するまで、昼食と夕食はたいてい町のレストランでとっていました。ブロンクスヴィル(ニューヨーク市の北方、セイラー・ロレンス大学のある小さな市)では、木曜日の晩は家庭のメイドさんが休みなんです。だから、多くの家族がレストランで夕食をとる。ある晩のこと、私は行きつけのレストランにいました。隣のテーブルには、父親と、母親と、12歳ぐらいのやせっぽちの男の子が座っていた。「トマトジュースを飲みなさい」と、父親が男の子に言いました。
「飲みたくない」と男の子が言いました。
すると父親はもっと大きな声で、「トマトジュースを飲みなさい」と言いました。そしたら母親が、「いやだということを無理にさせないで」と言ったんです。
父親は彼女をじっと見て言いました。「この子は、好きなことだけして人生を渡るわけにはいかない。好きなことだけしていたら、死んでしまうぞ。おれを見ろ。一生のうちに1度だってやりたいことをやったことはないんだ」
(p213)
モイヤーズ:ずいぶん昔ですが。
キャンベル:最後の1行を覚えていますか?「私は一生のうち1度も自分のしたいことをしたことがない」というのです。自分にとっての無上の喜びを追求したことのない人間。そういえば、セイラー・ロレンス大学で教えていたころ、この耳で実際にいまの言葉を聞きましたよ。私は結婚するまで、昼食と夕食はたいてい町のレストランでとっていました。ブロンクスヴィル(ニューヨーク市の北方、セイラー・ロレンス大学のある小さな市)では、木曜日の晩は家庭のメイドさんが休みなんです。だから、多くの家族がレストランで夕食をとる。ある晩のこと、私は行きつけのレストランにいました。隣のテーブルには、父親と、母親と、12歳ぐらいのやせっぽちの男の子が座っていた。「トマトジュースを飲みなさい」と、父親が男の子に言いました。
「飲みたくない」と男の子が言いました。
すると父親はもっと大きな声で、「トマトジュースを飲みなさい」と言いました。そしたら母親が、「いやだということを無理にさせないで」と言ったんです。
父親は彼女をじっと見て言いました。「この子は、好きなことだけして人生を渡るわけにはいかない。好きなことだけしていたら、死んでしまうぞ。おれを見ろ。一生のうちに1度だってやりたいことをやったことはないんだ」
(p213)
シンクレア・ルイス(Sinclair Lewis)はアメリカ初のノーベル文学賞・受賞作家である。この作家の『バビット』を引用しながら、「○○のために、好きでもない××をする」人生を送っていてもいいものだろうか、とキャンベルは問いかけるのだ。
キャンベル:私が一般論として学生たちに言うのは、「自分の至福を追求しなさい」ということです。自分にとっての無上の喜びを見つけ、恐れずにそれについて行くことです。
モイヤーズ:それは仕事ですか、それとも生活ですか。
キャンベル:もしあなたのしている仕事が、好きで選んだ仕事ならば、それが至福です。しかし、あなたがある仕事をしたいのに「駄目だ、とてもできっこない」と思っているとしたら、それはあなたを閉じ込めている竜ですよ。「どうせ、作家になんかなれるわけがない」とか、「いやいや、だれそれがやっていることは、私にはとてもできやしない」とかいうのはね。
モイヤーズ:そう考えてくると、私たちはプロメテウスやイエスのような英雄と違って、世界を救う旅路ではなく、自分を救う旅に出かけるんですね。
キャンベル:しかし、そうすることであなたは世界を救うことになります。いきいきとした人間が世界に生気を与える。これには疑う余地がありません。生気のない世界は荒れ野です。人々は、物事を動かしたり、制度を変えたり、指導者を選んだり、そういうことで世界を救えると考えている。ノー、違うんです!生きた世界ならば、どんな世界でもまっとうな世界です。必要なのは世界に生命をもたらすこと、そのためのただひとつの道は、自分自身にとっての生命のありかを見つけ、自分がいきいきと生きることです。
(p264−265)
モイヤーズ:それは仕事ですか、それとも生活ですか。
キャンベル:もしあなたのしている仕事が、好きで選んだ仕事ならば、それが至福です。しかし、あなたがある仕事をしたいのに「駄目だ、とてもできっこない」と思っているとしたら、それはあなたを閉じ込めている竜ですよ。「どうせ、作家になんかなれるわけがない」とか、「いやいや、だれそれがやっていることは、私にはとてもできやしない」とかいうのはね。
モイヤーズ:そう考えてくると、私たちはプロメテウスやイエスのような英雄と違って、世界を救う旅路ではなく、自分を救う旅に出かけるんですね。
キャンベル:しかし、そうすることであなたは世界を救うことになります。いきいきとした人間が世界に生気を与える。これには疑う余地がありません。生気のない世界は荒れ野です。人々は、物事を動かしたり、制度を変えたり、指導者を選んだり、そういうことで世界を救えると考えている。ノー、違うんです!生きた世界ならば、どんな世界でもまっとうな世界です。必要なのは世界に生命をもたらすこと、そのためのただひとつの道は、自分自身にとっての生命のありかを見つけ、自分がいきいきと生きることです。
(p264−265)
心の中で「汝は○○をやらねばならない(Thou Shalt)」と睨みを効かしている存在を、キャンベルは「ドラゴン(竜)」と呼ぶ。世界中の英雄神話は、この「心のドラゴン」に立ち向かう象徴としての物語であり、勇気ある冒険に踏み出し、みずからの「至福」を見つけたとき、命は輝き、世界は輝くのだという。
モイヤーズ:至福を追求しているとき、なにか隠れた手に助けられているような感じを受けませんか。私の場合、ときどきそんな気がするんですが。キャンベル:しょっちゅうです。実に不思議ですね。いつも見えない手に助けられているものだから、とうとうひとつの迷信を抱いてしまいましたよ。それは、もし自分の至福を追求するならば、以前からそこにあって私を待っていた一種の軌道に乗ることができる。そして、いまの自分の生き方こそ、私のあるべき生き方なのだ、というものです。そのことがわかると、自分の至福の領域にいる人々と出会うようになる。その人たちが、私のために扉を開いてくれる。心配せず自分の至福を追求せよ、そうしたら思いがけないところで扉が開く、と私は自分に言い聞かせるのです。
(p219)
冒険にはリスクはつきものである。しかし、至福と喜びを求めている以上は、シンクロニシティの連鎖が起こってくる。見ず知らずの人が教えてくれる。いろんな人に助けられる。自分の中に、思いもしなかった感受性が拓けてくる。
「冒険」の意味するものは、転職だったり、結婚だったり、海外留学だったりと、人それぞれだ。だが、必ずしも動き回ることではない。まず今すぐできることは、「聖なる場所」と「聖なる時間」をもつことだ。
モイヤーズ:先生は『神話のイメージ』のなかで、変容の中心について、時間という壁が消えて軌跡が現れる神聖な場所について、書いておられる。聖なる場所を持つとは、どういう意味でしょうか。
キャンベル:これは今日すべての人にとって必要不可欠なことです。今朝の新聞になにが載っていたか、友達はだれなのか、だれに借りがあり、だれに貸しがあるか、そんなことを一切忘れるような場所、ないし1日のうちのひとときがなくてはなりません。本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことのできる場所です。これは創造的な孵化場です。はじめはなにも起こりそうにないかもしれません。しかし、もしあなたが自分の聖なる場所を持っていて、それを使うなら、いつかなにかが起こることでしょう。
モイヤーズ:この聖なる場所は、平原が狩猟民にもたらしたのと同じものを私たちにもたらす。
キャンベル:彼らにとっては世界全体が聖なる場所でした。しかし、いまの私たちの生活は、その方向性において非常に実際的、経済的なものになっています。だからみんな、ある程度の年齢になると、次から次へと目先の用事に追いまくられ、自分がいったいだれなのか、なにをしようとしていていたのか、わからなくなってしまう。四六時中、しなければならない仕事に追われているのです。あなたにとって至福は、無上の喜びは、どこにあるのか。あなたはそれを見つけなくてはなりません。ほかのだれもが見向きもしない古くさい曲でもいいから、とにかく自分が大好きなレコードを聴くとか、あるいは好きな本を読むとか。
(p173)
キャンベル:これは今日すべての人にとって必要不可欠なことです。今朝の新聞になにが載っていたか、友達はだれなのか、だれに借りがあり、だれに貸しがあるか、そんなことを一切忘れるような場所、ないし1日のうちのひとときがなくてはなりません。本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことのできる場所です。これは創造的な孵化場です。はじめはなにも起こりそうにないかもしれません。しかし、もしあなたが自分の聖なる場所を持っていて、それを使うなら、いつかなにかが起こることでしょう。
モイヤーズ:この聖なる場所は、平原が狩猟民にもたらしたのと同じものを私たちにもたらす。
キャンベル:彼らにとっては世界全体が聖なる場所でした。しかし、いまの私たちの生活は、その方向性において非常に実際的、経済的なものになっています。だからみんな、ある程度の年齢になると、次から次へと目先の用事に追いまくられ、自分がいったいだれなのか、なにをしようとしていていたのか、わからなくなってしまう。四六時中、しなければならない仕事に追われているのです。あなたにとって至福は、無上の喜びは、どこにあるのか。あなたはそれを見つけなくてはなりません。ほかのだれもが見向きもしない古くさい曲でもいいから、とにかく自分が大好きなレコードを聴くとか、あるいは好きな本を読むとか。
(p173)
仕事や子育てに追われていると、自分の内面を見つめるひとときが失われてしまう。まったく時間がないという人は、お風呂で湯船につかる瞬間、トイレで1人になる瞬間も「聖なる時間」である。貧・病・争で苦しんでいれば、なおさらのこと、「頭をからっぽ」にして、ひたすら「喜びに浸る」ひとときがほしい。
キャンベル:人々はよく、われわれがみんなが探し求めているのは生きることの意味だ、と言いますね。でも、ほんとうに求めているのはそれではないでしょう。人間がほんとうに求めているのは「いま生きているという経験」だと私は思います。(p33)
キャンベル:生きているという経験です。意味は知性に関わるものです。ひとつの花がある、その意味はなんでしょう。禅にはブッダの教えについてのこんな話があります。ブッダは弟子たちの前にただ黙ってひとつの花を持ち上げて見せた。すると、弟子たちのなかにひとりだけ、ブッダがなにを言おうとしたのかわかったことを目で示した人がいたそうです。<中略>意味なんてありません。宇宙の意味とはなんでしょう。ノミ一匹の意味とはなんでしょう。それはただそこにある、あるいはいる。それだけです。そしてあなた自身の意味とは、あなたがそこにいるということです。私たちは外にある目的を達成するためにあれやこれやすることに慣れすぎているものだから、内面的な価値を忘れているのです。「いま生きている」という実感と結びついた無上の喜びを忘れている。それこそ人生で最も大切なものなのに。
(p33−34)
(p33−34)
意味や原因を求めても、そこに幸せが待っているとは限らない。とくに「貧・病・争」に意味を求めても、そこから抜け出せないこともある。かつて、哲学者や思索家といわれた人たちが、人生の意味を探求しながら、どれほど多くの「自らの命」を絶ってきたことか。
■『スターウォーズ』はキャンベルの授業から生まれた・・・
松岡正剛の千夜千冊:『千の顔をもつ英雄』ジョゼフ・キャンベル
超有名な本。有名になったのはいろいろ理由がある。
俗っぽいところからいうと、ジョージ・ルーカスが大学でキャンベルの授業をうけて大いに感動し、その英雄伝説の基本構造を『スター・ウォーズ』3部作にそっくり適用して大成功を収めた。何が基本構造であるかは、あとで述べる。
やや学問的なことをいうと、神話学上で初めて「英雄」を規定した。英雄とは「生誕の再現」がたえずくりかえされる人間であり、その生命の啓示がカトドス(上り道)とアノドス(下り道)の交差の上に幾度となく成立するような人間のこと、総じては「自力で達成される服従(自己克服)を完成した人間」のことである。なるほどとおもわせる。
超有名な本。有名になったのはいろいろ理由がある。
俗っぽいところからいうと、ジョージ・ルーカスが大学でキャンベルの授業をうけて大いに感動し、その英雄伝説の基本構造を『スター・ウォーズ』3部作にそっくり適用して大成功を収めた。何が基本構造であるかは、あとで述べる。
やや学問的なことをいうと、神話学上で初めて「英雄」を規定した。英雄とは「生誕の再現」がたえずくりかえされる人間であり、その生命の啓示がカトドス(上り道)とアノドス(下り道)の交差の上に幾度となく成立するような人間のこと、総じては「自力で達成される服従(自己克服)を完成した人間」のことである。なるほどとおもわせる。
河合隼雄氏は、「自己実現の道を本当に味わっている人は、道草をくっている人だ。自己実現という目標を立ててまっしぐらに行ってしまう人は道のことなど気にかけず、ひたすら目的だけに終始する。」と書いていました。
今日は心の深いところで感動してしまいました。
「意味や原因を求めても、そこに幸せが待っているとは限らない。」は自分への戒めにしたい言葉です。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~scl/medi.htm
『例えばね、絶対の自由というのはさ、チューリップはチューリップとして咲くこと。ひまわりは、ひまわりとして咲くこと。桜が桜として咲くこと。だから、それは絶対の束縛でしょ。自分の与えられた流れは桜かもしれないし、それとも雑草かもしれない。でもそれを咲くことだ。だからそれは、絶対の白由であり、同時に絶対の不自由。ところが、頭で理解した自由というのは、そうじゃない。桜のくせにチューリップになりたがったり、なれると信じ込んじゃう。そういうこと。でもそうじゃない。一番自分にふさわしい流れというのは、既にあるんだ。その流れに自分達が一致した時、そして一致させるためには、素直になることだ。一致した時、ほんとにその人は安らぎを得る。』
千夜千冊『ゲルマン人の神々』ジョルジュ・デュメジル
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0255.html
千夜千冊『闇の歴史』カルロ・ギンズブルグ
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0056.html
千夜千冊『経済の誕生』小松和彦・栗本慎一郎
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0843.html
千夜千冊『人間というこわれやすい種』ルイス・トマス
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0326.html
『フラジャイル 弱さからの出発』松岡正剛
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480089357/
ずっと考えていたんですが、この本、読んでみることにします。人が「しなければならない」と言っていることのうち、本当にしなければならないことって、実際には何%くらいなのかなと思うことがときどきあります。
はじめまして。2006年5月25日の日記を2007年3月18日に拝見させて頂いています。
改めてジョセフ・キャンベルのことを思い出し、本棚から出して、こちらに引用されてあるペ−ジを
のぞいてみたりしています。私はNHKの放送でジョセフ・キャンベルという人を知ってからというもの
とにかく沢山の本を読みました。(それまでは全然、本、読まない人だったんです。おかしいですよね。)
きっとキャンベル氏に影響されて読むようになったのだと思います。
ヒロさんの日記を読んで、本の中にはこんな素晴らしいことが書かれていたのか!と目からウロコでした。
もう10年以上前に読んだものだから忘れてしまっていたのでしょうか?
でもキャンベル氏は、とにかく魅力のある方でしたよね。
私はテレビで拝見した時は、もう釘付けになりました。
とにかく、この方のことが知りたくて本を読んでいたように思います。
また最初から、頑張って読んでみようと思います。
気づかせて下さってどうもありがとうございました。
>2006年5月25日の日記を2007年3月18日に拝見させて頂いています。
>本の中にはこんな素晴らしいことが書かれていたのか!
あれから早10ヵ月。本日この日記を読み直してみると、私も胸がジーンと熱くなりました。私がイギリスに来れたのも、ジョセフ・キャンベル先生のお導きだったかもしれません・・・と今、ふと思いました。
お返事大変ありがとうございます。キャンベル氏の導きによってイギリスに行かれたのでしたら大変素晴らし
ご経験をなさっているのだと思います。本の中の言葉を引用して、キャンベル氏にかわって私がヒロさんに
メッセ−ジを送りたいと思います。
『運命は、歩む意志ある者を先導し、意志なき者を力ずくで引き立てる』(P22)
また来ます。ありがとうございました。
http://art-random.main.jp/samescale/083-2.html#j-campbell
上のペ−ジを見て来ました。面白いですね!森での隠遁生活の時、サックスで食費をまかなっていたとは知りませんでした(笑)それとは別ですが、人の寿命のシンクロニシティ。世の中、面白いことを調べる人っているんですね。死ぬ時に意味があるとしたら見送る人はだいぶ癒されそうです。私も意味は必ずあると思うけれど、どうでしょう。説明出来る範囲をはるかに超えているように思います。自分が死んだ時、この仕掛けがわかるようになるとは思っているけど。ヒロさんはどう思われますか?何かあれば聞かせて下さい。
私もアメリカの公共放送PBSの番組をNHK3で放映したときにみました。
その後、英語の本を買って読んだものです。
キャンベルといえば、ユングの唱えたシンクロニシティへの賛同、
ウォーターゲート事件を起こしたニクソン大統領とジョイスの最後の小説
フィネガンズ・ウェイクの主人公との連想、自己超越transcendenceが
印象に残っています。また、organized crimeではなく、organized religion
という言葉があることも知りました、彼は非常に嫌っていました。
今や、子供にたいして性的虐待をしていた神父たちが大勢みつかり、
この嫌悪が正しかったようです。
ソ連も、宗教も、ギャングも、組織がからむと碌なことはありません。
神話学者といえば、他にはルーマニア人学者のミルチア・エリアーデがいるようですが、
こちらは大衆向けの本は書いていないようで、そのうちご紹介いただければ
と期待しております。彼の書いている本では、psychic numbという言葉が
あるようですが、これは正月に対談で聴いたことがあるだけです。
現代人の精神的無気力でしょう。
話は変わりますが、英国にお住まいとか。Kazuo Ishiguroは私の好きな作家です。
日本では、直木賞、芥川賞が権威のある賞とみなされていますが、本当は
本が売れそうな流行作家の発掘のために菊池寛などが始めた賞だと聴いています。
遠藤周作、安部公房などが無視されて、大衆の好む内容の小説家が重宝される。
そんな文化になってしまいましたが、イギリスはそんなことはないのでは。