自然観察では「ゲーテの自然観察」という授業が必ず含まれている。シュタイナーは「ゲーテ全集の編纂」という仕事を任されたことがあり、ゲーテの思想は、若きシュタイナーに絶大なる影響を与えた。
ゲーテにはたくさんの顔があって、『若きウェルテルの悩み』や『ファウスト』の文豪であり、ワイマール公国を任された政治家でもあり、年老いてなお恋愛遍歴にいそしむ好好爺であり、色彩論や植物学を探求する科学者でもある。(参考:ゲーテの偉大な生涯はこちら)
自然科学者としてのゲーテは、その方法論として「帰納法は不十分であり、直観的思考が大切である」といっている。シュタイナーは「客観的思考」は大切だが、それだけでは深みがない、よって「直観的思考」は欠かせない、という。本日は私のお勉強の復習ノートになってしまうので、あしからず。
「ゲーテの自然観察」の授業では、ある1つの植物を観察対象として決め、これを1ヵ月ぐらい、毎日観察する実習を行う。手始めは「客観的思考」であり、目の前にある物体をあらゆる方面から眺める。デッサンやスッケチすることが基本である。
私の場合は、バラの1種を選んでみた。単純に蕾の形がキレイなことと、ティールームに近いため、お茶を飲みながら観察できるぞ〜という実利的な動機からである。最初は蕾の変化に興味を持ったが、寒い日が続くとほとんど変化が見られなくなり、私の飽きっぽい性格も手伝って、2週間もすると「もういいや」になってきていた。
そうしたころ、あるクラスメートが、観察する花に「五角形」のパターンを発見して、ユーレカ!状態になっていた。植物学でいう「花序パターン」や「開花の順序」といった話のことである。ということで、私も数学が好きなので、何か面白い図形パターンがないかどうか、探してみた。
そうすると、蕾ができる前の枝分かれに「2−3」のパターンを発見した。2つの枝分かれからは蕾ができず、3つ以上の枝分かれから蕾ができるという発見である。さらにもう1つ、バラの棘が生える位置がランダムだと思っていたのが、120度で回転しながら、らせん階段を登るように位置していることを発見して、私もユーレカ!になった。
これはすべてのバラの特性ではなく、私が観察したある特定のバラが上記のような数学的パターンを持っていた、という話である。この「ユーレカ」はある意味で当人の舞い上がりに過ぎないが、観察によって「客観的事実」もどんどん深まり得るという1例である。
観察対象を「It =それ」「You =あなた」「I =わたし」で捉えるという実習もある。対象物が「観察」され、「客観視」されているときは、ものとしての「It」だが、そもそも、その対象物を選んだのは私であり、出会ったものが「それ」ではなく、人格をもった「あなた」として想像してみる。
この辺になると、詩の世界である。私は数ある無数の植物の中から、あなたを選んだ。あなたに惹かれた。最初の動機は不純だった(ティールームに近いからetc)かもしれないけれど、いまはあなた好きで好きでたまらない。あなたは「花」なんかじゃない、「マリア」と呼ばせてちょうだい。いとしのマリア、どうして私はあなたと出会ったのかしら・・・・。
いい年こいて、何をやってんの、と思われる人もいるでしょ。恋は盲目、世界は2人のためにあるの、余計なお世話よ、ほっといて。詩をつくったり、花に手紙を書いたり、あるいは植物をデフォルメさせて妖精や人物を描いたり、中には歌をつくったり、音楽をつくる人もいる。
野辺に咲く花が、偏愛対象としての「あなた」に変わったわけである。こんな態度で「自然科学」の論文を発表されたりすると少々問題だが、もう1歩踏み込めば、対象物へのさらに深い洞察となりえる。「わたしとあなた」の関係を超えて、「彼我一如」になってしまうのだ。
「種」になりきる。「花」になりきる。自分が種に変容して、芽を出し、葉を伸ばす様を全身で感じる。蕾となって、1枚1枚の花弁を広げる瞬間瞬間を感じとる。そして、そこに何らかの「ことば」が生まれたときには、その植物にかわって「わたし」が植物のことばを語り始める・・・・・。
瞑想を実践している人や、詩人、画家、音楽家、ダンサー、武術をこころざしている人には、お馴染みの話なのかもしれない。哲学の分野では、マルティン・ブーバーの『我と汝』(オリジナルはドイツ語で『Ich und Du』、英題は『I and Thou』)が、この世の関係は「I - It 関係」と「I - You 関係」の2通りしかない、といっているのも参考になる。
平たくいえば、「観察こそが創造(想像)の母」であり、「惚れて惚れて惚れぬけば、真理はおのずから語りだす」ということかもしれない。「おのずから語りだす」とはいうが、必ずしも「見つめているとき」に語りだすとは限らない。
ある友人は植物観察をしながら、「これは花なのか、顎(がく)なのか、咲き始める前なのか、枯れた後なのか」と、さっぱりわからない・・・・とつぶやきながら、植物のある形状に疑問をもった。すると、その日の夜に夢をみて、夢の中で「枯れた後の形状である」ことを示唆する直観的な映像があわられて、その後の観察でその通りであることが判明したという。
中国北宋の政治家・欧陽脩は、「ユーレカ!」が起こりやすい場所として、「馬上、枕上、厠上」(=馬の上、ベッド、トイレ)を挙げている。「枕上」とは「エッチの最中」のことではなく「夢からのメッセージ」ということだろう。私の場合は、「散歩」や「お風呂」、「だ〜れもいない大学の図書室」もこれに入る。タバコを吸う人は「煙のゆくえ」を見ているうちにいいアイデアが浮かぶという人もいる。
今回の話を総括すると、「直観的思考」とは「対象物と同一になるまでの直観」であり、「思考のネタ」は向こうから勝手にやってくる場合もある。パソコンに張りついてばかりいないで「散歩」でもしてみよう、そして「夢」には特に気をつけましょう、ということでございましょうか。
■おまけ:「我々が考えていることの大半はゴミである」
◆新野哲也著『頭がよくなる思想入門』 (新潮選書) p14−15
朝、起きた瞬間にパッとよい考えがうかぶ。頭はまだ世俗の想念に汚されていないため、まず先に直観があらわれたのだ。「トイレの名案」も同様である。頭を空っぽにして壁の染みに目をやった瞬間、いくら考えてもひねりだせなかった名案がかんたんに目の前の転がり落ちてくる。
何も考えていないのによい考えがうかぶのは、雑念という霧(=理性)がたちこめていないため、遠く、広く、視界(=感性)がきくからである。頭のよさの証明のように思われていた理性が知の視界を遮る邪魔者だったのであれば、これは、なんたる皮肉であろう。
じつは日頃、われわれが考えていることの大半は、無益な雑念といってよい。
虚栄や嫉妬にまつわる妄想、他愛のない想像、余計な詮索、得体の知れない不安やつまらない心配事など、ひとまとめにゴミ箱に捨てても少しも惜しくはないものばかりが頭を占有している。
無知こそが最良の客観であり、「知る」ということは偏見を生むことなのであろうか?
いや、その逆で無知こそが偏見を生み、対象を知り尽くしてこそ客観を生むのか?
などと考えてみたこともありますが、どうも私の脳内ではバナナの皮様おすべり箇所のお題のようです。答えが見えん。ところが、こんにちのヒロさんのエントリーで薔薇のとげに引っかかったよう。とげを辿って昇りつつ思考の美しい薔薇をいつか咲かしてみましょうぞ。
春は近い。Kew Garden門前のティールームは美味しいのでぜひ一度。
シッシングハーストガーデンの白花づくしの庭もぜひ。こちらは6月末が見頃だと思われます。
ブログ界の修行僧をめざす私ですが、恋焦がれた『薔薇の名前』を覚えておりません。恋愛遍歴ならぬ薔薇遍歴をもっと深めたいところ。私はシシングハースト(Sissinghurst)は常連でございますが、Kew Gardenはこれからです。
今年の「夢」はフランスに行くことで、シャルトル、セギュレ、ソミュール、カルナック、ルルド、モン・サン・ミッシェルが憧れの地。フランスの女神ま・ここっと様、私が訪れるべき「フランスの美しいガーデン」はどこでしょうか。どうか私の夢をかなえてください。
街へ出よう、と仰ってた方が昔ありましたね。で…
全ての衆生を解き放ちたいという願いをもって
完全なる覚醒を得るまで 仏、法、僧伽に 常に帰依し奉る
智慧と慈悲の心に励まされ 今日、私は仏の前で
全ての生きとし生けるものの幸せのために
完全なる覚醒を求める心を発起します
世界が苦しみに耐え 生きとし生けるものが在るかぎり
この世の苦しみと取り除くために 私もまたこの世に止まらんことを
ダライ・ラマの著書によく引用される祈りですが、アッシジの聖フランシスコの「平和の祈り」そしてチベット仏教の「心の変容に関する八詩頌」という祈り(修行のためのものであるそうです、『幸福になる心』という著書に詳しい解説があります)によく似ています。そして新野哲也著『頭がよくなる思想入門』からの引用部分は非常に示唆に富むものと感じました。
真実とは何ぞや、客観とは何ぞや?_| ̄|○ il|!
ダライ・ラマの『幸福になる心』の訳者は山際素男さんですが、この方の訳文は定評が高い。以下、彼の執筆・翻訳本です。
ダライ・ラマ 『ダライ・ラマ自伝』 (文春文庫)
山際素男 『踊るマハーバーラタ 愚かで愛しい物語』 (光文社新書)
山際素男 『不可触民と現代インド』 (光文社新書)
ダナンジャイ・キール 『アンベードカルの生涯』 (光文社新書)
アンベードカル 『ブッダとそのダンマ』 (光文社新書)
アンベードカルは、インドの不可触民(アンタッチャブル)のために立ち上がった仏教徒の聖人です。
零細秘密結社旅行部勤務のMCです。
まずKew Garden ですが売店の園芸関係図書販売が充実しておりますのでぜひご覧ください。
んで、仏蘭西ですが、フェリーで入国されますか?
もし飛行機やTGVで巴里から入るのならば季節にもよりますが巴里植物園は憩いの空間ですし、園内の自然史博物館もお勧めです。パリにおける英国庭園はブローニュのバガテル庭園が有名かもです。私は手元にMichelin のCarte des plus beaux jardins de franceという1994年に一度出たきりの共和国内の美庭園地図を持っていますが、インターネットならこれ↓が便利そうです。
http://www.jardinez.com/
そしてまさかとは思いますが、フランス国内の聖地巡礼、もしくは仏蘭西びっくりショーツアーを主になさるのであれば、ルルドからヌヴェールに移動してベルナデットの生涯を一度に振り返るのも面白いかもしれません。ヌヴェールにはベルナデットの腐らぬご遺体が安置されています。
こちら↓が仏蘭西国内聖地検索では便利かと思います。
http://www.villes-sanctuaires.com/
もそっと調べてみますね。
いつかはヒロさんもサン・ジャック・ド・コンポステル巡礼をぜひ。
http://www.csj.org.uk/routes.htm
まここっと様は旅行会社も営まれているのですね。どうか私をフランスの「狭き門」(凱旋門?)にお導きください・・・。
実はヤコブさまの『星の巡礼』は8年前に! といっても、パウロ・コエーリョの本みたいなバックパッカー系の旅ではなく、列車と自動車でございます。わが家の新婚旅行(婚前旅行?)では、まずマドリード経由の飛行機でスペインのサンチアゴ・デ・コンポステーラに滞在。そのあとは列車でフランスのペルピニャンに行き、あとはレンタカーでプロバンス巡りをしました。エクサン・プロバンス、セギュレ、エズが印象的でした。そして、レンタカーでミラノに突入して、(気分は)昇天いたしました。
ルルドからヌヴェールというのも野心的なツアーですこと!1週間以上休めないかもしれないので、フェリーでフランス入りし、田舎の自動車旅から始めるのがいいかもしれません。パリに右ハンドルの車で行くのは、正直こわいです。
マルセイユの凱旋門を囲む芝生のスペースは男女くっきりはっきり分かれたイスラム男女のくつろぎの場と化していますよ。そこからRue bon pasteur(良き牧師の通り)という通りが延びていますが、ここはスークやモスクありのアラブ度100マックスの世界。ぜひ一度彷徨っていただきたいものです(お財布だけは気をつけて)。
http://malicieuse.exblog.jp/2942611
サンチアゴ・デ・コンポステラの参道はパリ(Av. Saint Jacques)からも始まっていますよね。今も欧州中から長期休暇をとって首にホタテ貝、片手に杖、片手にロバくんで巡礼をなさる方々がいる、というのにまず驚きです。巡礼地ルルドに行くと膝で歩いて祈りを捧げるヒトや十字架の道行きを裸足で実行する西洋人もいるのでこれも目の当たりにするとおったまげ事項ですよ。
ヒロさん、セギュレはプロヴァンス地方ですか?
この土地を離れる前にぜひ訪ねてみたいです。
セギュレ(Seguret)は、小さい村ですね。アヴィニョンの北にオランジュがありますが、そのオランジュから北東へ24km。すごい山の中でした。芸術新潮か何かにプチ・オーベルジュが載っていたのですが、アヴィニョンから電話をすると、2時間後にくれば夕食は間に合うとうことで、山道を時速90キロで走りました。
11月は閑期だったようで、丘から眺める1番いい部屋をゲットしました。オーベルジュ名はちょっとド忘れですが、以下のリンクみたいなところでした。
http://www.provenceweb.fr/f/vaucluse/seguret/seguret.htm
リュベロンの小村群のひとつですね。このあたり教皇領が点在していたことで隠れユダヤんの村が点々とあり、生活文化史と絡めながら旅行しても楽しいですよ。ユグノー派の名前もHPに登場していますね。食はもちろん、もう少ししたらイチゴとメロンです!
HP、ありがとうございました。
そして積読本の激増…_| ̄|○ il|!
あれも欲しい、これも欲しい、どれも欲しい状態です。
全部、追いつくのはいつの日か。
植物の神秘生活 緑の賢者たちの新しい博物誌(ピーター・トムプキンズ+クリストファー・バード)工作舎
http://www.kousakusha.co.jp/BOOK/ISBN4-87502-133-X.html
生命進化と「方便」
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-14.htm
男一代菩薩道〜インド仏教の頂点に立つ男〜
http://www.fujitv.co.jp/nonfix/library/2004/445.html
アンベードカルの後継者、佐々井秀嶺
ゲーテの植物観察をやる人には『植物の神秘生活(Secret Life of Plants)』は必携ですね。さきほど注文しました。
アンベードカルの後継者、佐々井秀嶺氏のお話も感動しました。
そして以下のリンクはもっと感動しました。みなさまもどうぞ。
>http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-14.htm
悟りを開かれた釈迦への敬称である「世尊(せそん)」を意味するサンスクリット語のBhagavan(漢訳では「薄伽梵」)が、あの赤塚不二夫の名作漫画『天才バカボン』の語源だということを、私は最近、高名な仏教関係者から聞いて驚いた。
「方便」は、われわれの常識のように「正しい目的」を実行するための「(便宜上の)手段」というものではなくて、「目的よりも、手段こそ本質であり、ともかく前に進むことが大切だ」という発想の転換がなされている。そう、upaya(方便)とは「ともかく進んで(変化して)みる」ということなのだ。
「葦原中津国(中略)然も彼の地に、多に蛍火の光く神、及び蠅声す邪しき神有り。復草木咸に能く言語有り(しかもかのちに、さはにほたるびのかかやくかみ、およびさばへなすあしきかみあり。またくさきことごとくによくものいふことあり)。 」
「神代下」『日本書紀 巻第二』
現代語訳:(のちに日本と呼ばれる)その地にはたくさんの光り輝く神や騒々しい邪悪な神がいる。また草や木がみな言葉をしゃべる。
日本神道について
http://homepage2.nifty.com/moon21/ronbun06.html
Sasai-G
http://www.eccosys.jp/sasai-g/
闘う仏教!インドの大地に浪花節が響く
http://homepage3.nifty.com/~dennoji/sasaiji2.html
佐々井秀嶺老師の話
http://www.geocities.jp/surmale_y/sasaiji.html
山際素男「破天―一億の魂を掴んだ男」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4931062199/
「よし決めた。金も要らぬ、名も要らぬ、命も要らぬ。
これなら怖いものは無いではないか。
気に入った。これでいこう。
これを称して佐々井秀嶺の三大誓願という。」
http://www.tomigaya.shibuya.tokyo.jp/sasai-g/
宮澤賢治『遙かなる銀河のオリベスク』
http://www.d1.dion.ne.jp/~yamachaz/sub3(kenji1).htm
千夜千冊『遺された黒板絵』ルドルフ・シュタイナー
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0033.html
「色彩の本質・色彩の秘密(全訳)」ルドルフ・シュタイナー
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/475650096X
「色彩論 完訳版」ゲーテ
http://www.kousakusha.co.jp/DTL/shikisai.html
シュレーディンガーの猫とボーアの相補性とゲーテの色彩論
http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity1031.html
『ゲーテがみずから、最も重要な著作と考えていたのは、戯曲「ファウスト」ではなく「色彩論」だった。』