◆『部落解放同盟の「糾弾会」で人格を破壊された人たち』(2005/8/30)へのコメント
2005/12/27(火) 20:27 七誌
古代史や比較神話学をやっている一部の人間ならばわかっていることですが、部落民と朝鮮人というのは鬼や悪魔と呼ばれている者たちです。
そういう連中が日本を支配するために結成した秘密結社が部落解放同盟であって、連中は差別の解消などということは微塵も考えていません。むしろ自分たちが他者を差別できる世の中を作りたがっていると言えるでしょう。
古代史や比較神話学をやっている一部の人間ならばわかっていることですが、部落民と朝鮮人というのは鬼や悪魔と呼ばれている者たちです。
そういう連中が日本を支配するために結成した秘密結社が部落解放同盟であって、連中は差別の解消などということは微塵も考えていません。むしろ自分たちが他者を差別できる世の中を作りたがっていると言えるでしょう。
この発言の前半は、非常に危ういメッセージである。「部落民=鬼、悪魔」、「朝鮮人=鬼、悪魔」とも取れる、究極の差別的発言になっているからだ。念のため、「一部の部落民や朝鮮人」に「人の道をはずれた人たちがいる」と補って解釈しておきたい。
コメントの七誌さんは、「秦氏というものについてもっと勉強が必要」「鬼の頭になぜ角が生えているのか」「最大の悪神であるバールになぜ角が生えているのか」というヒントを残しながら、年の瀬の寒風と吹雪の中、雪女のように去って行った。
ということで、映画『薔薇の名前』で真相を解明するフランチェスコ修道士に倣って、ブログ界の修行僧の私が「オニの名前」の謎をボチボチと解いていきたい。
「鬼退治」で有名なのは、何といっても桃から生まれた「桃太郎」である。テレビ時代劇の『桃太郎侍』(高橋英樹主演)もなつかしい。もっと上の世代の方々は『桃太郎の海鷲』『桃太郎 海の神兵』というアニメ映画もなつかしいかもしれない。
桃太郎のあれこれ
「桃太郎」は、恐らくは日本で最も愛されている民話の一つである。単なる「昔話」ではなく、今もなお、数多くのマンガやゲームで新たに語り直され続けている生きた物語であり、桃太郎とその家来の姿を日本人の魂のあり方の理想とし、精神論、経営論の喩えとして使われていることも多い。<中略>
第二次世界大戦中、桃太郎が軍国少年の理想像として語られ、戦意高揚に利用されたことはよく知られている。学校でも「桃太郎やその家来のような理想的な兵隊になれ」と教えたし、『桃太郎の海鷲』『桃太郎 海の神兵』といったアニメ映画も作られ、桃太郎が戦闘機に乗って真珠湾を攻撃したり、洋鬼(ヤンキー)島へ行って“鬼畜米英”を撃破したりしていた。
桃太郎を“帝国主義の英雄”として語ったのは何も第二次世界大戦中に限ったことではなく、明治時代の日清・日露戦争頃にも行われていたことである。明治二十年に「桃太郎」は国定教科書に採用されたが、その頃、童話として語り直された何篇かの「桃太郎」では、堕落した複数の鬼の国を征伐して日本風に染め上げることこそが正義だ、と声高に叫んで進軍する彼の姿が描かれている。
第二次世界大戦中、桃太郎が軍国少年の理想像として語られ、戦意高揚に利用されたことはよく知られている。学校でも「桃太郎やその家来のような理想的な兵隊になれ」と教えたし、『桃太郎の海鷲』『桃太郎 海の神兵』といったアニメ映画も作られ、桃太郎が戦闘機に乗って真珠湾を攻撃したり、洋鬼(ヤンキー)島へ行って“鬼畜米英”を撃破したりしていた。
桃太郎を“帝国主義の英雄”として語ったのは何も第二次世界大戦中に限ったことではなく、明治時代の日清・日露戦争頃にも行われていたことである。明治二十年に「桃太郎」は国定教科書に採用されたが、その頃、童話として語り直された何篇かの「桃太郎」では、堕落した複数の鬼の国を征伐して日本風に染め上げることこそが正義だ、と声高に叫んで進軍する彼の姿が描かれている。
わが国の「桃太郎侍」は、明治20年から国定教科書で親しまれ、その後は、洋鬼(ヤンキー)島で、鬼畜英米と勇敢に闘ってきたのだ。古い記録では、「桃太郎伝説」は鎌倉初期の『保元物語』(1320年前後)に遡る。
桃太郎(ももたろう)
原話の形成は室町以前と考えられており、滝沢馬琴は『燕石雑志』の中で、鎌倉時代初期に書かれた『保元物語』の為朝の鬼が島渡りを擬して桃太郎の鬼ヶ島征伐の物語が成立したと考察している。志田義秀は『日本の伝説と童話』の中でそれを受けて、為朝が鬼が島に渡ったときに昔鬼だった島人が今では島に宝がないと言っていることから考えて、おそらく鬼ヶ島宝取伝説は『保元物語』の成立した頃にすでに存在したのだろうと書いている。
それ以前の口承によった桃太郎話の原流は、さかのぼることが難しい。
それ以前の口承によった桃太郎話の原流は、さかのぼることが難しい。
一方、退治される「鬼」の方だが、『万葉集』『日本書紀』『古事記』の時代には、「鬼(オニ)」というコトバが存在しない。「鬼」という漢字はあるが、「オニ」とは読まないのである。
◆大和岩雄 『鬼と天皇』(白水社 1992) p25
『万葉集』の「鬼」の表記は15例もあるが、「もの」と訓む例は11例、「しこ」と訓む例は4例ある。「おに」という訓み方が1例もないことからも、『日本書紀』の「鬼」表記は、「もの」もしくは「しこ」と訓まねばならない。
『古事記』には、「鬼」表記はまったくない。『古事記』の「もの」の漢字表記は「物」である。(『古事記』の「者」表記を「もの」と訓む人もいるが、平安朝初期までは「ひと」と訓んでいたから、『古事記』の「者」も「ひと」と訓むべきであろう)
『古事記』には、「鬼」表記はまったくない。『古事記』の「もの」の漢字表記は「物」である。(『古事記』の「者」表記を「もの」と訓む人もいるが、平安朝初期までは「ひと」と訓んでいたから、『古事記』の「者」も「ひと」と訓むべきであろう)
「鬼」は『九鬼(くかみ)文書』に見られるように「カミ」とも読む。「カミ」を善悪に分けたい場合、善きものを「神」とし、悪しきものに「鬼」という字を当てた。幽霊や物象としての「モノ」の場合は、善きものや普通のものは「物」とし、悪しきもの(=もののけ)は「鬼」としたらしい。
「オニ」という言葉自体は、「隠」「陰」から変化したもので、陰陽師の安倍晴明が活躍した頃に広まり始めたというのが定説になっている。
で、話は「桃太郎」に戻って、その起源についてだが、『吉備津宮縁起』(1583年)には「桃太郎」の原型になったであろう、4世紀頃に吉備の国(広島東部〜兵庫中部)で起こった「ある事件」について書かれてある。
◆門脇禎二『吉備の古代史―王国の盛衰』(NHKブックス 1992) p65−66 (ネットソース)
崇神天皇のころ、異国の鬼神が飛行して吉備国にやってきた。彼は百済の王子で名を温羅(ウラ・オンラ)ともいい吉備冠者とも呼ばれた。
彼の両眼は爛々として虎狼の如く、蓬々た鬚髪は赤きこと燃えるが如く、身長は一丈四尺にも及ぶ。膂力は絶倫、性は剽悍で凶悪であった。彼はやがて備中国の新山(にいやま)に居城を構え、さらにその傍らに岩屋山に楯を構えて、しばしば西国から都へ送る貢船や婦女子を略奪したので、人民は恐れ恐いてこの居城を"鬼ノ城"と呼び、都に行ってその暴状を訴えた。
彼の両眼は爛々として虎狼の如く、蓬々た鬚髪は赤きこと燃えるが如く、身長は一丈四尺にも及ぶ。膂力は絶倫、性は剽悍で凶悪であった。彼はやがて備中国の新山(にいやま)に居城を構え、さらにその傍らに岩屋山に楯を構えて、しばしば西国から都へ送る貢船や婦女子を略奪したので、人民は恐れ恐いてこの居城を"鬼ノ城"と呼び、都に行ってその暴状を訴えた。
身長は「一丈四尺」だという。1丈=3m、1尺=30cmなので、4.2mの化け物である。またまた脱線するが、この空を飛ぶ鬼神で思い出すのは、映画の『大魔人』シリーズであり、『妖怪百物語』の続編となった『妖怪大戦争』である。(野球の『大魔神』でも、角川映画の『妖怪大戦争』でもない。60年代後半以降に生まれた人は要注意!)
妖怪大戦争
時は、江戸時代…。バビロニアの古都「ウル遺跡」と言う所から4000年の眠りから「吸血妖怪ダイモン」と言う妖怪が蘇るシーンから『妖怪大戦争』は、始まるのである…。復活した「吸血妖怪ダイモン」は、なぜかバビロニアから日本の伊豆半島へ嵐と共に黒い塊になって飛来して来た…。その時、偶然にも伊豆半島の海岸で釣りを楽しんでいた伊豆の「代官・磯部兵庫」を襲い!血を吸ったあげくに「代官」の体に「ダイモン」が乗り移った事により「吸血鬼」化した「代官」が次々と人々を襲い始めたのでありました。<中略>
代官所の人達は、次々に犠牲者が出てもまさか人間の「代官」に「吸血妖怪ダイモン」が乗り移っている事とは知らず、恐怖に脅えていた…。そんなある日、代官所の庭に偶然現れた「河童」(江戸っ子の「河童」がコミカルでとっても良い味出してます…)が「代官」に乗り移っている異国の大妖怪「ダイモン」の存在に気ずき、日本中の「妖怪」達を急遽大集合させて、「吸血妖怪ダイモン」に戦いを挑むのでありました…。
代官所の人達は、次々に犠牲者が出てもまさか人間の「代官」に「吸血妖怪ダイモン」が乗り移っている事とは知らず、恐怖に脅えていた…。そんなある日、代官所の庭に偶然現れた「河童」(江戸っ子の「河童」がコミカルでとっても良い味出してます…)が「代官」に乗り移っている異国の大妖怪「ダイモン」の存在に気ずき、日本中の「妖怪」達を急遽大集合させて、「吸血妖怪ダイモン」に戦いを挑むのでありました…。
身長数メートルの「吸血妖怪ダイモン」を観たおかげで、それから数ヶ月、怖くて怖くてトイレに行けなくなったのを覚えている。バビロニアのウルから、伊豆半島に飛来した恐ろしい妖怪だ。しかし日本の妖怪連合軍が、苦戦しながらも、最後の最後でこの妖怪を撃退するシーンには感動した。(ガンバレ、ニッポン!)
さて、閑話休題。4世紀頃に吉備津国を侵略したのは「バビロニアの妖怪ダイモン」ならぬ「百済の王子、温羅(オンラ)」であったが、これを迎え撃った英雄は、我らが「桃太郎侍」(いよっ、待ってました!)吉備津彦命(きびつひこのみこと)である。
温羅(うら、おんら )
第10代崇神天皇のころ(第11代垂仁天皇のころ)、吉備の国に百済の王子と名乗る容貌魁偉の温羅がやってきた。
温羅は新山(総社市)の“鬼の城(きのじょう)”を居城として悪事を働いて人々を困らせたために、朝廷から討伐軍を送られるがこれを負かしてしまう。そのため朝廷は、次に五十狭芹彦命を派遣した。
命は、温羅の投じる岩に対して2本の矢を同時に射て温羅の左目を射抜く。温羅が雉に変化して逃げたので命は鷹に変化して追い、また温羅が鯉に身を変えてさらに逃げたので命は鵜に変化してついに温羅を捕らえた。
命は温羅の首をはねてさらしたが、温羅は首だけになっても唸り声をあげ続け、命はその肉を犬に食わせてそれでも唸り声はやむことが無かったたため吉備津宮の釜殿の釜の下に埋めたが、やまない唸り声は13年に渡って釜を鳴らし続けた。
そしてある日、命の夢に温羅が現れて「釜で神にささげる食物を炊け、釜は幸福が訪れるなら豊かに鳴り、禍が訪れるなら荒々しくなるだろう」と告げたため、命はその通りにした。
これが、吉備津神社につたわる釜鳴神事のおこりである。
温羅は新山(総社市)の“鬼の城(きのじょう)”を居城として悪事を働いて人々を困らせたために、朝廷から討伐軍を送られるがこれを負かしてしまう。そのため朝廷は、次に五十狭芹彦命を派遣した。
命は、温羅の投じる岩に対して2本の矢を同時に射て温羅の左目を射抜く。温羅が雉に変化して逃げたので命は鷹に変化して追い、また温羅が鯉に身を変えてさらに逃げたので命は鵜に変化してついに温羅を捕らえた。
命は温羅の首をはねてさらしたが、温羅は首だけになっても唸り声をあげ続け、命はその肉を犬に食わせてそれでも唸り声はやむことが無かったたため吉備津宮の釜殿の釜の下に埋めたが、やまない唸り声は13年に渡って釜を鳴らし続けた。
そしてある日、命の夢に温羅が現れて「釜で神にささげる食物を炊け、釜は幸福が訪れるなら豊かに鳴り、禍が訪れるなら荒々しくなるだろう」と告げたため、命はその通りにした。
これが、吉備津神社につたわる釜鳴神事のおこりである。
この物語から「史実」を拾い取るのは歴史学者のお仕事だが、神話学からみると、これとそっくりの話がケルト神話にも見られる。
◆ジョセフ・キャンベル 『千の顔をもつ英雄・下』(人文書院) p13
たとえばウェールズ人の話には、「水底の国」に住んでいたグウィオン・バックという英雄がでてくる。<中略>ケーリッドウェンは一面では穀物と豊穣の守護神であり、他面では詩と文学の女神であった。かの女神は巨大の釜をもっていて、この釜でもって知と霊感を調合してみたいと思いたった。<中略>
かの女神はわが英雄グウィオン・バックにかの大釜をかきまわさせる一方、モルダという名の盲人に火の番をさせた。そして1年と1日のあいだ絶えず煮えたぎらせ見張っていろと命じた。<中略>やがてその1年の終わりも近づいたある日、ケーリッドウェンが草を摘みながら呪文を唱えていると、はからずも魔酒の3滴が大釜から流れだし、グウィオン・バックの指のうえに落ちた。ひどく熱かったため、思わずその指を口にふくんだ。<中略>はげしい恐怖に襲われたグウィオン・バックは、自分の領地へ向かって一目散に逃げ出した。<中略>
ケーリッドウェンはもどってくるなり、この1年間の苦労がことごとく水泡に帰したのに気づいた。そこで薪の1本をつかんで盲のモルダの頭をおもいきり撲りつけたので、片眼が頬まで飛びだした。<中略>
かの女は急いでかれのあとを追った。グウィオン・バックはそれを知るとすぐ野兎に身を変えて逃げたが、かの女も猟犬に変身して追ってきた。そこでグウィオン・バックは川へ走り魚になったが、またすぐにかの女も牝川獺(メスかわうそ)に姿を変えて水底まで追ってきたので、やむなく今度は空飛ぶ小鳥に変身した。しかし追手は鷹になってあとを追いかけ、逃げる者に少しの休む暇もあたえなかった。
かの女神はわが英雄グウィオン・バックにかの大釜をかきまわさせる一方、モルダという名の盲人に火の番をさせた。そして1年と1日のあいだ絶えず煮えたぎらせ見張っていろと命じた。<中略>やがてその1年の終わりも近づいたある日、ケーリッドウェンが草を摘みながら呪文を唱えていると、はからずも魔酒の3滴が大釜から流れだし、グウィオン・バックの指のうえに落ちた。ひどく熱かったため、思わずその指を口にふくんだ。<中略>はげしい恐怖に襲われたグウィオン・バックは、自分の領地へ向かって一目散に逃げ出した。<中略>
ケーリッドウェンはもどってくるなり、この1年間の苦労がことごとく水泡に帰したのに気づいた。そこで薪の1本をつかんで盲のモルダの頭をおもいきり撲りつけたので、片眼が頬まで飛びだした。<中略>
かの女は急いでかれのあとを追った。グウィオン・バックはそれを知るとすぐ野兎に身を変えて逃げたが、かの女も猟犬に変身して追ってきた。そこでグウィオン・バックは川へ走り魚になったが、またすぐにかの女も牝川獺(メスかわうそ)に姿を変えて水底まで追ってきたので、やむなく今度は空飛ぶ小鳥に変身した。しかし追手は鷹になってあとを追いかけ、逃げる者に少しの休む暇もあたえなかった。
いわゆる「呪的逃走」という話だが、吉備津の「桃太郎」と「百済の怪人」では、以下のような変身がある。
変身合戦である。一方のグウィオン・バック(Gwion-Bach)では、豊穣の釜焚き女神ケーリッドウェンに追いかけれられる。
「百済の怪人」が片目をつぶされる話と、「大釜の番人モルダ」が女神に撲られて片眼が飛び出してしまう話も似ている。どちらの話にも豊穣神話にからむ「大釜」が登場するところもそっくりだ。
この2つはどうして似ているのか不明だが、同じ類型をもっているとすると、「百済の怪人」の方が実は「英雄」ではないか、という推理が出てくるのも当然である。
「ももたろう伝説」の悲話:本文を「鬼」とされて抹殺された「温羅一族」へ捧げる
吉備津宮縁起では、百済の皇子とされている温羅が、本当に百済の皇子であったのかどうかはわかりませんが、吉備の人びとにとっては尊い人であったことでしょう。
実は、岡山県南一帯の開発は秦氏に代表される新羅系渡来人によって指導されていた可能性が高く、製鉄技術のル−ツも新羅系が中心と考えられることなどから、温羅は新羅系渡来の技術者(ということは出雲系の勢力に属する)ではなかったのかと思っていますが、大和朝廷が百済系であり、新羅系と知って共同していたということになると、吉備は大和朝廷に逆らって対立していたという外交的政治的立場になりかねないので、百済の皇子と言い逃れているのではないだろうか、と私は考えていますが、とりあえず百済の皇子としましょう。<中略>
朝鮮半島から進出してきた一族が、そのころは備前・備中・備後などと分割されていなかった吉備の地方一帯に広く居住し、吉備の首長たちと共同で「鉄製品」の生産にあたっていたのであろうと、私は考えています。<中略>
吉備が鉄製品の古代からの一大産地であったことは『古今集』にある「真金ふく吉備の中山おびにせる細谷川の音のさやけさ」の歌にあるように、そしてずっと後の代になっては「備前長船の名刀」にみられるように明かなことです。
実は、岡山県南一帯の開発は秦氏に代表される新羅系渡来人によって指導されていた可能性が高く、製鉄技術のル−ツも新羅系が中心と考えられることなどから、温羅は新羅系渡来の技術者(ということは出雲系の勢力に属する)ではなかったのかと思っていますが、大和朝廷が百済系であり、新羅系と知って共同していたということになると、吉備は大和朝廷に逆らって対立していたという外交的政治的立場になりかねないので、百済の皇子と言い逃れているのではないだろうか、と私は考えていますが、とりあえず百済の皇子としましょう。<中略>
朝鮮半島から進出してきた一族が、そのころは備前・備中・備後などと分割されていなかった吉備の地方一帯に広く居住し、吉備の首長たちと共同で「鉄製品」の生産にあたっていたのであろうと、私は考えています。<中略>
吉備が鉄製品の古代からの一大産地であったことは『古今集』にある「真金ふく吉備の中山おびにせる細谷川の音のさやけさ」の歌にあるように、そしてずっと後の代になっては「備前長船の名刀」にみられるように明かなことです。
■「桃太郎」vs「百済の怪人」のストーリーを詳しく読みたい方は・・・・
門脇禎二『吉備の古代史―王国の盛衰』(NHKブックス 1992) (p65−66 ネットソース)
■日本の帝国主義に桃太郎が利用されるのが許せないという方は・・・
青空文庫:芥川龍之介『桃太郎』
■空白の古代史年表を埋めてみたいという方は・・・・
日本古代年表(仮説年表: 藤本典夫作成)
310年・・・・・・百済応援に、吉備の先住民の出雲振根(百済の王子温羅)が筑紫に行った。その後、吉備に帰還したが、四道将軍「吉備津彦」に攻められ、殺された。吉備の石上神社を大和に移し、石上神宮となった。
三井寺 新羅神社考‐「新羅神社」への旅 福井県の新羅神社(1)
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/117_2.htm
『気比神宮寺にある「都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)」の伝承は、頭に角をもつ神が一族と共に角鹿湊へ渡来、角鹿神社の祭神となったという。阿羅斯等とは、新羅・加羅では「貴」の敬称であったといわれ、都怒我阿羅斯等も角鹿へ貴人が相次いだことを意味しているものであろう。』
三井寺(長等山園城寺)は壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王が父の霊を弔うために創建し、天武天皇から「園城」という勅額を賜わった。入唐求法僧円仁が、山東で新羅人の力を借りた奇縁に端を発して、帰国後に新羅明神を三井寺の鎮守神として勧請した。甲斐源氏などの祖、源義光は園城寺の北院の鎮守、新羅明神をまつる新羅善神堂の神前において元服したので新羅三郎義光と呼ばれた。
訂正:
×帰国後に新羅明神を三井寺の鎮守神として勧請した。
○次いで中国に渡った弟僧円珍が帰国後に新羅明神を三井寺の鎮守神として勧請した。
「鬼」の考察、為になります。
差別的意味合いで「鬼」を用いるのは中国のお家芸でありますね。
中国でも「鬼」は霊的なもの、幽霊を指しますですよね。その鬼が善良でもまぁ人間には悪しき影響を与える陰の存在ですね。「聊斎志異」なんかによく出て来る。
http://www.infonet.co.jp/nobk/okym/okym-top.htm
『お伽噺桃太郎の原典となった温羅伝説は、大和による吉備侵略ではなく、吉備王国の統一戦争と考えられる。』
http://www.shitennoji-wasso.com/junko/index.html
古代世界では朝鮮半島南部と日本列島の通交がけっこうあったことは確実でしょう。
しかし、この手の話を混乱させるのは、新羅・百済・加羅=後の朝鮮⇒したがって新羅人・百済人・加羅人=朝鮮人という(意図的?)思いこみだと思います。しつこいようですが、同地域は「中国人」・倭人・扶余人の混住地域です。したがってそこから来たから朝鮮人というのはおかしい。秦氏は朝鮮半島に住んでいた中国人が先祖でしょう。そして彼らは技能集団ですから、「国籍」に拘らず(所詮3韓諸国も日本も彼らからすれば新興国家)分散して住んでいたでしょうから、秦氏が百済からきたとか、新羅系のはずとか、混乱が発生するのです。
もっといえば、製鉄技術の中心地はどうも加羅諸国だったようで、その技術と日本との貿易が彼らがのちのち「都市国家」として自治を守れた根拠だったと思われます。しかしその後子の地域は新羅と百済に分割して吸収され、製鉄産業の主導権を握った新羅が朝鮮半島を統一することになるのです。
日本人は昔から余り中国語が得意ではなかった?
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2002&d=1128&f=column_1128_001.shtml
『円仁が参加した遣唐使には「金正南」という新羅人通訳がべったりついており、一昔前、日本のメーカーの海外雄飛の水先案内人を務めた日本商社マン顔負けの活躍をしていいます。船の調達やら、唐の役人等との折衝を一手に引き受けています。』
あんとに庵さんご紹介の『聊斎志異』は気に入りました。明朝末期の短編怪奇小説でございます。
◆蒲松齢の『聊斎志異』 40作品
http://www3.starcat.ne.jp/~koten/ryosaipage/ryoumoku.html
◆『聊斎志異』の厳選3作品
http://www4.ocn.ne.jp/~red-fish/china_folder/china_index.html
えのさんのリンク。
>http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/117_2.htm
若狭(ワカサ)の語源は、朝鮮語のワカソ(往き来)であるともいわれている。
敦賀の名称は渡来人都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)の渡来伝承によるものである。
白木は元々新羅と書いていたが、中世になり白木と書かれるようになったらしい。新羅のことを白城として白の色をあてたのは、新羅が西方の国で五行思想では西方が白色であることによる(水野祐『日本神話を見直す』)ものであり、恐らく新羅→白城→白木となったのであろう。
黒糖焼酎さん曰く。
>同地域は「中国人」・倭人・扶余人の混住地域です。
>したがってそこから来たから朝鮮人というのはおかしい。
>秦氏は朝鮮半島に住んでいた中国人が先祖でしょう。
私が本文の最後にもってきた『「ももたろう伝説」の悲話:本文を「鬼」とされて抹殺された「温羅一族」へ捧げる』は、あまりよくありません。原稿の締め切り間際(=入眠寸前)に、適当にみつくろって並べたものでございます。
技術者・占星術・忍術などの集団に、「国籍」などありません。例えば、スペイン→オランダ→リトアニア→南アフリカ→イスラエルのルートで渡ったユダヤ教徒を「○○○人」でくくって議論するようなものです。しかしながら祀っている神様や、話している言葉の系譜はあるわけですから、「新羅系」「新羅人」という使い方もよしとしましょう。今回は「鬼」の考察第1弾なので、「秦氏」に関しては注文書が手に入ってから、じっくりとまとめたいと思います。
悪路王の首像をみる
http://osaka.yomiuri.co.jp/katati/ka50328a.htm
「縄文人の特徴を残した蝦夷は目や口が大きく、毛深い。東北は平安京から見て鬼門の位置にもあるし、アテルイはまさに北の鬼だった」
陸奥鎮守将軍百済王俊哲(百済義慈王の子、禅広の裔)、征夷大将軍坂上田村麻呂(百済系渡来人東漢氏)は近畿朝廷の体制側である。(桓武天皇の母高野新笠の出自を考えれば当然の登用である。)坂上田村麻呂の戦功は伝説化している。
沢史生『鬼の日本史』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0834.html
☆ 東北地方に多いという青い瞳の日本人の不思議 ☆
http://www.gji.jp/tsugaru/hitomi.htm
「北日本の一部には、白人と共通 の遺伝子をもつ人たちが存在することとなる。」
節分〜鬼の色
http://www.color-club.com/research/color/030131.html
「もともとは古代中国の『追儺(ついな)』という、災いや悪鬼を追い払う儀式です。日本には平安の頃に伝わったとされます。」
方相氏、追儺式と節分
http://www.hi-ho.ne.jp/kyoto/setubun-3.html
大儺(だいな)の儀
www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/setsubun/2004/heian/heian.html
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/setsubun/2004/heian/heian.html
結局、「鬼」とは何者のことを指すのかですが・・・
『天皇と鬼の関係では、
1)天皇に対立する存在、「まつろわぬもの」としての蝦夷や酒呑童子のような鬼
2)鬼を打つ側の天皇権力としての鬼
3)天皇権力に側に居たものが権力から追放されてなる鬼
の3例がある。』
(大和岩雄 『鬼と天皇』 p117)
沢史生『鬼の日本史』も是非読んでみたいけれど、bk1(ビーケーワン)では取り扱っていないのが、残念。
東北の鬼=蝦夷には、モンゴルの草原ルートの血筋がたくさん入っているのでしょうね。中国・朝鮮経由の「陸のシルクロード」は1つのルートであり、「海のシルクロード」と、モンゴル経由の「草原のルート」も忘れてはなりますまい。
鬼を追い払う春節の踊り
http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/guanguang/jieri/200207/200207.htm
「儺(おにやらい)」とは、古代中国に始まる、神を迎え悪鬼を追い払う原始宗教の儀式であり、日本では「追儺」とも呼ばれている。起源は原始社会までさかのぼり、商・周の時代(前17世紀〜前256年)にもっとも盛んに行われ、すでに数千年間続いてきた。
私の父は、島根の、八岐大蛇の神話・伝説の舞台となったあたりの出身でした。
彫りの深い顔立ちで、東アジアによくあるタイプとは違う骨相(?)でした。
(私は母親似です。)
数年前、父方の親戚が入院、見舞いにいった時に思ったのですが、
父の地元の方々の中には、父のタイプの骨相をもつ人が、ある程度おられるようでした。
八岐大蛇の神話・伝説に関しては、製鉄のための燃料伐採により、
山が荒れて発生した洪水を表しているという解釈があります。
こういったことから、
製鉄の技術をもった、トルコ・中央アジアあたりの人々がやってきて、
といったことがあったのではないか、等と妄想しております。
松本清張の「砂の器」を歩く
http://www.tokyo-kurenaidan.com/seicho13.htm
『「出雲のこんなところに、東北と同じズーズー弁が使われていようとは思われませんでした」今西はうれしさを押さえて言った。』
古田武彦『ウラジオストックの「発見」』
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou54/furuta54.html
『いわゆる「ズーズー弁」の問題だ。東北地方(及び茨城県等)と共に、飛びはなれて出雲がこれに属する。(松本清張氏が『砂の器』で紹介。東条操の『方言分布図』に依拠。)』
シルクロード魅力探訪の旅
http://www.web-sanin.co.jp/orig/trip/silk/silk01.htm
『空港に出迎えに来てくれたのは、中国人ガイドの張軍旗さんといった。張さんの日本語のあいさつを聞いてみんなが顔を見合わせた。口調がまるで出雲弁(ズーズー弁)そのものである。はじめ、私たちが出雲(日本)から来たことを知っていて、ギャグで出雲弁を話しているのかと思った。でも、いつまでも続くズーズー弁に、はじめてギャグで云っているのではなかったことを知った。張さんの口調が、出雲の方言と実によく似ていると伝えると、張さんは私たちに大きな親しみを感じたらしい。』
福島安正は明治25年(1892)ドイツ駐在が終るとベルリンからウラジオストクまで、数千キロのウクライナの原野とシベリアの森林地帯を1年4ヶ月をかけて単身騎馬で横断、帰国した。義和団事件で多国籍連合軍の作戦会議を一人で纏め上げる。日露戦争中は満州軍参謀・大本営参謀。大正3年(1914)陸軍大将。
著作:単騎遠征録 / 福島安正閲 西村天囚(時彦)編 金川書店, 明27.6
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/186.html
籔田紘一郎「ヤマト王権の誕生」では、大和王権の樹立において出雲が主役で吉備はそれに準ずる勢力であったとの見方が高まっています。考古学的な物証は従来、山陽側に多かったのですが最近は、山陰側にも重要な発見が相次いでいるらしいのです。この説は、日本書紀、古事記で出雲のことが膨大に書かれているといった理由も説明可能にするものですね。
島根県の安来や西谷の四隅突出墳丘墓の集中地帯には、まだなにか凄いお宝が埋もれているかもしれませんね。
そういえば、ケリドウェンにも、お決まりのミラクル・バースありましたね!
(サウスアフリカの友達のZeitgeistのページでは、ピーターがミラクルバースを全部バージンバースとした事にいちゃもんつけられてます。古代シュメール人の人工授精の知識だのなんだの、宇宙人だの、色々色んなサイトでごちゃごちゃやってますが・・・。)
彼女はたしか、自分の子があまりに醜いので、それを直す薬をその巨大な釜で丹念に一生懸命作っていたのに、のろまのグウィオンが代わりに薬の魔法の威力わ授かってしまい、怒ったケリドウェンが追いかけるけど、魔法を授かってしまったグウィオンは変身しながら逃げ続け、最後に麦の粒になったところをニワトリになったケリドウェンが呑み込み、その種で彼女は妊娠して、生まれた子供は欲しくなかったけど殺したくなかったから袋へ詰めて川へ流し、拾われた子はそれはもうピカピカに輝く知性溢れる詩人、英雄になる・・・という、・・・
昔この話を読んだ時は何も知らなかったけど、ピーターのZeitgeistのおかげで色々もっと勉強したおかげで、色んな関連が見えます。
ちなみに私は北海道人ですが、生まれも殆どの親戚も岡山なので、ヒロさんの桃太郎のこのページ、めちゃくちゃ感動しました!すごい発見でした!