ふることに伝う。
この世界のはじまりは、天も無く、地も無く、時間も空間もない。有るのか無いのかもわからない。混ざりあっているようで、混ざってもいない。ただただうす暗く、もやもやとした状態が果てしなくどこまでも広がっているのでした。呼び名もまだありません。
そのとき、天の中心から、 「た・か・あ・ま・は・ら(高天原)」
と呼ぶ声が聞こえたように思われました。すると、天と地が分かれだし、たくさんの小さな光の粒がこの世界に現れたのです。
あめのみなかぬし(天之御中主)の神でした。
宇宙の心そのものであるこの神様は、あらゆるところに満ちあふれておられたために、誰もその姿、形をとらえることができません。
そのつぎに、天からくるくる回転しながら、たかみむすひ(高皇産巣日)の神が現れました。つぎに、地から同じように回りながら現れたのは、かむみむすひ(神皇産巣日)の神でした。
この世界のはじまりは、天も無く、地も無く、時間も空間もない。有るのか無いのかもわからない。混ざりあっているようで、混ざってもいない。ただただうす暗く、もやもやとした状態が果てしなくどこまでも広がっているのでした。呼び名もまだありません。
そのとき、天の中心から、 「た・か・あ・ま・は・ら(高天原)」
と呼ぶ声が聞こえたように思われました。すると、天と地が分かれだし、たくさんの小さな光の粒がこの世界に現れたのです。
あめのみなかぬし(天之御中主)の神でした。
宇宙の心そのものであるこの神様は、あらゆるところに満ちあふれておられたために、誰もその姿、形をとらえることができません。
そのつぎに、天からくるくる回転しながら、たかみむすひ(高皇産巣日)の神が現れました。つぎに、地から同じように回りながら現れたのは、かむみむすひ(神皇産巣日)の神でした。
創造神は「アメノミナカヌシ」で、天の神が「タカミムスヒ」、地の神が「カムミムスヒ」。この3創造神に続いて、「ウマシアシカビヒコヂ」が命の素をつくり、「アメノトコタチ」と「クニトコタチ」が天地の基礎固めをし、「トヨクモノ」が星雲をつくる。ここまでは男女の区別がない7体の神々。
その後、5組10柱の男女神が登場する。
以上の17神の総会が開かれ、「日本創造計画」が決定される。プロジェクトチームに任命されたのは「イザナギ」と「イザナミ」である。
古事記のものがたり:第3話「いざなぎ・いざなみ」
二人は天の沼矛を手に持ち、高天原と下界をつなぐ『天の浮橋』の上から、どろどろとした海原を見下ろしました。そして天の沼矛を降ろしてゆっくりとかき回しました。
♪こをろ。
♪こをろ。
そんな不思議な音が聞こえてきます。
そこで、さっと矛を引き上げました。すると、矛の先から塩のしずくがぽたぽたとしたたり、積もり固まり、やがて塩の球となりました。
この球はおのずからころころところがっているので『おのころ嶋』と名づけられました。地球の誕生でございます。
わたしたちのご先祖は、数十億年も前から、すでに地球が自転していることや塩の固まりであることを知っておられたのでございます。
二人はさっそく出来たばかりの『おのころ嶋』に降りていき、まず最初に『天の御柱』を立てました。天の御柱とは、神霊が昇り降りするために立てるとても太くて高い柱で、大地と宇宙を結ぶ大切な役目をしています。そしてそれは、地球のどこからでも見ることができます。
つぎに『八尋殿』という広い宮殿を建てました。
こうして新居もできあがりひと息ついたところで、いざなぎは、自分自身の下半身に何か不思議なものが、ぷらんぷらんとぶら下がっているのが気になり、
「おまえの体はどんな風になっているのか?」
といざなみにお尋ねになりました。いざなみは、しげしげと体を眺めて答えました。
「わたしの体はほとんど完成しているのですが、一か所だけ、ぺこん、とくぼんだ『なりなりて成り合わない』ところがあります」
「わたしの体にも一か所だけ、ぽこん、と飛び出た『なりなりて成り余れる』ところがある。そこでどうだろう、お前のくぼんだところに、わたしのとびでたところを差し入れて、国を産もうと思うが、いかに?」
と申されました。
「はい。そうしましょう」
といざなみは、股を広げて答えられました。
「では、新しい魂を宇宙からいただくために、天の御柱の周りを廻ろう」
そして、いざなぎは左から、いざなみは右から回り、二人が出会ったところで先にいざなみが、
「あなにやし、えをとこを(ああ、なんとええおとこ!)」
あとからいざなぎが、
「あなにやし、えをとめを(ああ、なんとええおとめ!)」
と見つめ合いました。
♪こをろ。
♪こをろ。
そんな不思議な音が聞こえてきます。
そこで、さっと矛を引き上げました。すると、矛の先から塩のしずくがぽたぽたとしたたり、積もり固まり、やがて塩の球となりました。
この球はおのずからころころところがっているので『おのころ嶋』と名づけられました。地球の誕生でございます。
わたしたちのご先祖は、数十億年も前から、すでに地球が自転していることや塩の固まりであることを知っておられたのでございます。
二人はさっそく出来たばかりの『おのころ嶋』に降りていき、まず最初に『天の御柱』を立てました。天の御柱とは、神霊が昇り降りするために立てるとても太くて高い柱で、大地と宇宙を結ぶ大切な役目をしています。そしてそれは、地球のどこからでも見ることができます。
つぎに『八尋殿』という広い宮殿を建てました。
こうして新居もできあがりひと息ついたところで、いざなぎは、自分自身の下半身に何か不思議なものが、ぷらんぷらんとぶら下がっているのが気になり、
「おまえの体はどんな風になっているのか?」
といざなみにお尋ねになりました。いざなみは、しげしげと体を眺めて答えました。
「わたしの体はほとんど完成しているのですが、一か所だけ、ぺこん、とくぼんだ『なりなりて成り合わない』ところがあります」
「わたしの体にも一か所だけ、ぽこん、と飛び出た『なりなりて成り余れる』ところがある。そこでどうだろう、お前のくぼんだところに、わたしのとびでたところを差し入れて、国を産もうと思うが、いかに?」
と申されました。
「はい。そうしましょう」
といざなみは、股を広げて答えられました。
「では、新しい魂を宇宙からいただくために、天の御柱の周りを廻ろう」
そして、いざなぎは左から、いざなみは右から回り、二人が出会ったところで先にいざなみが、
「あなにやし、えをとこを(ああ、なんとええおとこ!)」
あとからいざなぎが、
「あなにやし、えをとめを(ああ、なんとええおとめ!)」
と見つめ合いました。
「男=左旋回、女=右旋回」は失敗で、不具の子供(水蛭子、泡嶋)が生まれてしまったので、「男=右旋回、女=左旋回」に変えると成功し、まず8つの島が完成する。
右回転、左回転については、世界各地でこだわりの伝承がある。
◆大和岩雄 『十字架と渦巻き』(白水社 1995) p166
まんじには右回りと左回りがある。右回りを「太陽まんじ」、左回り(=卍)を「月まんじ」という。<中略>
チベットの仏教徒たちによれば、右施まんじは救世主をあらわし、左施まんじは魔術、すなわち太母マーヤーの『魔法』を意味した。女性をあらわす『月まんじ』は、『サウヴァスティカ』という名を与えられ、太陽の力が衰える1年の半分の秋をあらわすと言われた。
チベットの仏教徒たちによれば、右施まんじは救世主をあらわし、左施まんじは魔術、すなわち太母マーヤーの『魔法』を意味した。女性をあらわす『月まんじ』は、『サウヴァスティカ』という名を与えられ、太陽の力が衰える1年の半分の秋をあらわすと言われた。
◆ソース同上 p171
左回りは魔女の行為とみられていたヨーロッパでも、ウォーカーによると、「異教時代には、左まわりが良いと固く信じられていた。キリスト教以前の北欧の王たちは、統治する都市のまわりを左まわりで巡行し、その都市の周囲に魔法の守護の輪をめぐらす必要があった。アイルランドのドルイド教の規則によると、『母なる大地』の聖地タラにある聖なるオンパレのまわりは、やはり左まわりで回らなければならなかったのであり、『タラのまわりは、右まわりで回るべからず』と定められていた。中東のスーフィー教徒もタントラの影響を受けていて、礼拝堂の周囲を回るときは、左まわりでなければならないとされていた」と書く。(=出典:バーバラ・ウォーカー『神話・伝承事典』p154〜155 1988年 大修館書店)
◆ソース同上 p171
ブッダの卍は仏教の輪廻観によっているが(仏足石のまんじも卍であり、左回り(死)重視である。そのことは、仏教が葬式宗教といわれる理由の1つであるが、仏教徒は死に輪廻転生をみて、キリスト教のように死を恐れなかったから、左まんじを重視したのである)、北欧のゲルマン人やアイルランド人のケルト人も、死と再生の輪廻観をもつ「異教徒」だったからこそ、仏教と同様に左回りの卍を重視した。
◆ソース同上 p174
『古事記』は、女神が先に声をかけたことを、不具の子が生まれた理由にあげているが、『日本書紀』の一書の一には、陽神イザナギが右旋、陰神イザナミが左旋したので、正しい旋回に改めたとある。この左右の方向と男女の関係は、「天左旋、地右動」(『春秋緯元命包』)や「陽道左廻」(『霊憲』)という中国思想の影響によるとみられるが、左旋・右旋の左右は、東西南北の四方位のどこを正面にするかでちがってくる。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-150.htm
『古事記の神々は無性生殖から有性生殖へと"進化"した』
右卍と、左卍はどう違うのか
http://page.freett.com/ja3cmd/sub2a.htm
『中国、そしてその影響のもとに日本においても仏教的吉祥のシンボルとしてまんじが用いられている。しかし、右廻り、左廻りの形の間にははっきりした区別を意識していなかったようである。』
http://page.freett.com/ja3cmd/sub2b.htm
『これは、ナチスマークの「トマソンのお地蔵さん」の、コレクションです。』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%8D
武則天の長寿2年(693年)、「卍」字を「万(呉音:マン;漢音:バン;ピンイン:wàn)」と読むことが定められた。意味は「吉祥万徳の集まる所」である。これにより「卍」が漢字として使われることにもなったが、熟語(卍巴・卍果など)は少ない。日本語でいう「まんじ」とは正確には「卍字」なのである。
ポケットモンスターのカードゲーム用カードに卍が印刷されていたため、欧米ではデザインが変更されたことがある。また日本の少林寺拳法が、ヨーロッパでの普及にナチスのイメージが付きまとう等の理由から卍のマークを2005年度より新マークへ変更した。
第二次大戦の直後、いくつかのアメリカインディアンの種族は、美術品に卍を使用しないとする法令に署名した。卍がナチをイメージすることによるものだった。
松岡正剛の千夜千冊
第千十一夜【1011】2005年3月8日 岡田英弘『日本史の誕生』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1011.html
>が、なんといっても最初にとりくむべきなのは『日本書紀』である。
第千七十一夜【1071】2005年10月31日 遠山美都男『天皇誕生』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1071.html
>われわれが直面させられている天皇の万世一系問題や皇位継承問題を歴史の起点に戻って考えたいというのなら、ひとまずは『日本書紀』の記述から出発しなければならないはずなのだ。
>語りえないことや語らないことも、また立証できないこと、糺さざることも、歴史や現在には息づくばあいもありうるのである。法や内規の条文になったからといって、それで「歴史」は語れない。『日本書紀』ばかりを犯人とするのも、実は無理があったのだ。
神話の想像(創造)力と、歴史の事実(史実)。人間(社会・文化・政治)の起源はいつも霞の向こう側、あるいは、虹のようなもの?
卍を封印(タブー視)してしまうのも、歴史の豊かさを失うようで哀しいものがあります。(「アウシュビッツはなかった」的言論の封殺も。)
「黄泉の国」ならぬ「赤泉の国」からいらした、アカヒノオサト(垢皮乃汚左止)さまからご教示をいただきました。この神様は『日本書紀』のウケモチ、『古事記』のオホゲツヒメと同じ役割を果たされる神様で、現代社会の穢れた皮をはぎとり、汚れた左(霊的なサイド)を綺麗にし、豊穣の日本をつくられるシンボルです。
「赤泉の国」の言霊掲示板はこちら→http://daitokai.jp/NOASAHI/bbs
『日本書紀』ではウケモチという女神がツクヨミに、『古事記』ではオホゲツヒメという女神がスサノヲによって殺され、その体から作物が生えてきたと語られています。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/yaziuma/essay1.html
『ドイツの人類学者イエンゼンによって、女神の名をとって「ハイヌウェレ型」と名づけられこの作物起源神話は、水田農耕を知らない世界の「古栽培民」の間に広く分布している。』
「罪穢」を祓い清めるのは「速佐須良比賣(はやさすらひめ)のお仕事」
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-56.htm
最近、島根県安来市に古事記のハイヌウェレ型の女神イザナミの神陵地が
あることを知りました。それにしても巨大掲示板、2ちゃんねるって古事記
の話をするとすぐ削除されるんですよね。あそこって思想的に少しおかしい
んじゃないのって思うことある。
http://www.hananoiwaya.jp/
『花の窟は、神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵です。平成16年7月に花の窟を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されました。』
古事記記載のイザナミの神陵があると言われる、山陰の島根県安来市へいったことがありますが、そこは出雲国風土記の伝えるところによると、大穴持(大国主)大神がヤマタノオロチを退治したとあるそうです。しかも、その地の「安来」という名を命名したのがスサノオであるともされています。
そこは「もののけ姫」で有名になったたたら製鉄が紹介されている和鋼博物館があり、かつてこの地は大規模な出雲式製鉄が行われていたときかされました。日本庭園が世界一と言われる足立美術館もこの地にあり、横山大観の神代を題材とした絵には圧倒されました。不思議な大地の力を感じたようでした。
http://www.city.chino.lg.jp/ctg/07050030/07050030.html
http://www1.ocn.ne.jp/~oomi/tokusyu1.htm
「昔話の考古学 : 山姥と縄文の女神」吉田敦彦
http://shinshomap.info/book/412101068X.html
http://kamnavi.jp/inari/yamauba.html
飛鳥坐神社 おんだ祭り
http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/52.htm
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/asukanimasu.html
http://murata35.cool.ne.jp/mailtoko/ohgu/index01.htm
<広辞苑によれば、 「日本神話で、伊弉諾・伊弉冉2神の間に最初に生まれた子。3歳になっても脚が立たず、流し捨てられたと伝える。また、天照大神の別名『(オオヒルメノミコト)』に対して、「日る子」の意で、男性の太陽神が存在したものともいう。 中世以後、これを恵比須として尊崇。ひるのこ。 …… 」とあります。>
イザナギとイザナミの第1子をめぐり、母権社会と父権社会の攻めぎ合いがある。女が先に声をかけたから「ヒルみたいな未熟児が生まれた」というのは、父権社会の言い分。第1子が「日る子(日の子)」で男だったのでガッカリだ、海に流しちゃおうか・・・というのが一姫二太郎の母権社会の言い分。
この太陽の子(蛭子)は、中世に「恵比須」さまとなって復活する。ありがたや、ありがたや。そういえば、タレントの蛭子 能収(えびすよしかず)は、まだ日本のTVに出ているのかなぁ。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jkiki/jkiki5.html
『それは今考えると蛭子(ヒルコ)というのは出雲における輝ける漁民の神である。その輝ける漁民の神をペケにして、悪し様に罵(ののし)るために『古事記』に載せた。「もうヒルコ大神の時代ではないよ。」と言うためです。「國譲り」という美しい言葉で表現して出雲から主権を奪った。今やイザナギ・イザナイギが貴い神様になった。あんなヒルコは駄目である。捨てろ。不具にして海に流してしまえ。そういう蛭子(ヒルコ)大神排撃の物語である。そういうことがやっと分かった。』
蛭子能収(えびすよしかず)の出身の熊本県牛深市は、五島列島だったのか!
>http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jkiki/jkiki5.html
『九州の五島列島には、島の四分の一ぐらいの家の苗字が蛭子(えびす)です。「蛭子」と書いてヒルコと読まない、エビスと読む。漫画家の蛭子さんも五島列島出身です。』
http://www.ffortune.net/spirit/zinzya/kami/yebisu.htm
神田明神 だいこく祭り
http://junko55.web.infoseek.co.jp/07daikoku.htm
「古代出雲人の祭祀心理」中村雅彦
http://homepage3.nifty.com/yahoyorodu/spirituality7.htm
http://www.haruo-suwa.jp/tuusinn283.html
『 そういう鳥上山で、いまでも日立金属が「鳥上木炭銑工場」として砂鉄を採取し、それで鉄をつくっているのがいかにも出雲風で、神話がそのまま連続しているのである。
のぼるほどに道路わきの残雪が厚くなり、やがて鳥上工場に着いたときには、工場のまわりが雪でおおわれていた。すでに陽が暮れていて、山を背負った工場の景観がよく分からない。小さな木造の事務所に灯がともっていることが多少の救いのようにおもわれ、なにやら国神(くにつがみ)の脚摩乳(あしなずち)の家にでもたどりついたような感じだった。』
司馬遼太郎 「街道を行く」砂鉄の道より
イザナギ、イザナミの国産み、神産みの話は、まるで金型産業におけるパンチとダイの関係に思えてなりません。
それでか、知り合いの金型屋さんが日立金属がいざなみ景気の推進源だといっていたのは。
修理固成とは鋳造工学を研究しているものにとって
ふかい意味合いがあります。
いま、薮田絃一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、
それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興
されたとの説になっています。
そうすると、がぜんあの有名な山陰の青銅器時代がおわり日本海沿岸で四隅突出墳丘墓
が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と
安来-妻木晩田の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと
考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。
西谷は出雲大社に近く、安来は古事記に記されたイザナミの神陵があるので神話との関係にも興味がわいてきます。
私は大学で機械工学を専攻し、現在自動車メーカーに務めているものですが、当地のヤスキハガネの工具鋼で金型を作っています。そういう仕事柄と別の側面に古事記の原文読みや神社めぐりを趣味としております。出雲の安来には嘉羅久利(カラクリ)神社というものがあり機械のルーツがここにあるのではとも空想してしまいます。金気の元素神を祭る金屋子神社や、伊邪那美神が埋葬されたという比婆山など、さまざまなものを想像した
根の国の王朝がかつてここにあったのではないかとも空想してしまいます。
世界一と英国王立研究所讃えられた鋼ですね。マニアしか分かりませんが。
ロマンたっぷりのお話ですね。谷村新司さんが観光キャンペーン曲を作るらしいですね。
一度ゆっくりと敢行してみたいです。
神話を力強く話すサイトに感服しました。
今年は島根県でも古事記1300年を記念して神話博しまねがおこなわれるらしいですね。しかしわたしとしては、オオクニヌシノミコトの足取りをたどるので、鳥取県からの旅行プランを考えています。まずは白兎海岸と白兎神社、つぎは八十神のいじめにあったといわれる南部町の赤猪岩神社、次には根之堅洲国ともいわれたお隣の島根県安来市でスサノオの試練をうけたと思われる富田八幡宮、境内社須賀神社へ。その近くにある古代出雲王陵の丘も見逃せない。時間があれば、伊邪那美ノ神が眠る比婆山の久米神社にも行ってみたい。それを更に西に進むと、松江市の揖夜神社の近くの黄泉比良坂へいき、一路、出雲大社に進むというルートです。出雲大社の古代出雲歴史博物館もなかなか見逃せないとのこと、先の安来市で出土した、錆びずに出てきた奇跡の大刀なども展示されているからです。