若者たちの中にいるわたしの恋しい人は
森の中に立つりんごの木。
わたしはその木陰を慕って座り
甘い実を口にふくみました。
その人はわたしを宴の家に伴い
わたしの上に愛の旗を掲げてくれました。
(雅歌2:2−4)
森の中に立つりんごの木。
わたしはその木陰を慕って座り
甘い実を口にふくみました。
その人はわたしを宴の家に伴い
わたしの上に愛の旗を掲げてくれました。
(雅歌2:2−4)
あぁ、芳しきリンゴの香。島崎藤村にもありましたね。「まだあげ初めし前髪の、林檎のもとに見えしとき・・・」
喜びに満ちた愛よ
あなたはなんと美しく楽しいおとめか。
あなたの立ち姿はなつめやし、乳房はその実の房。
なつめやしの木に登り 甘い実の房をつかんでみたい。
わたしの願いは ぶどうの房のようなあなたの乳房。
りんごの香りのようなあなたの息
うまいぶどう酒のようなあなたの口。
(雅歌7:7−10)
あなたはなんと美しく楽しいおとめか。
あなたの立ち姿はなつめやし、乳房はその実の房。
なつめやしの木に登り 甘い実の房をつかんでみたい。
わたしの願いは ぶどうの房のようなあなたの乳房。
りんごの香りのようなあなたの息
うまいぶどう酒のようなあなたの口。
(雅歌7:7−10)
ナツメヤシもよし、ブドウの房もよし、ブドウ酒があれば極楽浄土。
わたしの妹、花嫁よ
あなたはわたしの心をときめかす。
あなたのひと目も、首飾りのひとつの玉も
それだけで、わたしの心をときめかす。
わたしの妹、花嫁よ、あなたの愛は美しく
ぶどう酒よりもあなたの愛は快い。
あなたの香油は どんな香り草よりもかぐわしい。
花嫁よ、あなたの唇は蜜を滴らせ
舌には蜂蜜と乳がひそむ。
あなたの衣はレバノンの香り。
(雅歌4:9−11)
あなたはわたしの心をときめかす。
あなたのひと目も、首飾りのひとつの玉も
それだけで、わたしの心をときめかす。
わたしの妹、花嫁よ、あなたの愛は美しく
ぶどう酒よりもあなたの愛は快い。
あなたの香油は どんな香り草よりもかぐわしい。
花嫁よ、あなたの唇は蜜を滴らせ
舌には蜂蜜と乳がひそむ。
あなたの衣はレバノンの香り。
(雅歌4:9−11)
柳田國男の「妹の力」を思い出します。
衣を脱いでしまったのに どうしてまた着られましょう。
足を洗ってしまったのに どうしてまた汚せましょう。
恋しい人は透き間から手を差し伸べ わたしの胸は高鳴りました。
恋しい人に戸を開こうと起き上がりました。
わたしの両手はミルラを滴らせ
ミルラの滴は指から取っ手にこぼれ落ちました。
(雅歌5:3−5)
足を洗ってしまったのに どうしてまた汚せましょう。
恋しい人は透き間から手を差し伸べ わたしの胸は高鳴りました。
恋しい人に戸を開こうと起き上がりました。
わたしの両手はミルラを滴らせ
ミルラの滴は指から取っ手にこぼれ落ちました。
(雅歌5:3−5)
ミルラは香料で、聖書の「3種の神器」の1つ。万葉集の恋歌みたいで、いいでしょ? 上記はサワリですが、もっときわどいところは、実際の聖書を手にとって、ひとりでこっそり読んでくださいね(うふふ)。
さて、わが家のデザートとおやつはリンゴが圧倒的なのですが、男性たちはこのリンゴを喉に詰まらせる人が多いので、年の瀬で慌しく食事をしている方は、お気をつけになってくださいね。
常識の嘘:ユダヤ教
アダムとエヴァが食べた知識の実がリンゴであるという説は誤訳から生まれた。リンゴであるという説の他に柘榴、スモモ、オリーブなどの説がある。聖書よると、神はアダムとエヴァに「園の中央にある木」の実は食べるなと書いてある。園の中央は「知識の木」と「命の木」とがあると書いてあるだけで、「知識の木」がリンゴの木であるとは一言も書いてない。
リンゴとする解釈は紀元二世紀に聖書をギリシャ語に翻訳したアクィラ・ポンティカスに由来する。彼は「りんごの木の下で、わたしはあなたは呼び覚ました。あなたの母親は、かしこで、あなたのために産みの苦しみをなし」という雅詩の「産みの苦しみをなし」の部分を「堕落した」と誤訳した。この為りんご→堕落→知識の実という連想が生まれ、知恵の実はりんごであると解釈されるようになった。
ちなみに、英語でのどぼとけの事を「アダムのリンゴ(Adam's Apple)」というが、これはアダムが知恵の実を食べた際実をのどに詰まらせてしまったという伝説から。
リンゴとする解釈は紀元二世紀に聖書をギリシャ語に翻訳したアクィラ・ポンティカスに由来する。彼は「りんごの木の下で、わたしはあなたは呼び覚ました。あなたの母親は、かしこで、あなたのために産みの苦しみをなし」という雅詩の「産みの苦しみをなし」の部分を「堕落した」と誤訳した。この為りんご→堕落→知識の実という連想が生まれ、知恵の実はりんごであると解釈されるようになった。
ちなみに、英語でのどぼとけの事を「アダムのリンゴ(Adam's Apple)」というが、これはアダムが知恵の実を食べた際実をのどに詰まらせてしまったという伝説から。
アダムはイブにそそのかされて「知恵の樹」の実を食べたのですが、果たして「食べた」のかどうかの神学論争は続いております。口には入れたが、完全に呑み込んだわけではなく、のどぼとけで止まっておりますので。男性の方々、食べたのか、食べていないのか、いい加減に「吐いた」らどうだ!!
ここでちょっと寄り道。リンゴ論争の元祖デマ男は、アクィラ・ポンティカスのようですが、近世になってさらにデマを広げたのは、渡辺淳一じゃなくて、ミルトンの『失楽園』(1667)でございます。
りんご的思考〜りんごをかじっても血が出ない人に
これはミルトンの『失楽園』からりんごとされたのであって、聖書では果実と書いてあるだけだ。アダムは慌ててりんごを食べたので喉にひっかかり、喉仏ができた。だから、英語でAdam's Appleというと「喉仏」なのである。イブの方はしっかり2つ食べて胸になったという噂である。レーズンしか食べてない人もいるみたいだが…。
日本で干し柿を食べている人はどうなるんだろう、あああああ!!
イブの生みの親としての責任は感じておられるのですか、アダム様!
イブがアダムの肋骨から生まれた時、アダムは回文で言った。
Madam, I'm Adam.
ここまではよく知られているが、実はこれに対してイブも回文で答えた。
Eve.
Madam, I'm Adam.
ここまではよく知られているが、実はこれに対してイブも回文で答えた。
Eve.
おとこのこ なつまでまつな このことお(何のこっちゃ?)
まず、イギリス人が、
「エデンの園は、絶対にイギリス以外に考えられない」
と言い張る。曰く、
「イギリスは紳士の国だ。林檎が1つしかないとき、何はさておき、まずレディーにお譲りするとは、これぞジェントルマンシップ。アダムはイギリス紳士だったはずです」
フランスの学者も、一歩も退かぬ構えである。
「いや、2人はフランス人に相違ない」
と譲らない。
「たかが林檎1個で男に身体をまかせる女なんてフランス人ぐらいしかいないはずだ」
となかなか説得力のある発言。ところが、そのときまで黙って話に耳を傾けてきたソ連の学者が、やおら立ち上がると、自信たっぷりに言い切ったのだった。
「議論に決着をつけてさしあげましょう。アダムとイブはわが同胞であったに違いありません。ろくに着るものもなく裸同然の暮らしをしていながら、食い物ときたら林檎1個ほどしかないのに、そこを楽園と信じ込まされていたなんて、ソビエト連邦の市民以外に考えられますか」
「エデンの園は、絶対にイギリス以外に考えられない」
と言い張る。曰く、
「イギリスは紳士の国だ。林檎が1つしかないとき、何はさておき、まずレディーにお譲りするとは、これぞジェントルマンシップ。アダムはイギリス紳士だったはずです」
フランスの学者も、一歩も退かぬ構えである。
「いや、2人はフランス人に相違ない」
と譲らない。
「たかが林檎1個で男に身体をまかせる女なんてフランス人ぐらいしかいないはずだ」
となかなか説得力のある発言。ところが、そのときまで黙って話に耳を傾けてきたソ連の学者が、やおら立ち上がると、自信たっぷりに言い切ったのだった。
「議論に決着をつけてさしあげましょう。アダムとイブはわが同胞であったに違いありません。ろくに着るものもなく裸同然の暮らしをしていながら、食い物ときたら林檎1個ほどしかないのに、そこを楽園と信じ込まされていたなんて、ソビエト連邦の市民以外に考えられますか」
北朝鮮もな。さてさて、閑話休題。リンゴは寒い地方の果物なので、聖書物語の現場ではそれほどお目にかかれない植物です。聖書によく出てくる果物を検索してみました。(注:検索サイトは「Crosswalk.com」で、対象とする聖書は「New American Standard」を選択し、「りんご」の場合は単数形と複数形の両方を検索する必要があるため「apple OR apples」のように入力しました。)
ごらんのように、聖書では「いちじく」が豊穣なのです。聖書の「知恵の樹」(生命の樹)はイチジクのことではないでしょうか。
2人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、2人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。(創世記3:7)
木々はいちじくの木に頼んだ。「それではあたなが女王になってください」(土師記9:10)
神はぶどうの木を雹で打ち、いちじく桑を霜で枯らし・・・(詩篇78:47)
ぶどうの葉がしおれ、いちじくの葉がしおれるように、その全軍は力を失う。(イザヤ34:4)
イザヤが「干しいちじくを持ってくるように」と言うので、人々がそれを患部につけると王は回復した。(イザヤ38:21)
このところからカルデア人の国へ送ったユダの捕囚の民を、わたし(=主)はこの良いいちじくのように見なして、恵みを与えよう。(エレミヤ24:5)
わたし(=主)は彼らに剣、飢饉、疫病を送り、腐って食べられないいちじくのようにする。(エレミヤ29:17)
いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。(マルコ13:28)
まさに「いちじく教団」です(笑)。イチジクとブドウはセットになって、あちらこちらに散見します。ちなみに、ブドウの加工飲料であるワイン(wine)を検索すると、237件(旧198、新39)とこれまた豊富。聖書研究をするときは、干しイチジクをかじりながら、ワインをチビチビとやるのがよさそうです。
イチジクが日本にやってきたのは、ミルトンの『失楽園』と同じ17世紀。「イチジク」の語源は「ペルシャ語アンジール→中国語インジークォ→日本語イチジク」に変化したとする説と、すぐに熟するの意味の「一熟」であるという説の2通りがあります。
果物の語源:無花果(いちじく)
なんとペルシャ語に由来するといいます。ペルシャ語のanjirを中国で音訳され、映日果(インジークォ)と呼ばれ、ここからイチジクの音がきたと言います。日本へは江戸時代初期に伝わったようです。漢字の無花果は外から花が見えないのでこう書き、中国でも現在はこの字を使うようです。
きもね亭:無花果 イチジク
イブ:1ヶ月で熟す、または1日1果実熟すことから「一熟」これが訛って「いちじく」になったと言われているの。中国名の「インジェクフォ」が由来という説もあるけど「一熟」説が有力ね。
アダム:「いちじく」って「いちぢく」と書くと思っていたよ。
イブ:名前の由来が「一熟」からきているから、「ち」ではなく「し」に点々ね。英名では「Fig」。クワ科の果物で、原産地は小アジアかアラビア南部と言われているわ。日本には、江戸時代の寛永年間(1624〜1643年)に中国から長崎に入ってきたのよ。
アダム:「いちじく」って「いちぢく」と書くと思っていたよ。
イブ:名前の由来が「一熟」からきているから、「ち」ではなく「し」に点々ね。英名では「Fig」。クワ科の果物で、原産地は小アジアかアラビア南部と言われているわ。日本には、江戸時代の寛永年間(1624〜1643年)に中国から長崎に入ってきたのよ。
常識ぽてち:無花果(イチジク)
エデンの園のアダムとイブは、禁断の木の実を食べると、裸である自分たちが急に恥ずかしくなり、イチジクの葉で前を隠したといわれます。聖書にもたびたび登場するイチジクは世界最古の栽培果樹といわれ、なるほどその幅の広い葉っぱは前を覆うにはちょうどいい形をしていると納得できます。<中略>
イチジクは「花が無い果実」と書くように、いきなり実がなり花が見当たらないように見えますが、じつは花はあの柔らかい実の中にあります。私たちが普通見る花とちがって、直接見えないために無花果と名づけられたのです。
花が実の中になるという特殊な形なので、受粉はイチジクコバチという専門職の昆虫がおこないます。面白い技としては、イチジクを早く熟すに、実の先端部分の赤いところにサラダ油などの植物油を塗ると熟期が早まります。成熟がすすむと実は大きく膨らみ、熟しきると先端がぱっくりと裂け甘い香りがあたり一面ただよいます。
イチジクが日本にはいってきたのは17世紀ごろで、中国渡ってきたことからはじめは「唐柿(とうがき)」といわれていました。子供の頃、イチジクの枝を折ると白い液が出て、それは「いぼ」に効く薬とか言われていましたが本当でしょうか?そのほかにも整腸作用、血圧降下、健胃、滋養、消化の促進などによく、二日酔いにも効き目があるとか。
イチジクは「花が無い果実」と書くように、いきなり実がなり花が見当たらないように見えますが、じつは花はあの柔らかい実の中にあります。私たちが普通見る花とちがって、直接見えないために無花果と名づけられたのです。
花が実の中になるという特殊な形なので、受粉はイチジクコバチという専門職の昆虫がおこないます。面白い技としては、イチジクを早く熟すに、実の先端部分の赤いところにサラダ油などの植物油を塗ると熟期が早まります。成熟がすすむと実は大きく膨らみ、熟しきると先端がぱっくりと裂け甘い香りがあたり一面ただよいます。
イチジクが日本にはいってきたのは17世紀ごろで、中国渡ってきたことからはじめは「唐柿(とうがき)」といわれていました。子供の頃、イチジクの枝を折ると白い液が出て、それは「いぼ」に効く薬とか言われていましたが本当でしょうか?そのほかにも整腸作用、血圧降下、健胃、滋養、消化の促進などによく、二日酔いにも効き目があるとか。
干し柿もいいけれど、イチジクはいろいろ利きそう。それでは、干しイチジクを買いにいってきま〜す。(食べた結果、胸がイチジクの形に変化するかもしれませんが、自己責任で)
■追加1:聖書では「生命の樹」と「知恵の樹」が分離
◆大和岩雄 『十字架と渦巻き』(白水社 1995)p128
キャンベルは、生命の樹と知恵の樹はもともと同じ樹であったのを、キリスト教神学が分離させたとみて、「神とその世界、不死と死が、聖書中でわかたれている神話的分離の原理は、知恵の樹と不死の生命の樹との分離にもあらわれている。後者は神の慎重な配慮によって人間の近づきえないものとされたが、しかし他の神話では、ヨーロッパでも東洋でも、知識の樹そのものが不死の生命の樹であり、しかもなお人間に近づきうるものであった」と書いている。(出典:ジョセフ・キャンベル『神の仮面・上』p151 1992年 青土社)
キャンベルは、生命の樹と知恵の樹はもともと同じ樹であったのを、キリスト教神学が分離させたとみて、「神とその世界、不死と死が、聖書中でわかたれている神話的分離の原理は、知恵の樹と不死の生命の樹との分離にもあらわれている。後者は神の慎重な配慮によって人間の近づきえないものとされたが、しかし他の神話では、ヨーロッパでも東洋でも、知識の樹そのものが不死の生命の樹であり、しかもなお人間に近づきうるものであった」と書いている。(出典:ジョセフ・キャンベル『神の仮面・上』p151 1992年 青土社)
■追加2:古代エジプトではイチジクは女神の樹
◆ソース同上 p131
紀元前13世紀のエジプト絵画でも、無花果の樹の上のヌート女神が無花果に実を樹液を与えており、実や樹液を与えるのは女神である。しかし樹の実や樹液は、キリスト教絵画のように、善・悪、生・死に分けて与えるような表現ではない。
紀元前13世紀のエジプト絵画でも、無花果の樹の上のヌート女神が無花果に実を樹液を与えており、実や樹液を与えるのは女神である。しかし樹の実や樹液は、キリスト教絵画のように、善・悪、生・死に分けて与えるような表現ではない。
アダムとエヴァとリリス
http://www.ffortune.net/symbol/sinwa/sinwa/sin007.htm
リリス(Lilith or Lilit)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/lilith.html
>聖書では「生命の樹」と「知恵の樹」が分離
http://www.page.sannet.ne.jp/tsuzuki/EVA5.htm
『生命の樹とは、旧約創世記に出てくる、エデンの中央に生えている木の事。これに生えている実を食べると不老不死となれるらしい。神は、人間が知恵の実を食べたからエデンから追放したわけではなく、人間が生命の樹に到達することを怖れて追放したわけで(恥ずかしいのだが今まで私は知恵の実を食べたから追い出されたと思っていた。)生命の実と知恵の実の両方を食べると、神と等しい存在になることができるという。』
http://www.nwjc.ac.jp/~yamashiro/yamashiro/txt/maria/9.htm
『アダムからとった肋骨で女が作られると言うテーマは、原初の人間の両性具有性を意味する。・・・両性具有の神話はかなりひろく流布しているところの、神話的祖先にみられる完全な人間は統一性をもつ、という信念の具体的な現われである。人間の両性具有は、多くの文化にその観念がみられる両性をもっている神をモデルとしている。 (「世界宗教史」M・エリアーデ )』
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/buakf907/bun043.htm
『キリスト教には多くの古代宗教が流れ込み、そこから形を変えて流れ出す。聖母マリアは、それを孕む母なる御身であったのだ。』
リンゴについてとてもお詳しいので参考にさせて頂きました。
勝手ながらリンク頂いておりますm(_ _)m