みなさん、おげんき ですか?
伎乃宇 陀伊賀久伝、登母陀知乃 麻里阿 登 志志里阿 爾 阿伊麻志多。
きのう だいがくで、 ともだちの まりあ と ししりあ に あいました。
和多志 和 閉牟奈 部呂賀 伝須。
わたし は へんな ブロガー です。
加牟自 爾 登古登牟 古陀和里奈左伊。
かんじ に とことん こだわりなさい。
万葉仮名にもいろいろあるが、神道の祝詞で使われているのは以下のような文字セットであるという。(ソース)
阿(あ) 伊(い) 宇(う) 衣(え) 乎(お)
加(か) 伎(き) 久(く) 介(け) 古(こ)
左(さ) 志(し) 須(す) 世(せ) 曽(そ)
多(た) 知(ち) 都(つ) 弖(て) 登(と)
奈(な) 爾(に) 奴(ぬ) 禰(ね) 乃(の)
波(は) 比(ひ) 布(ふ) 閉(へ) 保(ほ)
麻(ま) 美(み) 牟(む) 米(め) 母(も)
耶(や) 伊(い) 由(ゆ) 衣(え) 与(よ)
良(ら) 里(り) 留(る) 礼(れ) 呂(ろ)
和(わ) 韋(ゐ) 宇(う) 恵(ゑ) 乎(を)
牟(ん)
賀(が) 疑(ぎ) 具(ぐ) 宜(げ) 碁(ご)
邪(ざ) 自(じ) 受(ず) 是(ぜ) 敍(ぞ)
陀(だ) 遅(ぢ) 豆(づ) 伝(で) 杼(ど)
婆(ば) 毘(び) 部(ぶ) 倍(べ) 菩(ぼ)
加(か) 伎(き) 久(く) 介(け) 古(こ)
左(さ) 志(し) 須(す) 世(せ) 曽(そ)
多(た) 知(ち) 都(つ) 弖(て) 登(と)
奈(な) 爾(に) 奴(ぬ) 禰(ね) 乃(の)
波(は) 比(ひ) 布(ふ) 閉(へ) 保(ほ)
麻(ま) 美(み) 牟(む) 米(め) 母(も)
耶(や) 伊(い) 由(ゆ) 衣(え) 与(よ)
良(ら) 里(り) 留(る) 礼(れ) 呂(ろ)
和(わ) 韋(ゐ) 宇(う) 恵(ゑ) 乎(を)
牟(ん)
賀(が) 疑(ぎ) 具(ぐ) 宜(げ) 碁(ご)
邪(ざ) 自(じ) 受(ず) 是(ぜ) 敍(ぞ)
陀(だ) 遅(ぢ) 豆(づ) 伝(で) 杼(ど)
婆(ば) 毘(び) 部(ぶ) 倍(べ) 菩(ぼ)
この表の場合は、「1つのかな→1つの漢字」なので、基本的に「1対1の対応」になっている。ただし「濁音」には別の字が宛てられ、「お」と「を」は例外的に同じ「乎」が使われている。しかし奈良時代ごろの万葉仮名は「1対多の対応」で、「お」と「を」も厳格に使い分けられていた。
という具合にである。使い分けの理由は「当時発音が異なっていたから」というのが定説になっている。
有名な「いろは歌」には47文字が使われている。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
「色は匂へど散りぬるを 我が世誰そ常ならむ 有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず」という歌だ。最近使わない「ゐ」「ゑ」はワ行の「い」「え」である。弘法大使(空海)の作とする伝承もあるが、いまのところ作者不明の10世紀後半の作品とされている。
「いろは歌」はこれ以外にもたくさんあるので、こちらのサイトをのぞいてみてほしい。48文字を使った「いろは歌」には「天地の詞(あめつちのうた)」がある。
あめ、つち、ほし、そら、
やま、かは、みね、たに、
くも、きり、むろ、こけ、
ひと、いぬ、うへ、すゑ、
ゆわ、さる、おふせよ、
えのえを、なれゐて。
やま、かは、みね、たに、
くも、きり、むろ、こけ、
ひと、いぬ、うへ、すゑ、
ゆわ、さる、おふせよ、
えのえを、なれゐて。
現代の漢字かな混じりで表現すると、
「天、地、星、空、
山、川、峰、谷、
雲、霧、室、苔、
人、犬、上、末、
硫黄、猿、生ふせよ、
榎の枝を、馴れ居て」
のようになる。「え」を2回使ってズルじゃないか、ということだが、万葉仮名では「別文字群」で使い分けられている。「榎」の方は「e」、「枝」の方は「ye」という発音であったため、文字が違うのである。前者を「甲の類」、後者に「乙の類」という用語を与えている。
このように現代仮名遣いでは同じ「かな」なのに、万葉仮名でははっきりと使い分けられていた「かな」が他にもたくさんある。
ウィキペディア:「上代特殊仮名遣」
上代特殊仮名遣は、まず本居宣長によって研究の端緒が開かれた。宣長の浩瀚な『古事記』の註釈書、『古事記伝』には、第一巻の「仮字の事」で既に「同じ音の中でも、言葉に応じてそれぞれに当てる仮字が使い分けられている」ことが指摘されている。ただしその指摘はまだ一部に限られており、この宣長の着想を更に発展させたのが、彼の門弟石塚龍麿による『仮名遣奥山路』(1798年(寛政10年)頃発表)である。これは万葉仮名の使われた『古事記』・『日本書紀』・『万葉集』について、その用字を調査したものである。この中で石塚は万葉仮名においてはエ・キ・ケ・コ・ソ・ト・ノ・ヒ・ヘ・ミ・メ・ヨ・ロ・チ・モの十五種について用字に使い分けがあると結論づけた。
この研究を「再発見」して深めたのが橋本進吉で、1917年に『国語仮名遣研究史の一発見』を発表し、14種の「かな」で「甲群・乙群」の使い分けがあるとした。石塚龍麿の指摘した15種のうち「チ」を除いての14種である。
| わ | ら | や | ま | は | な | た | さ | か | あ |
| ゐ | り | み | ひ | に | ち | し | き | い | |
| る | ゆ | む | ふ | ぬ | つ | す | く | う | |
| ゑ | れ | め | へ | ね | て | せ | け | え | |
| を | ろ | よ | も | ほ | の | と | そ | こ | お |
表を見るとわかるように、万葉仮名の使い分けは「い段」「え段」「お段」に存在している。ここから「古代日本語は8母音であった」という説が出てくる。しかし戦後の研究では「5母音説」が支持され始めている。(これが「有力」なのかどうかは不明)
◆ソース同上
この古代日本語8母音説は広く受け入れられ、半ば定説となっていたが、昭和50年代に入りこれに異を唱える学説が相次いで登場する。その端緒が松本克己の「古代日本語母音組織考 −内的再建の試み−」である。<中略>
甲乙二種の使い分けがある母音だけではなく全ての母音について結合の法則性を追求すべきだとして、1965年の福田良輔の研究をもとに、母音を3グループに分けて検証を行なった。その結果、従来甲乙二種の使い分けがあるとされてきた母音は、相補的な分布を示すなどしており、母音の使い分けを行なっていたわけではなく、音韻的には同一であったとした。松本はギリシア語での/k/の表記を引き合いに出し、/k/についてkとqの二種類の文字が使われていたからと言って、それがギリシア語で二種の子音が意図的に使い分けられていたという事実を示すわけではないことを挙げ、同様に上代特殊仮名遣いについても、使い分けがそのまま当時の母音体系を正確に表したものではないことを指摘した。<中略>上代日本語の母音体系は現代と同じ5母音であったと結論づけた。
甲乙二種の使い分けがある母音だけではなく全ての母音について結合の法則性を追求すべきだとして、1965年の福田良輔の研究をもとに、母音を3グループに分けて検証を行なった。その結果、従来甲乙二種の使い分けがあるとされてきた母音は、相補的な分布を示すなどしており、母音の使い分けを行なっていたわけではなく、音韻的には同一であったとした。松本はギリシア語での/k/の表記を引き合いに出し、/k/についてkとqの二種類の文字が使われていたからと言って、それがギリシア語で二種の子音が意図的に使い分けられていたという事実を示すわけではないことを挙げ、同様に上代特殊仮名遣いについても、使い分けがそのまま当時の母音体系を正確に表したものではないことを指摘した。<中略>上代日本語の母音体系は現代と同じ5母音であったと結論づけた。
松本克己の論文の発表は1975年3月であるが、それと時を同じくして同年9月、森重敏は「上代特殊仮名遣とは何か」を発表し、松本とは別の観点から上代特殊仮名遣の八母音説に異議を唱えた。<中略>
森重説でも、最終的に日本語の母音体系は5母音であったとしている。すなわち、万葉仮名に見られる用字の使い分けは、渡来人が日本語にとって不必要であった音声の違いを音韻として読みとってしまったものだ、とするものである。
森重説でも、最終的に日本語の母音体系は5母音であったとしている。すなわち、万葉仮名に見られる用字の使い分けは、渡来人が日本語にとって不必要であった音声の違いを音韻として読みとってしまったものだ、とするものである。
この分野、まだまだ研究が進行中のようだ。「神代文字(かみよもじ)」の否定の論拠として「8母音説」が援用されたこともあったが、古代日本語の「音韻」はまだまだ謎である。超古代のロマンはまだまだ捨てたものではありませんよ。
■参考:橋本進吉 『古代国語の音韻に就いて』(青空文庫)
■漢字の多いブログも味わい深いですよ・・・・波士敦謾録
ブロガーというのが英語を基にするからアウトなのではなく、
万葉仮名があらわしていたであろう音韻体系では、
語頭の濁音はアウトだったからです。
らーめんもだめです。語頭のラ行もアウト。
大人の遊びにケチをつけるのもどうかとは思いましたけど、
たわごととして読み流してください。
5母音でも、6母音でも、8母音でも、複数話者の、ある程度の音質の録音がないと正確なことはいえないので、大人のお遊びのようなものです。
人生、遊びがないとツマラナイですから、いいんです。