朝日新聞は1879年(明治12年)1月25日、大阪で創刊第1号を出しました。創始者は村山龍平と、のちに加わる上野理一でした。紙面は小型4ページ、総ふりがな・絵入りで定価1銭、1日平均部数は約1,000部。わかりやすく、親しみやすい大衆向け新聞を、というのが創業時のモットーでした。さらに3年後には、編集方針として「報道中心主義」と「公平無私」をかかげました。これは官権派や民権派の政論新聞が主流だった当時では異色のもので、その精神は「不偏不党」を柱とする現在の朝日新聞綱領となって受け継がれています。
朝日新聞は126年前に、村山家と上野家が始めた新聞である。戦後の一時期を除いて、この2つのファミリーが交互に「社主」を務めて現在に至っている。厳格な世襲制の業界なのである。
| 村山家 | 上野家 | |
| 創業初代 | 村山龍平(1850-1933) | 上野理一(1848-1919) |
| 2代目 | 村山長挙(1894-1977)/妻・藤子 | 上野精一(1882-1970) |
| 3代目 | 長女・美知子(36.5%) 次女・富美子(8.6%) | 上野淳一(1909-1997) |
| 4代目 | 社主・上野尚一(12.8%) 克一(3.3%)/信三(3.3%) |
2005年3月現在、両家の5人だけで株式総数の65%を占める。村山家は、3代目の次女・富美子に1人の息子がいるだけで、男児の実質的な後継ぎが他にいない。仮に1人で相続したとしても、相続税のため株式を売却せざるを得ない。美知子・富美子のご両人は高齢なので、今後、村山家の株式45%の相続と売却先をめぐって、ひと騒動が起こるのは時間の問題なのだ。
ロイター:2005/4/7
ソフトバンク・インベストメント<8473>は、一部報道に対して、朝日新聞社株式の取得を検討している事実はないとのコメントを発表した。 週刊新潮の4月14日号には、SBI最高経営責任者(CEO)の北尾氏が朝日新聞社主から朝日新聞社株式を1500億円で買ってほしいと打診されたが断ったと報じられていた。
村山家の株式の引き取り手がいないので、ソフトバンクの北尾氏にも打診がおこなわれた、という話である。本来であれば、朝日新聞の役員持株会や従業員持株会が株を引き取ってもいい話なのだが、村山家と朝日新聞は犬猿の仲なのだ。1963年の「村山社主事件」の確執がいまだに尾を引いている。
ネットで検索しても朝日のお家騒動「村山社主事件」はほとんどヒットしない。都合のよい史実しか載せない『朝日新聞社史』を調べても無駄だ。この問題を詳しく書いているのは、いずれも朝日OBだが、細川隆元の『朝日新聞外史』(秋田書店)と、森恭三の『私の朝日新聞社史』(田畑書店)のようだ。
この2冊を整理している藤原肇『朝日と読売の火ダルマ時代』(国際評論社)から引用する。
◆『朝日と読売の火ダルマ時代』:第3章 朝日新聞と村山社主事件の傷跡 (p109)
<前略>現在の村山長挙氏が、旧岸和田藩主岡部家(当主は長景、当時子爵)から村山家に入婿し、現在の藤子夫人もまた若かった時代には、社業の運営に当たるのは前記の大器、俊秀であって、古い言い方をすれば「君臨すれども統治せず」というか、村山、上野家の存在は全社員に尊敬されつつも、必要以上には経営、編集のことに介入することなく、創業の規定によって、社長、会長の交替制を円満にくり返してきた。
対立が表面化しはじめたのは、村山長挙が社長となり、社長夫人、およびその一家が年輪を加えて、経営、編集に強く介入しはじめてからのことだ。
1940年に2代目となった村山長挙は入り婿で、初代の実の娘・藤子が辣腕を奮っていた。戦後にGHQに統制を受けたあと、1951年に村山長挙&上野精一コンビが復権し、村山長挙が社長になった1960年からは、社長夫人の横暴が目に余るようになっていた。
◆『朝日と読売の火ダルマ時代』:第3章 朝日新聞と村山社主事件の傷跡 (p118−120)【要約】
1)次女・富美子の夫がホテルとホスピタルを折衷した「ホスピテル」建設を計画し、1963年7月、朝日新聞に2000万円の出資を要請。常務会で反対された村山長挙は、役員会の同意がないまま、朝日新聞の名前で財界で資金集めを開始。
2)「新聞は長女・美知子、印刷&ビル経営は次女・富美子に継がせる」という噂をきっかけに、村山家と永井営業局長(常務)が対立。永井常務の解任追放で、朝日内の「お家騒動」が勃発。
3)村山美知子が専務理事を務める「大阪国際フェスティバル」が垂れ流す赤字(毎年3〜4000万円)の補填のため、朝日新聞から補助金が交付される。
4)村山家の東京、京都、御影の各邸宅の建設で、請負先の竹中工務店への支払いに疑惑。
5)「長女・美知子を役員待遇にせよ」との村山夫人の要求で、1963年7月に美知子が社長室付に。
6)1963年春の「エジプト美術5000年展」で天皇皇后両陛下が参観。両陛下と話しをしようとした村山夫人が宮内庁の係官に制止されたが、夫人は「肋骨を骨折した」と主張、編集局に「宮内庁糾弾キャンペーンをやれ」と命令。
1963年の事件をきっかけに、村山家は経営から排除され、以降は上野家がお行儀のよい「シンボル」として社主を演じることになる。一方、このお家騒動のドサクサに紛れて、朝日内部の「親ソ派」と「親中派」が実権を掌握し、朝日を「中国の友」と言わしめた広岡体制が成立していくことになる。
■追加1:元朝日新聞記者による「お家騒動」の回想
わが体験的マスコミ論(岩垂 弘)
「朝日新聞社史」によると、前年の六三年十二月二十四日、株主総会が開かれ、村山長挙社長 が役員改選にあたって永井大三常務の再選を拒み、永井常務は退任となった。永井常務は長期間にわたって業務の最高責任者を務めてきたため、全国の朝日新聞販売店がこれを不満として新聞代金を納めない、との態度を固めた。このため、村山社長は年明けの六四年一月二十日の役員会で退任し、代表取締役に広岡知男・西部本社担当らが就任して異常事態は収束に向かった。が、社主・村山家と経営陣の対立はその後も続き、いまなお解決していない。
■追加2:いろは歌の「あさきゆめみし」=浅い夢を見ない
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
WillにVAWWの松井やより氏の朝日新聞社時代を2人ほどのOBがかかれてましたが、
その内容とも絡みますねえ。あと録音とか盗聴のハナシとかも。
保守派の皆さま、郵便貯金解約して村山家株を買い占めて欲しいわぁ・・・。
始めて朝日の歴史を知りました。大変参考になりました。
村山氏が、現在の神戸市東灘区:当時は兵庫県武庫郡住吉村に居を定めるに至った事由をご存知でしたら教えて頂けませんか?
甲南学園の創始者:平生ハチ三郎氏や、阪急電鉄の小林一三氏等の間で、大阪の街の近代化を急ぐべきだという動きが興り、都市計画に積極的に協力しようとの考えに基づくものだったのではないかと考えるのですが…
転居先が何故住吉だったのか?という点にも興味があるのです。
社主の村山美知子氏は子供がいないので甥が次ぎの社主になる。いざという時の莫大な相続税を払うために株売却という事態が生じる。彼は既に母から譲渡を受け、今年の総会には村山家代表の立場で出席するはず。「村山問題」を引きずっていないだけに、両社主家はもとより、納得される「ジャーナリスト宣言」を期待したい。
確かに相続問題は村山家のみならず、上野家、経営者にとっても経験のない憂うべき大変な事態でしょう。世間も注目していますので、週刊誌にとってはこれほど面白いネタはありません。相続税が如何ほどになるのか想像もつきませんが、支払うためには必然的に膨大な株の処分が待ち受けています。週間新潮には「物納によって国が大株主になる」との記事を読んだことがありますが、非公開株は物納の対称にはなっていないはずです。そうなれば「白馬の天使」が現れて筆頭株主になるということもまんざらウソではない現実味を帯びてきます。そうなったら社主の存在はどうなるのかも気がかりです。定款の第一条にある創業の精神はとっても重いと考えています。本来あるべき両家の信頼関係は「村山問題」の発生によって破壊され、半世紀以上も放置されたままの状態はどう見ても異常としかいいようがありません。現社主では不可能な信頼回復には四代目になろうとする甥が責任と勇気を持って上野家と経営者に謝罪するのが第一歩と思います。それが出来ないようでは将来の展望も開けてこないでしょう。
(中学生ころから)文化、科学記事は他紙より良いと思ってました。政治記事、社説はその名のとおり朝日(=朝鮮日本)新聞だと思ってましたが。
司馬遼太郎さんが遷化されたあとは文化記事も…
http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/the_economist_b814.html
「この記事で一番気に入ったのは、『(新聞は)言葉を読者に、読者を広告主に売るビジネスだ』というフレーズだ。」
スポニチ:新聞が報道しない「朝日新聞社とテレビ朝日の資本・業務提携」の゛舞台裏゛(2008/6/24)
http://blog.sponichi.co.jp/writer/writer14/post_16.shtml
資本の移動は6月6日、同時に行われました。まず村山美知子社主名義の36・46%のうち、11・88%(38万株)が1株6万3000円(総額239億4000万円)でテレビ朝日に売却され、9・97%が村山家ゆかりの香雪美術館に寄贈されました。これを受けて、朝日新聞社は保有する33・85%(子会社の衛星チャンネル保有分を含めれば35・92%)のテレビ朝日株のうち、5%を1株15万円(総額75億4500万円)で村山美知子社主に譲渡し、このテレビ朝日株は直ちに香雪美術館に寄付されました。朝日新聞社とテレビ朝日の新たな事業・資本提携であるはずなのに、いったい、なぜこんな複雑なことをするのでしょうか──。
「ようするに、美知子社主に朝日新聞社株を手放してもらうための大芝居だ。テレ朝はその買い取りの受け皿と資金調達の役割を担わされ、朝日新聞社はそのテレ朝株を担保として美知子社主に譲渡したわけだ」(社主家関係者)
その結果、朝日新聞社の上位10位の株主比率は、@村山美知子社主(36・46%から14・61%に減少)A上野尚一社主(12・81%)B朝日新聞社従業員持ち株会(12・03%から12・76%に微増)Cテレビ朝日(新たに11・88%持つ第4位の株主に)D香雪美術館(新たに9・97%の第5位の株主に)E村山美知子社主の甥・村山恭平(5・00%)F村山美知子社主の妹・村山富美子(3・57%)G上野社主の次弟・上野克二(3・34%)H上野社主の末弟・上野信三(3・34%)I朝日新聞社役員持ち株会(1・48%)となりました。そのため、村山家の保有比率は45・03%から28・18%に低下し、村山家ゆかりの香雪美術館名義を含めても3分の1以下に減少しました。さらに、村山家と上野家を合わせた社主家全体の保有比率も、それまでの64・53%から47・68%と過半数割れに追い込まれたのです。<中略>
事態が急展開したのは5月中旬です。美知子社主が突然、心臓疾患で倒れ、危篤寸前の状態に陥ったのです。幸い、容態は持ち直したものの、心臓にペースメーカーを埋め込む緊急手術を6月上旬に行うことになったため、最終的な回答を引き延ばしていた美知子社主も、秋山社長に譲渡案を一任することに最終的に同意したのです。そこで朝日新聞社が考えた譲渡案は、朝日新聞社が直接美知子社主の株を買い受けるのではなく、テレビ朝日と美知子社主と間で朝日新聞社株の譲渡契約を結ばせ、朝日新聞社は保有するテレビ朝日株を美知子社主へ譲渡するという巧妙なシナリオでした。<中略>
「相続問題は上野家も同じことだ。しかも、今回の譲渡によって、同族支配株主だった村山家の保有比率が30%を切ったため、15%以上持つ上野家も同族支配株主と認定され、相続税の安い配当還元方式から時価総額方式に切り替わるため、それまで想定していた相続税が100倍以上に跳ね上がることになる。これは上野家に対する譲渡圧力に働くことは確実で、社主家の株譲渡問題は上野家の中心とした゛第2幕゛に突入することになるだろう」(社主家関係者)
朝日新聞社従業員持株会 17.75%
株式会社テレビ朝日 11.88%
村山美知子 11.02%
上野尚一 11.02%
公益財団法人香雪美術館10.00%
村山恭平 5.00%
村山富美子 3.57%
凸版印刷株式会社 3.13%
上野克二 2.44%
朝日放送株式会社 2.31%