2005年06月21日

日本陸軍と森鴎外:海軍兵食の教訓を生かせなかった悲劇

日本からドッサリと持ってきた梅干が、ついに切れてしまった。なければ生きていけない、というほどの思い入れはないが、夏の暑いとき、おにぎりに梅干のかけらが一切れ入っていたりすると食欲が増す。

最近は子供のお弁当に梅干は入っているのだろうか。「日の丸弁当」なんて作って持たせると、左巻きの先生から嫌がらせを受けたりしないのか、ちょっと心配である。(左巻きの圧力で、いまだに運動会で「軍艦マーチ」が使えないという話ですから。) で、戦時中の食事はというと・・・。

太平洋戦争と国民生活、ある日のメニュー
 1944〜45年ごろの、一般庶民の1日の食生活を森輝『風は過行くー私の戦中ノートー』によって、再現してみよう。
  • 朝:ご飯(どんぶり0.7杯、玄米・ジャガ芋入り)、薄いみそ汁、薩摩芋のつるの油いため
  • 昼:ふかし芋に塩少々、いった大豆かすにしょう油少々
  • おやつ:南瓜(薄い塩味)、乾燥バナナ
  • 夜:雑炊(玄米・みそ・大根の葉入り)、すけそうだらの塩焼き、ひじきの煮付け
     小学校のお弁当もずいぶんかわり、40年ごろになると、日の丸弁当というのがすすめられたが、それは、1ヶ月に1回の特別な日だけの話だった。
     しかし、44〜45年ごろになると、白いご飯そのものが「銀シャリ」と呼ばれるようになり、夢にまでみる、理想の食べ物になった。「今日は卵ご飯だよ。」と言えば、とうもろこしを砕いて混ぜたご飯で、「今日はお赤飯だよ。」と言うと、赤い高粱(穀物)を混ぜたご飯と言うようになった。

  • 戦時中は、主食の量を増やすために、いろんな穀物・芋・豆類で「混ぜご飯」が作られたので、「銀シャリ」はめったに食べられない。しかし、この「銀シャリ」に飛びついた結果、日本は不幸に見舞われているのだ。

    長府雑記帳:明治の日本を襲った死の病
     脚気は今でこそビタミンB1の不足により起こる病気ということは良く知られていますが、明治の頃は主に白米を主食とするアジアの病気で欧米ではほとんど見られないので伝染病のように考えられていました。
     日本では食生活が向上し白米を食べだした江戸時代に出現し「江戸わずらい」と呼ばれていました。明治になると患者数は急激に増加し明治10年には明治天皇もこの病気に苦しみました。

    子供の頃に「脚気(かっけ)」という言葉は聞いたことがある。膝蓋腱反射といって、膝ガシラをポンと叩いて、足先が動けば大丈夫、みたいな話だった。膝が悪くなる病気なのか、へぇ〜、と思いつつ月日が流れてしまったのだが、ネットで調べてみると、なんと、死人がバンバン出ている病気じゃありませんか!

    麦と水兵:海軍滅亡の危機
     明治11年の時点で海軍の総人員は4528名。うち脚気患者1485名、脚気による死者32名。基本的に軍隊は検査に合格した壮丁が集まる集団ですから、羅病率32%、死亡率0.7%などという数字は尋常のものではありません。<中略>
     また、明治15年末より『龍驤』が行なったニュージーランド・南米方面への遠洋航海では、10ヶ月間の航海で乗員371名のうち160名が脚気を発症、うち25名が死亡するという事態も発生しました。

    なんだとー! ニュージーランド・南米航海では、発病率は160÷371=43%、死亡率は25÷371=7%ですよ! おっとろし〜。長期で船に乗るのは命懸けじゃないですか!!(ピースボートもそうだ、ムニャムニャ.....)

    そこに救世主が登場した。海軍の軍医総監、高木兼寛だ。

    老いを生きる(講演要旨):脚気の原因は白米に関係
     海軍に劇的な変化が起きていた。海軍の一番のトップである軍医総監のタカギカネヒロという人がこれは白米に関係があるのではないかと考えたんです。白米の食べすぎだろうと。「何とか白米を止めさせろ」ということを一生懸命努力いたしました。そのために実験をしたい。船を航海に出して乗っている水兵の食事を変えて脚気がそれでなくなるかどうか実験をしたいと考えたわけです。ところが海軍省は予算がない。当時の海軍省の年間予算が300万程度。一航海6万円いるのです。とても海軍は支出できない。政府もこれに同意を致しませんでした。
     ところがたまたまタカギ総監が御進行にまいりました明治天皇がその話を聞きまして「自分が出そう」と言いました。6万円を明治天皇が出しました。実は明治天皇は脚気でございます。皇后も脚気でございました。寺内陸軍大臣も実は脚気でした。6万円というのは今のカネにすると20億円という大変大きな額です。「つくば」という軍艦に373名の水兵を乗せて287日間の航海に出ました。一切米の飯を船に乗せませんでした。パンとビスケットを食べさせました。軍隊の食事というのは副食が貧しかったのですが、ふんだんに肉、魚、野菜、果物を供給いたしました。その結果、1人も脚気の死亡者が出ませんでした。

    実験航海の20億円は、明治天皇のポケットマネーから出たというのは本当か、それとも美談か? 食べ物に不自由のない明治天皇まで脚気に悩んでいるのはなぜ? いずれにしても、軍艦『筑波』は明治17年(1884年)2月に出航し、多数の死者を出した『龍驤』と全く同じ航路を取り、死者を1人も出さずに帰還に成功した。このとき高木兼寛は辞表を懐にしていたという。いよ! 男の中の男! おみごと!

    この偉大な実験航海によって、脚気の原因は究明され、万事解決したかのように思われた。ところがである!

    陸海軍における脚気の問題
     こうして明治27年の日清戦争を迎えた。高木が指導した海軍では麦飯を採用し、脚気患者は1人も発生しなかった。これに対して陸軍では食糧を陸軍省医務局が一元管理し、全部隊に白米を支給した。その結果、戦死者453名に対して脚気による死者4064名を出した。陸軍の病院では入院患者のうち戦傷者1名に対して脚気患者11名以上というありさまだった。
     戦後半年ほどして、福沢諭吉発行の「時事新報」に海軍軍医の「兵食と疾病」という調査記事が掲載された。これは初めて公の場で行われた海軍からの陸軍非難であった。この記事をきっかけにその後も陸海軍の論争は続いたが、陸軍上層部は細菌説を採りつづけた。
     そのため10年後の日露戦争では陸軍の被害はさらに拡大した。戦死(即死)者4万8400余名に対して傷病死者3万7200余名、うち脚気による死者は2万7800余名にのぼった。当時の日本軍は突撃の際にも酒に酔っているようだったと言われており、それが脚気のためであり、原因が白米であることはロシア軍にも知られていた。実際には戦死者にも脚気患者が大量に含まれていると考えられる。
     陸軍は旅順、奉天陥落後の明治38年3月末、脚気対策として米麦7対3の混食奨励の訓令を出した。陸軍の公式記録では脚気患者数は25万人とされている。海軍の脚気患者は105名であった。

    日露戦争では5万人近くが戦闘で死亡しているが、驚くなかれ、これに加えて脚気によって3万人近くが死んでいるのだ。当時は「銀シャリ」信仰は強く、「兵隊さんになれば、白米を腹いっぱいに食える」がキャッチフレーズだった。それにしても、陸軍の融通の利かないやり方には怒りを覚える。海軍の実験は、一体何だったのか!

    鍋羊肉という名は昭和2年生まれか
     このように兵食の改善が遅れたのは、陸軍内部には「梅干主義」といわれる精神主義のような考え方が根強く伝わっていたからでした。梅干主義というのは、日清日露戦争など日本陸軍の過去の勝利は、すべて梅干しの入った握り飯を食べて戦ったからである。だから兵食の栄養価だとか美味いまずいなんかにこだわるず、何でも腹一杯食べればよいという考え方を指すのです。
     ですから、兵食を専門に作る兵隊は置かなくてもよいとして、炊事経験の有無を問わず当番制で飯炊きをさせたのです。そうなれば当然のことながら、材料を生かした献立になっていない、味付けがまずい、切り方が不揃いだといったことが、それこそ日常茶飯事になります。

    「銀シャリ」信仰に加えて、「梅干主義」という精神主義。日露戦争直後に「米麦7対3」は導入したとはいえ、その後も「兵食」に大した改善は見られず、過去の栄光(=日露戦争勝利)に酔いしれている。この問題で追及されて然るべきは、「脚気の原因は食物」が実証されてきたにもかかわらず、これを隠蔽し、どこまでも「細菌説」をとった人たちである。

    脚気と悪者森鴎外
     ここで登場するのが、悪役の森鴎外です。ドイツに留学中の森は、高木兼寛に反対する論文を送ってきました。これは、高木批判の大きな力となりました。さらに、帰国して一等軍医となった森は、脚気の原因は細菌であるという信念のもとに、徹底的に高木を攻撃しました。
     こうして、陸軍の中央では麦飯の導入には徹底して反対していました。ところが、実際に現地で兵を管理している地方の軍医たちにとって相変わらず脚気は脅威でした。そこで、独自に麦飯を取り入れ、大いに効果を上げて脚気の患者を減らしていました。
     しかし、戦争が起こると話は変わります。日本から離れた場所で行動する軍隊に後方から食料を送るのは中央の権限です。ここでも森鴎外は、頑固に麦飯の効果を否定し続け、現場からの要求に応じず、麦を供給しませんでした。その結果、海軍では脚気による死亡患者はほとんどなかったのに対して、陸軍では、日清戦争では3944人(戦死者は293人)、日露戦争では27800人(戦死者は47000人(この中にも多くの脚気患者がいた))という非常に多くの兵士の命を脚気によって奪う結果となったのです。<中略>
     結局森鴎外は、陸軍軍医の最高位まで出世し、文豪としても名を馳せましたが、医学の歴史の中では、百害あって一利無し(無いわけではないと思うけど)という人物だったように思えます。

    ビタミンを最初に見つけた日本人、鈴木梅太郎
     梅太郎がオリザニンを発見したのは、その2年後(=明治43年)のこと。しかし林太郎(=森鴎外)は、古来からの日本人の主食である白米が栄養学的に問題があり、さらに脚気の原因であるという説を、日本文化を侮辱するものにほかならないと考え、梅太郎の研究を終始無視した。脚気に効カありとする梅太郎の報告を伝え聞いたある新聞記者に対し、林太郎は「そんなことはあるまい。イワシの頭も信心からの類だろう」と答えている。

    文豪・森鴎外のファンの方々には申し訳ないが、言わせていただきたい。森鴎外さん、あなたは医者としては最低だ!


    ■追加1:森鴎外に関する参考サイト
  • 森鴎外の仮面
  • 坂内正:『鴎外最大の悲劇』
  • 松岡正剛の千夜千冊:『阿部一族』(森鴎外)

    ■追加2:晩年の鴎外は「簡潔」を信条として、冷酷なほどに事実にこだわって、淡々と歴史的人物を書き続けた。晩年の作品の1つに『北条霞亭(上下)』(下巻は『霞亭生涯の末一年』)があるが、興味がある方は、リンクのWebテキストで「脚気」を検索してみるよとよい。医者たちは北条霞亭の病状を「脚気」として診断し、本人も「脚気」であると信じて死んでいくのだが、森鴎外は執拗なまでにこの「脚気」にこだわり、「彼の病状は脚気ではない」ことを証明せんとして筆を尽くしている。

    ■追加3:イギリス海軍は、ビタミンC不足の「壊血病」で悩んでいた
    船乗りを壊血病から救った英国海軍特製ライムジュース
     大航海時代の帆船による長期航海では、多くの乗組員が壊血病で倒れた。しかし、当時の医学知識では、これは防ぎようのない船乗りの宿命とあきらめるしかなかった。壊血病の原因が、単なる食糧不足によるものではなく、ビタミンCの欠乏によるものであることを発見したのは、スコットランドの医師ジェームズ・リンド。1747年になってからのことである。
     この発見を最初に生かしたのはキャプテン・クックだった。2度目の世界一周航海に出帆するとき、ライム果や塩漬け野菜などを十分に積み込ませ、その結果、壊血病による死者はたった1名に過ぎなかったという好成績を残した。
     このため英国海軍では、1795年以降、それまでのラム酒やワインに代え、乗組員にライムジュースを強制的に飲ませるようにしたところ、壊血病の悩みはほとんど解消されたという。それ以後、英国の軍艦や商船、またはその乗組員のことを「ライム・ジューサー」または「ライミー」と呼び習わすようになり、このニックネームは現在も使われている。

    ■追加4:日本の乗組員は「ニック・ジャガー」と呼ぼうか・・・
    肉じゃが誕生秘話
     そんな時、ある提督のわがままが良い結果をもたらした。その提督こそ、東郷平八郎海軍中将(当時)である。舞鶴鎮守府の初代鎮守府長官に着任した東郷提督は、イギリス留学時代に食べたビーフシチューの味が忘れられず、部下に「ビーフシチューをつくれ」と命じたのであった。
     ビーフシチュー等知らなかった料理長が、悪戦苦闘の課程でつくりあげたのが、『肉じゃが』だったのである。
     以後肉じゃがは、「洋食の代用食として効果的に牛肉を摂取させる事が出来る画期的料理」として海軍で大いにもてはやされる事となった。

    ■追加5:海軍カレー(横須賀)もお忘れなく
    カレーに宿る「グローバリズム」
     最初の張本人は東インド会社。インドより米とカレーを持ち帰り、英国内で大好評を博したという。さらに日持ちが良く食欲が増すカレーは、大英帝国海軍の軍隊食となって七つの海を渡った。エゲレスの水兵たちは、パンにカレーをつけて食していたそうだ。
     明治維新後の日本にも、まさに文明開化の味、ハイカラの象徴として渡来してきた。大日本帝国海軍も同じくカレーを軍隊食として採用。さすがにパンの味は親しめず、日本の主食である米飯にかけることで、「カレーライス」(またはライスカレー)の誕生を見るに至ったのである。

    海上自衛隊では今でも毎週金曜日はカレーで、横須賀市役所も金曜日には市長以下カレーを食べているそうです。
  • posted by ヒロさん at 07:46 | Comment(7) | TrackBack(1) | 日本史・世界史
    この記事へのコメント
    TITLE: いやいやもっともです。
    食事と健康は非常に関係のある問題で、個人差にも因りますが全て程々に食べると長生きするようですね。カルシウムが少なくなると「気が短くなる」とか、いろいろと弊害が起こります。水はもっと大事なものと考えた方が良いので、むかし航海するときは腐らない水と言うのが明石の水といわれ、わざわざ瀬戸内海の明石まで水の補給に行ったと言う話があり、それが今の灘の酒の元になっています。考えさせる事です。現在の水道ではクロリンを入れます。カルキの匂いをいやがる人も居ますがクロリンの殺菌作用で癩菌などのグラム陽性桿菌の好気性細菌を完全駆除できるってのはあまり知られていません。アメリカで問題になったアントラックスなども一般に売られている洗濯の漂白剤で完全に駆除ができると言うのも知られていません。科学と自然の話題はつきませんね。
    Posted by Chosei Funahara at 2005年06月21日 09:14
    TITLE: 日本人と食
    >食べ物に不自由のない明治天皇まで脚気に悩んでいるのはなぜ?

    貝原益軒の養生訓にも「飯より多くのおかずを食べてはいけない」とあるそうですから、江戸から明治の日本人の食生活がどんなものか現代では想像できないですね。

    天皇は京のお公家さんの親玉で、京都といえば着道楽ですから、衣住に比べて食のまずしさは、これまた現代では想像できないものだったのでしょう。
    孝明天皇は塩鮭が大好物でしたが、昼食に出た塩鮭が殊のほか美味かったので、皮を残しておいて夕食に出させたという逸話が残るほどで、天皇ですら塩鮭一切れを毎食食べれなかった訳です。

    私の郷土には「味噌菜3年身上潰す」という諺が戦前までありましたが、これは郷土料理の朴葉味噌をおかず(=菜)に御飯を食べると、御飯を食べ過ぎて食費がかさみ破産するという意味で、信じられない貧乏さです。
    Posted by 飛騨高山人 at 2005年06月21日 13:14
    TITLE: 海軍の食事の方がおいしいって
    よく、母から聞いていたんですが、こういう事が理由のひとつだったのかもしれないな〜と思いました。
    私は単に、船の上では食べる事しか楽しみが無いから料理がおいしくしてあるのかなくらいに、考えていましたが、いやはや、すごく歴史のある話だったんですね〜。面白かったです。
    Posted by サモトラケの三毛 at 2005年06月21日 13:47
    TITLE: 飲み物
    ああ「ライミー」ってそういう意味だったんですか。 ライムかじりながら、冷えたテキーラ飲むのが美味しい季節になって来ました。 冬の間は、ネイビーラムをよく飲んでましたが。
    海上勤務では曜日の感覚がなくなるので、自衛隊ではカレーが出ると「ああ、今日は金曜日か」とわかるそうですね。
    Posted by Venom at 2005年06月21日 14:15
    TITLE: マンガにもなってます
    麦飯男爵 高木兼寛 ミスターマガジンKC
    Amazonでは品切れでした。
    Posted by 蜂田 at 2005年06月21日 18:50
    TITLE: 麦飯男爵に注目!
    高木兼寛は「麦飯男爵」と呼ばれていたんですね!
    http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9970431145
    http://www.atkyushu.com/InfoApp?LISTID=202&SCD=m290002
    Posted by Hiro-san at 2005年06月21日 20:08
    TITLE: やや脱線かも
    昔水産庁の調査船にアルバイトで乗船したことがあるのですが、食事はとても豪華でした。
    10日間くらいの調査航海でしたが、とにかくボリュームがありすぎて、すべては食べ切れ
    なかったと記憶しています。一度海に出ると逃げ場が無いわけで、途中からテレビも見ら
    れなくなるし、食事だけが楽しみなんですよね。
    Posted by みずすまし at 2005年06月28日 18:34
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