「三笠へ 敵の第2艦隊見ゆ 203地点 4時50分 信濃丸より」
この暗号電信文は、巡洋艦『厳島』→鎮海湾の旗艦『三笠』→海底ケーブル→巨済島の仮設電信局→対馬→沖ノ島→・・・・→下関→・・・・→東京という経路をたどり、(推定時刻)午前6時40分に東京司令部に到着した。発見から1時間50分後のことだ。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」には、東京の軍司令部が『三笠』と直接無線で連絡をとっていたという記述があるが、これは間違いだ。イタリアのマルコーニが無線通信を発明したのは1895年のことで、1905年当時の無線技術の水準は非常に低い。電信は海底テーブルと陸上ケーブルの幾多の中継地点を経由し、中継のたびに通信技師の打鍵によって、モールス信号の形で転送された。
日本がバルチック艦隊を撃破できた理由には、海軍の秀逸な人材登用、丁字乙字戦法の奏効、36式無線電信機の開発、下瀬火薬の威力、伊集院信管の高感度など、たくさんの要因があるが、兒玉源太郎の海底ケーブル戦略も忘れてはなるまい。
明治維新直後の1871年(明治4年)には、6月に「長崎〜上海」、8月に「長崎〜ウラジオストック」の2つの海底ケーブルが完成し、シベリア回りとインド回りの2経路で、欧州・アメリカへの通信網が開通していた。この2つのルートの極東利権は、いずれもロシアの息がかかったデンマークの大北電信会社(Great Northern Telegraph)が握っていた。
1871年11月、政府閣僚の半数が参加した「欧米視察団」はアメリカに向かうが、大久保利通がニューヨークから送った電信は、5時間後に長崎で受信されている。だが、東京〜長崎間には電信ケーブルがなかったため、飛脚などを使って電報が東京に着信したのは、さらに3日後のことだった。
デンマークの大北電信は、この「東京〜長崎」ケーブルの独占も目論んでいたが、日本政府はこれを水ぎわで見事に食い止めた。背後にいるロシアの影響力を警戒したからだ。結局、大北通信に対しては、
1.長崎と横浜以外は海底ケーブルの陸揚げを認めない
2.瀬戸内海は開放しない
3.将来、日本が海底ケーブルを買収する権利をもつ
2.瀬戸内海は開放しない
3.将来、日本が海底ケーブルを買収する権利をもつ
という3点を死守した上で、国際通信網の利用に踏み切ることになった。大北電信としては、ケーブル設置コストは陸上よりも海底の方が割安なため、どうしても瀬戸内海の使用権がほしかったのだが、これが叶わなくなり、二の足を踏むことになった。
しかし、今度は太平洋沿岸ルートで「長崎〜横浜」ルートの敷設を計画してきたため、1973年(明治6年)4月、日本政府は大急ぎで陸上ケーブルを完成させ、「長崎〜横浜間の太平洋海底ケーブル敷設権の廃止」を通告した。
その後、日清戦争(1895年)を経て、ロシアとの決戦が想定されるようになってくると、日本には次のような不安が持ち上がっていた。
1.大北電信の「長崎〜釜山」回線は欧米人も使用しているため、軍が独占できない。
2.そもそも大北通信はロシアとつながっており、その回線を用いると、日本側の軍事情報がロシアに筒抜けになってしまう。
3.味方につけたいイギリス・アメリカとの連絡は不可欠だが、大北電信の「長崎〜上海」ケーブルを使用していたのでは、どんな妨害を受けるかわからない。
2.そもそも大北通信はロシアとつながっており、その回線を用いると、日本側の軍事情報がロシアに筒抜けになってしまう。
3.味方につけたいイギリス・アメリカとの連絡は不可欠だが、大北電信の「長崎〜上海」ケーブルを使用していたのでは、どんな妨害を受けるかわからない。
このような国際通信の危機を回避すべく登場したのが、「100年に1度の知将」と呼ばれる兒玉(児玉)源太郎である。彼が打ち出した戦略は以下の通りだ。
1.日本独自の海底ケーブル敷設船を持ち、本土と朝鮮半島・大陸の間に複数の海底ケーブルを敷設する。
2.敷設に必要なケーブルは密かに購入し、秘匿する。
3.「九州〜台湾」間を日本独自の海底ケーブルで連結し、台湾を経由してイギリスのAll Red Route(インド・アフリカ回線)と結ぶ。
2.敷設に必要なケーブルは密かに購入し、秘匿する。
3.「九州〜台湾」間を日本独自の海底ケーブルで連結し、台湾を経由してイギリスのAll Red Route(インド・アフリカ回線)と結ぶ。
日清戦争後の10年の間に、天才・兒玉源太郎はこれを実行に移した。バルチック艦隊が喜望峰やインド洋を周回している情報は、イギリスのAll Red Route回線によって、ロシアに察知されることなく、着々と日本に送信されていた。また対馬周辺には、多数の望楼ができ、これをリンクする海底ケーブルが縦横無尽に張り巡らされていた。

兒玉源太郎の海底ケーブル戦略がなかったならば、日本の軍事情報は筒抜けとなり、日露戦争の結末は違ったものになっていたかもしれない。
■参考資料:
■追加1:海底ケーブルよもやま話
★ロシア(大北電信系)の通信は、イギリスに比べて技術もモラルも低かった。日露戦争の直前、ロシアの植民地となった満州で日本の諜報隊が電報を打ってみたところ、転送に数日を要するばかりでなく、内容が間違いだらけだったという。
★日露戦争の開戦と同時に、大北電信の「長崎〜ウラジオストック」回線は日本側が切断した。日本国内のスパイからの情報がロシアに流れるのを防ぐため。切断線の一部は「本土〜対馬」や「対馬〜朝鮮半島」の連絡用に流用した。
★日露戦争の開戦と同時に、大北電信の「長崎〜ウラジオストック」回線は日本側が切断した。日本国内のスパイからの情報がロシアに流れるのを防ぐため。切断線の一部は「本土〜対馬」や「対馬〜朝鮮半島」の連絡用に流用した。
■追加2:兒玉戦略の進展
1)海底ケーブル敷設船『沖縄丸』は、片岡清四郎をイギリスに派遣し、必死の督促で1896年(明治29年)に4月に竣工、6月に長崎到着。
2)海底ケーブルは、1600海里分をイギリスから購入し、長崎の貯線槽に保存。案の定、大北電信が「自分たちに任せろ」と介入してきたが、これを無視し、お雇い外国人をすべて排除した。
3)1897年(明治30年)5月、日本の独力で「大隈半島(九州)〜基隆(台湾)」ルートが完成。このニュースは世界をかけ巡り、欧米列強を驚かせた。
4)1898年(明治31年)12月、「台湾〜福建(大陸)」回線の買収に成功。福建側の運営は大東電信(イギリス)と大北電信(デンマーク)の2社共同委託に。
2)海底ケーブルは、1600海里分をイギリスから購入し、長崎の貯線槽に保存。案の定、大北電信が「自分たちに任せろ」と介入してきたが、これを無視し、お雇い外国人をすべて排除した。
3)1897年(明治30年)5月、日本の独力で「大隈半島(九州)〜基隆(台湾)」ルートが完成。このニュースは世界をかけ巡り、欧米列強を驚かせた。
4)1898年(明治31年)12月、「台湾〜福建(大陸)」回線の買収に成功。福建側の運営は大東電信(イギリス)と大北電信(デンマーク)の2社共同委託に。
児玉源太郎と言えば、ドイツに
「日本には児玉源太郎がいる(ので日本が勝つ)」と言わしめた男ですよね。
児玉源太郎、秋山真之などの知将の名参謀ぶりを聞くとしびれますが(*^^*)
でもこの海底ケーブルの話は知らんかったっス。 ついでに「兒玉」という字だったというのも;
現代にも、日本の危機を察知するこんな頭がキレる(ついでに超能力者も)「知将」がいれば、
日本の政治・外交も今頃は…(^^;)
ザキさ〜ん、私もジーンとしびれちゃいます。日本陸軍に軍略を教えたドイツ陸軍のメッケルは、ロシア圧勝を予想する軍事専門家が多い中で、ただひとり「兒玉がいるかぎり日本が勝つ」と予言。メッケルの教え子の兒玉は、ただものではなかったのですね。
こんな知将がいればこそ、日露戦争は辛うじて辛勝。負けていれば、東京にロシア国旗がはためき、北海道も九州もとっくの昔に日本の領土ではなくなっていたかも。
私の本名の長生は海軍軍令部参謀であり文筆家でもあった『東郷元帥詳伝』『海戦日録』などを書いた元子爵小笠原長生(ながなり)から授かったものです。もしロシアに日本が負けていたら私は今ロシア語を母国語のようにしゃべっているでしょうね。
choseiさんをお名前は小笠原長生にあやかった由緒あるお名前なんですね。ロシアに日本が負けていたらチョセフスキーとかになっていたかも・・・。私のヒロも本名ですが、浩宮皇太子のあやかりです。イギリス人には「ヒロヒト(昭和天皇)のヒロと同じか」なんてよく言われていますが。
明治維新は、薩長の日本国政権奪取のク−デタ−であったが、開国派の薩長に守旧派の徳川幕府が敗れた。
維新後、新政府は欧米に追いつけとばかりに改革を続け、維新後十数年で大海軍と陸軍を所持した。そして、基本的な情報網は時刻のものと氏、世界情勢とともに、イギリスなどとの同盟関係を継続してきたが、アメリカの横槍で日英同盟を解消しだしてから雲行きは怪しくなり、陸のドイツ贔屓で、自滅への道を突き進んでしまった。
情報の大切さを象徴する。が、戦後、ますます情報を軽んじてきたわが国は、アメリカ・中共・朝鮮、ロシアによりいいようにされ、コントロ−ルされていることに気がつかないアホばかりである。
1875年(明治8年)江華島事件が起きます。
何かの本で「測量」のために航海した時に水を求めて接近したら発砲してきたという記述がありました。当時、フランス軍艦は天津湾にいたわけですから。不信感から調査にでたのでは?
その後、韓国沖で一時、このケーブルが切断される事故があります。
何のために切断?『銅線だからさ』というのは簡単だけど。
日本海にばかり目か行っている間に、遼東半島付近や天津湾はどうなっているのか。
調べに行ったのでは?疑惑を抱いて当然。ロシア、ドイツ、フランスの三国干渉と
の関係か大アリと思うのですが。