2013年03月18日

マラソンをしているときの意識フォーカスのシフト

ジョギングやマラソンに関する本を6冊ほど購入し、さらにシドニー五輪の高橋尚子やアテネ五輪の野口みずきが走るビデオもチラホラ眺めていたら、いつもより少し長めのジョギングを試してみるか、という気持ちになった。

ある程度の距離を走るとき、私のビート音楽は♪=84〜88に設定している。が、カラダに負担なくゆっくりと走ってみたいので、♪=80〜84の曲ばかりを選曲して走ることにした。

いつもよりギアを1段下げての走行なので、ほんとうにゆったりしている。前半は歩いているような気分で、呼吸はいっさい苦しくない。後半はゆるやかなクロスカントリーのようなコースなるので、少しは走っている感覚になり、終盤は大腿に少々気だるい心地よさが広がっていた。

走行時間は1時間1分、距離は約10キロだ。38年ぶりに10キロを完走したので、めでたし、めでたし、である。業界では、このようなゆっくりとした走りをLDS(long-distance slow)と呼ぶらしい。幻覚剤のLDSにも似た怪しい響きのコトバだ。

ビート音楽ジョギングは、聞いている音楽のリズムに乗って走ることだが、音楽に引っ張られながら、無理やり走らせられるという側面もある。意識は音楽の気持ちよさに浸っていることはもちろんだが、これにしっかりとリズムを合わせようとする足の動きにもフォーカスしている。

だが、今回のようなスロージョギングをやってみて、いつもとは心の状態が少し違うことに気がついた。腕の振り、肩の感覚、足の裏の着地点など、カラダの細部に意識を向ける余裕があるのだ。さらに周囲の景色を眺める余裕も少しある。

自分を励ますコトバも少し試してみると、「ありがたいなぁ〜、ゆたかだなぁ〜、しあわせだなぁ〜」という簡単なフレーズならば、これを繰り返しながら、しみじみとした気分に浸ることもできる。

そう言えば、村上春樹は『走ることについて語るときに僕の語ること』の前書きで、ある新聞記事について触れている。有名なマラソンランナーが走行中に何を考え、どんなコトバを繰り返し、どんなイメージを描いているか、という話だ。原文を読んでみると、トップランナーたちの頭の中は以下のようになっているという。IHT: For marathoners, it's all in the mind (2006.11.3)
  • 数字を1から100までゆっくりと数える(100まで数えると約1マイル走った、という目安)
  • 足のステップ通りに500まで数える
  • 「弾み(momentum)」という1語を繰り返す。
  • 「はっきりさせろ(Define yourself)」という短い文を繰り返す。
  • 「痛みは避けられない、苦しみは自分次第(Pain is inevitable, suffering is optional.)」を繰り返す。
  • 「暑さに耐えられないなら、私の通りから出ていきな(If you can't stand the heat, then get off my street)」というマドンナの『I Love New York』の一節を繰り返す。
  • もう1つ次の電信柱をゴールと思い込み、それを繰り返す。
  • 故郷で体験した過去のトレーニングシーンを思い浮かべる。
  • ゴールインで最後のデッドヒートを演じている場面を思い浮かべる。
  • 将来自分の孫にマラソン体験を笑って話しているシーンを思い浮かべる。
  • 前の夜に小さな袋に何百万の酸素分子を入れるイメージ儀式をする。当日のマラソンで苦しい局面が訪れたら、その袋を口の前に取り出し、酸素を吸入していると思い込む。
最後の儀式はかなり手が込んでいるが、それで脳を騙すことができるならば、さらに元気に走れるというわけだ。

ここで使われているコトバやイメージは、状況がだんだん苦しくなってきたときに、意識をどのようにシフトさせるか、という意味で参考になる。マラソン以外の人生のさまざまな局面においても「意識をラクな方向にシフトさせる」というヒントが得られるかもしれない。


■つぶやき
10キロぐらい走ることができれば、ハーフマラソンの21キロは何とか行けるそうだ。だが、私は1時間を超えるような長距離には今のところまったく興味がない。(まして40キロの4時間なんて、とんでもない、他に楽しいことがいっぱいあるもの!) 10キロを超えたら、脳内麻薬物質の分泌が全開になり、幻覚剤LDSさらながらのお花畑が訪れるというなら是非ともやってみたいが、そういう幸せな話はあまり聞かない。20キロ、30キロ、40キロ(さらにはウルトラマラソンの100キロ)の挑戦にこだわるのは、健康法としても疑問。それよりも3キロ、5キロ、7キロという短い距離を手を変え、品を変えて走った方がおもしろい。

posted by ヒロさん at 23:23 | Comment(6) | TrackBack(0) | 四肢は百獣の王
この記事へのコメント
「もう1つ次の電信柱をゴールと思い込み」
この気持ちは良く分かります。
通っていた小学校では、前年まで6年生による全員マラソンがあったのですが、
そして校区内を走り回る練習までしたのですが、何故か、取り止めになりました。
後で聞いた話では、交通量が増して事故の危険性が高くなったので、
校区一周のマラソンはダメという事になったようです。
Posted by ダダさん at 2013年03月19日 21:25
「もう1つ次の電信柱」は、私も中学性のときに聞いたような気がしますが、日本の君原健二がメキシコ五輪マラソンを振り返ったときの逸話であるとか。
当時友だちとのおしゃべりで「アフリカどこかに走るプロがいるはずだ、五輪はアマチュアだから出場していないだけ」なんて話してましたが、メキシコ高原に世界一速く・長く走れるタラウラマ族がいるそうです。世界は広いです。 http://www.amazon.co.jp/dp/4140814144/
Posted by ヒロさん★ブログ主 at 2013年03月19日 22:05
夕方、テレビを付けたらメキシコの「走る部族」を紹介していました。
彼等を支援するためのマラソン大会が行われたそうです。
その映像を見ながら、我が国の飛脚も、結構な距離を走っていたのではないか、そのスピードはどの位だったのだろう等と考えたものです。

ヒロさんは、多分知らないと思いますが、田舎の伯母たちは日通のような運送業者のことを、
昔風に「三度さん」と呼んでいました。半世紀ほど前の記憶です。
Posted by ダダさん at 2013年03月21日 18:45
走るプロといえば、飛脚を忘れておりました!
京とお江戸を月に3往復で「お三度さん」と言うんですね。
飛脚笠をかぶっていたとかで、今でいうところの「サンバイザー」でしょうか(笑)。
江戸〜京都の500キロは、3日くらいでしょうね。現代では、たったひとりで320キロをノンストップ46時間で走破した人がおります。
http://www.amazon.co.jp/dp/4799311298/
Posted by ヒロさん★ブログ主 at 2013年03月22日 10:55
物の本によれば、江戸期には「飛脚走り」という独特の走法があったのだそうです。
長距離を走り抜くために考え出された、今で言う省エネの走り方だったらしていのですが、
古式泳法のように伝えられていないため「幻の走法」となってしまいました。

散歩道の途中にツクシが出ていました。春が来ています。
Posted by ダダさん at 2013年03月23日 07:04
アフリカ&メキシコ高地のトップランナーの走りは、「かかと着地」ではなく「つま先着地」であるとのこと。
「飛脚走り」は幻ですが「ナンバ走法」ではなかったか、との推理があります。ナンバ=「歌舞伎の動作である六方(ろっぽう)にみられる、同じ側の手と足を動かして歩く動作」ですから、右足を出すときに右手を前に出す走法ですね...  こんな風に走っていると、ツクシを愛でる余裕もございません...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%90%E8%B5%B0%E3%82%8A
Posted by ヒロさん★ブログ主 at 2013年03月23日 10:22
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