
この博物館のオーディオガイドに、ジェシー・ヴェンチュラ(Jesse Venture)の声も入っていると知って、非常に驚いた。彼は「63 Documents the Government Doesn't Want You to Read」を出版したり、「Conspiracy Theory with Jesse Ventura」という人気のTV番組のホストを務めるなど、陰謀説を高らかに主張する急先鋒だ。その彼の音声が博物館の携帯オーディオの中に入っているのだ!
ケネディ暗殺の真相究明のタイムラインを簡単に整理してみたい。
- 1963年11月22日・・・・ケネディ暗殺
- 1964年・・・・ウォーレン委員会(Warren Commission)による調査と報告書
- 1969年・・・・地方検事ジム・ギャリソン (Jim Garrison)が、暗殺の陰謀に関係したとしてルイジアナ州ニューオーリンズのビジネスマン、クレイ・ショー(Clay Shaw)を起訴
- 1975年・・・・ABCの深夜番組「Good Night America」 が、射殺シーンの8ミリ映像「ザプルーダー(Zapruder)フィルム」をテレビで初放映
- 1975年・・・・ロックフェラー委員会(President's Commission on CIA activities within the US)が【犯行現場の3人の浮浪者(Three Tramps)=CIA】の疑いを否定
- 1978-79年・・・・下院議会に、暗殺問題調査特別委員会(HSCA: House Select Committee on Assassinations)が設立、再調査
- 1989年・・・・オズワルドの犯行現場とされる旧教科書倉庫ビルに「六階博物館(Sixth Floor Museum)」がオープン
- 1991年・・・・映画「JFK」の公開
- 1992年・・・・JFK暗殺資料収集法(JFK Records Act)の発令に伴い、暗殺記録再評価委員会(Assassination Records Review Board)が独立機関として設立
- 1999年・・・・ジョンソン副大統領の当時の愛人マデリン・ブラウン(Madeleine Brown)が彼の関与を告白
- 2003年・・・・ジョンソンの主犯説を主張する「Blood, Money & Power」(Barr McClellan, 邦訳:ケネディを殺した副大統領 その血と金と権力)が出版
- 2003年・・・・上記を受けて、History Channelが「The Men Who Killed Kennedy」の新シリーズ3本(エピソード7、8、9)を放映
- 2003年・・・・テキサス州でジョンソンの資金源だったビリー・ソル・エステス(Billie Sol Estes)がインタビューで告白、仏ジャーナリストのウィリアム・レモン(William Reymond)が「JFK: Le Dernier Temoin」(邦訳:JFK暗殺 40年目の衝撃の証言)として出版
1991年公開の「JFK」は再び大反響を巻き起こし、JFK暗殺資料収集法や暗殺記録再評価委員会(1992年)に発展する。2003年の「The Men Who Killed Kennedy - The Guilty Man」は、History Channelがジョンソン、フーバー、CIA、テキサス石油業界の共謀を取り上げたことで波紋を呼ぶ。
物的証拠として注目するべきは、ビル6階の段ボールに残されていた不明の指紋が、リンデン・ジョンソン配下の殺し屋マルコム・ウォレス(Malcolm Wallace)の指紋と一致したこと。(「Blood, Money & Power」の研究による)
今回、いろいろと究明ビデオを鑑賞してみたが、もっとも面白かったのは、冒頭で述べたジェシー・ヴェンチュラの番組「Conspiracy Theory with Jesse Venture」だった。2009年から始まったこの番組は、2010年のシーズン2エピソード5で「ケネディ暗殺」を取り上げた。
この番組は以下のような内容だ。
- 犯行現場の浮浪者の1人はCIAエージェントのE・ハワード・ハント(Howard Hunt)であり、彼は2007年の臨終前に息子の前で告白録音。ケネディ暗殺のコードネームが「Big Event」であったことなどを明かす。
- ハワード・ハントは、キューバなど海外で要人を暗殺するOperation 40の主要構成メンバー。アイゼンハウワー政権当時にニクソン副大統領がこれを管轄。ハントはニクソンと縁は深く、その後のウォーターゲート事件もハントらによって引き起こされた。
- オズワルドを捨て駒とするために指示を出していたCIAのジョージ・ド・モーレンシルト(George De Mohrenschildt)は、ブッシュパパとも懇意。モーレンシルトの甥は、進学高校(prep school)の寮でブッシュパパとルームメートだった。
- 1976年からフォード政権下でCIA長官となったブッシュパパは、1963年の事件当時もCIA要員として現場にいた可能性あり。現場の人物と写真比較あり。
- フォード大統領は、下院特別委員会の調査報告書に介入し、表現を多数修正させた。
- オズワルドの未亡人は現在も脅迫を受けている。
- 捏造修正が疑われた「オズワルドが自宅前でライフルと共産党新聞をもっている写真」は、オズワルドに頼まれて夫人が撮影した。このようなような写真を事前に撮っておくように、上層部から指示が出されていた可能性。
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海軍特殊部隊、プロレスラー、ミネソタ州知事など多彩な経歴をもつジェシー・ヴェンチュラは、2016年の大統領選挙に第三政党から立候補するそうだ。彼の善戦を期待したい。
■参考1:
3人の放浪者・・・暗殺事件直後、グラシノール(grassy knoll:芝生の丘)の裏側の操車場と、その周辺部で警察当局による大規模な捜索が行われた。その際、貨車の中に隠れていた3人の不審人物が拘束される。警察官が3人をディーリープラザを通って近くの保安官事務所に連行する様子が、複数のメディアのカメラマンにより撮影された。
■参考2:
2003年にThe Men Who Killed Kennedy の新シリーズ3本が放映。7)The Smoking Guns、8)The Love Affair、9)The Guilty Men の3本。ジョンソン主犯説を知りたい人は、最後の「The Guilty Men」を見るべし。
■参考3:
2017年にウォーレン委員会の資料が公開される。今年11月22日の50周年のあとも、しばらく賑やかになりそうだ。
彼の暗殺はアメリカという国について考えさせられるきっかけとなりました。
ケネディがソロモン沖に配属され、日本の駆逐艦と衝突したのが1943年。オズワルドが厚木基地に勤務したのが1958-1959年。ベトナム撤退を示唆していたケネディが暗殺され、米軍自作自演のトンキン湾事件で北爆が始まるのが1964年。ケネディと日本は縁が深いですね。
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MLBBXA6S972R01.html
「一方、マラソンのゴールから約8キロ離れたジョン・F・ケネディ大統領図書館・記念館でも爆発が起きた。ボストン警察のエド・デービス本部長は、マラソン大会での爆発と関連する可能性があると述べ、警察への爆破予告はなかったと語った。」
http://blog.livedoor.jp/bilderberg54/archives/25005277.html <以下、引用>
アメリカのケネディ政権は日米安保騒動があった1960年移行、日本に対する文化工作を強くしていきます。目的は日本がソ連からの影響を受けないまま、ソ ビエト共産主義や中国共産主義に対する「反共の防波堤」として機能するように、文化的にアメリカ側に取り込んでおくためです。 そのシンボルというべき存 在が、ケネディ政権時代に駐日大使になった、エドウィン・ライシャワーでした。<中略>
台頭する中国と勃興するASEAN、そして衰退するも 経済力はある同盟国日本という布陣の中で、アメリカはTPPや海兵隊のローテーションなどの共同訓練を通じたアジア太平洋地域安全保障の盟主として君臨す ることを国益に掲げているはずです。その視線の行く先には中国が有り、アメリカは3月1日にも軍事予算の強制削減に着手するだろうと言われていますので、 負担は日本などに押し付けたい。米中の冷戦は所詮はヤラセなのですが、その「ヤラセ」という仕組みを通じてアメリカという資本主義国はマネーや実需を生み 出そうとしている。
その仕組みに日本を乗せるには、「見てくれのいいオンナ」を駐日大使に据えるのがいいとオバマ政権のアジア高官は判断したのかもしれない。
http://blog.goo.ne.jp/jfk1122zzzya/e/7c16f08096b27c62ddf6c33decd2e145
ケネディ大統領暗殺事件とそれに関わる日本文献 その2
http://blog.goo.ne.jp/jfk1122zzzya/e/0b4f8b35a0c8b5c4f5fc782f9307d335
ケネディ大統領暗殺事件とそれに関わる日本文献 その3
http://blog.goo.ne.jp/jfk1122zzzya/e/d9816e8c66802b0f8bc7f02330efe8ce