2014年09月15日

強制連行捏造の元凶、清田治史が9月13日で帝塚山学院大学を退職

朝日新聞で強制連行の捏造記事を最初に執筆し、大阪社会部で植村隆の指導役となり、1997年に外報部長として慰安婦問題検証の茶番劇を取り仕切り、その後取締役に上りつめ、退職後は大阪の帝塚山学院大学で「報道の倫理と行動規範」などの科目を担当していた清田治史(きよた・はるひと)が、9月13日付けで大学ならび研究所を「依願退職」した。

以下、この週末に削除された帝塚山学院大学の教員紹介ページだ。



ウソ証言の共産党員「吉」と、強制連行捏造の朝日新聞記者「史」。この名前のシンクロによって、吉田と清田の名前は日本国民の心に刻み込まれ、決して許されることはないであろう。


posted by ヒロさん at 11:17 | Comment(3) | TrackBack(0) | 報道・メディア論
この記事へのコメント
「報道の倫理」が聞いてあきれます。
辞めて、また、ほとぼりが冷めた頃、どこかに就職するのでしょうか?
Posted by ダダさん at 2014年09月15日 12:54
「ほとぼりが冷める」とか、そんな状態ではないのですよ。
外患罪も視野に入っておりますので、これから1〜2年は京都・大阪は暴力テロの戦場になる可能性も踏まえて、以下のブログを読み続けられることをお奨めします。

http://kt-yh6494.blog.so-net.ne.jp/2014-09-14
自衛隊・公安・警察・官僚のOBなどがネットワークつくるブログです。
Posted by ヒロさん★ブログ主 at 2014年09月15日 13:41
当時、外報部長・清田治史の直属で外報次長だった長岡昇(その後論説委員)のブログに寄せられたコメント(yacopiさん)
http://www.johoyatai.com/?a=page_fh_diary&m=pc&target_c_diary_id=1136

韓国に対する理解を深めるために社内に留学制度ができ、その第一号が、清田治史と若宮啓文だった。朝日新聞をこの後、破綻へ導く二人の人間に白羽の矢が立ったことは象徴的だった。

97年、慰安婦報道を巡る政治部と社会部の対立があったが、この時点でも遅きに失していた。しかし、あろうことか、「吉田証言がたとえ嘘であっても、絶対にないという証明はできない」と、政治部のまっとうな意見をつっぱね、客観的な検証記事に至らなかった。

皮肉なことに、清田は事業担当役員から西部本社代表、取締役へ昇進する。まるで、インパール作戦の無謀な戦略立案で大勢の部下を殺害しながら、責任を部下に全て転嫁し、昇進した牟田口 廉也そっくり。この間、清田は取材費の不正請求が発覚するが社内では不問にされた。

よほど、取締役の中に、清田をかばう上司がいたのだろう。なぜ、朝日新聞のA級戦犯である清田の罪が暴かれなかったのか?朝日にはこういうタイプの人間が、社の金を不正に流用しても昇進できる旧陸軍的体質があったのか?
Posted by ヒロさん★ブログ主 at 2014年09月15日 14:16
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