2013年06月03日

北欧で人気のリンディホップ!

最近の私はリンディホップ(Lindy Hop)に夢中になっている。1930年代に流行した男女ペアのダンスで、派手なブッ飛び回しや空中技があることから、1927年に大西洋横断飛行に成功したリンドバーグにちなんで「リンディ」と名付けられている。

このダンスは80年代にリバイバルし、ニューヨーク、ロンドン、ストックホルムでヒットする。このときに基本技で参考にされたのが、1941年の映画「Hellzapoppin」。日本では太平洋戦争の空中戦が忙しくなる時代なので、スカートの中まで風通しのよくなる、このような不謹慎な空中ダンスの映画は公開されていない。

現在、このダンスの世界的なメッカは、スウェーデンのハレング(Harrange)で、毎年ダンスフェスティバルが開催されている。欧州でリンディホップの世界選手権が開かれると、上位はスウェーデンとノルウェーばかりだ。

このダンスはビデオを見ているだけ、ウエストが少し細くなるような気分になる(錯覚!)。私の楽しみ方は、夜中にこの手のビデオを見ながら、少々ステップを踏んで、手足をあれこれと動かすエアロビクスのまねごとをすること。真夜中のダンスのお供は、BlueToothの無線ヘッドホンかな。

■おまけ
この時代のダンス音楽でビートジョギングに使えるのは、例えば以下の音楽。
Chick Webb - Stompin' at the Savoy (♪=86)
Glenn Miller - Rug Cutter's Swing (♪=82)


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2013年04月30日

サンディフック小学校乱射事件とFEMA演習

2012年12月14日に起こったコネティカット州のサンディフック小学校乱射事件(子供20人、大人7人が死亡)をきっかけに、アメリカで銃規制の動きが急速に進んでいるが、事件の直後から政府の謀略であると主張する人たちがいる。「銃撃は起こっていない」「1人も死んでいない」とまで言い切る人もいる。いったいこれは、どういうことだろうか?

ポイントを1つに絞りたい。FEMA連邦緊急事態管理庁(通称フィーマ)による当日の演習訓練だ。2012年12月14日・午前9時〜午後4時の日程で、30km南にある隣り街のブリッジポート(Bridgeport)で「FEMA L-366 Planning for the Needs of Children in Disasters」という民間人を交えた演習が行われている。

この演習概要を示すFEMAのサイトは「FEMA L-366」でウェブ検索すれば、いまでもすぐに見ることができる。「災害時に子供たちのニーズに応えるため」の訓練であり、参加対象者は公職の危機管理マネジャー、児童サービス機関、チャイルドケア、学校関係者、宗教団体となっている。

日本語の字幕のついた以下のビデオをご覧いただきたい。



事件発生直後の小学校の周辺には、首から認証カードを下げた不思議な人たちがたくさん徘徊しているのだ。「EVERYBODY MUST CHECK IN(全員チェックインすること)」という看板もあり、大量のペットボトルの水や、仮設トイレもいち早く準備されている。

徘徊している人たちは、近隣のブリッジポートの演習から駆けつけた人たちなのか。そうであれば、朝9時に受付はすでに終わっているはずであり、「全員チェックインすること」という看板が説明できない。非公開の別の演習があったことが伺われる。

さらに、20km西にあるカーメル(Carmel)では、プトナム郡緊急事態対策チーム(Putnam Country Emergency Response Team)が、学校内での銃撃を想定した模擬訓練を同じ日に実施していた(Southeast-Brewster Patchの12月18日報道による)。

とにかく手回しが良すぎるのだ。徹底的な情報統制が敷かれ、犯人が侵入した監視カメラ映像も、現場の流血のあとも、いっさい公開されない。子供たちは全員目をつむらされ、学校の外に誘導されている。複数犯の報道がいつの間にか、現場で自殺したとされる1人の青年の単独犯行に収束している。

ネットでは「クライシス・アクター(crisis actor)」というコトバが流行している。軍事演習や災害時に、現場で臨場感や共感を高めるためにヤラセで動員される俳優のことだ。

事件の翌日以降に、あたかも笑っているかのような表示で、テレビインタビューに受け応えする被害者の両親たちの表情は異様なものがある。とりわけ、検死官による現場記者会見は異常のひと言に尽きる。クライシス・アクターや箝口令というよりも、何かクスリを飲まされているのではないか、というような表情と話しぶりだ。



今のところの私の推理はこうだ。死亡したとされる人たちは、何らかの特殊な方法で命が奪われ、検死も行われなかった。大人の場合は証人保護プログラムが適用されたかもしれない。「銃のない平和な社会を築く」という崇高な大義のもとで、全面的に協力した住民には大金が支払われたものと見る。同時に、洗脳プログラムが記者会見やTVカメラの前でどの程度“耐えられるか”という実験も行われたのではないか。

ボストンテロ事件は、オバマ政権とFEMAのこのような演出に対して、「ならば我々も」と乗り出した別勢力からの反撃ではなかろうか。

■資料
Newtown Sandy Hook School Massacre: Updated Timeline, Chronological Assemblage of Coverage
The Problems With The Sandy Hook Elementary Massacre (2013-4-4)


posted by ヒロさん at 13:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 国際政治/謀略

2013年04月27日

ボストンマラソン爆破テロに関する考察

ボストンマラソン爆破テロでは、3人が死亡、100人以上が負傷。数日後にチェチェン出身の兄弟が銃撃戦を展開し、兄が死亡、弟が逮捕で一件落着となっている。

テロや猟奇的な犯罪には、陰謀説(政府の特殊勢力、各国の謀略組織、民間の軍事集団などの関与)が必ず出てくるが、今回の事件で怪しい点は何であろうか。4月末現在、日本語では以下のサイトがよくまとまっているので、推理ゲームのつもりで一読をお薦めしたい。
現場における唯一の目撃者は誰だったのか?
容疑者の1人は銃撃戦で死亡したのか?
世界に生々しくアピールできる映像の“素材”は何だったのか?

謀略であったとすると、この事件の政治的なメッセージな何であろうか?

1つ気になるのは、同時に、ボストンのケネディ大統領図書館にも発火装置によるテロが行われていることだ。(参考記事:No conclusive evidence linking Boston JFK Library fire to Marathon blasts

私は今のところ、オバマ政権に対するある勢力からの圧力、と考える。反イスラエルのヘーゲルを国防長官に選び、禁断のケネディを日本大使に据えるなど、ある勢力にとって2期目のオバマ政権は何とも鼻持ちならない。

犯人をアルカイーダに結びつけ、中東介入を促したいのか。あるいは、銃規制法案に絡む駆け引きなのか。対北朝鮮の軍事・外交姿勢に対する警告、というわずかながらの可能性も見据えておきたい。


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2013年04月03日

ケネディ暗殺50周年、真相究明はさらにつづく

ケネディ大統領の暗殺犯がライフルを構えていたとされる場所は、現在「The Sixth Floor Museum」という博物館になっている。ここはある意味で、オズワルド単独犯行説という公式見解を吹き込むための宣伝センターにもなっている。

この博物館のオーディオガイドに、ジェシー・ヴェンチュラ(Jesse Venture)の声も入っていると知って、非常に驚いた。彼は「63 Documents the Government Doesn't Want You to Read」を出版したり、「Conspiracy Theory with Jesse Ventura」という人気のTV番組のホストを務めるなど、陰謀説を高らかに主張する急先鋒だ。その彼の音声が博物館の携帯オーディオの中に入っているのだ!

ケネディ暗殺の真相究明のタイムラインを簡単に整理してみたい。
  • 1963年11月22日・・・・ケネディ暗殺
  • 1964年・・・・ウォーレン委員会(Warren Commission)による調査と報告書
  • 1969年・・・・地方検事ジム・ギャリソン (Jim Garrison)が、暗殺の陰謀に関係したとしてルイジアナ州ニューオーリンズのビジネスマン、クレイ・ショー(Clay Shaw)を起訴
  • 1975年・・・・ABCの深夜番組「Good Night America」 が、射殺シーンの8ミリ映像「ザプルーダー(Zapruder)フィルム」をテレビで初放映
  • 1975年・・・・ロックフェラー委員会(President's Commission on CIA activities within the US)が【犯行現場の3人の浮浪者(Three Tramps)=CIA】の疑いを否定
  • 1978-79年・・・・下院議会に、暗殺問題調査特別委員会(HSCA: House Select Committee on Assassinations)が設立、再調査
  • 1989年・・・・オズワルドの犯行現場とされる旧教科書倉庫ビルに「六階博物館(Sixth Floor Museum)」がオープン
  • 1991年・・・・映画「JFK」の公開
  • 1992年・・・・JFK暗殺資料収集法(JFK Records Act)の発令に伴い、暗殺記録再評価委員会(Assassination Records Review Board)が独立機関として設立
  • 1999年・・・・ジョンソン副大統領の当時の愛人マデリン・ブラウン(Madeleine Brown)が彼の関与を告白
  • 2003年・・・・ジョンソンの主犯説を主張する「Blood, Money & Power」(Barr McClellan, 邦訳:ケネディを殺した副大統領 その血と金と権力)が出版
  • 2003年・・・・上記を受けて、History Channelが「The Men Who Killed Kennedy」の新シリーズ3本(エピソード7、8、9)を放映
  • 2003年・・・・テキサス州でジョンソンの資金源だったビリー・ソル・エステス(Billie Sol Estes)がインタビューで告白、仏ジャーナリストのウィリアム・レモン(William Reymond)が「JFK: Le Dernier Temoin」(邦訳:JFK暗殺 40年目の衝撃の証言)として出版
映像によるインパクトは常に大きい。1975年のザプルーダーフィルムのテレビ放映によって、少なくとも2方向以上の銃撃があった可能性が広まり、ロックフェラー委員会(1975年)や下院・暗殺問題調査特別委員会(1978年)に発展する。下院委員会は、音響の証拠などから、銃弾は2方向から合計4発である可能性を示唆していた。

1991年公開の「JFK」は再び大反響を巻き起こし、JFK暗殺資料収集法や暗殺記録再評価委員会(1992年)に発展する。2003年の「The Men Who Killed Kennedy - The Guilty Man」は、History Channelがジョンソン、フーバー、CIA、テキサス石油業界の共謀を取り上げたことで波紋を呼ぶ。

物的証拠として注目するべきは、ビル6階の段ボールに残されていた不明の指紋が、リンデン・ジョンソン配下の殺し屋マルコム・ウォレス(Malcolm Wallace)の指紋と一致したこと。(「Blood, Money & Power」の研究による)

この頃から、関係者の告白証言が次々と公開されている。世の中は911テロやイラク侵攻で騒がしかったが、舞台裏のひそみで、研究は少しずつ進展していたようだ。

今回、いろいろと究明ビデオを鑑賞してみたが、もっとも面白かったのは、冒頭で述べたジェシー・ヴェンチュラの番組「Conspiracy Theory with Jesse Venture」だった。2009年から始まったこの番組は、2010年のシーズン2エピソード5で「ケネディ暗殺」を取り上げた。

この番組は以下のような内容だ。
  • 犯行現場の浮浪者の1人はCIAエージェントのE・ハワード・ハント(Howard Hunt)であり、彼は2007年の臨終前に息子の前で告白録音。ケネディ暗殺のコードネームが「Big Event」であったことなどを明かす。
  • ハワード・ハントは、キューバなど海外で要人を暗殺するOperation 40の主要構成メンバー。アイゼンハウワー政権当時にニクソン副大統領がこれを管轄。ハントはニクソンと縁は深く、その後のウォーターゲート事件もハントらによって引き起こされた。
  • オズワルドを捨て駒とするために指示を出していたCIAのジョージ・ド・モーレンシルト(George De Mohrenschildt)は、ブッシュパパとも懇意。モーレンシルトの甥は、進学高校(prep school)の寮でブッシュパパとルームメートだった。
  • 1976年からフォード政権下でCIA長官となったブッシュパパは、1963年の事件当時もCIA要員として現場にいた可能性あり。現場の人物と写真比較あり。
  • フォード大統領は、下院特別委員会の調査報告書に介入し、表現を多数修正させた。
  • オズワルドの未亡人は現在も脅迫を受けている。
  • 捏造修正が疑われた「オズワルドが自宅前でライフルと共産党新聞をもっている写真」は、オズワルドに頼まれて夫人が撮影した。このようなような写真を事前に撮っておくように、上層部から指示が出されていた可能性。
この番組では、六階博物館のキュレーターであるゲイリー・マック(Gary Mack)も登場する。マックは権力側の手先になったとして陰謀説の研究家から攻撃されているが、ジェシー・ヴェンチュラの前では「もし自宅でビールを飲みながらの話でしたら、オズワルド以上の何かがあると言いますよ」とテレビカメラの前で微妙に公言しているのが興味深い。

海軍特殊部隊、プロレスラー、ミネソタ州知事など多彩な経歴をもつジェシー・ヴェンチュラは、2016年の大統領選挙に第三政党から立候補するそうだ。彼の善戦を期待したい。

■参考1:
3人の放浪者・・・暗殺事件直後、グラシノール(grassy knoll:芝生の丘)の裏側の操車場と、その周辺部で警察当局による大規模な捜索が行われた。その際、貨車の中に隠れていた3人の不審人物が拘束される。警察官が3人をディーリープラザを通って近くの保安官事務所に連行する様子が、複数のメディアのカメラマンにより撮影された。
■参考2:
2003年にThe Men Who Killed Kennedy の新シリーズ3本が放映。7)The Smoking Guns、8)The Love Affair、9)The Guilty Men の3本。ジョンソン主犯説を知りたい人は、最後の「The Guilty Men」を見るべし。
■参考3:
2017年にウォーレン委員会の資料が公開される。今年11月22日の50周年のあとも、しばらく賑やかになりそうだ。


posted by ヒロさん at 18:52 | Comment(5) | TrackBack(0) | 国際政治/謀略

2013年03月18日

マラソンをしているときの意識フォーカスのシフト

ジョギングやマラソンに関する本を6冊ほど購入し、さらにシドニー五輪の高橋尚子やアテネ五輪の野口みずきが走るビデオもチラホラ眺めていたら、いつもより少し長めのジョギングを試してみるか、という気持ちになった。

ある程度の距離を走るとき、私のビート音楽は♪=84〜88に設定している。が、カラダに負担なくゆっくりと走ってみたいので、♪=80〜84の曲ばかりを選曲して走ることにした。

いつもよりギアを1段下げての走行なので、ほんとうにゆったりしている。前半は歩いているような気分で、呼吸はいっさい苦しくない。後半はゆるやかなクロスカントリーのようなコースなるので、少しは走っている感覚になり、終盤は大腿に少々気だるい心地よさが広がっていた。

走行時間は1時間1分、距離は約10キロだ。38年ぶりに10キロを完走したので、めでたし、めでたし、である。業界では、このようなゆっくりとした走りをLDS(long-distance slow)と呼ぶらしい。幻覚剤のLDSにも似た怪しい響きのコトバだ。

ビート音楽ジョギングは、聞いている音楽のリズムに乗って走ることだが、音楽に引っ張られながら、無理やり走らせられるという側面もある。意識は音楽の気持ちよさに浸っていることはもちろんだが、これにしっかりとリズムを合わせようとする足の動きにもフォーカスしている。

だが、今回のようなスロージョギングをやってみて、いつもとは心の状態が少し違うことに気がついた。腕の振り、肩の感覚、足の裏の着地点など、カラダの細部に意識を向ける余裕があるのだ。さらに周囲の景色を眺める余裕も少しある。

自分を励ますコトバも少し試してみると、「ありがたいなぁ〜、ゆたかだなぁ〜、しあわせだなぁ〜」という簡単なフレーズならば、これを繰り返しながら、しみじみとした気分に浸ることもできる。

そう言えば、村上春樹は『走ることについて語るときに僕の語ること』の前書きで、ある新聞記事について触れている。有名なマラソンランナーが走行中に何を考え、どんなコトバを繰り返し、どんなイメージを描いているか、という話だ。原文を読んでみると、トップランナーたちの頭の中は以下のようになっているという。IHT: For marathoners, it's all in the mind (2006.11.3)
  • 数字を1から100までゆっくりと数える(100まで数えると約1マイル走った、という目安)
  • 足のステップ通りに500まで数える
  • 「弾み(momentum)」という1語を繰り返す。
  • 「はっきりさせろ(Define yourself)」という短い文を繰り返す。
  • 「痛みは避けられない、苦しみは自分次第(Pain is inevitable, suffering is optional.)」を繰り返す。
  • 「暑さに耐えられないなら、私の通りから出ていきな(If you can't stand the heat, then get off my street)」というマドンナの『I Love New York』の一節を繰り返す。
  • もう1つ次の電信柱をゴールと思い込み、それを繰り返す。
  • 故郷で体験した過去のトレーニングシーンを思い浮かべる。
  • ゴールインで最後のデッドヒートを演じている場面を思い浮かべる。
  • 将来自分の孫にマラソン体験を笑って話しているシーンを思い浮かべる。
  • 前の夜に小さな袋に何百万の酸素分子を入れるイメージ儀式をする。当日のマラソンで苦しい局面が訪れたら、その袋を口の前に取り出し、酸素を吸入していると思い込む。
最後の儀式はかなり手が込んでいるが、それで脳を騙すことができるならば、さらに元気に走れるというわけだ。

ここで使われているコトバやイメージは、状況がだんだん苦しくなってきたときに、意識をどのようにシフトさせるか、という意味で参考になる。マラソン以外の人生のさまざまな局面においても「意識をラクな方向にシフトさせる」というヒントが得られるかもしれない。


■つぶやき
10キロぐらい走ることができれば、ハーフマラソンの21キロは何とか行けるそうだ。だが、私は1時間を超えるような長距離には今のところまったく興味がない。(まして40キロの4時間なんて、とんでもない、他に楽しいことがいっぱいあるもの!) 10キロを超えたら、脳内麻薬物質の分泌が全開になり、幻覚剤LDSさらながらのお花畑が訪れるというなら是非ともやってみたいが、そういう幸せな話はあまり聞かない。20キロ、30キロ、40キロ(さらにはウルトラマラソンの100キロ)の挑戦にこだわるのは、健康法としても疑問。それよりも3キロ、5キロ、7キロという短い距離を手を変え、品を変えて走った方がおもしろい。

posted by ヒロさん at 23:23 | Comment(6) | TrackBack(0) | 四肢は百獣の王
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